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積もった雪は数十センチで、除雪された両脇の道に雪の塊がある。
澄み渡る水色の空には白い雲が流れ、温かな日差しが降り注いだ。久しぶりの晴天ではあるが、まだ雪が降る季節は終わらない。
街の人が外に出るのは正午近く、人通りが増えた道を亜莉香は足取り軽く歩く。
「今日はいい天気ですね」
「この場所って、貴族御用達の喫茶店だね。俺一回だけ入ったことあるけど、紅茶と焼き菓子が美味しくて有名らしいよ」
地図を片手に話すトウゴは、目印を確認しながら言った。
左隣を歩き案内するトウゴの着物が黒ではなくて、亜莉香には少し違和感がある。
それは亜莉香だけの話で、行き交う人は他の誰も気にしない。昨日トウゴが買い、色鮮やかな花が描かれた紺の着物を被っている亜莉香も目立たないのは、行き交う人の中には貴族の女性が混じっているせいだ。
お忍びの貴族の女性は、顔を隠す人が多い。
けれども頭に兎をくっついている人は、亜莉香の他にいないだろう。
しっかりと離れんばかりにしがみつかれて、ふさふさの毛並が温かい。今日は兎の姿で隠れているのはフルーヴだけだ。頭の後ろに両手を回したピヴワヌは、亜莉香同様に赤い着物で髪を隠して、人の姿のまま右隣を歩く。
「これから向かう先を考えて、気が重いのは儂だけか」
「何か言いましたか?」
「何も」
淡々と言い返したピヴワヌは前を向いたまま、亜莉香は見慣れない通りを見渡した。
普段の市場とは違い、馬車が傍を通り過ぎる回数の多い北側。綺麗に整備された道は広く、高級な建物が並ぶ。貴族の女性は馬車で移動することが多く、歩いている人は少ないが、見るからに貴族と分かるように着物に家紋を背負い、刀を身に付けている貴族の男性の多くは使用人と共に歩いていた。
庶民の市場とは違う。
喋り方も雰囲気も違う道を、トウゴは堂々と進む。
「トウゴさん、よくこの道に来ます?」
「いや、よくは来ないよ。お客さんに誘われて歩いたことがあって、その時に幾つかの店に付き合った程度かな」
「その割に慣れているな」
ピヴワヌに言われて、トウゴは平然と答える。
「普通でしょ。それより、ここを曲がってすぐだよ」
タイミング良く目的地が近づき、早足で角を曲がった。置いていかれないように、ピヴワヌと後を追い、せいぜい二人が並んで歩ける路地を行く。
突き当たりに、重々しく装飾が施された扉があった。
黒に近い茶色の木目に、彫られた大きな熊。細かい毛並みまで表現されて、迫力ある扉には持ち手がない。
代わりに金の鈴が扉の脇に吊るされていて、トウゴは鈴を引いた。
呼び鈴で扉が奥に開き、美しい女性に出迎えられる。
「お待ちしておりました」
どうぞ、と店の中に誘われて、トウゴを先頭に中に入る。
一歩店の中に踏み込めば、そのまま路地が続いているような廊下が続いていた。一定の距離を置いて、両脇にある仄かな照明が路地とは違う。その照明すら高級品で、店の中の品物に触るのに躊躇しそうだと、亜莉香は肩を強張らせる。
出迎えた女性が扉を閉め、鍵を閉めた。
こちらへ、と女性が言い、先を行く。立ち止まっていた亜莉香の背中をピヴワヌが押せば、転びそうになってトウゴが腕を差し伸べた。
「大丈夫?」
「…はい」
「そのままトウゴに支えて貰え、店の雰囲気に飲み込まれて転びそうだからな」
呆れながらピヴワヌは言うが、どちらかと言えば、今転びそうになったのはピヴワヌのせいである。その言葉を呑み込んで、トウゴに支えられて体勢を戻す。
亜莉香が歩き出す前に、そっと手を差し伸べられた。
驚いて近くの顔を見上げれば、澄んだ水色の瞳が笑いかける。
「どうぞ、お嬢様」
「やっぱり慣れていますね」
「まあ、俺の得意分野だからね」
迷ったが、遠慮せずに手を重ねて歩き出す。
お互いに握りはしない。一歩先を歩くピヴワヌは、ちらりと振り返ったが何も言わない。トウゴは亜莉香と歩きながら、声を落として話し出した。
「この店は完全に予約制だから、他のお客さんに会うことはないよ」
「そうなのですか?」
「貴族同士の秘密話をする場所でもあって、色々と配慮されているからね。因みに出口は一つしかない。部屋の中の会話は、絶対に誰にも聞こえない」
絶対に、を楽しそうに協調した。
前を向いたまま、付き添ってくれるトウゴを上目づかいで見つめる。心の中で尊敬しつつ感謝すると、笑いを耐えたトウゴが言う。
「惚れちゃ駄目だよ」
「それはありませんが、こういう場にトウゴさんがいてくれると、とても心強いのは分かりました。ありがとうございます」
微笑んだ亜莉香は素直な感謝を述べた。きょとんとしたトウゴが、照れくさそうに笑う。
「どういたしまして。即否定するのが、アリカちゃんらしいよね。これだけ近くにいるのに、全く甘い空気にはならないけど」
「私達二人で、そんな空気になります?」
「無理だね。恋人のふりが精一杯。寧ろ、そんな空気になりたい?」
「遠慮します」
にっこりと笑って言えば、トウゴが肩を震わせて笑った。
小声で喋っている間に、入口と似たような扉を幾つか通り過ぎる。出迎えてから案内をしてくれた女性は、一つの扉で立ち止まった。
入口似たような扉の模様は梟で、凛々しい横顔が印象的だ。
扉を二回叩いて、女性は扉を開ける。
真顔になったピヴワヌが部屋に足を踏み入れて、すぐに立ち止まる。亜莉香とトウゴも後に続いて、部屋の中を見渡した。
ガラスの天井から太陽の光が降り注ぐ部屋は、とても明るい。扉から見て左右は何もない白い壁で、奥には雪が積もった中庭が見えた。中庭と部屋を遮るのは、額縁のような大きな二枚のガラス。
広い部屋の中心には丸いテーブルがあり、向かい合うように二つのソファがあった。
温かみのある茶色のテーブルには、濃い赤のテーブルクロス。ソファは小花が散りばめられた気成色で、ごく淡い灰色がかった黄褐色とも言えた。
片方のソファには、優雅に紅茶を飲む女性が座っている。
髪飾り一つない真っ白な髪は雪のようで、細く腰まで伸びていた。上品な白の着物は裾と袖にいくほど薄い紫に変わり、描かれた模様は梅の花。幾何学的な雪の結晶の濃紺の帯を締め、帯飾りは薄い紫色。
ソファに座っていた女性がティーカップを置いて、ゆっくりと振り返る。
「遅かったわね」
亜麻色の瞳が亜莉香を捕らえて、ヒナの口角が上がった。




