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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
278/507

56-4

 コツン、と石を蹴る音がした。


「私は今でも、シンが好き」


 亜莉香が振り返るよりも早く言い終わり、叶詠は数メートル離れた真後ろに立っていた。小さな欠片の石が足元にあって、もう一度蹴りながら繰り返す。


「シンが好きで、とても幸せだった。誰が何と言おうとね。それなのに私達の幸せを邪魔する子は現れるし、勝手に逆恨みする間抜けがいるし。あと五年、いや十年くらいはシンに会う予定はなくて、計画が前倒しだよ」


 盛大な舌打ちをした叶詠の言葉の意味は、途中から全く分からなかった。

 ただ不満の表情で思いっきり蹴られた石は、亜莉香の足元に転がって止まった。石にしては表面が綺麗で、傷一つない梅の花のような形。叶詠と同じ深紅の瞳の色で、拾い上げた後に亜莉香は問いかける。


「私が見ている夢は、全て実際に起こった過去の出来事ですね?」

「まあね。夢を辿ってみる過去は、その人の心の中で強く印象に残り、忘れられない出来事の場面に限られるけど。狭間で過去を覗き見ることは出来ても、あそこは誰かの想いが積み重なり過ぎて、道標がないと探している過去を見つけられない」


 丁寧に説明した叶詠は肩を竦めて見せて、やれやれと首を横に振る。


「見せたい過去は山ほどあるのに、時間も足りない。時期が早すぎたの」

「私に過去を見せたいから、灯籠を奪ったのですか?」


 亜莉香の質問に、叶詠は意味ありげに口角を上げた。

 右手の灯籠を掲げて揺らしたかと思えば、さっと身を翻して駆け出す。見ていた光景とは反対側へ、何もない闇の中で別の夢に導く叶詠を追わなければ、夢から覚めることも出来ないのだろう。

 仕方がないと思いながら走り出せば、腕の中にいたフルーヴが身を動かした。


「フルーヴ、起きたのなら私の頭の上に居てくれませんか?」

「んー?」


 寝ぼけた返事で、まだ起きる気配がない。

 一緒に居てくれるだけでも心強いのだと考えて、必死に足を動かして叶詠の後を追った。見失う心配は杞憂で、叶詠の道筋には光の波紋が残る。途中から波紋から色鮮やかな花が咲いたように見え方が変わって、離れていても道に迷わずに済んだ。


 遠く離れている叶詠の足跡で、紅梅の花のような桃色の光の花が咲いた。

 その花の光は一気に広がって、亜莉香の足元まで及ぶ。また誰かの夢に入るのだと思えば、光の花は空に向かって白い光を放った。


 自然と足が止まり、あまりにも眩しく感じた瞳を開ける。

 目の前を赤い紅葉が舞い落ちて、亜莉香は目で追った。


 ひらひら舞い落ちる葉は美しい。真っ直ぐに伸びて、平らで長方形の石を敷きつけた十メートル程の道幅の場所にいた。道の両脇には砂利と細い水路があり、水路を挟んである林の木々が色付いている。道まで舞い落ちる紅葉した葉が絨毯のようで、水路を流れる葉は優雅に見えた。

 神社の本殿に続く道で、亜莉香の知っている場所だ。


 その道の真ん中で、少女は舞の練習をしていた。

 叶詠とそっくりに見えるけど、着物が違う。大きな梅の花が咲く赤地の着物に、紺の袴。小枝を持って舞を続けるノエは笑みを浮かべて、楽しそうに舞っている。


 ノエ、と亜莉香の後ろから声がした。

 身体を停止させた叶詠が振り返って、その瞳に名前を呼んだ人の姿を映す。亜莉香の真横を通り過ぎたのは、黄色を帯びた鮮やかな朱色の髪の人物。


 シン、と愛おしそうに呼ぶ声が耳に響いた。


 小走りでシンヤに駆け寄った叶詠の背が低くて、見上げて頬を膨らませる。


「遅い。舞の練習に付き合ってくれると言ったのに、何をしていたの?」

「すまない。祭りの前で仕事が山積みで、休憩用に手土産は持参したが?」


 申し訳なさそうに左手の風呂敷を掲げて、シンヤは軽く頭を下げた。その風呂敷を見て、叶詠は笑みを零す。仕方がないと呟きながら、シンヤの右手を掴んで引っ張った。


「私は寛大だから、今日は許してあげる。本殿で食べましょう」

「人がいないとは言え、神社は普段立ち入り禁止の場所なのだが。それを分かった上で、ここで練習をするからな、私の姫巫女は」

「嫌なら別の人を探してよね。今から別の人を追いかけたら、私は頬を引っぱたくけど」


 歩きながら手を繋いだ叶詠とシンヤは、恋人同士にしか見えなかった。

 灯籠を持つ叶詠を探して辺りを見渡して、その姿がないので亜莉香も本殿に向かう。追いかけた二人は本殿の前にある数十段の階段に座っていて、少し迷ってから、二人より上の階段に腰を下ろすことにした。

 風呂敷を広げて楽しそうに、和菓子を美味しそうに頬張る二人を見守る。もちもちの生地に包まれた饅頭を食べる様子を見ていると、心なしかお腹が減った。


 幸せの塊のような光景を見せつけられて、この場にいてもいいのか悩む。

 この過去は見なくてもいいのではないか。叶詠が現れるまで近くを捜索するか。迷って考えていると、亜莉香の目の前を横切った桃色の精霊の声が耳に届いた。


 先読み、と精霊は叶詠を呼ぶ。

 食べかけの饅頭片手に、勢いよく振り返った叶詠の瞳は亜莉香を見ているようにも見えて、一瞬だけ息を止めた。けれども叶詠が見ているのは桃色の精霊で、そっと左手を差し出して、精霊を引き寄せる。

 まるでシンヤにも見せるように向かい合うと、叶詠はそっと口を開いた。


「どうだった?」


 笑みを消した叶詠が問いかけて、精霊の姿が見えていた人物なのだと今更知った。真剣な顔に変わったシンヤまでもが、叶詠の手のひらを凝視している。


 逃げられた、と申し訳なさそうな声がして精霊の光が弱まった。

 何の話をしているのか聞き耳を立てていると、精霊は言葉を続ける。ごめん、逃げ足が速い、と短く言って、黙った叶詠の顔を伺うように動かなくなった。

 深く息を吐いた叶詠は、瞳を伏せて呟く。


「やっぱり、そう簡単に捕まえられないか」

「そうまでして捕まえたいのか?」

「うん。もし会えたら、確かめたいことがあるから――また誰かが見つけたら、捕まえて私の所に連れて来て」


 後半は精霊に対してのお願いで、桃色の精霊は頷いたかのような動きを見せた。ふわふわと舞い上がり、あっという間に風に吹かれて消える。


 誰を探しているのか訊ねることは、亜莉香には不可能だ。

 何を言っても聞こえない。触れられないと思いながらフルーヴを抱きしめて、空気が変わった二人を眺める。視線を前に戻した叶詠は無言で饅頭を口に運び、シンヤは晴れ渡る秋空を見つめた。

 饅頭を食べるのをやめていたシンヤが、先に口を開く。


「少し、聞いてもいいか?」

「…何?」

「緋の護人と契約している精霊を見つけて、何を確かめたいのだ?」


 問いかけても叶詠を見ず、シンヤは饅頭を風呂敷に包んだままだった箱の中に戻した。それから両腕を後ろに置き、重心を下げて疑問を重ねる。


「いつもはぐらかされているが、今日こそ教えてくれないか?ノエは何故、その精霊にこだわっている?何を確かめ、何を行おうとしている?」


 無理やり饅頭を口に詰めた叶詠が、残っていた饅頭に手を伸ばした。もう一つは両手で持ち、半分にしてから話し出す。


「私の見る未来は、いつだって不確定な未来。当たることもあれば、小さなきっかけで変わってしまうこともある。だからこそ、その未来が必ず訪れるか確証を得たいときもあるし、その未来に辿り着くために自らが動く時もある」


 長い前置きをした叶詠は、姿勢を改めていたシンヤに微笑んだ。


「ねえ、私の見ている未来がシンを悲しませる未来でも。それでも聞きたい?」

「聞きたくなかったら、最初から聞かない。それに悲しむかどうか、決めるのは私だ」

「それなら話すよ。必ず訪れる、未来の話」


 余裕の笑みを浮かべたシンヤを見て、叶詠は視線を逸らさずに言う。


「私は――もうすぐ死ぬわ」


 あっさりとした声で言い、風に吹かれた紅葉が舞った。

 葉が舞う音が響いて、叶詠は口を閉ざす。言葉を失ったシンヤから視線を外して、半分に割った饅頭を見下ろした。一つを口に入れて、よく味わって笑みを零す。


「美味しい。こうやってシンと過ごせる時間は、もう残り少ないの」

「…冗談、か?」


 シンヤの声が掠れて、無理に笑みを作ろうとする。


「冗談だと、言ってくれないか?」

「冗談だったら良かったけど、この未来は数日後に確定した未来だよ。もっと早く言いたかったけど、早く言い過ぎると気まずくなるでしょう?例え殺されなくても、私の寿命って短くて、身体が限界に近いみたい。未来を見る度に心臓が弱って、長くて余命一年。これは、お医者様と両親の会話を盗み聞きした話だけど」


 叶詠は淡々と、饅頭を食べながら言った。

 仕方がないと付け加え、軽く笑う叶詠と違って、シンヤの顔は青ざめる。饅頭の半分を食べ終えた叶詠の手首を掴み、信じられないと言わんばかりの顔を浮かべた。


「未来は変えられる、そういつも言っていたではないか」

「そうだよ。でも私は、この未来を変えるつもりがない」


 ゆっくりとシンヤの瞳を覗き込んだ叶詠の声は低く、揺るぎない意思を感じさせた。手首を強く握られても痛がる素振りを見せず、狼狽えるシンヤに言葉を重ねる。


「シンを悲しませることは承知で、私は未来を話したの。受け入れると決めたの。余命一年で苦しむより、最期は潔く死にたいから」

「他の医者に診てもらえば、一年以上だって――」

「無理だよ。私の魔法は制御出来ないこと、シンだって知っているでしょう?先読みと精霊達に呼ばれても、見たい未来を見られるわけじゃない。魔法を使わないで過ごそうとしたけど、それも無理だった」


 容赦なく事実を突きつければ、そっとシンヤが叶詠の手首を離した。

 少し赤くなった手首を見て、饅頭を持ったままの片手と一緒に、叶詠は膝の上に下ろした。そのまま顔を伏せたかと思えば、力なくシンヤの胸に頭を寄りかかる。

 一回り小さい叶詠の身体を、シンヤが壊れないように優しく抱きしめた。

 叶詠は動かず抱きしめられて、小さな声で話し出す。


「いっぱい悩んで、いっぱい考えた。もっと詳しく未来を話せば、シンは私を助けようとするから、これ以上は言えない。悲しませて、ごめんね。私の身体が丈夫じゃなくて、お別れをしなくちゃいけなくて、本当にごめんね」


 声を震わせながら謝る叶詠に、涙を浮かべたシンヤは口を閉ざした。

 二人の悲しみが伝わって、フルーヴを抱きしめる腕に力を込める。名前を呼ばれて見下ろせば、眠そうな青い瞳と目が合った。


「ありか?」

「起きましたか?」

「ないているの?」


 問いかけられて、右手を頬に当てれば濡れていた。込み上げる感情は悲しみで、気付いてしまえば涙が溢れて、止まらなくなってしまう。

 小さく白い手が、亜莉香の涙を拭おうとした。

 ずっと手にしていた石を持ってない方の手で涙を抜いて、空を見上げれば涙は自然と止まる。会話が消えた二人に目を向ければ、辺りを見渡したフルーヴが首を傾げた。


「ここ、どこ?」

「夢の中です。後で説明をするので、暫く静かに私と一緒にいてくれますか?」

「うん!」


 大きく頷いたフルーヴは、よいしょ、と言いながら定位置である頭の上によじ登る。しっかりと亜莉香の頭に乗ったのを確認して、視線を前に戻した。

 顔を上げない叶詠に、シンヤが優しく問いかける。


「緋の護人と契約している精霊は、その未来と関係しているのか?」

「うん」


 涙声ではあったが、叶詠は肯定した。ゆっくりと姿勢を正して、両手はシンヤの着物を握ったまま、瞳を伏せて話し出す。


「生まれ変わりたいと、願ったの」

「どういうことだ?」

「今の記憶を持ったまま、また生まれて、シンに会いに行きたいと思ったの。どうやったら生まれ変われるのか、緋の護人と契約している精霊に会えれば、その方法を確かめられる。そんな気がして、探していたの」


 過去形の声は、段々と小さくなった。

 顔を上げない叶詠に、シンヤは温かな眼差しを向ける。


「馬鹿だって言っていいよ。無理だって笑ってもいい。自分でも、変なことを考えたとは思っていたから」

「まあ、確かに馬鹿馬鹿しい話ではあるな」


 笑いはしないが素直な意見に、叶詠は唇を噛みしめた。


「一人で精霊を探すより、二人で探した方が見つかる可能性が高い。精霊を見つけなくても、誰かが知っていたり、古い本に書いてあったりするかもしれない。一人で考えないで、早く相談すれば良かった話だな」


 涙が零れそうだった叶詠が、口角を上げたシンヤを見上げる。

 何か言おうと口を開いて、何も言わない。ただただシンヤを見つめ続けて、軽く右手で叩きながら一言だけ呟く。


「馬鹿」

「その言葉は何回も聞いたな。いやはや途中で数えるのをやめたが。百桁は越えているな。阿呆ともよく言われていたが――」

「また会えるのは、何年も何十年も先の話かもしれないよ?」


 無理やり話を戻した問いかけに、シンヤはふざけるのをやめた。不安を抱えた瞳を見つめて、それがどうしたと言わんばかりに笑う。


「それでも気長に待つさ」

「生まれ変わる方法なんて、見つけられないかもしれない。結局は悲しい別れになって、私は余計な希望を抱かせるだけになるかもしれない」

「余計な希望などあるのか?」


 シンヤが心底不思議そうに首を傾げた。


「人は死んでも、その魂は廻って帰って来ると、随分前に小耳に挟んだことがある。記憶があってもなくても、生まれ変わったノエに私が気付かない筈がない」


 欲しかった言葉を与えられ、叶詠の頬を涙が伝った。ぽろぽろと涙を流す叶詠の頬を両手で包み込み、シンヤの真っ直ぐな声が続く。


「私はいつだって、ノエの言葉を信じている。ノエが私の元に帰って来ると言うなら、帰って来る日まで信じ続ける。それは余計な希望じゃない。その希望の光があるからこそ、信じて待っていられる」


 だから、と言い聞かせるように、シンヤが叶詠に笑いかけた。


「いつの日か必ず、私の元に帰って来てくれ」


 うん、と小さくも叶詠は頷いた。今までの空気を振り払うように笑みを浮かべ、冗談交じりに言い返す。


「私がいない間に浮気したら、浮気した数だけぶん殴るね」

「ノエ以上に魅力的な人には会ったことはないが、覚えておこう」

「色目を使うのも程々にしてよ。今日までだって、私には言わないけど、色々な女性に言い寄られていたのは知っていたから。誰構わずと誘惑したら、即浮気と見なす。もしも私が会いに行くより先に見つけてくれたら、色目の件は目を瞑る」

「…分かった」

「次会った時は楽しみね。シンを何発殴るのかしら?」

「殴る前提なのは、おかしな話ではないか?」


 途中からシンヤは渋い顔になって、叶詠が声を上げて笑った。

 二人の間の空気が和ぐ。何事のなかったかのように笑い声が響いて、饅頭の存在を思い出したシンヤが手を伸ばす。叶詠は片手に持ったままの饅頭を美味しそうに口に運び、目が合った二人は幸せそうに見えた。


 赤や黄色の紅葉した木々に囲まれて座る二人の後ろ姿を、亜莉香は眺めていた。

 話は一段落して、知りたかったことを聞けた。ここまで案内した叶詠の姿は未だ現れず、探しに行こうと思えば、勢いよく吹き荒れた紅葉に視界を遮られた。

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