66-2
「――勝手に殺すな!!!」
隠し通路を抜けた途端に明るさが増して、響いた怒声に亜莉香は耳を疑った。
叫んだ本人であるヨルが肩を揺らして、反対の出入口にいる。その視線は中央にいるルイとキヨに向けられ、二人の間にある空気が重い。
表情のないキヨは壊れた日本刀を掴んだまま、動けないルイは呆然とヨルを見つめた。
息が上がったヨルは右手に日本刀を握り、左手の拳は壁に当てて身体を支える。髪は乱れてぼさぼさで、キヨとルイを睨みつけるなり、息を吸い込んだ。
「俺は死んでねえ!」
「…本物?」
「当たり前だ!勝手に仇を討つな!!」
ルイの小さな問いに、怒りの消えないヨルが叫ぶ。
その怒りの矛先が、すぐに亜莉香とヒナに変わった。天井付近を飛び回っていた小鳥がヒナの肩にやって来て、淡く白い光を放って消えたせいだ。ヨルを連れて来たと理解すると同時に、見つかってしまったと亜莉香は思った。
案の定、ヨルは剣先をヒナに向けて口を開く。
「お前…俺を置いて行ったな!」
「なんで置いてきたはずの次男が、先に到着するのかしらね」
「全速力で駆け付けた以外に理由はないだろう」
亜莉香も気になっていた疑問をヒナは言い、ピヴワヌが冷静に答えた。
確かにそれ以外の理由は思い浮かばない。全然違う道から現れたヨルの瞳には亜莉香とヒナ、それからピヴワヌしか映らず、怒っているヨルとは正反対に落ち着いていた。
何だか気まずくなった亜莉香だけで、申し訳ないと思いながら言う。
「えっと、その…早かったですね?」
「早かったですね…じゃねえ!いつの間にアリカやピヴワヌが合流しているんだよ!フミエとイオは、どこ行った!?」
「ピヴワヌの背中にいますよ?」
微妙に似ていた声真似に、ピヴワヌが笑いを耐えていた。
疑問形の亜莉香の答えで、少しはヨルの怒りが消える。盛大な舌打ちをしたかと思えば、剣先を下ろした。不機嫌丸出しで歩き出し、ルイとキヨの間に割り込む。
ヨルの右手が動いて、壊れた日本刀が宙を舞った。
手から武器が消えたルイを庇うように、背を向けたヨルは真面目な顔でキヨを見た。
「キヨ兄様、何をしているのですか?」
「お前こそ、どうしてここにいる」
「それこそ愚問でしょう。俺は俺の大切なものを守るために、ここにいます」
丁寧な言い方を心がけているようで、喧嘩腰な言い方にも聞こえる。
キヨの右手と、ヨルの右手。それぞれ日本刀を持ってはいるが、お互いに構えることはない。口を結んだルイが片膝をつき、首筋から流れていた血を止めようとすれば、その右手が赤く染まった。
誰かが三人の中に入れる空気はない。見守る亜莉香の隣に、いつの間にかピヴワヌから下りたイオが立つ。静寂を破ったのはヨルで、ため息を零して話し出した。
「正直、俺は狭間の中で死ぬかと思いましたよ。助けに来てくれる奴らがいたから、そんなことにはなりませんでしたけど」
「そうか」
「上の屋敷は騒がしいけど、父上も母上も命は取り留めそうです。何人かは間に合わなかったけど、温泉街からも医者を呼んで対処させています。何とか会話が出来た人から、少しだけ話を聞きました」
淡々と述べていたヨルの表情に、悲しみが浮かぶ。
「先に手を出したのは、母上でしたね?」
隣のイオが肩を強張らせ、ルイが驚いた顔をした。
改めて、亜莉香はキヨを観察する。長い髪を後ろで結んで、この場の誰よりも背が高く痩せていた。僅かに表情が崩れて、それ以上は言うなと、ヨルより深い橙色の瞳が語る。
その身体に闇を纏ってはいなかった。
探していた人物ではないと、亜莉香は確信する。いつでも扇を開けるように構えていたヒナは腕を組み、傍観者に徹して口を閉ざした。
「母上が皆を襲った。キヨ兄様は殺されかけたから、自分の身を守っただけだった。俺を追い込んだのは、キヨ兄様じゃない。キヨ兄様が本気で俺を殺そうと思えば、こんな回りくどいことをしなくても殺せたはずだ」
再び話し出したヨルは自分自身に言い聞かせるように言い、不意に笑みを浮かべる。
「キヨ兄様は、何も悪くない」
「お前に何が分かる」
静かに声を荒げたキヨの日本刀の刃が、ヨルの首筋を狙った。
息を呑んだのはルイで、ヨルは動じない。首筋に日本刀が当たっても、一瞬でも瞳を逸らさない。恐怖はなく何もかも受け止める眼差しに、キヨの方がたじろぎ奥歯を噛みしめた。
今のキヨが力を込めて日本刀を振るえば、ヨルの命を簡単に奪える。首筋の頸動脈を深く切れば殺される。それが分かっているはずなのに、ヨルは平然と笑い話しかける。
「キヨ兄様、もうやめましょう」
「五月蠅い」
「例え半分しか血の繋がらない兄弟だとしても、キヨ兄様は俺の家族だ」
言い切った言葉に、キヨが日本刀を振り上げた。
そのまま振り切ろうとして、イオが前に出て叫ぶ。
「殺さないで!」
悲鳴に似たイオの声が響いて、キヨの身体が寸での所で止まった。首は斬り落とされていない。刃はヨルの首に当たり、ゆっくりと血が滲む。
出遅れた亜莉香が言葉を失い、小さな身体を震わせながらイオは袴を強く握った。
「お願い。これ以上、誰も殺さないで…家族を、傷つけないで」
一歩、また一歩と前に進む。
「ヨルの言う通りだよ。もうやめて。私やヨルは、皆が隠していたキヨの秘密を知っているの。お互いに知っていたことを、一度も口に出したことはなかったけど、それでも知っていて黙っていたの」
涙交じりに言い、距離を縮めて足を止めた。
深呼吸を繰り返したイオの言葉を、誰もが黙って聞く。日本刀を強く握りしめたキヨも、首を狙われたままのヨルも。一人だけ話について行けないルイだけが顔を向け、掠れた声で問いかけた。
「どういうこと?」
「キヨ兄様は父上の、本家の血を引いていない。一部の連中は知っていた話だけどな。母上は俺達兄妹に知られることを恐れて、何よりキヨ兄様には知られてはいけないと思っていた。それなのに誰かが事実をキヨ兄様に伝えて、それを知った母上が口封じに周りを巻き込み、キヨ兄様を殺そうとした」
イオの代わりにヨルが説明して、そっと日本刀を挟んで押し離した。
首から刃を遠ざけ、ヨルは鞘に武器を戻す。
「キヨ兄様は父上と母上の子であった欲しかった。それが――母上の想いだった」
イオが小さく頷いた。
苦しそうに顔を歪めて、キヨは右手を力なく落とすと、ふらりと一歩下がった。左手で前髪を掴み、半分も顔を隠して小さく零す。
「もう…何もかも遅いだろ」
独り言のような言葉に、ヨルもイオも何も言わなかった。
「母上を殺そうとした事実は変わらない。父上の血を引かない俺は、時期当主にはなれない。この地が穢れてしまう前に先代巫女が儀式を執り行い、何もかも一から始めなければいけない」
先代巫女や儀式。
気になる単語に、亜莉香だけじゃなくてピヴワヌやヒナも反応を見せた。詳しく聞きたいが、亜莉香のいる場所は少し遠い。下を向いたまま後ろに下がって、キヨは言葉を重ねる。
「リーヴル家は…お前達が立て直すしかない」
何もかも悟ったように、悲しそうにキヨは笑った。
イオが声をかけるよりも早く、キヨは日本刀を自らの首に当てた。
その先を誰もが予測して、キヨが瞳を閉じようとする。それよりも素早かったのがヨルであり、瞬く間にキヨに迫った。
「この――大馬鹿野郎が!」
叫ぶと同時に、キヨの顔を思いっきり殴った。
手加減なしの拳に、キヨの身体が宙に浮く。地面に倒して、怒りの収まらないヨルは馬乗りになり、襟元を掴んで頭突きした。
痛そうな音に、悲鳴を上げたイオが両手で口元を覆った。
頭突きをした本人は全く痛そうな素振りを見せず、真っ直ぐな瞳がキヨを見下ろす。
「あんたが母上を殺そうとしても、俺は許すって言っているんだよ!当主にだって、なりたきゃなれ!この土地が穢れたのなら、それを正すのは俺達の役目だろ!!」
心掛けていた丁寧な言葉遣いが剥がれた。
次々と口から出る言葉に息を乱し、素のヨルの怒声が続く。
「何が遅い?お前達が立て直せだ?何も遅くないし、今からでも父上や母上と話せるだろ!立て直すなら、先代巫女一人に背負わせないで自分も動け!誰が親だろうが、誰の血が流れていようが。俺は生まれた時からキヨ兄様の弟で、この土地を守る人間で――ずっと、ずっと昔から憧れていたキヨ兄様を勝手に殺すな!」
心からのヨルの祈りが、辺りに響いた。
掴んでいた力が緩み、キヨはそのまま力なく地面に背をつける。握っていた日本刀が手から離れて、両腕で顔を隠した。
深く息を吐いたヨルが、静かに立ち上がった。
二人の傍に行こうとしたルイの身体がよろめき、慌ててイオは駆け寄る。その首筋に小さな手を伸ばして、精霊の力を借りて魔法で治しながら、二人でキヨを見下ろした。
支えていたイオを払い除けて、ルイが言う。
「僕は許さないよ」
拳を握りしめた硬い声に、視線が集まった。
「ルカに何かあったら、僕は一生兄さんを許さない」
「ルイ…」
「イオ。怪我を治してくれて、ありがとう。愚兄――助かった」
二人を見ずに言ったルイは落ちていたキヨの日本刀を拾うなり、踵を返して駆け出した。
姿が見えなくなった先は一つの通路。その先に何があるのか亜莉香には分からないが、ルイが消えた通路の先は暗く、闇が広がっているように見えた。
目を離した隙に、イオは腰を下ろした。
ヨルが一歩引いて、亜莉香達を見た。傍に寄っても大丈夫だと、ヒナと目を合わせてから、亜莉香は踏み出し近くに移動する。
キヨは動かない。その頬に涙が流れて、イオは静かに訊ねた。
「キヨ、もういいよね?もう兄妹の間で、隠し事はなしにしよう」
小さく頷き返したのが、キヨの返事だった。
「先代巫女は、この先で何を企んでいるの?」
「…扉を開けると、言っていた」
イオの真剣な問いに、キヨは弱々しくも正直に答えた。
「詳しくは、聞いていない。この土地の闇を引きつける犠牲が必要だと言われて、邪魔者がいるなら始末するように頼まれた」
「その犠牲に選ばれたのがルカで、ルイは助けに行ったのか?」
「そうだ」
肯定が、亜莉香の思考を一瞬だけ停止させた。何を言っているのか理解したくない。闇を引きつけるとか、犠牲とか、見過ごせない内容を告げられて、表情が強張る。
「何故、ルカさんだったのですか?」
部外者の声に、キヨは初めて亜莉香を見た。深い橙色の瞳に姿が映り、心の底からの怒りを込めて、もう一度問う。
「何故、ルカさんを犠牲にしようと考えたのですか?」
「…初めは、イオだった」
今すぐにでも駆け出したい衝動を抑えて、話に耳を傾ける。
何も聞かずに走り出したら、大事なことを聞けない。足元が崩れそうなくらい不安があるけど、瞳を伏せたキヨの話を聞かなければいけないと思ったのは直感だった。
「力のある人間と言えば、この土地では巫女だ。けれどもルイと共に、精霊に愛されているルカが帰って来た。それなら変えようと、ノノが言った」
イオの表情から、色が消えた。
キヨではない、闇を宿した者達の姿を想像する。イオの傍にいつも控えていた少女の姿が、闇を纏って笑いかける。隣には母親である先代巫女がいて、背後にいるのが血を纏ったレイだった。それはなんて残酷で、恐ろしい組み合わせなのだろう。
「巫女の力は貴重だ。先代巫女は誰でも良いと考えていた。儀式が始まれば、きっと誰にも止められない。それまで儀式が行われる場所に誰も、ルイさえ引き止められたらと――」
亜莉香と目が合い、途中でキヨの言葉が消えた。
そうですか、と亜莉香が冷たく相槌を打ったのは無自覚だ。フミエを地面に下ろしたピヴワヌが傍らに寄り、その毛並みに優しく触れる。
この場にいて、ピヴワヌの姿が見えない者はいない。
亜莉香の気持ちに反応して、精霊達が騒がしく輝き出した。許さないと、止めなくてはと、気持ちを代弁する幾つもの声がする。傍に集まる精霊達の声に頷き、ルイが消えた通路を見つめて呟いた。
「思い通りになんて――絶対にさせない」




