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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
296/507

60-3

 僅かにサクマの足を覆う緑の光が見えて、亜莉香は風の魔法だと認識した。

 サクマの瞳が見つめるは、亜莉香の後ろ。背後に誰かの気配を感じて振り返るより、足元の闇が消えて、掴まれていた足の力が消える。


 ふらりと倒れそうになった身体は支えられ、ゆっくりと座り込む。

 お礼を言おうと顔を向ければ、至近距離でトシヤと目が合った。


「…トシヤさん」

「大丈夫か?」


 涙で視界が滲む前に、首を縦に振って被っていた着物で顔を隠した。

 触れていた肩から手が離れて、トシヤが真横に膝をつく。何かを言おうとする気がして、何も言えなくて唇を強く結んだ。


「あのさ――」

「儂の出番を取るな!」


 トシヤの声を遮った怒鳴り声が聞こえて、慌てて亜莉香は横を見た。


 ほんの一瞬、目を離しただけ。肩に乗っていたはずのピヴワヌが消えた。トシヤの姿も消えて、何故か少し離れた場所まで吹き飛ばされている。仰向けで、片手は頭を押さえている所を見ると、何かが当たったようで赤くなっていた。


 おそらく防御する暇を与えなかったピヴワヌは、トシヤがいた場所に立つ。

 ふん、と鼻を鳴らすと、すぐに人の姿に変わって、亜莉香を振り返った。

 頭突きをしたのか。その額は僅かに赤い。痛みを気にせずに仁王立ちになると、堂々と見下ろして言う。


「無事だな?」

「は…はい」

「なら良い!全く、あれ程まで危険な魔法だとは聞いてない!足に痛みはないか?今すぐにフルーヴを呼び戻すか?その前に、あの小娘を一回縛り上げるか?」


 しゃがみながら亜莉香の視界を奪って、肩を手に置いた。

 わざと長々と話すのは、トシヤから隠す為か。触れているのは、先程の件をなかったことにする為か。ぼんやりとピヴワヌの話を聞いていると、不意に小さな笑い声と共に割り込む声がした。


「ピヴワヌ殿、そろそろ私を仲間に入れてくれないか?」

「居たのか、シンヤ。忘れていた。さっさと去れ」

「それは酷い話ではないか?」

「酷くない」


 あまりにも軽いシンヤはピヴワヌの隣に立ち、眉間に皺を寄せたピヴワヌは目を向けない。優しく微笑むシンヤの瞳に驚いている亜莉香が映って、片膝をつき、手にしていた日本刀を捧げるように地面に置いた。

 真っ直ぐに亜莉香を見つめると、静かに話し出す。


「こちらに敵意はない。数分でいい。私に小兎を従えた可愛らしいご婦人の時間を頂けないだろうか?」

「小兎…?」

「おい、それは儂のことか」


 シンヤは真面目でも、小兎呼ばわりされたピヴワヌの怒りを感じた。

 耐え切れなくなったピヴワヌは、シンヤを睨みつつ会話に混ざる。シンヤには亜莉香が灯そっくりに見えているはずなのに、それには触れずに笑顔で質問を重ねた。


「ああ、麗しい漆黒の乙女と呼んだ方がよろしいだろうか?」

「ふざけるな!我が主を何だと思っている!もっと似合う呼び名を考えろ!」

「今、その話はやめませんか?」


 とんでもない方向に話が進みそうで、亜莉香は思わず口を挟んだ。

 既に顔を見られた手前、隠れている必要を感じない。目の前のピヴワヌの白い着物姿は寒そうで、借りていた赤い着物を返すことにした。突き返されるかと思ったが、少し考えた後に立ち上がって着物に袖を通す。


 先に立ち上がったピグヴワヌに続いて、シンヤも日本刀を手にして立ち上がった。立ち上がっても呼び名についての討論を続ける二人を無視して、亜莉香は座ったままヒナとナギトに目を向ける。


 レイが立っていた場所から、ヒナは距離を取って片膝をついて息を整えていた。亜莉香の視線には気付かない。遠くからでも分かるぐらい息苦しそうに、胸を押さえている。


 動かないナギトの傍にはサクマとチアキが駆け寄り、必死に名前を呼んでいた。

 ナギトの身体が、仄かに闇に纏われている。

 まだ、描いた円は消えてない。


 小さくなってしまったが、三人の足元には闇の魔法が残っている。レイの首は一切動かない。首を斬られて息を吹き返すことはないはずなのに、小刀を握る手が微かに動いた。

 そう簡単には死なないと、思い出したのが遅かった。


「チアキさん!」


 亜莉香が叫ぶより早く、レイの身体だけが動く。

 瞬く間に投げつけられた小刀の狙いは、チアキの頭だった。咄嗟に庇おうとしたサクマが抱え込むも、小刀を弾くことは出来ずに背中に突き刺さる。


 赤い血が地面に飛び散って、チアキが悲鳴を上げた。

 倒れ込むサクマの表情が一気に青白くなり、力なくチアキに寄りかかる。


「サクマ!」

「あはは、あはは!」


 悲痛なチアキの声とは対称的に、楽しそう笑い声がした。

 その声は動かないレイの頭から聞こえて、身体は頭を求めて踏み出した。落ちていた頭を拾い、レイは首に乗せる。無理やり合わせれば闇が濃くなって、斬られた痕を残して、レイの瞳に闇が宿る。


「少し意識が飛んじゃった。あれ、狙い外れちゃった?」


 チアキを振り返ったレイが、口角を上げて言った。

 薙刀を傍に置いていたチアキは、両手でサクマを抱きしめる。涙を浮かべつつも、レイを睨みつけて恐怖を必死に隠した。


 亜莉香が立ち上がるよりも早く、シンヤが駆け出す。

 近づこうとした瞬間に、地面に描かれた円が闇を放った。円の中に入ろうとすれば、黒い手が現れて足を捕まえようとした。無暗に円に入れないと判断したシンヤは剣先をレイに向け、平然を装って声をかける。


「その三人を、返してもらえないか?」

「どうして?貴方にとって、大切な人なの?」

「とても大切な友だ」


 無邪気な質問に対して、シンヤは真剣だった。

 ふーん、と呟いたレイが、少しだけ興味を持った素振りを見せる。動かないナギト、傷を負ったサクマ、最後に唇を噛みしめたチアキを見て、シンヤに笑いかける。


「一人だけ、返してもいいよ」

「一人では駄目だ」

「そう言われても、どうせ一人は助からない。魔力の強そうな、その子は渡したくないもん」


 その子と指差されたチアキの肩が揺れて、余裕のないシンヤを見つめる。

 何も言わずとも助けを求める姿に、亜莉香は何か武器になる物を意識して、お腹の辺りを押さえた。武器として持っていた小刀は壊れ、魔法薬などは役に立たない。


 何か、目の前の光景を変える力が欲しかった。

 闇を纏ったナギトが、ゆっくりと立ち上がる。まるで操り人形のような動きに、ピグワヌの舌打ちが聞こえた。再び糸を切る余裕はない。日本刀を構え直したシンヤは、相手をナギトに定め直した。


 誰にも気付かれないように、亜莉香は梅の花のような形の石の存在を探る。

 叶詠から受け取って、大事に持っていた深紅の石。帯近くに隠してあった石を着物の上から握り、心の中で叶詠に呼びかける。


 きっと何度糸を切っても、ナギトの心は救えない。

 光を届けられない。


 迎えには行けないけど、叶詠が必要だ。

 会いに来て欲しいと、切に願った。


 僅かに熱がこもった石は、気のせいではないと思いたい。ギュッと握りしめてから、顔を上げて、扇を強く握りしめたヒナを見た。

 自然と視線が絡み、ヒナの視線はサクマに注がれた。


 何を意味しているのか考えると、どこかに隠れていたはずの緑の精霊が、亜莉香の前に現れた。ふわりと揺れて、耳元に寄り添う。


 合図の後に走り出せ、と聞こえた。

 囁かれた言葉に耳を疑う。隣にいるピヴワヌが何も反応しない所を見ると、全く聞こえていなかった。亜莉香にしか聞こえなかった言葉を心の中で繰り返し、意味を悟る。


 詳しく語らないのがヒナらしいと、亜莉香は思って笑みを浮かべた。

 何を根拠に迷わず走れと命令するのか、これっぽっちも分からない。それでも信じようと思えるのが、とても不思議なこと。


 心臓の高鳴りは恐怖じゃなくて、少しの緊張だった。

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