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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
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62-2

 汗も汚れも流して、フミエが用意してくれた着物に着替えた。

 着物も袴も染み一つなく、新しいものに見える。白に近い淡い黄色の着物の袖には、可愛らしい蠟梅の花が枝に咲き誇る。描かれた蠟梅にも似た濃い黄色の花と同じ帯を締め、袴は鶯の羽のような暗くくすんだ黄緑色。


 備え付けの円形の鏡の前に立ち、肩より少し下の長さになった髪を整えた。

 切り揃えた前髪から覗く瞳に迷いはなく、少し火照った頬が赤い。十分に温泉に浸かったおかげで癒されて、身体を冷ましながら今まで着ていた着物や袴を畳んだ。


 たった数日しか着ていなくても、着物や袴は綺麗と言えなかった。

 同じ格好で部屋に戻ろうとも思ったが、着替えて正解だ。部屋を汚してしまったかもしれないし、何より着替えただけで心が軽くなった。いつだって素敵な格好をすれば嬉しくなる。羽織っていた黒い着物だけは、外に出る時に必要だと判断して、軽く汚れを手で払った。ケイの店で買ったばかりだと言うのに、もう何年も着ているようにくたびれている着物を含め抱えて、亜莉香は浴室を出る。


 先に浴室から逃げたピヴワヌは人の姿になり、こたつに肩まで入っていた。

 亜莉香を見るなり恨めしい眼差しを向け、ぷいっと顔を背けた。長々と温泉に付き合わせた自覚はあり、その怒りは甘いもので収まるはずだ。


 部屋を見渡すと、こたつの上には熱々の食事が用意してあった。

 ゆっくりし過ぎたのかもしれない。フミエが部屋の中にいて、ヨルの湯呑にお茶を注ぐ。亜莉香に気付くなり顔を上げて、微笑んで見せた。


「おはようございます。朝食を用意しましたが、召し上がりますか?」

「おはようございます。頂きたいです」


 不貞腐れているピヴワヌの隣に行き、亜莉香は腰を下ろした。

 こたつの上のお盆には、美味しそうな品々がある。真っ白で艶やかな白米に、小さな麩のすまし汁。ふわふわの厚い卵焼きに、脂の乗った焼き魚。大根おろしを薬味として食べる湯豆腐は小鍋に用意してあり、甘味として梅の花の練りきりが添えられていた。


「致せり尽くせりですね」

「冷めないうちに、どうぞ。今、お茶も入れますね」


 お茶を注ぐフミエに頷き、傍に居るヨルの顔色を伺った。ピヴワヌの前にもお盆はあるが、片手に分厚い本を持ったヨルの前にはない。

 既に朝食を済ませたのか聞く前に、本を閉じたヨルと目が合った。


「俺のことは気にするなよ。先に食べてから、この部屋に来たからさ」

「昨晩は外にいたのですか?」

「そんなわけがないだろ。昨日はフミエの部屋で寝て、起きてから来た」


 事実を述べたヨルは平然として、お茶を飲んだ。清々しさのあるヨルとは違い、心なしかフミエの顔が赤くなったのは見なかったことにする。曖昧な相槌を打ち、亜莉香は箸を取る前に、ピヴワヌの機嫌を直すことにした。


 練りきりの皿を、そっと隣に置く。

 薄紅色の可愛らしい梅の形で、とても美味しそうだ。自分で食べたい気持ちもあったが、ピヴワヌも好きだろうと思えば、隣で伸びた手が皿を元の場所に戻した。


「ピヴワヌ、食べないのですか?」

「今日は要らん」


 目を合わせずに言い、いつもなら構わず食べるピヴワヌは茶碗を持って食べ始める。まだ怒りは収まらないが、気を遣ってくれたので有難く受け取る。そのうち機嫌を直すと考え、食後の楽しみに笑みが零れた。後で沢山甘いものを贈ろう。山ほど贈ろう。


 両手を合わせてから、今度こそ亜莉香は箸を持つ。微笑むフミエは何も言わずに控えて、ある程度を食べ終えたタイミングで、ヨルは改まって語り出した。


「食べながら、俺の話を聞いてくれ」

「分かりました」

「手短に話せよ」


 手短に、とヨルは小さく繰り返した。何を話すか考え直し、眉間に皺を寄せる。


「数日前に殺されかけた後、腹減って動けなくなった」

「え?」

「待て、もう少し付け足すと。俺を殺そうとしている奴だか、奴らは、まだ俺が狭間にいると思っているはずだ。俺は狭間から出ないように閉じ込められて、イオにさえ連絡を取れない状況だった。本当に迷惑な話だよな」


 他人事のような言い方に、亜莉香の手は止まった。

 なんて返せばいいのか分からなくなると、ピヴワヌがため息をつく。


「儂が悪かったら、ちゃんと初めから話せ。全く意味が分からん。誰に狙われている?」

「姿は見たことがない。殺気を感じる度に追いかけてはいたけど、遠くから魔法や武器で狙われる。個人的な恨みなのか、複数なのか。数日前に殺されかけた時は、首すれすれの攻撃を受けた。意地になってイオの結界の外まで追いかけてみたら、最初に普通の結界に閉じ込められた」


 普通を強調されても、亜莉香には内容が物騒に聞こえた。

 ヨルは不敵な笑み浮かべる。


「やられっぱなしは性に合わないから、その結界はぶっ壊してやった。ついでに遠距離だろうが焔の一撃をお見舞いしたから、直撃して火傷ぐらい負っただろうな。その後は狭間に逃げて、別の道から戻ろうとしたけど、俺の知っている出口を封じられてさ。今度は狭間に閉じ込められて出口を探しているうちに、腹が減って動けなくなった」

「狭間の出入口など、易々と封じられるものではないぞ」

「言い方が悪かったな。狭間の出口がある場所に、嫌な魔力を感じた。出たら一発で居場所がばれる。それは封じられているようなものだろ?」


 言い直したヨルに納得して、ピヴワヌが小さくも頷いた。


「厄介な魔法を使う相手がいたな」

「だよな。とりあえず様子を見ようと狭間で過ごすはずが、気付いたら五日だ。腹が減って倒れても仕方がない」

「よく五日と分かったな。数えていたのか?」

「いや、これのおかげ」


 ヨルが首元から取り出したのは、昨日の狭間でも見た懐中時計だった。

 金の装飾が美しく、透明な蓋に牡丹の花が描かれている。深紅の紐ごと首から取ると、懐中時計の中を見せるように置いた。

 歯車が見える懐中時計には、針が四本。

 時刻を指す針二本と、規則正しく秒を刻む針の他に、一番短い針が五番目を示す。書いてある文字は伍であり、身を乗り出した亜莉香とピヴワヌは懐中時計を覗き込んだ。


「普通の時計…ではないですよね?」

「魔力も込められているな」

「イオの魔力を少しだけな。狭間に入る度に、一番短い針は零に戻る。一日ごとに針が進むように、時間を見失わないように身に付けていた。これがないと、狭間の中で時間が狂って困るからさ」


 トントン、と懐中時計を指で叩き、遠くを眺めたヨルは言う。


「と言うより、これ持って三日以内に戻らないと、イオが怒る。どこかに忘れて行っても、後で物凄く怒られる。最近になって常に首から下げるように、紐を渡されたくらいだ」

「そんなに怒られたのか?」

「まあ…悪気はなかったのに。つい忘れると、イオには分かる」

「巫女なら精霊の力も借りるだろうな」


 同情したのはピヴワヌで、姿勢を元に戻した。ヨルは深く頷き、その隙に亜莉香は目を凝らした。歯車の奥に赤い光を見つけて、それがイオの魔力だと知る。

 深く赤い光の奥に、黄金のキラキラとした粒が輝いていた。

 物珍しくて興味深く見つめ、しっかりと瞼の裏に焼き付ける。途中で止まっていた朝食を再開しつつ、亜莉香は繰り広げられる会話に耳を傾けた。


「狙われている理由に、心当たりはないのか?」

「ないわけじゃない。最近俺がイオの肩を持っていたから、先代巫女の派閥の可能性が高い。個人の力でも数が集まれば大きな力になるし、闇の力を借りたら厄介だ」

「この土地は昔から、闇を引き寄せやすいからな」

「だからこその巫女がいて護っているのが、この土地だ。俺個人が狙われるならいいけど、巫女同士が争い始めたら、至る所に影響が出る」

「この土地の結界、精霊には確実に影響が出るな。最悪ガランスの街でも収まらず、他の街まで及ぶぞ。それほどまでに、この土地の護りの力は強い。永く続く護りが崩れる綻びで、闇が侵略して取り返しのつかない事態だってあり得るのだ」


 途中から食べるのをやめたピヴワヌもヨルも真剣で、亜莉香には口出しできない。ついていけないのは黙っていたフミエも同じで、悲しそうに笑みを零した。何も知らない部外者が入ってはいけない空気はあるが、亜莉香は遠慮がちに問う。


「派閥は、リーヴル家の中にあるのですよね?」

「巫女であるイオを祀り上げる連中と、先代巫女が率いる連中な。イオは現状維持または、領主との協力を望んでいる。対して先代巫女は領主を引きずり下ろして、護人を護るべきリーヴル家こそが統治するべきだと言い始めた」


 部外者だと思っていたのに、護人の単語で一気に巻き込まれる。

 丁寧な説明ながら、ヨルは苦々しく顔を顰めた。


「目的は一緒だ。護人と土地を護ると言いながら、食い違って相容れない。今までは先々代の力を受け継いだイオの力が上回っていたはずなのに、最近は先代の力と互角だ。イオ自身が戸惑う程に魔力に波があるせいか、先代が力を得たのか」


 重々しく言い、視線は下がる。


「どちらにせよ。俺を狙っている奴とは決着をつける」


 外で落ちた雪の音が聞こえるくらい、部屋の中は静かになった。

 話を終えたと言わんばかりに、ヨルがお茶をすすった。さり気なくフミエはお茶を継ぎ足し、ピヴワヌは何かを考えて腕を組む。


 亜莉香は大半の食事を終え、最後に練りきりの皿を持った。

 丸くて淡い緑の皿に咲く梅の練きりは、春を思わせる。どこもかしこも雪が降り積もる季節に、待ち遠しい春は少し遠い。

 添えてあった楊枝を手に取り、一口サイズに切った手が止まった。


 梅の花を見つめると、どうしても同じ名前の少女を思い出す。

 直接会ったのは一度だけで、夢の中での方が多く話をした。叶詠と梅の名前を持ち、亜莉香と夢で別れる時、祈るような声で自分を信じるように言われた。


 自分を信じて、何が出来ると問いかける。


 答えは一つしかなくて、練りきりを味わいながら亜莉香は呟いた。


「まずは情報収集をしましょうか」

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