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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
283/507

57-4

 パチンと、すぐ近くで音がした。


 指を鳴らしたのは亜莉香じゃなければ、過去の記憶であるシンヤやサクマでもない。

 一瞬で時間が止まったかと思えば、パズルのピースが崩れるように、景色が壊れて消えてしまう。サクマが立っていた場所に現れたのは、灯籠を片手に持った叶詠だった。

 一部始終を見ていた亜莉香に、少しだけ悲しそうに微笑む。


「嫌な場面も見せて、ごめんね」

「…いえ」


 嫌な場面が最初に見た場面だと把握して、亜莉香は瞳を少し伏せた。


「叶詠は、死ぬことが怖くなかったのですか?」

「怖かったよ。それ以上に、シンが殺される未来の方が怖かった」


 静かに話し出した叶詠を見据えると、付いて来て、と背を向けられた。歩き出した叶詠は、今までのように走って逃げるわけじゃない。追いつける速度に急いで駆け寄り、亜莉香は黙って、一歩後ろを付いて行く。


 手を伸ばせば、届く距離に灯籠がある。奪ってしまえば追いかけっこは終わるが、真っ黒な地面に輝く花を咲かせながら、黙って歩く叶詠の言葉を待つことにした。


 どこに向かっているのか分からない。

 当てもない道を彷徨いながら、叶詠は話し出す。


「シンだけじゃなかったの。私の大切な人達が皆、殺される未来を何度も見た。その未来を回避出来るなら、怖くても死ぬしかないと思った。私が死んだのは誰のせいでもなくて、自分で選んだ選択肢だから、言うならば私のせい」


 前を向いたまま、説明する声に宿る意思は揺るがない。


「私は全てを知っているわけじゃない。知ることが出来るのは夢に見る程、心に印象に残った過去だけ。生まれ変わってから、夢の中を自由に行き来して、皆のことを見守っていた。最近のアキ姉さんは凄く嬉しそうに笑って、きっと亜莉香のおかげだと思った」

「私ですか?」

「シンと一緒に、お茶をしていたでしょう?」


 フルーヴを抱えた亜莉香を振り返った叶詠は、嬉しさと寂しさが混ざった顔をしていた。灯籠を背中に回して両手で持ち、後ろ向きで歩きながら言う。


「昔はよく、皆でお茶をしたの。大抵は私の部屋で、床に座って、好き勝手に言い合って。一緒に過ごすのが当たり前だったのに、いつの間にか別々になっちゃった」


 ふと立ち止まった叶詠が、真横に目を向けた。

 瞳を向ければ、蜃気楼のような光景が見える。


 はっきりとは見えないのに、叶詠の部屋の中心に子供が集まっていた。温かな春のある日に、小さな叶詠が隣にいるシンヤの頬を引っ張って、座りながら文句を叫ぶ。お茶を注ぎながらチアキは止めようとして、笑いながらサクマは適当なことを言って煽り、微笑んでいるナギトは騒がしい面々を見守る。

 楽しそうな笑い声は遠ざかり、何も見えなくなって叶詠に問う。


「私のことも、夢で知ったのですか?」

「それは違う。私は亜莉香が牡丹の紋章を受け継ぎ、瑠璃唐草の紋章を宿していることを教えて貰ったの。シンに会うまでは自分の正体は明かさないつもりだったけど、二つの紋章を持つ亜莉香なら、本当のことを話して協力して貰いなさいと言われた」

「誰に、ですか?」


 第三者がいることを仄めかされて、亜莉香は思わず質問を重ねた。

 何に協力して欲しいのかも聞きたいが、その疑問は呑み込んだ。ようやく叶詠が亜莉香を夢の中に呼んだ核心に近づき、落ち着こうと息を吐く。


 一つ一つを順番に訊ねないと、頭の中が混乱する。

 真面目な顔で答えを待つ亜莉香に、叶詠は申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ごめんなさい。その人のことは、何も言えないの。その契約を結ぶのを条件に私は生まれ変わって、対価に自分の魔力の半分とシンの魔力の一部を受け渡した」

「そう…ですか」

「名前は知らないし、どんな人かも言えない。協力者、と私とシンは呼んでいたけど、味方だと思っている。おかげで私は生まれ変われて、梅として生きている」


 しみじみと言って、叶詠が腕を組んだ。

 話を頭の中で整理して、亜莉香は首を傾げる。


「シンヤさんは、今でも精霊の姿が見えていませんよね?」

「そうだね。叶詠の死後に、緋の護人と契約している精霊と出会えたのは偶然」


 少し視線を下げた叶詠は、声を落とした。


「領主の家の家系は護人と繋がりがあるから、緋の護人と契約している精霊を見つけられたのは、波長が合ったせいだと思う。シンは魔力の一部を失ったせいで、他の精霊の姿は一切見えなくなった。生まれ変わった私も、叶詠の時と同じようには魔法は使えない。意識して見える未来は数十秒で、とても曖昧になった」


 でも、と強く言い、顔を上げて亜莉香を見据えた。


 一瞬で、暗闇だった景色が色付く。


 表情を消した叶詠の背後で、領主の敷地の一角にある東の離れ。

 燃え上がる建物は領主の家族の住まい。

 離れと屋根しかない通路の先には、庭や池を眺める休憩場所があり、池の傍に屋根付きの小さな建物がひっそりと存在していたはずだ。庭では季節ごとに花々が咲き誇り、今の季節には綺麗な雪景色を作り上げていたはずなのに、亜莉香の見たことのない光景が広がる。


 住まいから上がる火の粉が、夕焼けに染まる空と同じ色。

 通路の屋根が所々見当たらない。降り積もる雪は土や泥で汚されて、草木は踏み潰された。休憩時場所である小さな建物の円柱に傷が目立ち、屋根の瓦が地面に落ちて、テーブルや椅子は見るも無残な形。


 何もかも無茶苦茶な場所で、向き合う二人の影。

 遠くからでも分かるのは、黄色を帯びた鮮やかな朱色の髪のシンヤと、淡い白の混ざった薄い青色の髪のナギトが何かを叫びながら、お互いに武器を構えて戦っていたこと。その近くでサクマが血を流して倒れていて、チアキが泣きながら名前を呼んでいた。

 その様子を見ている、狂った笑みを浮かべた血まみれの少女がいた。


 レイ、と浮かんだ名前を呑み込む。


 サクマとチアキを背に隠したシンヤの向かい、ナギトより後ろにいるレイの黒い光を宿した大きな黄色の瞳は、楽しそうに弧を描いていた。真っ白な雪と火の粉を背景に、明るい黄色の髪が鮮やかに見える。

 左手に身動きしない小さな影を引きずって、白い雪を赤く染めた痕があった。

 その影も見覚えがあって、亜莉香は奥歯を噛みしめる。


 誰の声も聞こえない。

 何も出来ない。


「やめて」


 亜莉香が小さく零した途端に、見ていた景色は消え去った。

 叶詠が殺された時は違う悲しみが込み上げて、心臓が五月蠅い。なんで、どうしてと疑問ばかりが増えて、浅い呼吸を繰り返す。


 景色は消えても、灯籠を片手に立っている叶詠は変わらない。

 揺るぎない瞳に光を宿して、はっきりと言う。


「時々、はっきりと見える未来がある。それは数秒先の未来じゃない。遠くはない未来。その未来を変えたいから、亜莉香には全てを話すと決めた」

「私には何も――」

「これから起こる未来に対処するには、大きな力が必要なの。梅である私には何も出来ない。二つの紋章を持つ亜莉香なら、精霊達の姿を見ることが出来るなら、この未来を変えられるかもしれない。私に出来ることなら何でもする」


 反論しようとした言葉を遮って、早口で言った叶詠の瞳に涙が浮かんだ。


「だから――助けて下さい。私の大切な人達の未来を、守って下さい」

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