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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
262/507

53-4

 本当は、ピヴワヌとルイを止められないわけじゃない。

 止める気があれば、亜莉香の言葉はピヴワヌに必ず届く。それを分かった上で、ルイと戦い続けるピヴワヌは、怒りの発散をしたかっただけだろう。


 そろそろ十分だろうと思った。

 フルーヴの手を離して、真っ直ぐに前に進む。

 白に近い水色の精霊が近寄って、差し出した左手の上に、ふわりと降り立った。待っていました、と言わんばかりの声で名前を呼ばれ、亜莉香は答えるように言葉を紡ぐ。


「【凍れ】」


 精霊の力を借りて、地面に光が走った。

 一直線の氷の道が出来上がれば、その氷の道は亜莉香の意のままに、地面に足を付けた直後のルイの自由を奪う。驚いたルイの顔面目掛けてピヴワヌが蹴りを入れる前に、足を止めた亜莉香は囁いた。


「ピヴワヌ」


 離れていても届く声に、ピヴワヌの蹴りは何もない宙を切る。

 くるりと一回転して地面に着地。不満な顔で亜莉香を振り返った。


「もう終わりか?」

「最初から本気じゃない癖に、何を言っているのですか?」

「つまらん。ようやく儂の身体が温まって、華麗な動きを披露するつもりだったのに」

「誰も見ていませんでしたけどね」

「それを言うな」


 やる気が失せたピヴワヌが肩を落として、頭を掻く。


「だが、仕方がない。用事が済んだのなら、儂は付いて行くだけだ」

「はい。よろしくお願いします」

「…そこで素直に頼まれると、むず痒いと言うべきか。アリカらしいと言うか」


 ぶつぶつ言いながら、踵を返したピヴワヌが隣に来るのを大人しく待つ。

 ルイに目を向ければ、目の前で繰り広げられた光景に目を見開いていた。


 顔は着物で半分隠していても、今の会話で主従関係はばれても不思議じゃない。急に出て来た余所者、怪しい人間に思われたかもしれない。

 怪しくないことだけでも言うべきか、右手を口に寄せて呑気に考える。

 隣に来たピヴワヌが亜莉香の腕を叩き、すれ違い様に呆れた声で言う。


「どう見ても怪しいから、何も言うな」

「酷いですね。ピヴワヌのおかげで、ルカさんとは話せました。貴重な時間を作って頂き、ありがとうございます」

「結果的な話だ。礼は要らんから、さっさと行くぞ」


 亜莉香を置いていきそうな雰囲気はある。それでも、目の前のルイにも何か言いたい。


「ルカさんと、末永くお幸せに?」

「え?」

「これはやっぱり、この場で言う台詞ではありませんね。間違えました。どうか意味のない喧嘩を売らず、ご兄弟とも仲良くお過ごしください」


 微笑んで、ゆっくりと頭を下げた。

 ルイに何か言われる前に、亜莉香は急いでピヴワヌの後を追う。

 絶対に途中で待っていてくれたとも思うが、遅くなったら機嫌が悪くなる。素直じゃない友人は小さくても心強く、可愛いと言ったら怒ってしまう。


 人の姿にしろ、兎の姿にしろ、亜莉香にとっては癒しの存在。

 再確認して頬が緩めば、反対に追いついたピヴワヌの眉間に皺が寄った。仲直りしてから、感情がピヴワヌに流れ込んでしまう気がして、無心を意識して空を見上げた、


 薄暗い雲から雪が降り始め、また明日になれば積もるかもしれない。

 不意に屋根の上に人影が見えた気がして、亜莉香の足が止まった。


「アリカ?」

「何でも、ないです」


 見えたはずの人影を探して、答えながら辺りを見渡す。

 真っ白な雪のような髪を靡かせたヒナが、確かに屋根の上に見えた。同時に路地裏が妙に静かで、誰かの視線を感じる。

 ピヴワヌも何かを感じて、立ち止まって舌打ちをした。


「何の気配だ?」

「分かりません。けど、この感じは以前、どこかで――」


 ピヴワヌに背中を預けながら、必死に記憶を呼び戻す。

 背筋が凍りつくような恐怖が芽生えて、脈打つ心臓が早くなっていく。何か嫌な存在が近づいて来たのは、いつの出来事だろう。


 耳障りな笑い声が路地裏に響いて、誰の声が思い出した。

 誰がやって来たのか分かれば、恐怖が消えて、代わりに怒りを覚える。


 こんな時に現れるのが偶然なんて、絶対に思えない。灯がガランスにやって来たのを手引きしたのも、この声の主かもしれない。どんな理由にせよ、人が苦しむことを平気で行う少女を思い出して、右手を強く握りしめた。


 灯に傷つけられた怪我の痛みなんて、感じない。

 大事な人達を傷つけられた方が、何倍も心が痛くなる。


 真顔になった亜莉香が見据えたのは、不思議そうな顔をしたトウゴとフルーヴのいる方角。その奥に一人の少女を見つけた。


「どうやら、私達の本当の敵が現れたようですね」

「今度こそ手加減なしだな」


 遠くにいる少女の周りに黒い影が揺れて、亜莉香はピヴワヌと同時に駆け出した。

 被っていた着物は空高く舞い上がり、追いかける暇はない。亜莉香の黒い瞳にも、ピグワヌのルビーのような瞳にも、数十メートル先にいる少女の姿しか映っていない。


 以前出会った、狂った笑みの少女は血まみれ。

 真っ赤に染まった兎の耳を左手で掴んでいた。明るい黄色い髪も、白い菊が赤く染まった黒い着物も、黒い光を宿した大きな黄色の瞳も忘れていない。血生臭い匂いは近づけば鼻につき、傍の地面に兎の血が滴った。


 遠い後ろでルイとルカの驚きの声は聞こえた。

 驚いたトウゴが軽く両手を上げて、迫った亜莉香とピグワヌに無罪を主張した。


「何?怖い顔して、俺は何もして――て、どこ行くの!」


 叫んだトウゴを無視して、ピヴワヌは傍を通り過ぎた。

 亜莉香はトウゴとフルーヴを背にして立ち止まり、両手を広げて少女を見つめる。

 少女を守るように、現れた大小様々なルグトリスを数える。十はいないが、誰もが殺意と武器を持っていた。光の欠片もなく、浄化の出来ないルグトリスの心臓や首を、ピヴワヌの蹴りが容赦なく襲う。


 ピヴワヌと同格の動きを見せるルグトリスは、そう簡単に倒れない。

 ルグトリスを生み出す兎は死んでいて、笑っている少女の手の中にいた。

 戦いの奥で笑っている少女に気が付いて、フルーヴが小さな悲鳴を上げる。恐怖でトウゴに抱きついたのを振り返って見る暇はなく、亜莉香の頭の中にピグワヌの声が響く。


【ここは儂に任せて、先に行け】

「嫌です」

「な、何が?」


 思わず口から出た言葉は、後ろにいたトウゴへの言葉じゃない。

 ピヴワヌが反論しようとして、ルグトリスの攻撃を受けて意識が離れた。ピヴワヌの声が聞こえないトウゴやフルーヴに説明する時間が惜しくて、近くの精霊に目を配る。


 亜莉香に力を貸してくれる、精霊の力は三種類。

 瞬時に判断した風と氷、焔の魔法。


 血が滴る度にルグトリスが増えれば、終わりが見えないことだけが不安だった。ピヴワヌが負けるとは微塵も考えていないが、一人で戦わせたくはない。

 燃えるような赤い精霊が亜莉香を呼んで、力を貸してくれる、と言ってくれた。

 瞳は少女の手にしている兎に狙いを定めて、静かに息を吸う。


「【放て】」


 言葉と共に赤い精霊は光って、一直線に駆け抜けた。

 ピヴワヌとルグトリスの間を抜け、少女が手にしていた兎を掠めて遥か彼方に消える。ほんの一瞬、触れただけで十分だ。


 兎は燃え上がり、手にしていた少女が気付くのは少し遅れた。

 灰となって消えた兎を見下ろした少女は、笑みを消してから首を傾げた。少し考える素振りを見せて、真っ直ぐに亜莉香を見る。


 少女が何かを呟く。

 それはルグトリスへの命令で、ピヴワヌを囲んだ。十人近くのルグトリスに囲まれても気にせず、一気に仕掛けようとしたルグトリスの攻撃を空中に飛んで避け、そのまま亜莉香の元まで戻って来た。

 くるりと回転して身体を丸め、見事に着地したピヴワヌが振り返る。


「何故わざわざ、敵の注意を引くのだ?」

「注意を引くつもりはありませんでしたよ?」

「お主が魔法を使ったせいで、あれの興味対象はお主にされたからな」


 呆れながら言い、ピヴワヌは着物の埃を払いながら立ち上がる。

 亜莉香は両手を下げて、いつもよりは大きく開いていた足を閉じた。


「それでピヴワヌをさっさと始末して、私を捕まえるつもりでしょうか?捕まる気など、全くありませんが」

「儂がやられるわけがないだろ。お主を渡すわけもないが」


 腕を組みながら、ピヴワヌが敵である少女と残っているルグトリスを睨んだ。

 すぐには襲っては来ないが、何かを期待している眼差しは感じる。何かの狙いがあって現れたと思っていたのに、何か違う気がした。

 一歩前に出て、ピヴワヌの隣に亜莉香は立つ。


「そもそも、何が目的で現れたのでしょうね?」

「ヒナじゃないけど、いっか。と言っていたのは聞いたぞ」

「私とヒナさんって、似ています?」

「誰のか分からない着物のせいじゃないか?それ以外に、儂は思い浮かばん」


 つまりヒナの着物を持っていたせいか、と一人で納得する。

 少女が現れた理由が分かった所で、現状打破の名案は思い浮かばない。ルグトリスではない少女の命を奪うのは抵抗があり、だからと言って、逃げ切った所で追いかけて来ないとは限らない。

 厄介な人物に目を付けられたと思えば、亜莉香より先にピヴワヌがため息を零した。


「毎度毎度、アリカは厄介事を持ち込み過ぎだ」

「私のせいだけじゃないですよ」

「どうだかな。これから、どうするつもりだ?」


 戦うのか、逃げるのか。

 ちらっと後方を気にかけ、心で願っただけでルイの氷は解けた。ルイの足が動き、その隣にはルカがいるのを確認してから前を向き、少女に視線を戻す。


 以前、透が戦った時は首を刎ねても意味がなかったと言っていた。

 封印する術を知らない亜莉香には、永遠と戦い続ける力はない。優先すべきは、ルカとルイの安全確保。それが第一だと思えば、自然と選択肢は決まった。

 両手を握りしめて、覚悟を決める。


「まずは時間を稼いで、ルカさんとルイさんを安全な――」


 場所へ、と言いたかった。

 トウゴの名前を呼ぶ声が聞こえて、反射的に振り返る。


 ルカとルイの傍らに、会いたかった人がいた。


 曇り空の下だから、落ち着いた茶色に見える肩まで伸びた髪を、紺色の髪紐で結っている。蘇芳色の着物は角度によって、ほんの少し色の違う細かい柄があり、袴は赤褐色である鳶の羽より暗い黒鳶。黒の羽織りと底の低い靴を合わせて、汗だくの額を腕で拭った。


 息が上がっていたせいか。突然いなくなったトウゴに対して怒っていたせいか。

 文句を言いたそうな顔をして、必死に呼吸を整えるのはトシヤだ。


 真っ直ぐにトウゴを見つめる黒に近い焦げ茶の瞳から、亜莉香は目が離せなくなった。声も出なくなって、どんな顔をすればいいのか分からない。


 会いたかったはずだった。

 それなのに、会えたら胸が苦しい。


 思い入れのある着物を身に纏うトシヤに、何を言えばいいのか頭が真っ白になる。

 トシヤは覚えてない。灯は知らない。どんな想いを込めて着物を縫い、受け取って貰えた時にどんな気持ちを抱いたか。それを理解しているのは、亜莉香だけ。


 トシヤを含む三人を見ていると、夢と同じことが起こる気がして怖くなった。

 数メートル後ろで動かなくなって、血だまりの中で倒れていた光景が重なる。

 夢で見た人とは違うと頭では分かっているのに、瞬きをする度に鮮明に見えてしまう。安心した表情を浮かべて息絶えていた二人の青年がいて、一人だけ仰向けになっていた明るい茶色の髪の少年がいて。何もかも違うはずなのに、夢が現実に侵食する。


 同じ所なんてないはずなのに、たった一つの共通点を見つけてしまった。

 トシヤの腰に差したままの日本刀は、同じだった。


 気付いてしまえば、夢の中の少年とトシヤが同じ人物に思えた。トシヤが少年の生まれ変わりであるなら、夢の出来事は繰り返される。


「それは…駄目」


 後退りながら、小さく零れた囁きにピヴワヌさえ気付かなかった。

 駆け出す同時に、舞い上がれ、と口にした。近くにいた緑の精霊の力を借りて、地面や屋根の雪が舞い、亜莉香以外の視界を奪う。


 真っ直ぐに狙うは、ルグトリスを従える少女。

 まるで重力のない身体で身を低くして、ルグトリスの隙間を一直線に抜けた。いつの間にか右手には氷で作り上げた小刀を持ち、少女の心臓を狙っていた。


 少女の右手にも小さな刀があり、迎え撃つ気で亜莉香を狙う。

 刺し違えてでも、殺そうと思った。


 少なくとも亜莉香は死んだら動けないだろうが、瞳を輝かせて小さな刀を構える少女は死なないかもしれない。透が首を刎ねても、血まみれになっても、実際は動いて話せて不気味な存在だった。

 それでも、と小刀を握る手に力がこもった。お互いの距離が一メートルを切る。


 悪夢は繰り返させない。


 少女も踏み込もうとした瞬間、頭上から真っ黒い影が割り込んだ。

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