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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
293/507

59-4

 叶詠が見せた未来とは違うが、似たような光景が目の前に広がる。

 領主の住まいは燃え上がり、夕焼けに染まる空に溶ける。火の粉と精霊の光が明るくて、空高く漂う。降り積もった白い雪はシンヤ達が苦戦して木々と戦うせいで、土や泥で汚れ草木は踏み潰された。


 池の傍にある屋根付きの小さな建物だけが、変わりなく存在する。円柱に寄りかかるヒナは暇そうに欠伸を扇で隠して、亜莉香の視線に気が付いた。

 何を見ているのだ、と言いたげに睨まれる。


 そう思われても仕方がなくて、急いでシンヤ達に目を向けた。魔法の木々と戦う姿は必死だが、いつ見てもシンヤだけは余裕を醸し出している。守られる側なのに前線に出ようとして、サクマに何度も注意を受け、ナギトは無言で戦い続ける。


 悪夢とは、違う。

 この場には、アンリがいない。


 レイやチアキの姿もない。亜莉香やヒナが加わり、人の動きは完全に変わった。シンヤとナギトが戦い、サクマが血を流すなんてことも起こりそうにない現状。


「ありか」


 不思議そうな声でフルーヴに名前を呼ばれて、亜莉香は視線を下げた。

 腕の中に収まっている小さな兎に微笑み、優しく問いかける。


「どうしましたか?」

「だれか来る」


 淡々と述べたフルーヴの青い河の色の瞳が、シンヤ達のその奥を見つめた。亜莉香も目を向けると、ピヴワヌが感情を消して低く言う。


【トシヤだ】

「…え?」

【それと、よくシンヤの傍に居る女もいる。もうすぐ到着するが、顔を合わせたくないなら儂が何とかするぞ】


 敵意剥き出しの声を聞いて、亜莉香は五月蠅い心臓に気付いた。

 トシヤの名前を聞いただけで、動揺した。会いたくないと思ってしまった。今はまだ、会わせる顔がない。会っても、何を言えばいいのか分からない。


 自然と頭を下げると、ピヴワヌが立ち上がって着物を深く被せ直した。

 そのまま身体を寄せ合って、小声で言う。


「何も…しなくていいです」

【いいのか?】


 心配するピヴワヌに、はい、と小さく頷いた。フルーヴにも大丈夫だと笑いかける。微かに顔を上げて、身体を強張らせて、やって来る方角に目を向けた。


 予告なく派手な音がして、魔法の木々が燃え上がった。

 同時に切り倒されて、誰よりも前に出て薙刀を構えていた女性が亜莉香の瞳に映る。

 深紅の瞳は真っ直ぐに前を見据えて、眉間に皺を寄せて不機嫌な表情。瞳と同じ髪をまとめて、淡い白の着物に大輪の赤い花が咲く。深い藍色の袴姿で、他の男性陣を押し退けた姿は美しくも堂々としていた。


「うわー」

【完全に引いた声で言うな】


 本音が漏れて、ピヴワヌに呆れられた。

 シンヤ達が苦戦していた魔法の木々に容赦なく挑み、圧倒したチアキは近づきがたい。それはシンヤ達も同じ心境で、チアキから一歩引いていた。


「相変わらず加減をしないな」

「呑気に言っている場合ではないですよ、シンヤ様。あれがいつ、我々に向く日が来るか」


 呑気なシンヤに続いて、サクマが続けた。

 後ろから聞こえた声に、チアキは勢いよく振り返る。浮かべている笑顔が怖い。薙刀の剣先をサクマに向けて、近付きながら話し出した。


「男が三人も揃って、てこずるなんて嘆かわしいのではありませんか?」

「ちょ、あぶな!」

「日々の訓練の成果はどうしたのです?こんなことで足止めを食らうなど、言語道断です。違いますか?」


 ぐいぐい迫るチアキに、サクマの顔色が青白くなった。

 燃え盛る木々の魔法の光は消えていき、他の草木に燃え移ることなく鎮火した。他人事のシンヤとナギトが肩を寄せて、何やら小言で言い合う。


 おそらく二人の話す内容は、目の前で繰り広げられるサクマとチアキの痴話喧嘩のような光景。付き合っていない男女でも、叶詠の夢でサクマの気持ちを知ったせいで見る目が変わってしまった。サクマは今でもチアキが好きなのか、お節介なことを考える。


 こんな状況なのに、知っている人達の変わらない姿に亜莉香は笑みを浮かべた。

 その笑みは長くは続かない。馬に乗って現れたトシヤの姿を見て、即座に消える。


 数日前と全く変わらないトシヤが馬に乗り、目を離せなくなった。

 夏の終わりから、本格的に乗馬の練習をしていた。亜莉香が練習を見に行くことは少なかったが、警備隊の訓練に混じって、サクマに教わって必死に練習するのを見ていた。


 春になったら一緒に乗せてくれると、交わした約束を思い出せば胸が苦しい。


 チアキが乗って来た馬に並んだトシヤは、慣れた素振りで馬から下りた。シンヤ達が乗って来た馬達と同様に、利口な馬は離れて大人しく固まる。

 一部始終を見て感情を隠す亜莉香とは違い、ヒナが足を踏み出して近づいた。

 数メートル先で立ち止まるヒナに気が付いて、チアキがいち早く武器を構えて向き直る。


「彼女達は誰ですか?」

「名前を教えて貰っていないのでな。ひとまず目の前の彼女は、雪の妖精のようなご婦人と呼んでいる」

「呼び名が長いな」


 さらりと答えたシンヤに、傍にいたトシヤが言った。

 ナギトとサクマは発言を控えて、無言で視線を交す。真面目な顔のナギトはそのままシンヤと、後ろに下がらせたトシヤを守るように陣取った。サクマはチアキの隣に並び、小さく名前を呼ぶが無視される。

 強気なチアキは引き下がる気などなく、サクマを見ずに小声で問う。


「許可証は確認したのですか?」

「…いや」

「役立たず」


 きつい一言に、サクマがあからさまに落ち込んだ。

 小言は続かず、睨みつけられたヒナが口を開く。


「その真っ直ぐな瞳は、数年前に死んだ先読みにそっくりね」


 チアキの肩が上がったのを、亜莉香は間違いなく見た。

 虚をつかれたシンヤが目を見開き、怪しい笑みのヒナを凝視する。ナギトとサクマ、トシヤは何も分かっていない表情だったが、チアキの瞳に憎悪が浮んだ。


「なんで、その呼び名を」

「彼女の最期は私が看取ったのよ。その顔を見ていると嫌になる。姉妹って、やっぱり似るのね。忘れかけていた顔、思い出したじゃない」


 最悪、と囁いたヒナに向かって、チアキが駆け出した。

 薙刀を振り上げ、誰の止める声も聞かず、一直線の攻撃は扇で受け止められた。軽々と白い扇で薙刀を受け止めたヒナが、追い打ちをかけるように言う。


「先読みと違って、貴女は強いのかしら?彼女は呆気なく、私の目の前で死んだけど」

「貴女が――貴女が妹を!」

「殺しに行ったわ。それが聞きたかったのでしょう――アキ姉さん」


 幼い叶詠が呼んでいた呼び名で、薙刀を掴んでいたチアキの手に力がこもった。扇を弾いて、力任せに薙刀を振り回す度に、ヒナは器用に攻撃を受け流す。

 止めようとするシンヤとサクマの声は、チアキに届かない。

 トシヤとナギトは動かず、チアキの悲鳴に近い声が響く。


「絶対に許さない!!」

「お気の毒さま。私は簡単に倒せない」


 ヒナは小さく呟いた。ステップを踏むように下がって、池に描いた円を足元に確認した。足に力を込めて前に踏み出して、扇の色が緑に変わる。

 ほんの少し離れた瞬間を見逃さず、扇を仰いで風の魔法が放たれる。


 暴風がチアキを襲って、その身体が後ろに投げ飛ばされた。サクマが駆け寄っても、すぐに立ち上がった。


 ヒナを睨みつけるチアキと、険しい表情でシンヤの傍に居るナギトの瞳が、闇を宿しているようで怖かった。トシヤだけが武器を手にせず、状況を見極めようとする。シンヤは両手を痛そうなくらい握りしめて、真剣な顔でヒナを見つめた。


 一対五なのに、ヒナの圧倒的な力を感じた。

 白に近い淡い水色に変わった扇で、口元を隠したヒナの声が笑う。


「ほら、貴女達では相手にならない。態勢を整えて出直しなさい」

「なん、ですって――」

「チアキ!」


 ゆっくりと薙刀の剣先をヒナに向けたチアキの腕を、サクマが左手で強く握った。


「離して!!」

「駄目だ!相手が強いことは、お前だって分かっているだろ!」

「ノエの敵を討って何が悪いの!!」


 なりふり構わず戦おうとするチアキの叫びに、言葉に詰まったサクマは何も言えない。

 静寂がこの場を支配して、ナギトが静かに動いた。チアキの傍に行き、薙刀の剣先を下ろすと同時に、ヒナを見据える。


「俺が行く」

「ナギト、行くな」


 サクマの願いを、ナギトは聞かずに前に出た。

 ナギトの背中を見て、チアキはサクマの手を振り払って隣に並ぶ。

 心底面倒くさそうなヒナが扇を口元から外して、地面に向けた。足元の雪から光を宿して、精霊達も力を貸せば、現れたのは大きな雪だるま。全長二メートルはある雪だるまが二体、それぞれ枝や落ち葉で顔を作って、ヒナの両脇に並ぶ。


 魔法の木々の次は、魔法の雪だるま。

 やる気に満ちあふれた顔つきの雪だるまの、手足は太い枝だった。

 ヒナを相手にするなら雪だるまからだと、ナギトとチアキが武器を構える。サクマが二人の名前を呼ぶ前に、息を吸ったシンヤが叫んだ。


「二人共やめろ!」


 珍しく声を荒げたシンヤに、驚いたサクマとチアキは同時に振り返った。

 目が合い、悔しそうに顔を歪めたチアキは視線を下げた。背中を向けたまま日本刀を握りしめるナギトに向かって、深く息を吐いたシンヤの言葉が続く。


「頼むから、手を出すな。その必要はない」


 日本刀を下ろしたシンヤとは違い、ナギトの構えは解けなかった。遠目でも分かるぐらい奥歯を噛みして、表情は凍りついたように硬くなる。


「必要はない、とはどういう意味ですか」

「そのままの意味だ。ご婦人方に手を出すな」


 何かが、壊れる音がした。

 それは燃え尽きない建物の一部かもしれないが、亜莉香にはナギトの心の音のように聞こえた。シンヤとナギトの、二人の間の絆が壊れかける。


 離れていては、声は届かない。

 トシヤも何か言おうとして、ナギトが重たい口を開く。


「いつも、俺には何も教えてくれませんよね」

「ナギト?」


 小さく名前を呼んだのは、戸惑うサクマだった。


「俺に何も言わず、シンヤ様は勝手に何でも決める。サクマと二人でこそこそして、何かを隠して、何も教えてくれない。ノエが死んだ時だって――何も言わなかった」


 苦しそうに言ったナギトが、溜めていた息を吐いた。微笑んで見せたヒナを瞳に映した時、何かを振り切ったように深い闇を宿す。


「ご命令には従えません。ノエの仇なら、俺も勝手にさせてもらいます」

「…そうか」


 諦めたシンヤの呟きには返事をせず、ナギトは駆け出した。

 眉毛の太い雪だるまは俊敏で、日本刀を両手の枝で受け止める。枝が折れなかったのは魔法のせいで、少し背の低かった雪だるまが参戦した。枝を武器にナギトと戦う雪だるまは二対で、迷いが生じたチアキは出遅れた。


 雪だるまに戦わせるヒナは動かず、欠伸を噛みした口元を扇で隠した。

 不意に亜莉香を振り返り、目で何かを訴える。


「何を言いたのか、全く分かりませんね」

【レイの気配が近づいた、と言ったな】

「よく聞こえましたね」

【耳がいいからな】


 雪だるまとナギトの戦闘など、ピヴワヌには他人事だ。

 全く興味がないのはフルーヴも同じで、そろそろ長くなって飽き始めた。亜莉香を見上げて思いっきり目を見開き、眠気を吹き飛ばして首を傾げる。


「ひまー?」

「暇ですか。まあ、私も暇ですが」

「あそぶー?」

「それはちょっと、まずいですね」

【まずい、まずくない、の話じゃない。フルーヴ、大人しくしないなら怒るぞ】


 低い声はフルーヴにも聞こえたようで、しょんぼりと耳が垂れた。立ち上がったピヴワヌが亜莉香に寄り、燃え盛る建物を眺めるヒナと同じ方角を見る。


 表情を消して待ち構えると、誰もいなかった景色が揺れた。

 蜃気楼のように、一部が揺れて少女は現れる。楽しそうな鼻歌は時々音が外れ、パキッと枝が折れる音や、足取り軽く雪を踏みしめる音も響かせる。不気味な音に亜莉香の背筋が凍り、やって来ると分かっていたのに恐怖で足が竦んでしまう。深呼吸をしても心臓は五月蠅くなって、身体が強張った。


 叶詠が見せてくれた未来が来る、それは予感。

 悪夢は始まってもいなかった。何も終わってない。


 ヒナの描いた魔法を信じて、立ち向かうしかない。役者は揃いつつあるが、大丈夫だと自分自身に言い聞かせる。この場にトシヤがいても、レイが現れても、頼れる味方がいて、精霊達も力を貸してくれる。

 望んだ未来を手に入れるために戦うと、誓った。


「そろそろ私達も動きましょうか」

【だな】

「うん!」


 同意したピヴワヌと、元気の良いフルーヴに背中を押される。踏み出した一歩は雪を踏みしめ、亜莉香がこの場にいた足跡を残した。

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