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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
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55-5 Side利也

 急に悪天候になった空の下で、トシヤは勢いよく玄関を開けた。

 走って家に帰ったせいで、息は上がって身体は熱い。吹雪いた雪が着物や肌に張り付いて、ひんやりと体温を落とす。玄関先で雪を落とせば良かったが、吹雪いている外に出るのは気が引けた。


 誰もいないだろう、と思っていた茶の間から話し声が聞こえる。

 頭に積もった雪も落としてから、ゆっくりと扉を開ければ眩しかった。


「ちょっと!どれだけ混ぜたらいいのよ!」

「ユシア、そんなに強く混ぜるな。甘酒が零れそうで怖い。あと焦がすな」

「と言うより、何で混ぜるだけで苦戦するの?」

「それを言うならルイが混ぜなさいよ!!」


 台所に立つユシアが泣きそうな顔で甘酒を煮て、ルカは心配そうに隣に立っていた。カウンターの椅子に座ったルイは両肘をつき、傍観者のようで笑って見ている。

 不意にルイが振り返って、立ち尽くしていたトシヤに気付いた。


「おかえり。トシヤくんが最後だったね」

「…ただいま」

「トシヤ、おかえり遅い!交代して!!」


 手を回しながら叫んだユシアが手におえないと判断して、ルカは数歩離れた。

 扉を開けた途端、妙に甘ったるい匂いがしたのは煮詰めている甘酒の匂い。数日前までは連続で嗅いでいた匂いが充満した茶の間に、暫し茫然としたトシヤは言う。


「なんで、甘酒を煮詰めているんだ?」

「冷蔵庫の甘酒がなくなっている気がして、無性に飲みたくなったから。外は寒いし、温かい飲み物に丁度いいねー、とルカに甘酒を温めて貰っていたら、ユシアさんが家に駆けこんで大惨事が現状かな」

「大惨事って言わないで!」


 叫ぶたびにルカが離れて、ユシアから遠ざかる。

 このままでは台所が汚くなりそうで、トシヤはため息をついて踏み出した。ユシアと場所を交換しようと思えば、安心した顔のルカが先に動いて、軽く挨拶を交わした後にルイの隣に腰かけた。


 トシヤはユシアの隣に立って、ひとまず手に持っている物を停止させる。

 甘酒をかき混ぜていたのは、間違いなく炊いた米を盛るしゃもじだ。何故それで甘酒を混ぜていたのか、聞いても無駄な気がした。

 ユシアを追いやって火加減を小さくして、甘酒を見下ろす。

 すでに十分温まっている甘酒を見て、トシヤは顔を上げた。


「普通に温めていただけだよな?」

「本当は生姜を足して飲もうとしたけど、その前にユシアさんが帰って来ちゃったからね。僕とルカには止められなくて」

「ちょっと生姜を足す前に、ユシアは帰って来たからな」

「…二度も言わないでよ」


 ぶすっと頬を膨らませたユシアは茶の間のソファに深く腰掛けて、置いてあった毛布を抱きしめた。料理が苦手なら人に任せればいいのに、と思いつつ、まな板の上に用意してあった生姜をトシヤは手に取る。

 ほんの少しすりおろしただけで、生姜の匂いがした。

 適当に加えて軽く混ぜ、湯呑を取り出して四人分の甘酒を注ぐ。

 カウンターに座っていたルカとルイには直接手渡して、ユシアと自分の分をお盆に乗せて、テーブルの上に置いた。


「ほら、これが甘酒だ。火傷するなよ」

「言われなくても分かるわよ…いただきます」


 機嫌の悪かったユシアは湯呑を両手で包み込み、息を吹きかけて甘酒を冷ます。

 熱いのはユシアが温め過ぎたせいでもある。テーブルを挟んで反対側に、トシヤは腰を下ろして、片手で湯呑を持った。


 甘ったるくて熱い甘酒に生姜が混ざって、身体全体が温まる。

 ほっと一息ついてから、茶の間にいた面々を見渡した。


「お前ら、どうして家にいるんだ?」

「家に居たら変みたいな言い方しないでよ。我が家に帰って来ただけでしょ?」


 上手く言えなかったトシヤに、ユシアは即答した。


「そうだけど、そうじゃなくて…」

「灯さんも気になるけどさ。僕とルカは、ただ帰りたいと思ったから、この家に帰って来ただけの話だよ」

「私だって同じだもの。帰りたかったから、帰って来たの。トウゴが家に帰って来るかもしれないからって、一人でも真っ直ぐに、この家に帰って来ているトシヤには、分からないかもしれないけど」


 少し刺々しい言い方に、トシヤは言葉を詰まらせた。

 ユシアの言う通りだ。ルカとルイは二日ほど、ユシアに至っては灯が出て行ってから帰っていなかった。ユシアの父親の住む家にいる灯が心配だと思っても、いつもトシヤの足は、この家に向かって歩き出す。帰る場所は一つだと、無意識のうちに辿り着く。


 一人で家に帰っても、帰れば誰かの声が聞こえた気がした。

 おかえりなさい、と出迎えてくれる誰かの姿があった気がして、何とも言えない感情に動けなくなることもあった。誰もいないはずの家なのに、家の中は暖かくて落ち着いた。


 視線を下げて、甘酒の入った湯呑を揺らす。

 瞼の裏に焼き付いて忘れられないのは、灯ではない別の少女の顔。灯そっくりなのに、目が合った瞬間に全然違うと思った。傷だらけの姿を見れば心が苦しくなって、静かに泣き出した顔を見てトシヤも泣きたくなった。


 追いかけたかったのに、手は届かなくて目の前から消えた。


 壊れた簪の欠片は見覚えがあって、その一部はトシヤが回収した。今だって大事に持ち歩いて、次に会った時に話がしたいと思っている。

 次があるか分からないのに、会えたら声が聞きたい。


 誰でもいいから、灯そっくりの別人の少女のことを教えて欲しかった。何かを知っているトウゴとフルーヴは姿を消して、根拠もなく一緒にいるのはピヴワヌだと確信しているのに、その三人は顔を見せない。


 心の中の何かが足りなくなって、満たされない。


 灯はトシヤのことは覚えているのに、過ごしたはずの記憶がすれ違うばかりだ。他の人のことなんて何も覚えていなくて、灯が話しかけているのは名前だけが同じ違うトシヤに思えてならない。灯の記憶があやふやになった時から、違和感ばかりが増えている。


「トシヤくん、何を考えているの?」

「え?」


 考えを見透かされた言葉に咄嗟には答えられず、間抜けな声が出た。

 今はルカとルイ、ユシアが傍にいるのだと思い出す。曖昧な返事をして甘酒を飲めば、ルイは盛大なため息を吐いた。


「今の状況って、普通じゃないよね。最初はまたトウゴくんが敵に利用されているのかとも思ったけど、精霊であるピヴワヌ様やフルーヴも一緒に行動して、どう見ても正気を失っているようには見えなかった」

「それに灯そっくりの存在も気になるよな」


 冷静なルカの声が、静まり返った茶の間に響いた。

 トシヤが黙り込むと、数秒後にはルカとルイが同時にユシアを振り返った。やばい、と顔に書いて、ルイが慌てて口を開く。


「ごめん、ユシアさん。何を言っているのか分からなかったよね」

「気にするなよ、ユシア」

「ルカとルイも黒い髪の子に会ったの?」


 瞬きを繰り返したユシアの言葉に、トシヤは驚いて振り返った。


「ユシアも会ったのか?」

「トシヤも会っていたの?ピヴワヌ様には話さないように言われたけど、知っているなら早く話せば良かった。あの子って、ピヴワヌ様の知り合い?誰か知っているの?」

「いやー、僕とルカは知らない子。ユシアさんは何を話したの?」

「話したと言うより、私達の様子を聞かれたの。ピヴワヌ様がいたから、私は正直に話したわよ。隠すことはなかったけど――」


 けど、と言った後に、ユシアは肩の力を抜いて笑みを零した。


「その子にね、大丈夫って言われたの」

「大丈夫?」

「そうよ。大丈夫、きっと私が何とかしますから、て。そう言われたら、本当に何とかなる気がして、抱えていた不安がいつの間にか消えちゃった」


 繰り返したルカにユシアは言い、ルイが遠慮がちに訊ねる。


「因みにユシアさん、その子の名前は聞いた?」

「名前は聞いてないわね。どうして?」

「名前を呼んで、と言われたのは俺だ」


 身体の向きを変えていたルカの膝の上には湯呑があり、落とさないように両手で持っていた。ぎゅっと唇を噛みしめた後に、息を吸って小さく続ける。


「どうか、お元気で。ともな」

「僕は意味のない喧嘩を売らずに兄妹仲良くするように、かな。まるで僕達を知っているような口ぶりで驚いたから、よく覚えているよ」


 明るく話すルイの声に耐え切れず、トシヤは窓の外を見た。

 吹雪いている外は、いつもの夕方より薄暗い。トシヤは、と小さく問いかけるユシア声がしても、正直何も言いたくなかった。

 言いたくなくても、その場の空気は読み取った。

 仕方なく自分の口で言うしかなくて、素っ気なく言う。


「俺は…何も」

「何も言われてないの?」


 無言は肯定で、これ以上は話したくなかった。ユシアの興味を別に向けようと、甘酒を飲み干してから話題を変える。


「明日になったら、俺はシンヤの所に行ってくる」

「殴り込み?」


 からかうようなルイの一言に、トシヤは眉間に皺を寄せた。


「なんでそうなる。トウゴもピヴワヌも、フルーヴもいない状況で、使える手は使うべきだろ。警備隊に協力して貰えないか、直接頼んで来る」

「それなら私も行く!」


 勢いよく右手を上げたユシアに、渋い顔になったトシヤは言う。


「ユシアは来なくてもいいだろ」

「行くって言ったら、私は行くの。置いていかれるのは、もう嫌。私だってトウゴのことを心配していて…会いたいじゃない」


 誰に、とは言わなかった後半の部分が弱々しかった。

 ゆっくりと手を下げたユシアはちびちびと甘酒を飲んで、トシヤの顔色を伺う。ルカとルイは何も言わず、まるで決定権はトシヤにあると言う風に口を閉ざす。


「分かったよ」

「良かった。ルカとルイは、一緒に来るの?」

「行きたいところだけど、僕とルカはちょっと事情があって行けないな」


 少し残念そうにルイが言い、ユシアは問う。


「事情って?」

「ちょっと、な。急いでイオの所へ行かないといけなくなった」


 詳しくは話そうとしないルカは困った顔をして、トシヤには無言で何かを訴えた。何を言いたいのか分からないと、大した問題ではない、と笑ったルイが口を開く。


「愚兄が行方不明になったから、僕とルカは捜索に行くだけ」

「…え?」

「それ、ちょっとした事情じゃないだろ」


 言葉を失ったユシアに続けてトシヤが言えば、ルイは可愛く首を傾げてルカを見た。


「愚兄なら、一日か二日程度の行方不明はよくあったよね?」

「まあな」

「でもまあ、五日も行方不明は初めてか。イオが僕達に捜索願を出すくらいだから、あっちでも普通じゃないことが起こっているのかもね。この季節だと時間はかかるけど、朝一に出れば夜には着けるよね」

「林のどこかにいて、さっさと見つかるといいけどな」

「見つかるでしょ。あの愚兄のことだから、五日間でも一週間でも、しぶとく生き延びるよ。殺しても生き返りそうなくらい、そう簡単に死なない愚兄だもん」


 甘酒片手にルカとルイは平然と会話をして、五日、と呟いたユシアの声を無視した。トシヤは黙って聞いていることしか出来ず、にっこりと笑ったルイが振り返る。


「と言うことで、僕とルカは暫くいないから」


 あっさりと話を締め括られて、心配の欠片もないルイを見ると頭が痛くなった。

 行方不明になっていると言ったのは、ルイの兄であるヨルだ。本人達は否定しても性格はそっくりで、見た目もどことなく似ている。例え顔を合わせる度に喧嘩をして仲が悪くても、血の繋がりのある兄弟であることは間違いない。


「もう少しヨルを心配してやれよ」


 呆れて呟いたトシヤの声は、明日の準備の話をし始めたルカとルイには届かなかった。

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