54-5
部屋まで案内してくれた女性が紅茶を注ぎ、一礼して部屋を出た。
テーブルに並べられたのは、真っ白なお菓子ばかり。生クリームを挟んだサンドイッチに、焼きたてのワッフル。粉砂糖をまぶした丸い焼き菓子に、バニラの匂いが香る平らな焼き菓子、ふわふわのシフォンケーキも全て白い。
ティーカップも白くて、薄く軽い。
高級なティーカップを口元に運び、亜莉香は熱い紅茶で一息つく。落とさないようにテーブルに戻したのを確認して、隣に座って腕を組んでいたピヴワヌが口を開く。
「それで、儂らを呼んだ理由を話せ」
「呼んだのは一人よ。他は呼んでない」
偉そうな態度のピヴワヌに対して、淡々と言ったヒナは紅茶を飲んだ。
全く相手にされないピヴワヌの怒りを感じて、まあまあ、と声をかける。亜莉香の反対側にはトウゴがいて、焼き菓子の皿が目の前を通り過ぎた。
「お菓子でも食べて、落ち着きなよ。ピグワヌ様」
「トウゴ、お主は落ち着き過ぎだ」
「俺はほら、慣れているから」
ティーカップに手を添えて、紅茶を飲む姿は様になる。
おそらくトウゴが言いたいのは、この場に慣れていることじゃない。目の前にいる相手に対して落ち着いていることで、目の前のヒナには何も言わない。
ヒナは一切トウゴを見ず、瞳を伏せてティーカップを置いた。
揃えていた足を組んで、ソファに背中を預ける。
「…レイ」
「え?」
「昨日、貴方の前に現れた子の名前。私は彼女を、レイと呼んでいるわ」
ゆっくりと顔を上げて、真面目にヒナは言った。
レイ、と小さく亜莉香が繰り返すと、小さく頷いて見せる。
「あの子は殺しても、死なないわけじゃない。本当の身体が別にあって、普段は偽りの身体で過ごしているの。そのせいで殺しても死なないように見えていただけ。その偽りの身体は何度も殺されたことで、心が壊れ始めた」
そっと中庭を眺めたヒナは、深くため息を零す。
「壊れ始めた心は、もう元には戻せない。本当の身体を見つけて殺さない限り、あの子は生き続けて自分の願いを叶えようとする」
「願い?」
思わず聞き返せば、表情を消したヒナは亜莉香に向き直った。
「貴女がいる限り決して叶わない願いが、あの子にはある」
それ以上は言わない、と口を閉ざして、ヒナはティーカップを手に取った。
何の話をしたいのか。何の為に亜莉香を呼んだのか。その理由を聞くか迷っているうちに、隣で黙っていたピヴワヌが口を挟む。
「何が言いたい?」
「…さあね」
「この小娘が――」
立ち上がったピグワヌの着物を、亜莉香は咄嗟に掴んだ。
今にも掴みかかりそうなピヴワヌに対して首を横に振り、座るように促す。渋々ピヴワヌは座ったが、焼き菓子に手を伸ばしたヒナは、亜莉香としか話そうとしない。
ヒナが焼き菓子を食べ終えるのを待って、ピヴワヌと同じ質問をぶつける。
「私がいる限り、決して叶わない願いとは何ですか?」
ちらっと亜莉香を見て、ヒナは少し間を開ける。
「寵愛よ」
「「え?」」
「主の寵愛が欲しい。それが、あの子の願い」
亜莉香とトウゴの驚いた声を気にせず、ヒナは言った。もう一つ焼き菓子を口に入れると、懲りずにピヴワヌが問う。
「それが何故――」
「私は貴女の主と面識はありません。どう関係しているのかを、きちんと説明して下さい」
ピヴワヌの言葉を遮れば、何か言いたそうな視線を感じて無視した。
亜莉香の後ろで、トウゴがピヴワヌを慰める声がする。お菓子のやり取りをする声もしたが無視して、少しだけ身を乗り出した。
余裕の笑みを浮かべたヒナも身を乗り出して、声を潜めて話し出す。
「確かに、貴女は主と面識はない」
「はい」
「けど、牡丹の紋章を持っていた彼女は違った。主の寵愛を受けていたのは、貴女と同じ顔で同じ魂を持つ、その彼女」
思わせぶりな言い方をして、ヒナは亜莉香を指差した。
「貴女、とも言えるでしょう?」
「私は――」
「灯ではない。それも間違いではない」
指差すのをやめたヒナは、ソファに深く座り直した。
はっきりと否定されて、何となく落ち着かなくなる。昨日は何度も灯じゃないことを口にした。今日はあっさりと亜莉香自身を受け入れられて、何だか戸惑う。
亜莉香もソファに腰かけて、ティーカップに手を伸ばした。
高価な物かどうかを忘れて、今まで聞いた話を頭の中で整理しつつ喉を潤す。部屋の中が静かになれば、ヒナは空になったティーカップに、ティーポットの温かい紅茶を注いだ。
紅茶の香りが部屋に広がり、さて、と顔を上げる。
「主の寵愛が欲しいレイにとって、邪魔なのは灯。幾度となく生まれ変わる灯を見つけては、追い回していたわけなのだけど、ここからが重要」
重要と言う割には軽く、ヒナは両手でティーカップを持って熱い紅茶を冷ます。
「ねえ、主は今日まで何をしていたと思う?」
「え?」
「分かるはずがないわよね。主の思惑と、その最悪の筋書きなんて、きっと気付いていたのは一部だけだった」
急に話が変わって、雲行きが怪しくなった。亜莉香が口を挟む暇はなく、ヒナは顔を伏せる。ティーカップの水面には唇を噛みしめた姿が映り、ゆっくりと息を吐いた。
「主はずっと、灯が欲しかった」
「…はい」
「彼女が欲しいから、一から作ろうとした」
ヒナの言葉に、ピヴワヌが息を呑んだ。トウゴは亜莉香と同じく、ヒナの言いたいことが分かっていない。
「作るって?」
「言葉通りよ。歴代の灯を寄せ集めて、主の愛した彼女を一から作り上げようとした。そうして生まれた失敗作が、貴女の前に現れた灯」
「そんなこと可能なわけがない!」
ピヴワヌの声が部屋に響き、勢いよく叩いたせいでテーブルが揺れた。目の前のヒナを睨みつけて、怒りで肩が震える。
泣きそうで、どうしようもない感情が亜莉香にまで流れ込んだ。
両手を痛いくらい握りしめて、ピヴワヌは声を落とす。
「それはつまり、今の灯は…」
「ピヴワヌ?」
何も言えなくなったピヴワヌの名前を呼べば、亜莉香を見て顔を背けた。
ピヴワヌの言いたいこと読み取って、説明をするのはヒナしかいない。
「死んだ人間は生き返らない。死体を継ぎ接ぎして生まれた存在は、偽りの記憶を植え付けられた人形。彼女には人として、何よりも大切な魂が宿っていない」
しんと静まり返った部屋に、冷静な声が響いた。
何か言わなければいけないのに、何も言えなくて亜莉香の喉は渇く。その先の言葉を聞きたくないのに、中庭に目を向けたヒナは無情に言葉を続ける。
「今の灯は、生きる屍よ。ある意味では本人だけどね」
ピヴワヌの奥歯を噛みしめる音が、微かに聞こえた気がした。
トウゴのから笑いが聞こえて、動けない亜莉香の代わりに口を開く。
「嘘、だろ?いやいや、あり得ない」
トウゴの言葉にも、ヒナは何の反応も示さなかった。
中庭を眺めたままティーカップに口を付けて、ゆっくりと紅茶を味わう。肩の力を抜いたヒナを呆然と見つめて、徐々に落ち着きを取り戻して訊ねる。
「なんで、そんな話を私にしたのですか?」
「気まぐれよ」
「冗談は要りません。用もないのに、私を呼び出すような人ではありませんよね。今までの話をした上で、私に話があるのでは?」
真剣な声で言えば、にっこりと笑ったヒナが振り返った。
笑みを残したまま、ティーカップを置いて言う。
「回りくどい話はこれくらいにして、本題に入りましょう。本物そっくりの失敗作が出来上がり、気にくわないレイは、それをわざと外に逃がした。すぐに殺すはずが、逃げ出した失敗作は植え付けられた記憶を辿って、この街にやって来た。そして――貴女に出会ったことで状況は変わってしまった」
貴女、とは間違いなく亜莉香を指した。
テーブルに置いてあった角砂糖を一つ取って、ヒナは紅茶に入れる。音を立てて落ちた角砂糖は、ティースプーンで良くかき混ぜられて消えてしまった。
「失敗作は、貴方の魂の欠片を手に入れた」
「私の?」
「貴女の魔力を奪った。ついでに周りの記憶まで奪われるとは思わなかったけど、レイは失敗作が宿す魔力に気付いて、その主を探している。その相手が、本物の緋の護人だと感づいているのよ。それなら強い魔力を秘めた人間だろうと、候補者を推測した」
にやっと笑った笑みは不気味で、亜莉香の背筋が凍った。
表情は硬くなって、両手で包み込んでいたティーカップに力がこもる。
「それは、私ですか?」
「残念。貴女じゃないわ。顔を合わせても、レイは貴女の魔力に気付かなかった。この街で強い魔力を秘め、貴女の知り合いの少女と言えば、自ずと限られてくるでしょう?」
例えば、とゆっくりと声が続く。
「領主の娘、とか」
一瞬でアンリの顔が浮かんで、最悪を想像した亜莉香は唇を噛みしめた。
「緋の護人が消えたのは二十年前。二十歳以下で魔力の強い娘は少ない。今の狙いは領主の娘で間違いないと思うわ。失敗作は泳がせたまま、どうやって領主の娘を殺すか考えながら、この街をうろついているの」
何てことなく言い、一息ついて紅茶を飲んだ。
ヒナの考えが分からない。アンリが狙われていると知った以上は、例え忘れられても、何もせずにはいられない。それに灯が殺されていいなんて、これっぽっちも思ってもいない。
深呼吸して、何から聞けばいいのか考えた。
それで、と亜莉香は話を促す。
「ヒナさんは、何もしないつもりですか?」
「それなら最初から、私は貴女を呼ばないわ。私は主から何の命令も受けていない。傍観者に徹しても良かったけど、領主の娘には死なれたら困る」
「何故?」
「それをこの場で話すつもりはない。ただ私一人でレイを相手にするのは、あまりにも荷が重い。そこで、協力者が必要だと判断した」
協力者、と言ったヒナの瞳には、亜莉香しか映っていない。
この場で話すつもりがないことは、まるで後で話すと言っているようにも聞こえた。良からぬことに巻き込まれている自覚はあるが、ここまで聞いて引き下がりたくはない。
「私には、協力者と呼ばれる程の力はありません。それを分かった上での話ですか?」
「勿論。協力、いえお互いにとって不利益のない取引をしましょう」
内容を聞いていないのに、素直に頷くことは出来ない。
お互いに目を逸らさずにいると、思いっきり腕を引っ張られて身体が傾いた。引っ張ったピヴワヌを見れば睨まれて、おい、と耳元で低い声がした。
「本気で取引するつもりでは、ないだろうな」
「一方的な条件を呑み込めませんが、お互いに対等な条件を提示されたら。取引は成立しますよね?お互いに利益があるなら、断る理由はありません」
「いや、そうじゃなくて――」
「それに実際、今の私達には頼れる人があまりにも少ないです。アンリちゃんが狙われていると分かった以上、一人でも多くの味方は必要なのです」
例えそれが、と囁きながら、優雅に紅茶を楽しむヒナに視線を戻した。
「今だけの味方でも。いないよりは、ましです」
「一時的な停戦だと思って、嫌なら断っても構わないわ」
「内容によっては取引しません。話を聞くだけ聞かないと、話が進まないので」
ピヴワヌが何も言わなくなって、亜莉香の腕を離した。少し頬を膨らませて不機嫌に、焼き菓子をわざと音を立てて口に入れる。
「勝手にしろ」
「すみません」
ふん、とそっぽを向いたピヴワヌも、レイが侮れない相手だと分かっている。そう簡単に勝てない相手だと思えば、不意にトウゴの存在が気になって振り返った。
一部始終を聞いていたはずのトウゴは微笑み、亜莉香より先に口を開く。
「取引を受けるかどうか。それを決めるのは、アリカちゃん自身だよ。俺は何も言わないけど、何か言って欲しかったら口を出す」
「分かりました」
ヒナとの取引を止めることはなく、安心して肩の力を抜いた。
両脇には頼れる人達がいて、一緒に話を聞いてくれる。最後の決断をするのが亜莉香だとしても、誰かがいてくれるだけで心は揺るがずにいられる。
「では、取引の内容をお話しください」
はっきりと宣言した亜莉香に、ヒナは微笑んでティーカップを置いた。




