62-1
扉が閉まる音で、意識が呼び戻された。ふかふかの布団の中は気持ちが良い。いつまでも寝ていられる気分で身体を丸めて、横向きになった亜莉香は反対側に目を向ける。
「…あれ?」
障子越しの色が明るい。
時計のない部屋にこたつはなく、隣には綺麗な状態の布団が一組。誰もいなくて静かな部屋に気付いた途端、飛び起きて辺りを見渡した。
「ピヴワヌ?」
名前を呼んでも、真っ白い髪の少年も兎の姿もなかった。
勢いよく布団から出て、和室への襖を開ける。焦った亜莉香の瞳に映ったのは、こたつに座って寛ぐヨルの姿。蜜柑を剥いていた手が止まり、お互いに驚いて暫しの無言が支配した。
「…おはよう、ございます?」
「おはよう。よく寝たな。ピグワヌなら、ここにいるぞ」
ここに、とヨルが指差したのは、こたつの毛布の丸い膨らみ。よく見れば尻尾だけ出ていて、隠れているのか見つけて欲しいのか分からない。
何も言わずにいなくなったわけでなく、近くにいて安心した。
こたつに寄って、膝を抱えてしゃがむ。
「起こしてと頼んだのに」
「アリカが起きそうだと言って、慌てて隠れようした結果がこれだ」
「言うな!」
布団越しの声はくもって、兎は尻尾を揺らしながら叫ぶ。
「約束を破ったのは儂だ。怒られる覚悟なら出来ている!」
「そういう割に隠れるから、格好がつかないのですよ」
怒る気が失せて、ひとまず兎を引っ張り出した。
両手で耳を抑える兎は、腕の中に収まっても顔を上げようとしない。座り込んだ亜莉香が撫で続けると、怒っていないと伝わり話し出した。
「もう朝になってしまったが、ヨルから話を聞くか?」
「そうしたいのは山々ですが、一度身なりを整えますね。せめて顔を洗って、口に何かを入れたいです。私は昨日の昼から、何も食べていないのですよ」
肩の力を抜き、一部始終を聞いていたヨルに問いかける。
「少し時間を貰っても、よろしいですか?」
「好きにしてくれ。俺は動かないからさ」
蜜柑の白い皮を全て綺麗に取ろうとしていたヨルは、途中で一粒を口に入れた。
「フミエからの伝言で、着替えを浴室に用意してある。好きに使って欲しいそうだ。ここの温泉は疲労回復にも効くからさ。ゆっくり浸かって、飯でも食いながら話すのはどうだ?」
「そうさせて頂けると、とても有難いです」
なんて素敵な待遇だろうと思いながら、ピヴワヌを畳に下ろした。
隠し持っていた小瓶を取り出して、こたつの上に並べる。それぞれ色の違う小瓶を、寝返りを打った時に割らなくて良かった。使いものにならなくなった小刀を置く前に、鞘から抜いてみる。変わらない刃こぼれがあり、これでは他の武器が必要だ。どこかで武器を手に入れることを考えつつ、そっと鞘に戻した。
他に武器や薬は持っていないか、着物の上から身体を叩く。
浴室に持って行く意味のない物は、信頼出来るピグワヌに託すことにした。
「頼んでもよろしいですか?」
「構わん。他にはないな?」
「煙幕はピヴワヌに預けてありましたよね?それなら、これだけかと」
小瓶を一カ所にまとめて言えば、眉間に皺を寄せたヨルが口を挟む。
「物騒な物を持っていたな」
「この若返りの薬と惚れ薬は儂が作ったぞ」
こたつの上に飛び乗ったピヴワヌが二つを引き寄せ、自慢げに腕を組んだ。
「効果は抜群だ」
「あとの睡眠薬と身体が痺れる薬。ただの唐辛子入りの液体は魔法薬ではありません。トウゴさんの知り合いの方から頂きました」
一つずつ指を指しながら、微笑んだ亜莉香は説明した。最後に残った無色透明の小瓶を手に取り、少し困った表情を浮かべる。
「これだけは、効果不明なのですけどね」
「誰かから貰ったのか?」
「全く違う。アリカとトウゴが色々混ぜて、出来上がった結果だ。儂は捨てようとも思ったが、使い道がないとは限らないからな」
素早く小瓶を奪ったピヴワヌが、そっと元の位置に戻した。
じっと亜莉香を見つめて、はっきりと言う。
「儂の許可なく、絶対に飲むな」
「分かっています。暫く飲むつもりはありません」
「暫くと言ったな!やっぱり儂が持つことにする!お主に持たせたら危ない!」
「危なくないですよ?それにほら、いつかは実験が必要でしょう?」
冗談半分で言えば、ピヴワヌが小瓶を隠す。隠そうとしても姿は兎であり、囲うのには限度があった。あまりにも必死な姿が可愛らしい。口元を押さえて、必死に感情を抑えようとしたが無理だ。
可愛くて抱きしめたいと思えば、わなわなと震え出したピヴワヌが叫ぶ。
「可愛いなんて言われたくないわ!」
「まだ言っていませんよ?」
「五月蠅い!お主の考えなんて、言われなくても通じるのだ!」
こたつの上で地団駄を踏むピヴワヌに、我慢出来なくなって手を伸ばした。
ぎゅっと抱きしめても、そう簡単には静かにならない。隙を見て逃げようとするので、逃がさないと言わんばかりに力を込め、そのまま立ち上がった。
「折角ですから、一緒にお風呂に行きましょう」
「行かん!風呂ぐらい一人で行け!」
「最初の頃は一緒に入りましたよね?久しぶりに身体を洗いますから」
「儂が水を好きじゃないのを分かって言っているだろ!おい、放せ!ヨル、止めろ!儂は風呂になど行きたくない!」
騒ぐピヴワヌを抱えて、足取り軽い亜莉香は浴室に向かう。ヨルの引き止める声があれば、振り返ったかもしれない。片肘を頬に添えてヨルは二人を見送り、楽しそうだな、と呆れた呟きは、亜莉香には全く聞こえなかった。




