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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
31/507

07-2

 中央市場は、亜莉香がよく足を運ぶ東市場とは違う。

 道は広くて、人も多い。道の中央は馬車や荷車が行き交い、貴族が行き交う道でもある。道の両脇は屋台と店舗の店が半々で、豪華で煌びやか。貴族と庶民が入り混じっていて、時々偉そうな貴族の声が目立つが、基本的には穏やかで、賑わいがある市場だった。


 屋台の人を中心にケイト・ポルトを探すが、知っている人は見つからない。

 アンリは着物を再び頭に被り、景色に溶け込むように黙って亜莉香の傍にいた。

 着物を被っていても、誰もが華やかな着物を着ていて、髪の色すら人それぞれの場所では目立つことはない。顔を見られたくないアンリは亜莉香の一歩後ろにいるような状態だったが、その顔が落ち込んでいるのは振り返らなくてもよく分かった。

 分かっているが、それで諦めましょう、とは言えない。

 中央市場から神社の方へ、人混みに紛れて歩き、少し歩き疲れた亜莉香はアンリを振り返った。唇を噛みしめて、下を向いて歩くアンリに、何か声をかけなければ、と口を開くよりも早く、誰かが亜莉香の名前を呼んだ。


「アリカちゃん、こっち!こっち!!」


 人混みをかき分けて、亜莉香の前にやって来たのはトウゴだった。

 驚く亜莉香の背中に、アンリは素早く顔を隠す。アンリの存在にトウゴは一瞬だけ目を配り、すぐに亜莉香に笑いかけた。


「珍しいね。普段こんなところまで来ないのに、今日はどうしたの?」

「トウゴさんこそ、どうしてこちらに?」

「俺はこの近くで働いているから。時間があるなら、寄って行く?奢るよ?」


 魅力的な誘いに、亜莉香は少し悩んでから、首を横に振った。


「今日はちょっと…人探しをしている途中なのです。ケイト・ポルト、と言う名前の和裁士の女性をご存じありませんか?」


 何度も人に訊ねた質問を繰り返せば、トウゴは考える素振りを見せ、腕を組む。悩んでから、いや、と話し出す。


「聞いたことないかなー。あ、店の女の子に聞いて来るから、ちょっとこの近くで待っていてよ。時間は取らせないからさ」

「え、いや。そこまで――」

「いいから、いいから!」


 亜莉香の声を聞かずに、トウゴは笑顔で近くの喫茶店に向かった。

 濃い紺の煉瓦の二階建ての建物は、金の装飾。一階も二階も喫茶店のスペースで、お洒落な二階にはベランダがある。店先には真っ白なテーブルがあり、そこにいた女性客と話をしたトウゴは、そのまま店の中に入って、また別の女性客に話しかける。

 アーチ状の大きな窓から、店の中がよく見えた。

 喫茶店の中は女性客ばかりで、誰もが楽しそうにトウゴと話をしていた。

 トウゴの他の店員も若い男性で、店の中には入りにくい。トウゴを無視して移動するわけにもいかず、亜莉香は道の端にアンリと移動した。

 一部始終を見ていたアンリはそっと顔を覗かせ、亜莉香に問う。


「あの方は、誰ですか?」

「誰、と言われると説明が上手く思い浮かばないのですが。トウゴさん、と言う私の知り合いです」


 知り合い、と言いつつ、それで合っているのか不安になる。

 居候先の家主でもあるが、それを一から説明すると長くなる。居候している理由をアンリに言えるはずはなく、亜莉香は曖昧に答えるしかなかった。

 アンリはそれで納得して、そうですか、と言った後に言葉を付け足す。


「どこかで、お見かけしたことがある顔だった気がしたのですが。私の気のせいだったに違いありません。あ、私は変なことを言いましたね。忘れてください」


 にっこりと笑ったアンリの言葉が引っ掛かるが、忘れてください、と言われた以上、亜莉香から質問が出来ない。どういうことなのか、口を閉ざして考え始めた亜莉香の元に、トウゴは颯爽と戻って来た。


「ごめん、お待たせ。店のお客さんに聞いたけど、知っている人はいなかったな。お役に立てずに面目ない」

「そんなことありません。わざわざ聞いて下さって、ありがとうございました」


 頭を下げて、お礼を言った亜莉香に、いやいや、とトウゴは言った。


「アリカちゃんのためなら、一肌も二肌も脱ぎたかっただけに。悔しいところだよ。実際に脱いでも良かったけどね」

「トウゴさんの冗談は面白いですね」

「いやいや、本気で脱いでも――」

「ここで脱いだら、ただの露出狂だと思うよ」


 トウゴが軽い口調で話している途中で、ルイが言葉を遮って言った。

 いつの間にかトウゴの真横に立っていた。静かににこにこと笑みを浮かべ、足音もなく隣に現れた存在に、トウゴがぎょっと目を見開くが、ルイは気にせず亜莉香に微笑んだ。


「アリカさん、この変態はトシヤくんのところに連行しようか?」

「いえ、そこまでしなくてもよろしいかと」

「そう?トシヤくんなら、僕はすぐに見つける自信があるけど。つまらないなー」

「つまらない、とか聞きたくない言葉」


 ぼそっと呟いたトウゴが、そっとルイから距離を置いた。

 あからさまに逃げる様子に、ルイがすかさずトウゴの腕に自分の腕を絡ませた。


「あれ?トウゴくん、仕事に戻るの?もう少し僕達とお話しようよ」

「うわー、ルイが女の子なら嬉しい状況なのに、今は全然嬉しくない。そもそも、ルイがなんでいるのか、俺は理解もしたくない」


 棒読みで一歩引くトウゴに、ルイは頬を膨らませてトウゴを見上げる。


「しくしく。そんなこと言われると、悲しくて泣いちゃうよ。僕はアリカさんを探していただけなのに」


 泣き真似を始めたルイが、トウゴから離した。

 今度は亜莉香の傍に来て、顔を伏せる。悲しくて泣いています、と言いたげな行動とは裏腹に、出来るだけ声を落として、楽しそうに言う。


「まあ、僕は休憩時間にルカと風呂敷を見つけて、一応アリカさんの無事を確認したかっただけだから。アリカさんをトシヤくんに預けたら、すぐに仕事に戻るよ」

「トシヤさんが近くにいるのですか?」

「いるよ。途中で巻き込んだもの。すぐ近くにいると思うし、アリカさんもトシヤくんがいると、心強いでしょう?」


 ルイは顔を上げ、優しい眼差しで亜莉香に笑いかける。

 はい、と素直に答えると、少しだけ肩の力が抜けた。安堵した亜莉香とは対称的に、トウゴの顔は青白くなり、顔を引きつらせた。


「げ、トシヤが近くにいるなら、俺仕事に戻らないと。それじゃあ、アリカちゃんまたね。ルイはさっきの件、トシヤに告げ口しないでくれよ」

「それは考えておくね!」


 何かを企むようなルイに、トウゴは何か言おうとして止めた。身の危険を感じて、辺りを見渡し、いそいそと喫茶店の中に消える。トウゴがいなくなると、ルイはようやく亜莉香の正面に立った。

 さて、とルイが言って、亜莉香の袴にしがみついていたアンリと目線を合わせる。驚くアンリに微笑む。


「はじめまして、面白いことをしているね」

「貴方こそ…どうしてこんな場所にいるのです」


 はっきりと、アンリはルイを睨みつけた。

 そっと握っていた亜莉香の袴を離して、背筋を伸ばし、堂々と振る舞うアンリに、ルイは少しだけ驚いた顔をする。その表情は一瞬で消え、笑みを浮かべながらも冷ややかな声で言い返す。


「それはこっちの台詞。こんな場所までやって来て、誰かに見つかったら面倒になるだけなのに、よく足を運んだものだと思ったよ」

「私にも理由があります。それに、ご親切な方の協力で今のところ事なきを得ています」

「そのご親切な方を巻き込まないか、僕は心配。いつも尻拭いをさせられてきた側としては」

「リーヴル家の人間が、余計な口出しをする必要はありませんよ」


 アンリの言葉で、ルイの表情が消えた。じっと睨み合うルイとアンリの様子は今にも火花が散りそうで、亜莉香ははらはらとした心情で見守るしかない。

 あのさ、とルイが口を開く。


「はっきり言うけど、立場を考えて行動しなよ。君が我が儘に行動した結果がどうなるか、予想出来ないはずがないだろ。それすら理解出来ないのかな?」

「分かっていて、行動していますので。それに街の中なら問題ありません。結界は母上が正常に保っています。いつも何も考えずに勝手なことをして追い出された、リーヴル家の人間とは違いますので」

「追い出されたわけじゃない。出て行っただけ。それに今の僕に家は関係ない。それ以上、その家名を口にするなら。こっちも手段を選ばずに黙らすよ」


 話を聞いているだけでも背筋が凍りそうな冷たい声に、アンリの表情が引きつった。アンリは黙り込むが、ルイを睨み続ける。睨ませていたルイが軽く息を吸い、唐突に視線を逸らし、袴を払いながら立ち上がった。

 アンリに向けていた敵意は消え失せ、口を挟めなかった亜莉香に明るく言う。


「アリカさん、面倒だろうから。このままこの子を置いて、トシヤくんと家に帰っても問題ないと思うよ」

「――っな、何を言うのですか!アリカさんには人探しを手伝ってもらっている途中です。帰られては困ります!それに、初対面なのに私に対して失礼だとは思いませんか!」

「失礼はお互い様でしょ。友人を厄介ごとに巻き込むのを、事前に止めようとして何がいけないの?」


 首を傾げて見せたルイを見上げて、アンリは奥歯を噛みしめた。

 ルイが小さい子供を苛めているように見えて、亜莉香がアンリを庇うように前に出る。


「あの、ルイさん。そろそろ仕事に戻った方がよろしいのでは?」

「そう、だね。その様子からして、人探しを続けるの?」


 ルイの問いに、亜莉香はアンリをちらっと振り返った。

 アンリは着物で顔を伏せて隠しているので、表情は見えない。見えなくても、微かに震えている身体が瞳に映り、亜莉香は頷く。


「はい、人探しを続けます。アンリちゃんの力になりたいのです」

「アンリちゃん、ね。なら、ひとまず僕はルカを探して仕事に戻るよ。でも、君の安全のためにトシヤくんはこっちに回すからね」


 ちょっと探してくるから、と言って、ルイは目を合わせないアンリを見てから、人混みに紛れていなくなった。ルイがいなくなり、アンリは恐る恐る顔を上げる。


「すみません、アリカさん。巻き込んでしまって」


 段々と小さくなったアンリの言葉に、亜莉香は首を傾げて言う。


「先に巻き込んだのは、私ですよ?ルグトリスに襲われていたのは私ですし、それをアンリちゃんは助けてくれただけです。それより気になったのですが、アンリちゃんはルイさんをご存じだったのですか?」

「…知っている人ではありますが、実際に会ったのは初めてです」


 アンリが無意識に亜莉香の袴を掴もうとした。

 その小さな手を握れば、アンリは驚いた顔で亜莉香を見上げる。目が合って笑いかければ、ぎゅっと亜莉香の手を握り返した。一度目を伏せてから、顔を上げて、ぼんやりと目の前を行き交う人を眺める。


 トシヤがやって来るまで、唇を噛みしめているアンリが口を開くことがなかった。

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