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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
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60-2

 糸に触れた瞬間、ナギトの闇を垣間見た。

 片想いの相手を守れなかった悲しみ。友人だと思っていた人達に隠し事をされる寂しさ。孤独で、誰かを恨むことでしか自分を保てなくて、ずっと誰にも言えずに苦しんで、一人で抱えていた深い闇。


 脳裏に浮かんだのは、暗闇の中で途方に暮れた一人ぼっちの少年の姿。

 ナギトの幻が消えると同時に、糸が切れて黒い光が集まった。凝縮された光が弾けて、暴風を引き起こす。吹き飛ばされそうになった亜莉香の身体は、ピヴワヌが受け止めて全身で守ってくれた。

 辺りが静まり返って、肩の力を抜いた。


「断ち切れました?」

【よくやった】


 たった一言の褒め言葉に、亜莉香は笑みを浮かべた。

 握りしめていた小刀を見下ろせば、刃こぼれして使い物にならない状態。役に立たなくても、鞘に戻して胸元に戻す。他の武器も持って来れば良かったと思いつつ、体勢を整えて、宙で切った糸に目を向ける。


 闇を払ったわけではないから、糸が完全に消えたわけじゃない。断ち切ったことで二本になった糸は風に揺れ、再び繋がる気配はなく漂う。


 ひとまずヒナとナギトの様子が気になり、二人を振り返った。

 糸が切れたナギトの身体がふらついた隙に、懐に入り込んだヒナは容赦なく風の魔法をお見舞いする。軽々と宙を飛んだ身体は雪の積もった地面に落ち、痛そうな鈍い音がした。


 胸が上下に動いていているから、死んではない。

 肩を揺らしていたヒナが扇で自分を仰ぎ、息を整えながら亜莉香に頷いて見せた。気を引き締めて、狂った笑みを浮かべるレイに向き直る。


「前座は終わった。次は貴女の番よ」

「まだ、動けるでしょう?」


 ナギトに近づこうとしたレイに向かって、ヒナは扇を振るった。

 突風は間を通り抜け、地面を切り裂く。近づくのをやめたレイが、小さくため息を零した。両手を腰に当てると、唇を尖らせてから言う。


「ヒナってば、なんで止めを刺さないの?そんなに生きている人間と戦うのが苦手なの?いつもルグトリスを使って命を奪って、自分の手では殺さないなんて変」

「勝手に言ってなさい」


 相手にしないヒナの言葉に、レイは眉を寄せた。


「殺すのが怖い?命を奪うのが嫌?」

「違う」

「じゃあ、今すぐに殺して」


 すっと小刀の先を亜莉香に向けて、レイは言う。


「そこの奴も要らない」

「意見が合わないわね。私にとって、彼女は必要なのよ。何より簡単に人を殺すと言うことが、主の意思に反していることにまだ気付かないの?」


 貶されたレイの顔が赤くなったが、ヒナは言葉を重ねる。


「貴女は自分勝手よ。理由もなく命を奪い、主の言うことも聞かない。私はいつだって、主の意思を尊重して行動していた。私が自らの手を下す相手は、その価値があると判断した相手だけ。貴女に私を理解することなど出来ないし、理解して欲しいとも思わない」


 でもね、と一呼吸を置いた声が低くなる。


「私のことも、殺したいなら殺して見なさいよ」


 投げやりに言い放ち、怒りの混ざった声に変わった。


「今の私を殺したら、主は決して貴女を許さない。少なくとも貴女より、今の私には価値がある。それすら忘れたとは言わせない」


 ぞっとした冷たさを感じて、亜莉香は両腕を抱きしめた。

 無理やり笑みを作ってみせたレイよりも、表情の消えたヒナが恐ろしい。操られて闇を纏っていたトウゴとは比べものにならないくらい、深い闇を感じた。


 ピヴワヌに背中を押されて、上がっていた肩を下ろして息を吐く。

 下を向いたレイが肩を揺らして笑い出し、不気味な声が響いた。


「あはは、そっか。そうだよね。殺しちゃ駄目なら、私の目の前から消しちゃえばいい。今度は私が――二十年前と同じことをしてあげる」


 虚ろな瞳がヒナを映して、小刀を自らの首筋に当てた。

 そのまま勢いよく引いて、血飛沫が上がる。レイの着物が赤く染まって、白い雪の色も染めた。何とも幸せそうな表情を浮かべて、言葉を紡ぐ。


「【――時の狭間の扉に問う】」


 地面に黒い光が走って、ヒナが描いた円に当たった。

 闇の力が加わり、一回り大きな円へと変わる。それは一瞬にして範囲を広げた。レイ一人ではなく、亜莉香やヒナ、動けずにいたナギトも巻き込む。咄嗟に小さくなったピヴワヌは亜莉香の肩に飛び乗って、辺りを見渡して叫んだ。


「急いで打ち消せ!巻き込まれるぞ!」

「そんなこと言われても――」

「【時が満ちた汝の役目を問う】」


 咳き込んだレイの言葉は止まらず、足を動かそうとすれば動かなかった。

 何かに掴まれた足を見下ろせば、地面から這い出た黒い手が、亜莉香の足を掴んでいる。小さな悲鳴を上げると同時にピグワヌが焔をぶつけても、黒い手の力が強くなって奥歯を噛みしめた。


 あまりの痛さに涙が滲み、ヒナに目を向ける。

 同じく捕まっているヒナは片足だけだったが、動けないナギトに至っては、倒れているので着物や腕まで掴まれていた。動く気力もないナギトを助けに行きたいのに、自分のことすら手に負えない。

 魔法を発動しようとするレイの足は動かず、逃げる素振りがなかった。


「【闇を宿して落ちるは誰か。心を壊して消えるは誰か】」

「アリカ!何か唱えろ!」

「出来るならやっています!」


 身体が僅かに地面に沈み、恐怖で心が押し潰されそうになった。

 レイの心の一部と偽りの身体を封印するために描いた魔法が、勝手に使われる。魔法を打ち消したいのに言葉は思い浮かばず、必死に頭を回転させ現状打破を考える。


「【今こそ正しき裁きの時、我らの道を示す時!】」


 高らかな声が響き、魔法が発動してしまう。


 やめて、と叫ぶ声が、喉まで出かかった。


 ピヴワヌが飛び出す前に、春によく目にする葉の色の髪が亜莉香の横を通り過ぎた。地面を蹴ってレイに近づき、迷うことなく首を斬る。


 声が、止まった。

 地面の黒い光は弱まった。斬られた首が地面に転がり、身体は小刀を持ったまま動かない。


「…シンヤ様、これで本当に良かったのですか?」


 振り返ったサクマの足は、地面に触れていなかった。

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