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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
266/507

54-2

 浴室から出れば、部屋の中には夕食の支度が整っていた。

 床に大きな布を敷いて、遠足のように大きなお弁当箱が置いてある。兎の形のおにぎりと綺麗な黄色の卵焼き、タコの形のウインナーや一口サイズのコロッケに、花の形に甘く煮た人参と小さめのハンバーグ。

 明らかに子供向けで、可愛らしいお弁当。


 髪を拭きながら眺めて、亜莉香は用意してくれたトウゴに訊ねる。


「これ、買って来たのですか?」

「違うよ。下で店長に会って、持って行くように言われたやつ。もう少ししたら部屋に来るから、食べる支度をするように命令されてさ」


 水筒からお茶を注ぐトウゴの向かいに、亜莉香は腰を下ろした。

 正座した亜莉香の右で、ピヴワヌが腕を組む。フルーヴは胡坐をかくトウゴの足にくっつき、着物の裾を掴む。今にも食べたそうに涎を垂らしてお弁当を見つめる瞳には、兎のおにぎりしか映っていない。

 今すぐに食べたいのだろうと思いつつ、差し出された湯呑を両手で受け取った。


 温かな番茶を膝の上に置き、トウゴの姿をまじまじと見る。

 黒以外の着物を、初めて見た。高級な深い緑の着物に、袴は無地の濃紺を合わせているが、全く着崩していない。後ろで一つに結んでいた長い紺色の髪は短くなり、いつも身に付けていた灰色の紐はなくなった。

 見た目を変えたトウゴに、少し迷ってから声をかける。


「どうして、髪まで切ったのですか?」

「うん?どうせだから、思いっきり姿を変えてみた。明日以降も探されないとは言えないでしょう?わざわざ隠れながら出歩くのは凄く面倒だよ」


 言い終わると同時に自分のお茶も注ぎ、湯呑を右手で持って掲げた。

 その意図を読み取り、小さく乾杯する。それを合図と思ったフルーヴは、亜莉香とトウゴの顔を見比べた。


「食べていいですよ」

「食べ過ぎちゃ駄目だよ、フルーヴ」

「うん!」


 満面の笑みを浮かべたフルーヴが、大きく頷いた。

 おにぎりを両手で頬張る姿は微笑ましく、亜莉香は湯呑を口元に寄せる。腕を組んでいたピヴワヌは何も手を付けず、それで、と箸を手にしたトウゴに問う。


「明日からの予定で、何か策はあるか?」

「えー、俺にそれを聞くの?アリカちゃんに付いて行くことしか考えていない、俺に?」

「聞いた儂が馬鹿だった」


 ピヴワヌが言い、トウゴはコロッケを食べた。よく噛んで呑み込んだ後、何も食べていない亜莉香にお弁当箱の一つを差し出す。

 食べるように勧められ、箸を手にして可愛い大きさの人参を食べる。

 柔らかく、よく煮込んである人参の味付けは甘い。美味しい、ともう一つ食べると、何か言いたげなピヴワヌの視線に気付いた。


「何ですか?」

「美味しそうに食べてないで、何か考えないか。と言うより、何故儂だけ必死に考えているのだ。外に出れば訳の分からない敵がいて、灯に会いに行った所で魔法を解くわけもないだろう。下手に出歩いて小僧などに見つかるのは嫌で、だからと言って闇雲に歩き回っては意味がない――」


 一人で考え事をするピヴワヌの目の前で、トウゴが端に寄せていた皿にコロッケとおにぎりを乗せた。代わりに亜莉香は人参とハンバーグを乗せて、黙って皿を交換する。

 頭を悩ますピヴワヌの口に、思わず卵焼きを近づけた。

 鼻で匂いに気付き、そのまま口に入れる。


「――ん、美味い」

「そうですよね。今度私も作りましょうか?」

「俺は甘い卵焼きを作って欲しいな。それから豆腐の味噌汁もね」

「おにぎり!おにぎりがいいの!」


 ご飯粒を両手と口元に付けて、フルーヴが大きく手を上げた。


「おにぎり食べたいの!」

「はいはい。まずは、これを食べようねー」

「おにぎりだけじゃなくて、野菜も食べましょうね」

「…て、おい。呑気に楽しみ過ぎじゃないか?」


 今度は人参をフルーヴの口に運ぼうとした亜莉香の視線と、おにぎりを与えようとしたトウゴの視線が交わった。ピヴワヌの言わんとしていることは分かり、姿勢を整えて真面目な空気を作る。


 その途端に扉を叩く音がして、亜莉香よりも先にトウゴが立ち上がった。


「今、開けます」

「それなら私が――」


 最後まで言う前に、トウゴは急いで扉を開けに行った。立ち上がろうとした腰をおろして、隣でピヴワヌが番茶をすすった。


「締まらんな」

「私達らしいのでは?」

「まあ、何でも良い。儂は喋らんから、後はお主に任せるぞ」


 誰が来たのか分かっているピヴワヌの言葉と今の時間から、部屋を訪れた相手の検討はついた。ようやくピヴワヌが箸を手に取り、大人しく食べ始める。

 亜莉香は手にしていた箸を置き、やって来る人物を待った。


「それなりに食べているね」


 こん棒ではなく風呂敷片手に現れた女性は、部屋の中を見るなり言った。


「もしかして、これを作ったのは店長さんでしたか?」

「まあね。私のことは店長と呼ばなくてもいい。私の名前は、セリカだ。セリカさん、とでも呼んでもらおうか」


 店長改め、微笑んだセリカに言われて、少し緊張した亜莉香は頷いた。

 セリカはトウゴがいた席に座る。不思議そうな顔でフルーヴが見上げ、おにぎりを食べていた手が止まった。見つめられたセリカはその頭を優しく撫でて、撫でられたフルーヴは嬉しそうに、お行儀よく背筋を伸ばして、おにぎりを食べるのを再開した。


 場所が取られて、トウゴは亜莉香の隣に腰を落とす。水筒に手を伸ばして、セリカの分の番茶を注ぎ差し出せば、代わりに持っていた風呂敷を手渡された。


「ほら、これは持っていな」

「いつもの物騒な物ですよね?」

「ただの護身用だよ。要らないなら、持って帰る」


 淡々とセリカが言い、風呂敷の中身を見ていたトウゴの隣から亜莉香も覗き込む。

 小刀数本、煙幕と書いてある筒数本。何が入っているのか分からない小瓶もあって、確かに物騒な物に見えた。


「…小瓶の中身って、何ですか?」

「睡眠薬と身体が痺れる薬と、これはただの唐辛子入りの液体」


 赤い液体が入っている小瓶を取り出して、にやりと笑ったトウゴは亜莉香を見た。


「スプレーに入れて持ち歩くと、いざという時に目潰しで使えるよ」

「トウゴさん、使ったことあります?」

「いやー、数回ね」


 本当に数回で済んでいるのか、とても怪しい。

 楽しそうにトウゴは風呂敷を包み直して脇に寄せ、箸を手にしてセリカに問いかける。


「今日店に、俺を訊ねて来た人はいましたか?」

「数人いたね。私が対応したわけじゃないけど、これで分かるだろ」


 話をしながら、セリカは胸元から数枚の紙を取り出した。

 受け取ったトウゴが折り畳んであった紙を開けば、とても上手な似顔絵が描いてある。ルカとルイ、それからトシヤの顔がそっくり過ぎて、亜莉香だけが驚いた。


「本人そっくりですね」

「うちの店、似顔絵が得意な奴は二人いるから。どっちかが逃げる立場でも、片方が残る仕組みになっているよ」


 ぐっと親指を立てたトウゴに、へえ、と曖昧に言った。

 決して誇れるようなことではなくて、どちらかが逃げる立場になることは、よくある話に聞こえた。慣れたことを目のあたりにしているトウゴやセリカと違って、亜莉香は呆然と話を聞くしかない。


「店の連中が尾行したけど、二人は途中で逃げられた。一人は東市場まで追って、人混みで見失った。情報はいるかい?」

「いえ、全員素性は知っています。今後は尾行しなくて大丈夫です。ただ、俺がここにいることだけは、絶対に言わないで下さい」

「最初から言うつもりはないよ。誰かに伝言は?」

「要りません。俺への伝言も、特にないですよね?」

「店の連中が頑張れと応援していたよ。まあ、いつものことだけどね」


 一息ついて、セリカは番茶で喉を潤した。

 会話を聞きながら、お弁当の中身が減っていたことに今更気付く。主に食べているのはピグワヌで、トウゴとセリカが半分程度、フルーヴはおにぎりしか食べていないが、亜莉香が手を出す前に全てなくなってしまいそうだ。


 そっと卵焼きを食べると、塩味が強かった。

 食べるのが勿体ない兎のおにぎりを箸で一口サイズにして、よく噛んで食べる。美味しくもぐもぐ食べていると、セリカが目を向けて、ふっと笑みを零した。


「美味しそうに食べるね」

「えっと…そうですか?」


 呑み込んでから首を傾げると、隣のトウゴは口角の上がった口元を隠して言う。


「ちょっと、兎みたいだった」

「…気を付けて食べます」

「普通に食べなさい。それにしてもトウゴの言う通り兎と言うか、小動物みたいな子だね」


 じっと見つめられて、恥ずかしくなって瞳を伏せた。温かく見守るセリカの眼差しには気付かず、急いで食べ終えて手を合わせる。


「ご馳走様でした」

「まだ残っているよ?」

「いえ、お腹が一杯なので」


 控えめに言って、トウゴが差し出す皿を断った。

 ハンバーグとコロッケの乗った皿は、そのままピヴワヌの手に渡る。始終黙々と食べるピグワヌは、宣言通り喋らないつもりだ。


 食べ終えた亜莉香は、改めてセリカの方を見た。

 残っているおかずを詰め直すセリカは、亜莉香を見ていない。隣にいるフルーヴはお腹いっぱいになって、のそのそと動くとトウゴの足の上に寝そべった。トウゴが濡れたタオルで手を拭いてあげると、箸を動かしていたセリカが話し出す。


「アリカさん、と呼ぶよ」

「…はい」

「緊張しなくていい。ちょっと話を聞きたいだけだから、肩の力を抜いて答えて欲しい」


 わざわざ話を聞きに来た相手に身構えたのは、最初からばれていた。

 弁当を詰めている姿でさえ、亜莉香と目を合わせないように、緊張をほぐそうとする配慮に感じてしまう。どんな質問でも誠実に答えようと息を吐けば、セリカは顔を上げた。


「トウゴから帰る場所がないと聞いたけど、それは本当?」

「はい、事実です」


 散々泣いた後だったから、素直に答えられた。

 目を逸らすことなく背筋を伸ばす。


「帰る場所はありませんが、帰りたい場所はあります。私は諸事情があって帰れなくなってしまい、トウゴさんは巻き込まれただけです。この度は私のせいでご迷惑をかけてしまい、大変申し訳ありませんでした」


 昨日のうちに言うべき謝罪を口にして、深々と頭を下げた。


「数日はお世話になると思いますが、出来るだけ早く出て行きます」

「――ちょっと、アリカちゃん!?俺は巻き込まれたとは思っていないよ!」

「トウゴは黙っていな。アリカさん、顔を上げなさい」


 虚を突かれたトウゴが慌てて、セリカの声に亜莉香は顔を上げた。

 視線は下がったまま、迷惑はかけたくないと唇を噛みしめる。湯呑を置いたセリカは弁当箱をどかして、前に出ると亜莉香の肩に手を置いた。


「しっかりした子だね。帰りたい場所は、ちゃんとあるんだね?」


 確認を込めた質問に、濃い紅の瞳を亜莉香は真っ直ぐに見る。


「はい」

「他の街に行くつもりは?」

「ありません」


 即答した亜莉香に、セリカは満足そうに頷いた。


「それなら、そんなに急ぐ必要はない。問題が解決するまで、それか目途がつくまで、この宿を仮の家にすればいい。進むべき道が分かっているなら、私は何も言わない」


 でも、と真剣な声が続く。


「せっかく力を貸してくれる人がいるのだから、その人のことは頼りなさい。例えそれが、昔は私の怒った顔を見るなり泣き出すような男だとしても」

「…店長、それ俺のこと?」


 顔を引きつらせたトウゴが、ぼそっと口を挟んだ。

 肯定も否定もなく、さて、と言いながらセリカは立ち上がる。


「弁当箱はまとめて、部屋の外に置いておくこと。トウゴ、話があるから付いて来な」

「その前に、さっきの話の否定を欲しいのですが――」

「どうでもいい昔の話は後だろ。いいから、さっさと来な」


 座っていたトウゴの頭を鷲掴みにして、セリカが扉に向かった。トウゴの顔色は真っ青になり、抵抗空しく引きずられる。

 足の上で眠っていたフルーヴは床に転がり、ピヴワヌが引き止めるはずはない。


「ちょ、まっ!怒られるようなことはしていません!」

「誰も怒るとは言っていない」

「なら自分で歩きます!このままじゃ禿げちゃう!」

「あの、トウゴさ――」


 名前を呼んだ亜莉香の声は届かず、伸ばそうとした右手は宙で止まる。

 喚くトウゴの姿は、昨日の夜にも見た光景と似ていた。

 逃れようとするトウゴと、問答無用で引っ張るセリカ。二人の姿が見えなくなって、扉が閉まった部屋の中は静かになる。


 寝返りを打ったフルーヴは何も気づかず、ピヴワヌは残っているおかずを口に運んだ。何となく座り直した亜莉香は、湯呑を両手で包んで呟く。


「暫くは、どうにかなりそうですね」

「そうだな。今日は疲れただろうし、早めに寝るか」

「そうしましょう」


 番茶で喉を潤し、湯呑を置いた。ほっと息をついた亜莉香を横目に見た、ピヴワヌの視線には気付かないふりをする。

 心が決まって、迷いのない表情を浮かべた。セリカに言った通り、帰りたい場所は一つしかなくて、そのために明日から行動したい。


 今日までの過去と未来を想い、雪の降る窓の外に目を向けた。

 空に月も星もなくても、微かな光を積もった雪が反射していて明るい。


「私は、私の描いた未来を取り戻します」


 小さな決意を胸に刻んで、亜莉香は何もない両手をぎゅっと握りしめた。

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