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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
285/507

58-1

 朝から太陽が眩しくて、正午近くの中央市場に活気が溢れる。

 昨日よりも温度が一度上がっただけで、冬の終わりが近づく空気を感じるから不思議だ。実際は一部の雪が解けて地面の土が現れたり、雪の下から草木が見えたりするだけ。まだまだ雪は降る日々は続き、春には程遠い。


 屋根の雪が解けて、雫が落ちる。

 きらきら輝いて見える雪解けは美しく、晴天の空を眺めていると心が晴れ渡った。それは亜莉香だけの心情で、外壁に背を預けて腕を組むピグワヌが呟く。


「遅い」

「早く着き過ぎましたかね?」


 人混みを眺めるピヴワヌを横目に確認して、亜莉香は訊ねた。

 ケイの店で買った着物を被っている亜莉香とは違い、ピヴワヌは髪の色を変えている。深く赤い髪であるだけで、不思議なくらい人混みに馴染み、不機嫌丸出しで言う。


「そんなことはあるまい。あと数分で正午だろ?儂らは時間通りに来ただけだ」

「まだ時間があるなら、飲み物でも買ってこようか?」


 ピヴワヌとは亜莉香を挟んで反対側にいて、頭の後ろで腕を組んでいたトウゴが言った。

 黒ずくめではないトウゴのことも気にする人はいなくて、堂々としている。その足元で小さな雪だるまを作っているのがフルーヴで、いつの間にか三つ目の雪だるまが完成していた。大小様々で形も歪だけど、楽しそうに四つ目を作り始めるフルーヴは、亜莉香と同じように着物を頭に被っていた。


 ピヴワヌと違って髪の色を変えられないので、目立つ真っ白の髪を青い着物で隠す。

 亜莉香が被っている着物は、夜空に溶け込む黒。ケイの店で買ったばかりとも言える着物の柄は少なく地味だけれど、裾の淡い白と桃色、紺色の小さく名のない小花が可愛らしい。

 中央市場の片隅で動かない四人組は、行き交う人達の目にどんな風に映るのか。

 呑気に考えていると、名前を呼ばれてトウゴを見上げた。


「アリカちゃんも、それでいい?」

「あ、はい」

「じゃあ、ちょっと買って来るね」


 反射的に頷いたが、全く話を聞いていなかった。

 何を買いに行くのか分からないが見送って、振った右手をゆっくり下ろす。


「…トウゴさん、何を買いに行きました?」

「お汁粉を買いに行った。なんだ、聞いてなかったのか?」


 行き交う人から目を離さないピヴワヌが答えて、亜莉香は曖昧に頷いた。返って来たのはため息で、真っ赤なルビーの瞳が亜莉香を見上げる。


「そんな調子で、これから大丈夫なのか?」

「大丈夫だとは思っていますよ?ちょっと寝不足で眠たいだけで」


 答えつつ、叶詠と出会った夢を思い出した。

 目が覚めても、はっきりと覚えていた。叶詠の生きた日々を、出会った人達の顔を、そしてこれから起こる最悪の未来を考えて、無意識に視線が下がった。

 トウゴがいる手前、ピヴワヌには話せなかった。

 話すしか今しかないと思うが、どこから何を話せばいいのか。迷っていると、声を落としたピヴワヌが話し出す。


「言いなくなかったら、言わんでもいいぞ」

「え?」

「お主は分かりやすい。昨日の晩、儂のことを呼ぼうとしただろ。結局は呼ばれなかったが、お主が危険な目に遭っていないのは分かっていた。フルーヴも一緒だったようだからな、儂は放って置いた」


 そっと視線を人混みに戻したピヴワヌの気遣う声が優しくて、亜莉香は息を吐いた。


「そうでしたか」

「儂はお主に呼ばれたら、どこへでも行くからな」

「ありがとうございます」


 素直に口から零れたのは、感謝の気持ちだった。

 何でもかんでも首を突っ込むわけではなく、いつだって亜莉香を気にかけて見守っていてくれる。そんなピヴワヌだからこそ、隠し事をしたくない。


 言いふらす話ではないが、叶詠には口止めされなかった。

 ふとしたきっかけでフルーヴが話す前に、自分から言おうと口を開く。


「昨日の夜、夢の中で叶詠と言う少女に会いました」

「ノエ…どこかで聞いた名前だな」

「数年前に亡くなった、シンヤさんの恋人です」


 あ、と声を上げたピヴワヌの声が案外大きくて、周りの視線を集めた。何でもないと笑顔を浮かべれば視線は消えて、肩の力を抜いたピヴワヌがしゃがんだ。

 亜莉香にも腰を下ろすように言い、お互いに距離を詰めて小声で話す。


「数年前に、儂を追い回した小娘の名前か」

「そうだと思います。ピヴワヌを探したけど見つけられなかった、と言っていました」

「精霊を使って儂を見つけ出そうとしたから、出し抜いてやったな。とことん逃げている間に死んだのは、風の噂で聞いた。いや、待て。その小娘は死んでいるぞ?」


 至近距離で目が合い、亜莉香は小さく頷いた。


「そうです。亡くなりはしましたが、生まれ変わって、この街にいます。協力者がいて生まれ変わったと聞きましたが、その協力者を見つける前に、ピヴワヌを捕まえて生まれ変わる方法を確かめたかったそうです」

「儂とて、生まれ変わる理屈は知らん」

「そのことすら、叶詠は知りませんでした。だからピヴワヌを探していたのですよ」


 一呼吸置いて、亜莉香は前を向いた。


 行き交う人混みに、叶詠はいない。生まれ変わって別の人間として生きていると分かっているのに、もしも生きていたら、とも考えてしまう。

 今でも生きている叶詠の姿を探して、膝を抱えて言葉を続ける。


「叶詠は、精霊の姿が見えていました。とても強い魔力を持っていたのですね。それはシンヤさんも同じで、叶詠とシンヤさんの魔力の一部を対価に、生まれ変わりました。以前は先読みと呼ばれていたそうですが、今では数秒先の曖昧な未来しか見えない。時々、遠くはない未来をはっきり見えるとも言っていました」

「魔力が減って、自力で制御出来なくなったか」

「いえ、生まれ変わる前から制御は出来なかったようです」

「そうか」


 一人納得した相槌に視線を向けると、疑問を訊ねる前にピヴワヌが説明する。


「稀に、魔力と命の結びつきが強すぎる人間がいると聞く。そういう人間は魔力を制御するのに苦労して、若くして命を落とすことが多い。例外を除いて、身体に不釣り合いな魔力は命を蝕むだけだ」

「例外、ですか?」

「護人の魔力は例外だろう?魔力と命の結びつきも桁違いだが、魔力を使い過ぎて倒れることはあっても、それが原因で死ぬことはなかった」


 遠くを見つめるピヴワヌの瞳には、亜莉香ではない人物が映っていた。淡々と語ってはいたが、過去を懐かしんだ声は悲しそうに聞こえる。ピヴワヌの心には灯の影があり、それは亜莉香が消し去ることの出来ない影だ。


 誰だって、忘れられない人はいる。

 それは亜莉香にも言えて、話を戻すことにした。


「叶詠が私に見せてくれた未来で、シンヤさんとナギトさんが戦っていました。サクマさんやチアキさんが傷ついて、アンリちゃんが捕まってしまう。そんな未来を見ることになったのは、偶然とは思えません。私はその未来を変えて、皆を守りたいのです」


 言いたいことを言い切ると、正午の鐘の音が鳴った。

 トウゴは帰って来ていないし、ヒナはまだ現れない。待ち合わせ時間であることは間違いないので、亜莉香は腰を上げて裾を払った。


「ったく。守ると言っても、お主一人では荷が重いだろう」


 しゃがんだままのピヴワヌの声がして、見下ろした亜莉香は微笑んだ。

 目は合わない。仕方がないと書いてある顔の気持ちは分かっていると思うが、大事なことは言葉にして伝えたい。言葉にして、心を通わせたい。

 最悪の未来を回避するために、両手を握りしめた亜莉香は前を向く。


「ピヴワヌ、私に力を貸して下さい」

「今更なことだ。お主一人では不安だが、儂一人でも苦労する。お主と儂の力を合わせれば、これくらいこと容易に乗り越えられるだろう」


 はっきりと言いながら、ピヴワヌは左手を見下ろして、軽く握りしめた。手の甲を亜利香の方に差し出すと、宙で止める。


「友の願いだ。精一杯、答えてやる」

「期待しています」


 心の底からの信頼を込めて、差し出されていた左手に、同じように右手を握って当てた。ほんの一瞬だけ触れた手の甲で、お互いの気持ちは伝わる。


 不安も恐怖も、何もかもを受け止めて、前に進むと心に誓った。


 いつだって、ピヴワヌは力を貸してくれる。ピグワヌだけじゃない。何度だって支えてくれて、立ち止まりそうになったら背中を押してくれる人達がいる。傷ついた時は癒して、迷ったら導いて、心を照らして守ってくれる。


 一人じゃないから、大丈夫。

 どんな未来だって乗り越えられると、亜莉香は笑みを零して空を見上げた。

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