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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
308/507

62-4

 一部を省略して、亜莉香は話した。

 現状と灯のことを中心に、封印しなければいけないレイや、二十年前に関わっていたヒナのことも全て話した。ネモフィルの表情は厳しくなったが口は挟まず、最後まで言い終えた後に口を開く。


「やってくれたわね」

「すみません。私が不甲斐ないばかりに、灯さんもレイを止められませんでした」

「謝らないで、貴女は何一つ悪くはない。私が怒っているのはね――」


 すっと息を吸い込んだネモフィルが、大きな目をさらに開いた。


「あばずれよ!」

「…誰のことを言っています?」

「灯よ!貴女が言う偽物の灯!彼女が出て来なければ、貴女だって居場所を奪われなかったし、敵だって追い詰められたでしょう!全く余計なことをして、貴女を苦しませて!いいわ、すぐに私が仕留める。セレストにいるからって、何も出来ないことはないのよ。猛毒を持つ水中生物を送りつけられるし、水があれば溺れさせることだって出来る!」


 全身を震わせて怒るネモフィルは言い切った。まさか本気じゃないだろうと亜莉香が言う前に、拳を強く握る。


「何が、私が護るよ。何が、私の居場所を勝手に奪うなよ。いつだって勝手にいなくなって、契約していた精霊すら護れない灯に言う資格はない!」

「落ち着いて下さい、ネモ」

「嫌!むかつく!今すぐに実行してやる!!」

「私が自分で何とかしますので、それまでは待って下さい」


 ね、と優しく微笑みかければ、頬を膨らませたネモフィルの顔がフルーヴそっくりになった。子供のように駄々をこねる姿に和み、亜莉香の代わりに怒ってくれたことが嬉しい。

 唇を尖らせつつ、それで、とネモフィルは話し出した。


「私は、何を手伝えるの?」

「少しでも情報が欲しいのです。どんな情報でも構いません。ネモなら、ピグワヌすら知らないことを、知っているのではありませんか?」


 肘をついていた手を唇に寄せて、ネモフィルは少し考えた。


「アリカは今、リュヌ・クレにいるのよね?」

「リュヌ…?」

「鍵が眠る土地。またの名を、リュヌ・クレ。ガランスの街の傍、温泉が湧き出る土地よね?その土地は、セレストで言うエトワル・ラックと同じ力を持っていた場所なのよ」


 一つ一つの記憶を呼び起こすネモフィルに、亜莉香は耳を傾ける。

 脳裏に浮かんだ広大な湖は、どこまでも続き綺麗だった。静けさがあり、透き通る青い水が昼間は太陽の光を、夜には星の光を反射する。深く潜れば狭間があり、その先の向こう側を繋ぐ窓があった。

 そのエトワル・ラックと同じ力と言われ、首を傾げる。


「リュヌ・クレのどこかから、向こう側に行けたという解釈でよろしいですか?」

「違うわ。土地自体がエトワル・ラックの狭間に近い土地だったの。その土地の力を集めて作られた鍵があり、その鍵があれば、どこでも、いつでも窓は開かれ道が繋がる。誰でも鍵を扱えるわけじゃないわ。今の時代なら二人の巫女の力を合わせるか、護人の力が必要よ」


 どこに行っても付き纏う護人の存在に、唇を噛みしめた。

 亜莉香の小さな変化に気付きも、ネモフィルは真面目な顔で言う。


「遠い昔のリュヌ・クレは、とても向こう側と近い土地だった。鍵を作るまで、急に人がいなくなって帰って来なくなる時期もあったの。たった一つの鍵は全ての窓の力を宿して、当時の人間は悪用されないように鍵を隠した。やがてリーヴル家がリュヌ・クレに移り住み、鍵の存在は消えてしまった」


 悲しそうに語ったネモフィルが、一息ついた。


「長い月日には敵わないものもあるの。影渡りが多かったのも頷けるほどに、リュヌ・クレには狭間が多くて名残は残っている。それでも取り戻せないものもあって、鍵はリーヴル家が受け継いでいるか。本当にどこかに眠っているか。それこそ永遠に失われてしまっているのか。私には分からない」

「そうですか」

「鍵を見つければ、敵を消せる。下手に魔法を使うより確実かもしれないけど、存在があやふやなのが気になる所ね――こんな話しか出来なかったけど、少しは役に立つかしら?」


 ネモフィルは不安げに訊ねた。

 安心させるように笑みを浮かべて、亜莉香は小さくも頷いて見せる。


「十分です。この土地のことを知ることが出来て、ネモフィルには感謝しています。鍵があるかどうか、私の方で探してみます。色々と教えて下さり、ありがとうございました」

「これくらいのことなら、いくらでも語れるわ」


 自信満々に胸を張ったネモフィルは言い、すぐに身をかがめて顔を寄せた。

 大きな瞳がまじまじと亜莉香を見て、何かを探る。何が言いたいのか黙って見つめ返せば、囁くように話し出した。


「ねえ、アリカ。お節介をしてもいい?」

「お節介、ですか?」

「貴女は偽物について、自分で何とかすると言った。でもね、貴女は何も出来ないわ。居場所を取り戻したいと思っても、行動しなくては始まらない。灯と向き合えていない貴女は、誰かの命を奪える人間じゃないのよ」


 断言したネモフィルの真っ直ぐな瞳を逸らせず、肯定も否定も無理だった。

 レイの件を片付けてからと後回しにして、灯について解決策なんて一つもない。殺したくないけど、居場所は取り戻す。居場所を取り戻すことは灯の死を意味して、殺したくはないと迷いが生じる。

 何も言えなければ、ネモフィルは優しく微笑んだ。


「貴女は例え奪う命が自分のものでも、奪えば魂のない人形に成り下がる灯を見捨てられないわ。優し過ぎるもの」

「そんなことは…」

「自分で認められなくても、私からしたら優しいの。優しい貴女が、全てを背負い込む必要はない。ついでに、貴女の傍に居る小兎もね。あいつは貴女の意見を尊重して動くけど、灯に対しても情があるのが厄介だわ」


 それなら、とネモフィルの声に熱がこもる。


「私が動くのが一番よ」


 はっきりと言われて、ネモフィルにはお見通しなのだと悟る。

 いつだってピヴワヌは、亜莉香の意思を尊重してくれる。亜莉香の代わりに居場所を奪い返すと言ってくれても、そのせいで灯を傷つければピグワヌも傷つくのは目に見えていた。今の契約が亜莉香との間にあっても、元でも主を傷つけるのは本意ではないだろう。


 亜莉香以上に長い年月を、ピグワヌは灯という主と過ごした。

 ピヴワヌに任せたくないからこそ、亜莉香が自分で何とかするべきと考えていた。誰かの手に委ねてはいけないと思っていたのに、心が揺らぐ。


「私のせいで…ネモが傷ついたり、苦しんだりしませんか?」

「心配ご無用よ。私、貴女から話を聞いた灯に対して、何も感じないの。死者は死者であり、帰るべき場所へ帰す。楽に割り切れちゃうのよね。その点、透でもリリアでも駄目ね。あの二人も灯と関わりが深くて、最期は躊躇するでしょうから」


 落ち着いた分析には一理あり、ネモフィル以上の最適者はいない。

 心臓の辺りをぎゅっと握った亜莉香の名前を、ネモフィルは愛おしそうに呼んだ。


「安心して、苦しませる気は毛頭ない。心配なら貴女が見守る中で眠りに誘うわ。ちょっと用意が必要だから、二三日は欲しいけど。それくらい待てるでしょう?」

「待ちます」

「なら貴女は早々に、もう一人を片付けてしまいなさい。その土地にある鍵でも精霊でも、至る力を使ってね」


 区切りがつき、立ち上がったネモフィルの姿が見えなくなる。

 少しだけ水鏡から顔を離した亜莉香は、思いっきり両頬を叩いた。

 心強い味方を得て、心の整理はついた。立ち止まっている暇はないと、心の中で呟く。あまり時間は経たずにネモフィルが戻って来て、ついでに騒がしい声もした。

 美女が両脇に抱えた少年二人のうちムトは、下ろせと言わんばかりに動く。


「離せ!今日は何もしていない!」

「無駄だよ。捕まったら逃げられない。本当に何もしていないのに」


 諦めの境地に達しているテトは青ざめて、声は小さかった。

 ネモフィルは二人の言い分に呆れて、クスクスと笑う少女の声が響く。


「ムトもテトも普段の行いが悪いから、ネモに捕まるのよ」

「エイミの言う通りよ。何もしていないなら、私を見るなり逃げるんじゃない。それに盗み聞きしたのに、何もしていないと言うの?」


 責められたムトは大人しくなり、テトの頭はますます下がった。あまりにも可哀想な二人を軽々と抱えたネモフィルは一歩下がり、赤が水鏡に映った。

 以前とは違って後ろで髪をまとめた少女の、茶色の瞳が興味津々に亜莉香を見つめる。


「凄い。本当にアリカお姉ちゃんが映っている」

「こんにちは。エイミちゃん。お元気でしたか?」

「うん!皆元気だよ。凄いね。こんな風にお話しするなんて、初めて。本当に凄い」


 凄いと繰り返すエイミは瞳を輝かせて、感動のあまり、それ以上の言葉を言わない。

 今までの暗い空気を吹き飛ばしてくれる三人の登場に感謝した。途方に暮れている二人を抱え、エイミを連れて来てくれたネモフィルに声をかける。


「ネモ、二人を下ろしてあげて貰えますか?」

「いいけど…目を離すと、すぐに悪戯するわよ?それか何かを企むか」

「何もしない!」

「今すぐに誓う!」


 悲鳴に近い声を疑い抱きつつ、ネモフィルは仕方なく手を離した。

 地面に落とされた二人は一目散に浴槽に駆け込み、エイミはこっそり言う。


「ムトもテトも、ネモが怖いの。さっきなんて、雷が落ちたと逃げたくらいだもん」

「余計なことを言うな!」

「ネモに弱音を握られるのは、主にエイミのせいだからな!」


 小声ながらも言い返すのは、後ろにネモフィルが控えているせいだ。エイミの両脇を固めた二人は押し合って、間に挟まれたエイミが声を上げる。


「ちょっと!そんなに押さないで!」

「押してないだろ!」

「自意識過剰な――」


 馬鹿にするようなテトの言葉は途中で消え、後ろで仁王立ちだったネモフィルの手が伸びた。容赦なく頭を掴んだネモフィルが、冷ややかに問う。


「女性には?」

「「優しくします!」」

「よろしい」


 満足そうに頷いたが、ネモフィルの手は二人の頭を撫でて離れない。いつでも握り潰されそうな雰囲気に、ムトとテトは自主的に正座をして表情を消した。

 逆らえない上下関係を示されて、シエルでのネモの立ち位置がよく分かった。

 笑ってはいけないと思いつつ、亜莉香は口元を押さえて言う。


「その…ネモはお強いですね」

「私はシエルで最強なのは、ネモだと思うな。だってトオルお兄ちゃんですら、ネモに怒られて玄関で正座させられたこともあって。メルお姉ちゃんも、ネモを尊敬しているって言っていたの。勿論私も、ネモには憧れるな。綺麗で強くて、格好いいもの」


 うふふ、と恥ずかしそうに、エイミは両手で頬を包んだ。その両隣が心底信じられないものを見る目を向けて、後ろからの大きな咳き込む音で亜莉香を見た。


「そうだ客人。是非とも見せたいものがある」

「俺達の傑作で、先程は手元になかったものだな」


 心なしか丁寧な言い方に変わった。

 どちらも袖から取り出したのは、手のひら程度の人形だ。ムトの人形は若干紫色で、テトの人形は土色。のっぺりした顔には何もなくて、服を着ていない人の形をした何か。小さな子供が遊ぶ時に使うような人形を、二人はどや顔で見せびらかした。

 声には出さずとも、またか、と言いたげに頭を抱えたのはネモフィルだ。

 エイミは両脇を交互に見てから、遠慮せずに本音を零す。


「またくだらないものを」

「「くだらなくない!」」


 同時に人形を向けられたエイミは、どちらも両手で押し退ける。


「動きが鈍くて、私が数日前に壊したばかりじゃない。ちょっと動く人形なんて、役に立たないわよ。間違って小さい子が食べたら、またメルお姉ちゃんに怒られるからね」

「安心したまえ。今回も食べても大丈夫なように、ちょっと痺れを感じるだけだ」

「俺の人形は足を引っ掛けて、派手に転ばせるだけだ。食べたところで、味もない」

「本当にくだらない」


 押し退けるのをやめたエイミは、無造作に人形を掴んで奪った。ムトとテトが驚く暇も与えず、人形同士をぶつけて木っ端微塵にする。

 さらさらとした土が手から零れて、エイミは平然と払った。

 傑作が壊された二人は愕然として、ネモフィルは音を立てずに拍手をする。拍手を送る相手はエイミであり、わなわなと震えたムトとテトが涙目で叫ぶ。


「毒人形二号!」

「土人形三号!」

「名前の割に役に立たないのよね。子供騙しにもならないものを作るより、せめてエイミに素手で壊されないものを作りなさいよ」


 容赦なくネモフィルは言った。すぐに言い返すかと思いきや、ムトとテトは勢いよく立ち上がり、水鏡から姿を消す。


「覚えていろよ!」

「この屈辱は忘れない!」

「捨て台詞が小物なのよ」

「ムトもテトも、本当に懲りないね」


 相手にしないネモフィルとエイミの視線の先は、亜莉香には見えなかった。

 浴室から出て行ったのだと予測するしかなくて、その姿は容易に想像出来る。泣いていなければいいと思いながら、一応訊ねた。


「あの二人は大丈夫ですか?」

「アリカお姉ちゃんは、気にしなくていいよ。元々はテトが作った土人形で、私が壊したのは三回目。ネモも一回、何も知らずに踏み付けたよね?」

「ゴミだと思ったのよ」


 後ろを振り返ったエイミに、ネモフィルは軽く答えた。腕を組んだネモフィルは水面を見つめ、エイミの傍に腰を下ろす。


「随分長く水鏡を繋いでいるけど、アリカ。これは誰の魔力を使っている?」

「誰のかと言われると、リリアさんから頂いた鏡を水の中に入れているだけです。私の魔力ではないと思います」

「そう…なら、繋がるかしらね」


 水面を撫でたネモフィルで、桶の中の光が強くなった。

 水から手を離すことないネモフィルは、エイミを見ずに言う。


「エイミ、そろそろ昼を作りに戻りなさい」

「ネモは食べて行く?」

「私はいいわ。用事があって、すぐに帰るから」


 分かったと頷いたエイミは、立ち去る前に亜莉香に向き直った。

 血の繋がりがあると言われても、兄妹は似ていない。性格も表情も似ていないはずなのに、どこかが似ている兄である人物の面影がちらつく。


「アリカお姉ちゃん、また私とお話ししてね。今度はトシヤお兄ちゃんも一緒だと嬉しいな」

「…ええ、そうですね」


 無邪気な笑顔は妙な間に気付かず、微笑んだ亜莉香の心情も知らない。

 またね、と言葉を残して、エイミは嬉しそうに去って行った。

 再びネモフィルと二人になると、やけに静かな気がする。瞳を伏せたネモフィルは亜莉香を見ず、何故か口を閉ざしてしまった。もう十分に話して、言いたかったことも、聞きたかったこともない。

 そろそろ水鏡をやめようとした亜莉香に、ネモフィルは静かに言った。


「伝えるべきかを迷っていたことを、聞いてくれる?」

「何ですか?」

「二十年前の灯が消える前に会っていた人物が一人、浮上したの」


 予想外の話に驚き、真剣な眼差しの声が続く。


「私が手に入れたのは、遠くから二人を見ていた精霊の記憶の欠片。口で説明するより見た方が早いから、貴女に欠片を贈るわ。貴女なら夢で見られると思うの」


 深呼吸をしたネモフィルは、ふわりと笑みを浮かべた。


「記憶の中で、灯は誰かに言われたの。どんな魔法も、愛の前には障害にならない。愛し愛される力こそが魔法の根本にあり、愛する想いは強い魔法――」


 その誰かを真似して紡いだ言葉は、亜莉香の心に木霊する。

 何もかも大丈夫だと伝えるように、温かい光が瞳を照らした。


「愛に敵わない魔法はない」

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