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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
273/507

55-4

 午後から天気が崩れるせいなのか。ちらほらと雪が降っているせいなのか。

 時期的に客の少ないケイの店を覗き込もうと思ったが、店内は温かいようで、ガラス張りの建物の中は曇って見えなかった。店の外で立っているわけにもいかないと思えば、亜莉香の気持ちなど考えず、髪の色を一時的に戻したピヴワヌが店の扉を引く。


「邪魔するぞ」

「…まあ、いいですけどね」


 無地の深く赤い着物で顔を隠すことを意識して、亜莉香も店の中に入った。

 地面より少し高い畳のスペースには、春を意識した色鮮やかな着物や袴、帯や帯紐、小物などが並んでいた。店員は二人いて、それぞれ若い母親と幼い子供の客と、男性客の相手をしている。


 ピヴワヌと亜莉香には見向きもしない店員から視線を背けて、入口の近くにある窓際の小さな机を見た。小さめの眼鏡をかけていた少し背の低い女性が顔を上げて、微笑む。


「いらっしゃい。今日は一人だね」

「おつかいだ。ほれ、確認してくれ」


 背負っていた風呂敷をケイの前に下ろして、ピヴワヌは畳に腰を下ろした。

 亜莉香ではなく、ケイは顔見知りのピヴワヌに話しかけた。亜莉香の存在には気付いていていても捜索することなく、広げていた帳簿をしまって風呂敷を開けた。


 穏やかなケイは、熟した桑の実のような暗い赤紫の着物に、よく見れば竹が描かれた銀色に似た明るい鼠色の帯を合わせていた。羽織っている着物は厚手の、小花が散りばめられた華やかで温かな紅色。


 上品な雰囲気を醸し出すケイが着物を確認している間に、亜莉香は靴を脱いで並べてある品物を眺めた。正座をして、まずは探している色の着物と袴があるか、さっと目を走らせる。探していた黒の着物は数枚で、正座を崩さずに傍に寄った。

 着物を見比べて、そのうちの一つだけを手元に残す。


「気になるのが、あったのかい?」


 真剣に選んでいたので、ケイが近づいたのには気付かなかった。

 勢いよく振り返れば、一瞬だけ深い橙色の瞳と目が合った。慌てて頭を下げて、そっと後ろのピヴワヌを見た。片手で目を隠して、亜莉香を見ないようにしている。

 ゆっくりと座り直して、背中まで向けられた。

 ピヴワヌには後で何か話そうと見つめてから、深呼吸をして亜莉香は言う。


「これを、貰えますか?」

「お嬢ちゃんには、少し大きいかもしれないね。これからの季節なら、もっと淡い色の着物が良いかもしれないよ」

「いえ、これがいいのです」


 他の着物を薦めるケイにはっきりと言い、視線を下げて着物を撫でた。

 黒地の着物は、夜空に溶け込む色だ。他の着物より柄は少なく、裾に小さく名のない花が咲いているだけ。淡い白と桃色、紺色の小花は遠くから見れば分からない。

 値段を確認すれば手持ちが足りないと気が付き、次を考える前にピヴワヌが口を挟んだ。


「金は払うから、その着物を売ってくれ」

「それは構わないけど」


 ケイの視線が背中で語るピヴワヌに向けられて、亜莉香は心の中で感謝した。先程の件は帳消しだと思えば、立ち上がったピヴワヌは腕を組んで何気なく続ける。


「儂の金ではなく、先程の受け取った金だったな」


 一瞬で感謝が消えた。それは亜莉香の稼いだ金でもあり、使い道としては間違っていないが、せめて本人に確認して欲しい。この場では何も言えずにいれば、ピヴワヌが受け取ったはずの金をケイに手渡した。


「ちょっと、足りないね」

「それは…トシヤにつけておく」

「仕方がない。少し足りない分は、おまけにしてあげるよ」


 支払い金額が足りないことが情けなくて、少し恥ずかしくなって両手で顔を隠した。

 ピヴワヌが支払うことはないと思っていたが、トシヤにつけるのも変な話だ。後で払いに来るという選択肢はなかったのか、言いたい台詞を亜莉香は呑み込んだ。

 肩の力を抜いて、亜莉香は着物を抱きしめて立ち上がる。


「帰ります」

「そうだな。腹が減った」


 いそいそと帰ろうとするピヴワヌが、不意に振り返って手にしていた着物を奪った。

 さっさと靴を履き直したピヴワヌに置いていかれないように、亜莉香も急いで靴に足を入れる。風呂敷と着物を片手に持ったピヴワヌの隣に並んで、言い忘れていたことを思い出した。


 見送ろうとするケイを振り返って、その顔を忘れないように目に焼き付ける。


「ケイさん。大変申し訳ありませんが、灯さんは当分仕事が出来ないそうです。暫くは、どれくらい先かは分かりませんが、また仕事が出来るようになったら伺うと思います」

「体調でも悪いのかい?」

「そんな感じです。それとなく、トシヤさんに聞いてみて下さい」


 それでは、と勢いよく頭を下げた。

 さり気なくピヴワヌが亜莉香にぶつかって、一緒に雪が積もった外に出る。店内と違って寒いけど、隣にいる温かさを感じて、目を合わせると同時に真っ白な雪を踏みしめた。






 すれ違う人は急ぎ足の人が多くて、市場の中は空いていた。

 途中で寄る目的もなく宿を目指していたはずが、亜莉香とピヴワヌの足は自然と知っている道を辿る。お互いに風呂敷を背負ったまま、お腹が鳴った音に足を止めた。


「儂じゃない」

「私でも、ないですよ」


 嘘をついたのは誰か。目を合わせれば笑いが込み上げて、亜莉香は口元を抑える。


「どっちも、でしたね」

「腹が減った。何か買って帰るぞ。宿まで我慢出来ん」


 正直に言って歩き出したピヴワヌに並び、そうですね、と相槌を打った。

 お腹が減ったのは亜莉香も同じで、どこで買おうか辺りを見渡した。よく行く店もあれば、時々しか買ったことのない店もある。


 黙々と歩いている途中で、ピヴワヌの袖を引っ張った。

 数メートル離れた距離の店から目を逸らさずに、亜莉香は話し出す。


「焼きたてのパンはどうですか?」

「パン?あー、大丈夫なのか?」


 店に行っても大丈夫なのか、と文脈を読み取った。

 歩く速度を落として、ゆっくりとパンを売っている店に近づく。


 露店で店番をしているのは、耳を真っ赤にしたコウタ。出会った時は十歳になったばかりだったのに、月日が流せて背が伸びた。明るく華やかな赤色の髪は雪景色の中でも目立ち、椅子に座って大きな欠伸を零す。


 鈍い鼠色に藍を淡く重ねた、僅かに青みを帯びた暗い灰色の着物姿でも寒そうだ。足元だけ見えた袴は濃く黒い緑に茶を含ませた、くすんだ緑褐色の千歳茶で、靴の色は薄い茶色。


 並んでいるパンは冷えないように、透明なケースの中に並んでいた。

 温かいのはパンだけで、店番をしているコウタは暇そうでもあった。


「パンが嫌でしたら、違う店に行きますよ?」

「嫌なわけあるか。お主が貰ってくるせいで、年間でどれだけ食べたことか」

「ワタルさんが焼くパンは美味しいですよね。コウタくんが店番をしているのは予想外でしたが、モモエさんとアリシアちゃんの姿はありませんね」

「アリシアが風邪を引かないように、店内にいるのだろう」


 それもそうかと思いつつ、亜莉香は真っ直ぐに露店に向かった。

 いつもと髪の色が違っても、コウタはピヴワヌと認識したようだ。何度か顔を合わせているピヴワヌが片手を上げたのを見て、眠そうな顔が人懐っこい笑顔に変わる。顔はあまり見せないようにした亜莉香の存在を確認すると、いらっしゃいませ、と元気よく言った。

 軽く頭を下げた亜莉香と、どれにすると訊ねたピヴワヌを見比べる。

 コウタは年下だと勘違いしているピヴワヌを手招いて、声を落として問う。


「ピグワヌ、隣にいるのは恋人?」

「そんなわけあるか。儂は保護者だ」

「どちらかと言うと、私の方が保護者でもありますけどね」


 パンを選びつつも、二人の声はよく聞こえた。今の子供姿では亜莉香も年下に思われるかもしれないが、顔を上げて気にせず話しかける。


「今日の店番は、ムツキさんではないのですね」

「え…うん。母さんはここ数日働いたから、俺が代わりで呼ばれた。本当はもう一人店番をする人がいるけど、その人は具合が悪いみたいで」


 少し驚いたコウタは素直に説明してくれて、灯がパン屋に顔を出していないことは分かった。何も言えないが、この様子だと今後もコウタは度々店番に呼ばれるかもしれない。

 亜莉香には何も出来なくて申し訳ない。

 話を聞いていたピヴワヌが、それで、とコウタに言う。


「代わりに店番とは、大変だな。焼きそばパンをくれ」

「偉そうだな。焼きそばパンは一つ?」

「一つで良い。それから、そうだな――」


 真剣にパンを選び始めたピヴワヌは、亜莉香など眼中にない。

 コウタに聞きたかったことは聞けた。ケイに頼まれていた仕事も、ワタルとモモエに頼まれていた店番も、亜莉香がいなくても大丈夫だ。


 任せられる人達がいて、寂しいけれど安心した。

 ピヴワヌが選び終わったタイミングで、亜莉香も卵のサンドイッチを追加する。パンを袋に詰めながら、必死にお金の計算をするのはコウタの苦手分野。

 何度か間違えそうになる足し算に、途中で助言をした。


 無事に会計を済ませて、コウタが袋を差し出す。受け取ろうとした亜莉香を遮って、ピヴワヌは手を伸ばした。何か言い残したかった亜莉香の代わりに、素っ気なくも言う。


「店番、頑張れよ」

「適当にね。ピヴワヌ、俺の代わりしない?」

「するか阿呆。儂らはこれから、やることが多くて大変なのだ。店番をしている暇はない」


 袋をかっさらったピヴワヌに、コウタは分かっていたと言わんばかりに笑った。

 それから亜莉香を見て、にやっと口角を上げる。


「ピヴワヌと友達なんて、大変だね」

「友達じゃありませんよ」

「おい」


 即答した亜莉香を、ピヴワヌは睨んだ。思いっきり睨まれても怖くなくて、悪戯っ子のようなコウタに笑顔で答える。


「ピヴワヌは、私の大事な親友です。これまでも、これからも」

「…恥ずかしいことを言うな」

「親友より、やっぱり友達がいいですか?でも私は、友達以上だと思うのですよね」


 人差し指を唇に当て、首を傾げてピヴワヌを振り返った。

 目が合えば逸らされて、照れているのは分かる。照れ隠しに背中を強めに叩かれて、くだらない、と頬を膨らませてコウタに背を向けた。くだらないと言っても、内心は喜んでいるのも分かってしまう。


 自分で言っておきながら、亜莉香も少し照れた。

 緩んだ頬を意識して、コウタに向き直る。


「店番は大変だと思いますが、ムツキさんと頑張ってください。それからワタルさんとモモエさんに、いつも美味しいパンをありがとうございました、と伝言をお願いします」

「ちょっと待って。君は一体――」

「置いてくぞ!」

「今、行きます!」


 コウタの言葉を遮ったピヴワヌに呼ばれて、亜莉香は頭を下げてから駆け出した。

 引き止めようとする声が後ろで聞こえたが、追いついたピヴワヌと共に走って逃げる。転ばないように、なんて考えない。全速力で駆けて、足の裏についた雪が舞った。

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