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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
311/507

63-2

 女の子の泣き声が、最初に聞こえた。

 真っ白な髪の老婆の膝に顔を押し付けて、五歳前後の女の子は声を上げて泣く。古民家の縁側に座っている老婆の傍には男の子が胡坐をかき、困った顔で言った。


「そろそろ泣き止めよ、フミエ」

「だって、ルカもルイ様も、いつも私を置いて行っちゃう。一緒に遊びたいのに、どんどん、どんどん先に行って。ヨル様にも先代様にも迷惑をかけてっ――」


 ごめんなさい、と僅かに頭を上げたのはフミエと呼ばれた女の子で、瞳を涙でいっぱいにして顔は上げない。困り果てた男の子はため息をつき、呼ばれた名前はヨル。


 今朝も出会った二人が、雰囲気そのままの小さくなった。どうしようもなくて頭を掻いたヨルの代わりに、老婆は優しくフミエの頭を撫でる。


「大丈夫だよ、フミエ。誰も置いて行かない。私もヨルも、傍に居るでしょう?」

「でも、本当は傍にいちゃいけないの。私、知っているの」


 鼻をすすったフミエが言い、老婆の着物を小さな手で必死に握った。


「本当は、私なんかが会いに行っちゃいけないと、皆が言うの。ルイ様は別だけど、ヨル様や先代様には、話しかけるのも駄目だって。み、身分不相応だって」


 上手く口が回らず、途中で言葉に詰まりながらも言った。

 なんで、と繰り返す声は小さく震える。どうすることも出来ないヨルは何も言わずに見守っていたが、その表情はフミエと同じで悲しみに包まれていた。

 老婆だけが優しく微笑み、そっと話し出す。


「皆の言うことと、私の言うこと。どちらが大事だい?」

「…わ、分かんない」

「人の真似をしなくていい。今は分からなくても、自分でよく考えなさい。大勢の意見に流されず、自分にとって正しいことは何か。考えることを疎かにしてはいけない」


 諭すように言った老婆は傍に居たヨルに目を向けて、フミエがそっと顔を上げた。涙を止めて優しい老婆の顔を見上げ、ヨルに話しかける声に黙って耳を澄ませる。


「ヨルも同じだよ。分かっていると思うが、私達は特別じゃない。皆が特別扱いをしても、耳を貸す必要はないが、フラム・リーヴルの名を持つ者として、正しいことを選ばなくてはいけない。正しく選ぶために、あらゆることを考えることは、決して無駄にならない」


 ヨルは丸まっていた背中を伸ばした。

 子供達を見つめ返した老婆は微笑み、ゆっくりと言葉を続ける。


「傍に居たい人がいるなら、会って話していいよ。正しさに迷ったら、立ち止まって考えてもいい。気持ちを偽らず、自分の意思を持ちなさい」


 ヨルはしっかりと、フミエは弱々しくも頷いた。

 満足そうに老婆がヨルを手招き、二人の頭を撫でる。フミエは老婆の膝を枕にして蹲り、その表情から悲しみが消えた。ヨルを下から見上げ、微かに笑う。

 安堵したヨルが、ぼさぼさになっていたフミエの前髪を直してあげた。


 小さな二人を老婆は見守り、泣き疲れたフミエは静かに眠った。そよ風で木々が揺れて、子守唄のように聞こえた。青々と茂った木々は新緑で、日差しを遮る縁側に風が通り、涼しい風鈴の音がする。

 丸い風鈴に牡丹が描かれ、色は老婆の着物と同じ茜色。

 老婆もヨルも黙っていたが、やがて口を開いた。


「ヨル、私の話を努々忘れてはいけない。ちゃんと覚えておきなさい」

「分かった。先代様」

「それから台所でお茶と、棚の中からお菓子を用意しておくれ。棚の中にはルカの母親が買って来てくれたお菓子が、山のように入っているからね」

「それくらい自分で行けよ。自分の家だろ?それか人を置けば楽なのに、先代様は一人で暮らしているよな。この家狭くない?」


 文句を言って動こうとしないヨルが、姿勢を崩して部屋を見渡した。

 縁側しか見えていない亜莉香やヒナには、部屋の広さは分からない。ただ一瞬だけ亜莉香を見た気がして、視線が老婆に戻る。


「この和室、俺の部屋より狭いよ。あんまり物を置いていないし、誰かが会いに来ないと人に会わないだろ?寂しくない?」

「寂しくない。精霊がいて、会いたいと思ってくれる人が会いに来てくれる。先代と呼ばれる自由気ままな隠居生活は、和室二部屋の平屋で丁度いい」

「そんなものか」


 適当な相槌をしたヨルに、老婆は憐れむように言う。


「ヨルなら、この気持ちが分かると思うね。だから会いたくもない人に会うのが嫌になって逃げ出して、迷子になったフミエを見つけて連れて来たのだろう?」

「先代様は流石だ。何でもお見通し」

「全く母親にまた怒られるだろうに、毎回よく逃げ出すね。それには感心するよ」


 得意げなヨルはにやりと笑い、老婆はため息をついた。

 手に負えない子供を叱ることはない。ただ呆れてフミエの頭を撫でる。フミエは小さな寝息を立てて、ぐっすりと寝ていた。

 フミエを一瞬だけ見て、仕方がないと言いながらヨルが立ち上がる。


「そろそろ無駄口を叩かないで、お茶の用意をするよ。フミエが起きるまで、俺も帰れなくなったからな。ルカの父親の土産の本はある?」

「それも一緒の棚だね。適当に持って来ればいい」

「了解」


 片手を振りながら背を向けたヨルが、亜莉香の近くに来て消えた。

 文字通り真っ暗闇に溶けて消えた。精霊が見ていなかった記憶は見ることが叶わず、亜莉香は視線を老婆に向ける。淡々とした時間が過ぎて、ヨルはすぐに戻って来た。


 お盆にはグラスに冷たい煎茶と、色とりどりの和紙に包まれたお菓子。

 五つ以上のお菓子を縁側に置くと、老婆はグラスを手に取る。


「数日前に大福を喉に詰まらせたのに懲りないね。ルイはあの日以来、甘い物を滅多に口にしなくなったよ」

「俺には関係ないね。食べたいものを食べる」


 はっきりと言い、ヨルが和紙を破った。

 中のお菓子はパイで、中からあんこが溢れる。口いっぱいに頬張るヨルは美味しそうに食べて、老婆がふと瞳を伏せた。


「さて、ヨル。食べながら教えておくれ」

「なふだ?」


 一つ目を口に詰め、二つ目のお菓子にヨルは手を伸ばす。

 グラスの氷を鳴らして、老婆は低い声で問う。


「今の巫女を、どう思う?」

「俺、嫌いだから傍に行かない」

「あんたは容赦なく言うね。何もされていないかい?」


 心配してくれた老婆に対して、ヨルは不思議そうに返した。


「されるも何も、あっちも俺には近づかないよ。嫌っているよりは、俺を見るなり気味が悪そうに見てくる。俺は何もしていないのにさ」

「…そうだろうね」

「先代様は俺より、ルイやイオ、ルカやフミエを気にかけてくれよ。あいつらのこと、巫女は俺より気にしている気がする。何か嫌な感じがする。俺なんかより何倍も弱い存在を、先代様なら守れるだろ?」


 当たり前のように言われた言葉に、老婆は驚き瞬きを繰り返した。食べるのをやめて真剣な眼差しに、手にしていたグラスをお盆に置いた。

 ゆっくりと首を縦に振り、内緒話をするように声を落とす。


「勿論だよ。私は誰よりも強い。だけど私より、ヨルが守ってあげるのが一番だと思うよ」

「俺には無理だ。ルイに好かれていないからな」

「嘘は良くない。ルイは愛情表現が下手だと、ヨルはきちんと分かっているのさ」


 言い返されたヨルが目を見開き、何もかも分かっている老婆が微笑みながら、お菓子に手を伸ばす。にやっと笑ったヨルも残り二つのうち一つ、三つ目のお菓子の和紙を破って、得意そうに言った。


「俺は兄だから見て見ぬふりをしてやるのさ。俺の憧れの、キヨ兄様みたいにね」

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