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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
284/507

57-5

 お願いします、と叶詠が頭を下げる。


 亜莉香と年の変わらない身体を震わせて、深く下げた頭は動かない。今までのふざけた態度も、思わせぶりな口調もなく、嘘偽りない気持ちは嫌と言うほどに伝わった。


 紛れもない事実を告げているのだと、悟るしかない。

 深呼吸をしてから、亜莉香は離れていた距離を埋めるため歩き出す。


「私は紋章を持っていても、力を使いこなせているわけではありません」


 淡々と話し出した亜莉香に何も言わず、叶詠は黙ったままだった。


「未来を変えて欲しいと言われても、どうすればいいのか分かりません。精霊の姿が見えるとしても、少し魔法が使えるようになるくらいで、私より強い人は沢山います。私のことを買いかぶり過ぎだとも思います」


 けど、と言い終わると同時に、叶詠の前に辿り着いた。

 見せられた未来は衝撃的だった。シンヤとナギトが戦うことも、サクマが傷つきチアキが泣くことも望んでいない。瞼を閉じれば先程の光景が思い浮かび、レイに引きずられていた影が、シンヤの妹であるアンリだったと、確認しなくても分かる。


 未来を変えたい気持ちは、痛いくらい分かる。


 何度も悪夢を見て、その度に苦しくて悲しかった。心が痛くて、壊れてしまいそうだった。

 何も出来なくて、見るだけしか出来ない過去じゃない。

 叶詠の望みは、これから起こるかもしれない未来を変えること。


「赤の他人のために、私は命を賭けられる立派な人間ではないのです。戦うのだって怖いし、死ぬのだって怖いのです。でも――」


 一呼吸を置いて、叶詠の目の前に右手を差し出した。


 叶詠が気付いて、ゆっくりと顔を上げる。不安で、戸惑う瞳に、亜莉香は笑いかける。


「私と友達になりませんか?」

「…え?」

「困っている友達の為なら、多少の無茶をしてでも力を貸したいと思うのです。まあ、既にシンヤさんは友人だと認識していたのですが、今は事情があって友人とも言えなくて。何か理由を付けて、堂々と助けに行きたいだけなのかもしれませんが」


 言い訳のように続けて、顔を何もない空間に向けた。

 右手を引かずにいれば、叶詠がそっと手を重ねた。左手に灯籠を握りしめて、ぎゅっと握られた手は温かく、光を宿した深紅の瞳と見つめ合う。

 亜莉香が口を開く前に、叶詠は謝った。


「ごめん。協力者から亜莉香の話を聞いた時、素直に私の話を信じてくれるとは思っていなかったの。だから灯籠を奪って、亜莉香を試すように連れ回した。ちゃんと返すね」


 灯籠が手の中に戻った。

 亜莉香が手にすると、温かな明かりが強まった。亜莉香と叶詠を包み込む焔が中で燃えて、和紙を透かして、牡丹の花の模様を浮かび上がらせる。


 もう手離すな、と言われている気がする。

 手に収まった灯籠を見て微笑むと、腕の中のフルーヴの声がした。


「うーん…あさ?」

「まだ、朝ではありません。もう少し寝ますか?」

「起きる」


 大きな欠伸を零したフルーヴは、思いっきり身体を振った。眠気を吹き飛ばして、大きく瞳を見開いたかと思うと、瞬きして亜莉香を見上げる。


「起きた!」


 元気よく宣言して、兎の姿のフルーヴは身軽に飛び上がった。定位置である頭の上に移動して、じっと叶詠を見たかと思うと、落ちない程度に髪にしがみついて隠れようとする。

 今更になって隠れようとする姿に、亜莉香は笑みを零した。


「こんにちは、しないのですか?」

「こんにちは、していいの?」

「いいですよ。今日から私達のお友達です」


 お友達、の単語に、フルーヴが嬉しそうに瞳を輝かせた。

 まだ気を抜くと兎の姿になってしまうフルーヴは、亜莉香やピグワヌの許可のなく、人と関わり過ぎないように気を付けている。兎の姿でも、人の姿でも気軽に話しかけているのは限られた人だけで、お友達が増える嬉しさが全身からにじみ出る。

 いそいそと頭の上に戻って、亜莉香の髪を引っ張った。


「あくしゅ!あくしゅしたいの!」

「その姿で、ですか?それに私じゃなくて、目の前にいる叶詠に言ってください」

「あくしゅ!あくしゅしよう!」


 鼻息を荒くしたフルーヴが叫んで、頭から飛び降りた。地面に着地する前に女の子の姿に戻って、自分より背の高い叶詠を見上げると、凄く期待する眼差しを向ける。

 小さな手が差し出されているのを確認して、亜莉香は改めて叶詠を見た。


 一部始終を見ていたはずの叶詠が驚いて亜莉香を見た。嫌だったら断ることを見越して小さく頷き返せば、その姿はフルーヴのように一瞬で変わる。


 叶詠じゃなくて、梅がいた。


 身長が低くなって、瞳の色は紅色に変わった。肩まで伸びた強い黄みがかった朱色、猩々緋色の髪で、着物と袴は変わらない。フルーヴよりは年上でも、幼い子供姿。

 叶詠とは違うのに、フルーヴは興味津々で声を上げる。


「フルーヴといっしょ!」

「ちょっと違うかな。私が姿を変えられるのは、夢の中だけ。私の名前は梅だよ」


 照れたように笑いかけた叶詠が、慣れない様子で握手した。手に握っただけで、花が咲いたような笑顔になったフルーヴは、掴んだ手を思いっきり上下に振る。


「フルーヴ!」


 自分の名前を叫んで、もう片手も催促した。

 訳が分からなくても両手を差し出した叶詠に、フルーヴは指を絡める。離れないように手を繋いで、くるくると回り出せば、叶詠は必死に足を動かした。


「うれしい!」

「ちょ、はやっ!」

「楽しい!!」


 フルーヴのペースに巻き込まれて、叶詠が小さく悲鳴を上げた。

 眺めていた亜莉香は傍でしゃがんで、無邪気な二人を見守る。この様子なら夢から覚めても、フルーヴは梅と仲良くするだろう。それはとても嬉しいことで、微かに鼻をくすぐった梅の匂いで思考が途切れるまで、穏やかな気持ちが心を満す。


 梅の匂いに誘われて、腰を上げたら遠くに梅の木が見えた。

 叶詠とお茶をした梅の木のようで、いつの間にか存在していた。テーブルや椅子はないが、梅の木だけが仄かに明るく存在している。

 段々と強くなっていく梅の匂いに、フルーヴが鼻を動かした。

 急に立ち止まれば叶詠も止まることになり、目が回ってふらつく。


「まさか、こんなことになるなんて」

「未来はいつも想定外ですからね」

「うん!」


 何故か大きく頷いたのは亜莉香を振り返ったフルーヴで、深くは考えていない。

 両手で頭を押さえた叶詠は眉間に皺を寄せて、小さく呟く。


「いい感じにまとめないで、亜莉香」


 名前を呼ばれたが、笑ってごまかした。

 フルーヴを呼べば、叶詠の手を離して亜莉香に抱きついた。相当楽しかったようで、うふふ、と声が零れる。次に梅に会った時も同じことをしそうな気がしたが、今は何も言わないことにした。

 ため息を零した梅が、遠くの梅の木を振り返って言う。


「そろそろ朝ね。梅の匂いに誘われて、そのまま目が覚めるはずよ」

「目が覚めたら、すぐに梅に会いに行きましょうか?」

「母さんのお手伝いを免れるためなら、亜莉香に迎えに来てもらうのは最善策かもしれないね。そうしないと、暫く家を出られる気がしないもの」


 冗談交じりの質問に、本気かどうか分からない返事と乾いた笑いが返って来た。

 なんて返事をしようか迷うと、振り返った叶詠が微笑む。


「枕の下にある石には私の魔力が込められている。もしも私が必要になったら、その魔力を辿って迎えに来て。亜莉香の元へ駆け付けたい時、私は自分の魔力を辿って会いに行く。私も何か、自分に出来ることを探して行動するね」

「分かりました。私は全力を尽くして、叶詠の大切な人達を守ります」


 梅の姿をしていても、叶詠の名前を告げた。

 今はまだ、二人を全く同じ人物とは思えない。叶詠が死んだ過去の記憶があって、梅が生まれて過ごした時間もある。別々の人物にしては記憶と感情が入り混じって、自分なりの区別を模索するしかない。

 梅の姿でも叶詠の姿でも、目の前の少女は愛らしい表情を見せた。


「ありがとう、亜莉香」

「お礼は、全てが終わってから受け取ります。私達の望む未来を手に入れたら、お礼と一緒に本物のお茶会が出来たら嬉しいですね」


 夢の中で食べたタルトやショートケーキを思い出して、亜莉香の口角が上がった。皆でお茶会が行えたら、それはどれだけ幸せだろう。


 梅の花が咲く頃に、晴天の下で。赤い皿やティーカップ、苺やベリーのお菓子を山のように並べて、笑い声を響かせたい。


 年が離れた梅とシンヤは口喧嘩をしても、お茶会に似合う優雅な振る舞いをする。お菓子そっちのけのフルーヴは、自分の好きな物を叫ぶかもしれない。甘いものを頬張りながらピヴワヌはお酒を飲んで、トウゴは止めずに酒を注ぐ。

 いつだって美味しいお茶を入れてくれるチアキがいれば、香りの良い紅茶の匂いに満たされる。ナギトとサクマはいつだって遅れて顔を出して、仕事中だからと断られる。シンヤが強気で押すとサクマは折れるが、ナギトは頑固で椅子に座ってくれない。


 人数が多くなれば、小さなテーブルでは足りなくなる。

 シンヤに呼ばれたお茶会の時は、いつも亜莉香の隣にはトシヤがいた。

 くだらない話にも真面目に答えて、楽しそうに笑う。ルイが現れたら一瞬で殺伐とした空気を作り出してしまうこともあるが、懲りずに喧嘩を売るのはシンヤで、ルカは早々に避難する。アンリが来ればお茶会はより一層騒がしくなって、笑い声よりシンヤやルイを止める声が増える。


 これだけの人数がいたら、場所は領主の敷地の東の離れがいい。春になれば、雪の下から草木が目を覚ます。蕾は膨らみ、色鮮やかな春の花が咲き誇る。

 梅や桜の木だけじゃなく、白いコブシの花も咲く。乳白色のスノードロップや紫のクロッカス、黄色の福寿草は庭に植え付けられて、可愛い蒲公英や清楚な雰囲気を持つ水仙は池の近くに目立つ。青に近いヒヤシンスは立派な花で色を増やし、数えきれない花と新緑が、とても美しい。


 人見知りをするかもしれないユシアと、植物が好きなキサギも呼んだら喜ぶはずだ。誰に対しても態度を変えないヨルは、お茶会に来ても平然として椅子に座る。フミエまで呼んだら足踏みしそうで、助けを求めるのはヨルかルカか。


 幸せな夢物語を思い描いて、少し悲しくなった。

 その表情を見られる前に梅の木に目を向けると、叶詠は優しく話し出す。


「そうね。何もかも終わったら、本物をご馳走させて」

「はい…あ、でも梅に奢らせるのは、申し訳ないです。一緒にお茶が出来れば、それだけで十分です」

「大丈夫。ご馳走すると言っても、私じゃなくてシンに用意させるから」


 つまりそれは、シンヤがお茶会の準備をするように誰かに命じるということだ。

 それすら簡単に想像出来て、笑みを零す。


「それなら、私も気兼ねなくお茶会に参加しますね」

「そうでしょう。話はここまでにして、先に行って。私は後から行くから」


 梅の木を指差した叶詠を横目に見て、その意味を受け取った。

 笑みを向けたフルーヴと手を繋いで、振り返ることなく足を踏み出す。梅の木に近づくたびに、明るい光に包まれて、繋いでいた手に力がこもった。


「自分を信じてね」


 祈るような声が聞こえて、思わず振り返ったら叶詠と目が合った。

 何でもないと言わんばかりに首を振って、早く行くように手で払われる。フルーヴにも手を引かれ再び歩き出して、辿り着いた梅の木を見上げる。


 梅の匂いに酔いそうになって、眠気も襲って来た。

 灯籠を持った手で欠伸を押さえて、瞼を閉じる。


「貴女の道は、間違ってないよ」


 意識が消える直前に、叶詠の囁きが聞こえた気がした。

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