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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
276/507

56-2

 現状に思考は追いつかないままに、亜莉香はフルーヴを抱えて全力で駆けた。

 追いつきそうになれば離れて、離れたと思えば追いつけそうな気がした。こっちだよ、と呼ぶ声は途切れず、叶詠が踏みしめた地面には時折光の波紋が広がる。


 その波紋は、赤や青、緑や黄色、紫や白などの淡い光。

 水の上を走るように、波紋は現れては消えて行く。


 名前を呼んでも起きないフルーヴは、ひとまず自力で起きるまで抱えることにした。全速力で走っているせいで、夢の中とは言え息が切れる。

 疲れ始めると、温かな風を前方から感じて、頬を撫でた風は新緑の匂いがした。音のなかった世界に鳥のさえずりが響き、叶詠を呼ぶ子供の声もして、足の裏に感じるのは草を踏みつけた感触。

 闇が徐々に晴れて、眩しい光の先に叶詠の後ろ姿を見た。


 迷うことなく追いかければ、頭の上から太陽の日差しが降り注いで足が止まる。


「嘘?」


 追いかけていたはずの叶詠の姿が、一瞬で消えた。

 前方左右を見ても見当たらない。真っ白な世界は、蜃気楼が揺れたように歪んだ。どこにいるのか見極めるため、左手で瞳を覆い日差しを遮る。


 少しずつ景色が変わり、亜莉香の目の前には大きな桜の木が現れた。

 知らない場所に迷い込んだだけでなく、その木の枝に座っている幼く、十歳前後の少女を見て、驚きの声が零れた。


 その少女は、叶詠だった。

 灯籠は持っていない。木の上に座っている叶詠は子供で、猫のような大きな深紅の瞳は宙を見据えて、無表情で足をぶらつかせていた。数メートルの高さにいる叶詠の片手は木の幹に触れているだけで、もう片手で枝を掴む。桜色の着物は見事に咲く桜の花に混ざって、帯とショートブーツは幹の色。


 どこかの家の中庭で、桜の木以外に目立った木々はない。

 煉瓦の塀で囲まれた敷地には盆栽棚があり、色鮮やかな花が咲く花壇がある。中庭の隣に建つ家は二階建てて、濃い抹茶色の屋根。

 ぼんやりしている叶詠に向かって、桜の木の下から別の少女が叫ぶ。


「ノエ!危ないから下りて!」

「…え、危ないの?」

「危ないわよ!猫みたいに上ってないで、さっさと下りて来て!」


 心配で泣きそうな声の少女を見下ろして、叶詠は首を捻った。


「アキ姉さんは心配し過ぎだよ?この高さだと隣の家の二階が見えるくらいで、街の中は全然見えないの。よく見えるのは芝生と晴れ渡る青い空と、綺麗な桜くらい。外出許可を出してくれないなら、これくらい許してよ」

「駄目に決まっているでしょ!一昨日だって寝込んでいたのに。また身体を動かして倒れたら、皆が心配するの!」

「心配はかけたくないけど、寝てばかりいると暇だもん」


 ぼそっと呟いて、叶詠は空を見上げた。

 おろおろして、下ろしている両手が着物を握りしめている少女には見覚えがある。白い花の髪飾りで髪を後ろでまとめて、白地に黄色と赤の格子柄の着物姿。瞳と髪は深紅で、その色は叶詠の瞳と同じだった。


 アキ姉さん、と呼ばれた少女を、亜莉香は知っていた。


「ここは姉の夢。私がある人と出会った、始まりの夢なの」


 名前を確認する前に、耳元で囁くような声がした。

 姿は見えなくても、叶詠が近くにいる。まるで現実のような夢を目の前にして、亜莉香は深呼吸を繰り返した。


「どうして、私をここへ?」

「待っていて。もうすぐ皆が来るから」

「皆?」


 質問に答えはなく、チアキ、と誰かが呼ぶ声がした。

 名前を呼ばれた少女が振り返った先は、中庭の隅。煉瓦を越えようとして、ひょっこりと顔を覗かせたのは、チアキと同い年に見えた草の葉の色の髪の少年。

 楽しそうだった少年の灰みの黄緑の瞳に、泣き出しそうな少女が映った。

 ぎょっとした顔に変わって、慌てて声をかける。


「ど、どうした!?」

「ノエが木から下りて来ないの」

「ああ、またノエか」


 ほっとした少年とは反対に、チアキと呼ばれた少女の瞳にみるみる涙が浮かんだ。

 狼狽えた少年が急いで塀を越えようとするが、それなりの高さがあって越えられない。塀の外では二人の別の声がして、早くしろとか頑張れとか、怒っている声と楽しそうな声が交互に聞こえた。


 少年が何とか塀の上に乗って、外にいる誰かに手を差し伸べる。

 今度は、淡い白の混ざった薄い青色の髪を後ろで束ねた少年が姿を見せた。塀をよじ登り、チアキを見るなり呆れ返った声で言う。


「また泣きそうになっているのか」

「まあ、これもいつものことではあるけどね」

「喋っていないで、そろそろ手を貸してくれないか?」


 姿の見えない少年の声がして、鼻をすすったチアキは泣かないように唇を噛みしめた。

 ずっと空を見上げていた叶詠はようやく興味を示して、声がした方角に顔を向ける。少年二人が一人分の距離を置いて塀の上に座り、片手ずつを差し出して誰かを引き上げた。


 黄色を帯びた鮮やかな朱色の髪が揺れて、叶詠の表情が消えた。

 色白で容姿端麗の少年は、明らかに他の二人と違う雰囲気を醸し出す。


 身に纏う着物は艶があり、上品な黒だった。袴も同じ黒で、全体的に黒一色で統一された格好から、誰が見ても高貴な身分であることは明らかだ。腰まで伸びた髪も漆黒のリボンで結び、黒と赤を帯びた橙色の瞳に叶詠の姿を映す。


「引きこもり幽霊は君かな?」

「は?」


 微笑んで見せた少年に対して、怒りのこもった叶詠の低い声が響いた。


「それとも、性格が残念な娘だっただろうか。私の聞いた話では、顔はいいのに口が悪い。魔法を使えば大爆発。歩けば転んで怪我ばかりの問題児、だとも聞いているのだが。ノエはノエでも、違うノエか?」


 腕を組んで考えるように、心底不思議そうに訊ねた少年の言葉で辺りが静まり返った。

 悪気のない台詞は、遠慮ない悪口とも言える。聞く相手を間違えていることを本人だけが気付かずに、作り笑いを浮かべた叶詠を見て、両脇の少年二人が青ざめた。


「待て、ノエ!俺達は何も言ってない!!」

「ナギトの言うことは嘘じゃないから!本当に何も言ってないから!!」

「ナギトもサクマも急に慌てて、どうしたのだ?あと、ゴボウみたいなちんちくりんとも、誰かが言っていたような――」


 少年が話している途中で、叶詠がすっと枝の上に立った。

 靴を片手に持って、腕だけを思いっきり回したかと思えば、物凄い速さで投げる。少年の顔面に当たった衝撃で大きな音がして、靴がゆっくりと地面に落ちた。


 後ろに傾いた少年は、咄嗟に両脇にいた少年二人の着物の袖を掴んだ。

 靴を投げつけられた少年ではなく、両脇二人の悲鳴と共に、三人の身体は塀の外に消える。涙が引っ込んだチアキは呆気に取られて言葉を失い、叶詠は吐き捨てるように言う。


「誰がゴボウよ」


 もう片方の靴も脱いで投げ捨て、怒って頬を膨らませて枝の上に座り直した。

 一部始終を見ていても、亜莉香は何も言えなかった。動けずにいれば、小さな叶詠が座っている木の幹から、灯籠を持った叶詠が顔を覗かせる。


「どう、面白かった?」

「面白いとは、思いませんでした」

「そう?私は後で腹を抱えて笑ったわ。もうすぐ顔面衝突、反射神経の悪くて無神経野郎は鼻血を出して、騒然とするわよ」


 笑いに耐え、今にも吹き出しそうな叶詠の言った通り、塀の外が騒がしくなった。正気を取り戻したチアキがその場を離れるか迷い出して、叶詠は興味もなく空を見上げ続ける。

 うふふ、と笑った叶詠は、懐かしそうな眼差しを三人のいる方角に向けた。


「あれくらいで大袈裟ね。初対面の相手に失礼を働いたのだから、当然の報いなのに。避けることも出来ず、間抜けに落ちちゃう姿は何度見ても無様。まあ、ナギとサクは巻き込まれて可哀想とも言えるけど。私の前にあいつを勝手に連れて来た罰とも言える」


 次々と呼ばれた名前は、亜莉香の顔見知りの名前ばかりだった。警備隊で共にセレストに行った面々が腐れ縁だとは聞いていたが、叶詠の名前は一度も聞いたことがない。

 他愛のない話の中で、家族の話題なんて話すことはない。

 チアキに妹がいるなんて知らなかった。


 叶詠は、子供である叶詠を自分だと言った。見ている光景は、ただの夢とは思えない。この場にいる叶詠も含めた五人の年が近く、以前サクマとナギト、それからチアキが同い年だと聞いた話を踏まえても、これが過去と言われた方が納得する。


 あと名前を聞いていないのは一人だけ。成長しても幼い頃の面影があり、身分が違うとはいえ友人でもある人物を亜莉香は思い浮かべた。

 塀の外に落とされた少年の名前を確認する前に、叶詠は桜の木から離れる。


「そろそろ次に行きましょう。ちゃんと付いて来てね」

「待ってくだ――」


 引き止める暇もなく、叶詠は奥の塀をすり抜けた。

 亜莉香が駆け出しても誰も気付かず、塀の手前で名残惜しく小さな叶詠やチアキを振り返る。塀の外から笑っている少年の声や、呆れたり心配したりするナギトとサクマの声がした。この場に残れば、もっと何かを知れるかもしれない。


 それでも、と瞳を軽く伏せて、前を向いて塀に左手を伸ばした。

 見ている景色に実物はなく、思いきって踏み出す。一瞬だけ目を閉じたが前を向き、闇の中での一筋の光のである叶詠を追いかけた。


 煉瓦の塀が一気に後ろに遠ざかり、固い地面を靴で歩く音だけが大きく響く。

 夢の中を駆け回ることになりながら、亜莉香は叶詠の狙いを考えた。

 亜莉香が牡丹の紋章を受け継ぐ者であることも、透に魔力を封印されているせいで瑠璃唐草の紋章を宿していることも知っている。夢の中なら身体に危害が及ぶことはないと言われても、どこに連れて行かれるのか分からない状態に不安はあり、いつ夢が覚めるのかも皆目見当がつかない。


 夢の中とは言え、亜莉香の前に現れた叶詠が何者なのか。

 過去を見せて、何がしたいのか。


 正直、厄介なことに巻き込まれている気がする。

 ため息をつきたい気持ちでいっぱいになれば、不意に叶詠が立ち止まって振り返った。手招きして亜莉香を待っている叶詠に手を伸ばして、三メートル以内に入る。


 その瞬間に、地面が揺れた。


「――え?」

「さあ、次が始まるわ」


 地震が起こったような感覚で咄嗟に足を止めれば、叶詠の足元から光の亀裂が生まれて、亜莉香の足元まで及んだ。平然としている叶詠とは違って、亜莉香の頭の中は真っ白になる。何が起こるのか分からなくて、片足の地面が消えた。


 小さな悲鳴を上げた亜莉香の身体は前に傾いて、下を見下ろせば真っ白な光が遠くに見えた。フルーヴを落とさないように抱きしめて、平衡感覚が崩れる。

 頭から地面に衝突する前に、身体は落下した。


 えい、と掛け声が近くで聞こえて、亜莉香よりも先に叶詠が光に向かって落ちていく。片手は美しい髪を押さえて、もう片手は足元から吹き上げる風で舞い上がる袴を抑えた。


「さてさて次は、誰の夢でしょう」


 独り言のように呟いた叶詠が、光に吸い込まれるように消えてしまう。

 頭から落ちていく亜莉香は受け身を取れない。光は直前に迫って、瞳をぎゅっと閉じた。

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