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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
290/507

59-1

 夕方の空が赤く染まる。

 東の離れに人の気配はない。向かっている途中で、精霊が誰もいなくなったと報告してくれた。亜莉香が到着した時には、物寂しさだけが残っていた。


 トウゴやアンリと離れたのが、遠い昔のことのように感じる。

 東の離れに到着するなり、ヒナは真っ直ぐに休憩場所である小さな建物を目指した。表面は凍りついた池を足取り軽く歩き、懐から取り出した扇を使って、黙々と氷に文字や記号を描く。亜莉香は屋根の下で置いてあった椅子に座り、黙ってヒナの準備が整うのを待った。


 遠目からも分かったことは、ヒナは精霊の姿が見えていること。

 近くにいるフルーヴと一緒に、時折邪魔くさそうに手で払い除け、眉間に皺を寄せていた。邪魔者扱いをしても、精霊達はヒナの傍に寄ろうとする。

 ヒナと精霊の攻防戦を眺めていると、建物の柱に寄りかかっていたピヴワヌが言う。


「あの小娘、何者だ?」

「急にどうしました?」


 両頬を包み込むようにテーブルに肘をつき、視線を変えずに亜莉香は言った。


「闇を纏う者でありながら、精霊と話す。フルーヴが懐くのは気まぐれかと思ったが、それも違ったようだ。闇の力は感じる。だが、微かに光の力も感じるのだ」


 ヒナを見つめるピグワヌの眉間に、物凄い皺が寄った。

 現状を認めたくないと書いてある顔に、亜莉香は笑いかける。


「悪い人ではない、と思いましたか?」

「儂はお主が襲われた時のことを許す気はない。慣れ合うつもりもないが、小娘の作戦には乗ってやる。今回限りだ」


 ふん、と話をまとめて、ピヴワヌは傍に居た精霊に目配せした。

 精霊達は頷いたように動いて、色とりどりの小さな光がヒナの傍に集まった。

 描いている何かに精霊が力を注ぎ、他の精霊も真似する。邪魔ではなく手を貸す様子に追い払うのをやめて、ヒナが恨めし気に亜莉香を振り返った。


 自分の仕業じゃないと思いつつ、亜莉香は笑みを浮かべる。

 ピヴワヌは舌を出して見せたので、離れていても、ヒナの盛大な舌打ちは聞こえた。仲良く手を取り合うなんて無理でも、一時的には手を組んでいる。


 それだけで、今は十分なのだろう。


 これ以上に関わろうとすれば、ヒナは逃げてしまう気がした。

 現状ピヴワヌが手を貸すことに決めたなら、ヒナの近くで手伝いたい。亜莉香が椅子から立ち上がると、ピヴワヌは柱に寄りかかるのをやめた。歩き出した亜莉香の一歩後ろを歩く姿を確認して、ヒナの傍に行って声をかける。 


「何か手伝うことはありますか?」

「あると思う?」

「ないのですよね。けど、精霊達にお願いするのは私の方が上手ですよ」


 お願いね、と精霊達に言えば、あっという間に精霊が散った。ヒナが描いた箇所に散り散りになって、精霊の魔力が注がれると淡く光を放つ。


 雪が残っている氷の上で、光り輝く光景は美しく幻想的だ。

 なんて書いてあるか全く分からない記号の羅列を描き終えてから、ヒナは立ち上がった。

 見渡すヒナと同じように、亜莉香も位置を確認する。池の上に描いたのは七カ所で、六ケ所が円を描くように配置してある。七カ所目が亜莉香のいる場所で、円の中心だ。

 閉じていた扇に付いた雪を丁寧に払いながら、ヒナは話し出した。


「この魔法が発動出来れば、レイの心の一部と偽りの身体を封印することが出来る。本物の身体の心臓を止めない限り、あの子は生き続けるとしても、十分な足止めにはなるはずよ」

「私が魔法を発動すればよろしいのですね」

「ええ、貴女なら読み解けるでしょ」


 投げやりな言い方をしたヒナが、真面目な顔で亜莉香を振り返った。


「一部でも欠けたら、魔法は失敗して意味を成さない。レイが来たら貴女はさっさと円から出て、片足でも円の中に入ったら迷わず魔法を発動して。アンリを狙っているなら近くに潜んでいるはずだし、私の魔力に気付けば、あの子は間違いなく来る。人気のない神社で戦っても良かったけど、街の結界に影響するよりは、この場で被害を最小限に済ませたい」


 灯籠祭りの夜に、その結界を破壊しようとした人の台詞に聞こえなかった。

 ふと気になったことを、亜莉香は素直に訊ねる。


「何故ヒナさんの魔力に気付くと、やって来るのですか?」

「これのせいよ」


 ヒナは扇を亜莉香に見せた。

 何の変哲もない白い扇。とは言えないのが、正直なところだ。扇の色が変わって、ヒナが魔法を使うのを目撃している。色が変わる度に違った魔法で、その扇で人の魔力と記憶を奪う過去も見た。

 普通の扇、ではない。


 詳しい説明を求める前に、ヒナが深いため息を零した。誰もいない住まいに目を向ける。心底面倒くさいと書いてある表情で、素っ気なくも説明を続けた。


「隙あれば、レイは扇を狙っているの。あの子には使いこなせないけど、この扇は特別だから。どんな手を使っても、私から奪おうとしている。特に最近はしつこく追いかけてきて、今回の件を含めて、私達はそろそろ決着をつける頃合いだった」

「その扇は、魔道具ですか?」

「似たようなもの」


 あっさりと肯定するヒナを見て、亜莉香の疑問が増える。

 魔道具を奪い合うヒナとレイの関係が、全く分からない。扇の存在も不思議だが、訊ねたところで教えてくれるとは思えなかった。

 自分で見極めることも考えていると、まるで心を読んだかのようにヒナは言った。


「私とレイは、仲間ではないわよ」

「そうなのですか?」

「当たり前でしょ。同じ人物を主と呼んでいる。それだけの関係よ」


 無意識に扇を強く握ったことに気付いた後、ヒナは今までの気持ちに全て蓋をするように力を緩めた。それ以上は聞くなと言わんばかりの視線を向け、亜莉香に問う。


「それで、ここでは何をしてもいいのね」

「一応、カリン様には許可を貰いましたが?」

「そう」


 何をするのか問い質す前に、口角を上げたヒナが扇を開いた。


 その瞬間、扇の色が燃える赤に変わる。

 嫌な予感を覚えた亜莉香の前に出て、領主の住まいに向かって、勢いよく扇を振う。上から下へ、たった一度の風は赤い光を放ち、空気を切り裂いて住まいに当たった。


 赤い光が弾けて、火花が散った。

 魔法の火が領主の住まいである建物を包み込み、火の粉が空に舞い上がる。あまりにもよく燃える光景に、亜莉香は呆れて呟いた。


「何も燃やさなくても」

「領主の許可は取ったのでしょう?なら、遠慮する必要はないじゃない」

「あんまり高く燃えると、煙が結界の外に出ませんか?」

「結界の高さは低くない。それくらいのこと、貴女だって分かっているでしょ」


 背中越しに当たり前のように言われて、まあ、と曖昧に返した。

 精霊だけじゃない。ヒナも亜莉香同様に、魔法の光や結界が見えている。共通点を見つける度に、何だか身近な存在に感じてしまった。

 赤々と燃える建物を眺めていると、不意にヒナが話し出す。


「貴女からしたら、あの灯がレイと一緒に消えてくれたら嬉しかったかしら?」

「え?」


 何気ない一言に、亜莉香の口から驚いた声が零れた。急に何を言い始めたのかと、開いた口が塞がらない。ヒナは亜莉香を見向きもせずに、平然と続ける。


「彼女が死ねば、全て元通りになるわよ」


 一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。


「どういう、意味ですか?」

「貴女の魔力と記憶を取り戻すための、一番簡単な方法。そこの精霊は知っていたかもしれないけど、それが一番手っ取り早い。彼女が死ねば、魔力も記憶も自然と戻る」


 簡単には死なないけどね、と小さく呟かれた声は聞こえなかった。

 そこの精霊と呼ばれたピヴワヌが、ヒナの後ろ姿を睨みつけていることに気付けない。ヒナが円から出るために歩き出して、何も分かっていないフルーヴは後を付いて行く。


 頭が真っ白になった亜莉香は、一歩も動けなくなった。

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