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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
26/507

06-1

 桜が満開だった季節が終わり、道の片隅に菖蒲の花が咲いた。

 曇り空の日や小雨の降る日もあるが、どちらかと言えば晴天の日が続いている。朝と夜はまだ肌寒いが、太陽の光が当たると日中はとても暖かい。


 木々の葉は色鮮やかな緑で、本日の空は晴天。

 午前中に朝ご飯の片付けや掃除を終え、夕飯の買い出しのために亜莉香は家を出た。住宅街を歩いていると、涼しい風が吹いて気持ちが良い。買った物を包めるように風呂敷を抱きしめながら、上機嫌で歩いていると、誰かが名前を呼んだ。


「アリカ姉ちゃん!」


 聞き慣れた呼び名に、亜莉香は振り返る。

 名前を呼んだ声の主は、横道から駆けて来た。亜莉香の目の前で立ち止まると、満面の笑みを浮かべて顔を上げた。にっこりと笑った顔を確認して、亜莉香は微笑む。


「こんにちは、コウタくん。お母さんは?」

「すぐ来るよ。俺は姉ちゃんが見えたから、走った!」

「足速いよね、コウタくん」

「まあね、トシヤから色々教わったもん!そのうちトシヤより強くなるんだ!」


 えへへ、と頭を掻きながら、照れた表情を見せた少年、コウタ。

 初日に診療所で出会ったコウタは、十歳になったばかりだと聞いた。何度か市場で見かけ、トシヤを介して話しているうちに、亜莉香にも懐くようになった。

 この街の人の大半と同じように赤系統の、明るく華やかな赤色の髪は母親と同じ色。背の中さはまだ亜莉香より低くて、人懐っこい表情を浮かべているコウタは、ヒマワリのような黄色の着物に、深い紺の袴と草履姿。

 小さなチワワのような印象は、まだ消えない。

 どこ行くの、と首を傾げたコウタの後ろに、笑顔を浮かべている母親が現れた。コウタは母親の存在に気が付いていない。笑顔を浮かべてはいるが、あからさまに怒っている母親は息を吸いこんで、叫びながらコウタの頭を目掛けて拳を落とす。


「こら!いきなり走らない!誰かにぶつかったらどうするの!」

「――っい、たい!ちゃんと確認したよ!」


 頭を擦りながら、しゃがみ込んだコウタは母親を睨んだ。

 母親、ムツキは黙っていれば、和風美人と言う言葉がよく似合う。背が高めで、真っ直ぐに立つ姿が凛としているが、口を開けばコウタへの小言や声を上げて喋り出して、美人が台無しになる、と言うのは誰もが言っていること。

 いつも紫陽花の着物を着ていて、袴は穿かない。長い髪を透明な曇り玉の付いた簪でまとめているムツキは、何故か市場でよく出会う。美人で人目を引くから、だけでなくて、誰とでも大きな声で話していては、亜莉香を見つけては声をかけてくれた。

 コウタよりもよく会い、話す回数の多いムツキが、それで、と亜莉香に笑いかけた。


「これから買い物?大変だね、いつも毎日」

「いえ、私に出来るのはこれくらいですから。お二人も市場へ?」

「そうだよ!俺はそのまま友達と遊ぶ!」


 ムツキの代わりに元気で答え、コウタが亜莉香の手を引いて歩き出す。

 苦笑いを浮かべたムツキが無言で頷いたのを確認してから、亜莉香も頷き返して、コウタと一緒に歩き出した。コウタを挟むように三人で歩きながら、ムツキが口を開く。


「遊ぶのはいいけど、遅くなる前に帰って来るのよ」

「分かっているよ。母さんはいつもそればっかり!」

「それはいつも、コウタが遅いからでしょ」

「遅くないよ!」


 頬を膨らませたコウタを、じろりとムツキが見た。

 黙って会話を聞いていた亜莉香は笑いながら、コウタに訊ねる。


「コウタくん、今日は何して遊ぶのですか?」

「今日は皆で鬼ごっこ!」


 話題が変わって、コウタが楽しそうに話し出す。あまりにも楽しそうに話し出すコウタに、ムツキと目が合い、亜莉香は一緒に微笑んだ。

 喋りながら市場に着くと、コウタはすぐに友達を見つけて駆けて行った。

 コウタを見送りながら、ムツキが言う。


「いつも、コウタの相手をしてくれてありがとうね。アリカちゃん」

「そんなことは、私の方が相手をしてもらっている立場ですから」


 即座に返した亜莉香の言葉に、ムツキは首を横に振った。


「あの子、暫く友達と会えなかったから。私と二人も嫌で、でも友達に会うと遊びたくなるから会えなくて、話し相手が必要だったの」


 コウタの姿が見えなくなったのを確認した。踵を返したムツキと一緒に歩き出す。

 亜莉香は歩きながら、最初の頃のコウタとムツキの様子を思い出した。

 コウタはいつもムツキの傍にいて、別々に行動していることはなかった。コウタは友達と一緒に遊ぶようになったのは二週間ほど前のことで、それまではどこに行くにもムツキが傍にいて、コウタは嫌な顔をしつつも自ら離れようとはしない雰囲気だった。

 だからこそ、市場で合う度に二人と話をして亜莉香は仲良くなった。

 あの子ね、とムツキはいつもより声を落として、小さな声で話し出す。


「ようやく、また友達と遊ぶようになったけど。前は苛められていたのよ。友達がなかなか出来なくて、魔法が使えないから仲間外れにされていたの」

「でも、今は魔法が使えますよね?」


 つい先日も、コウタはどんな魔法が使えるようになったか、事細かく教えてくれた。

 亜莉香の言葉に、ムツキは頷きつつも、昔のことを思い出して悲しそうな顔になる。


「魔法が使えるようになったのは、つい先月なの。ほら、診療所で会ったでしょ?あの数日前にようやく使えるようになって。泣き虫で、苛められていた当時は、助けてくれたのがトシヤだった…それから時々トシヤが話し相手をしてくれて、武術を教えてくれて、友達が出来て」


 本当に良かった、と嬉しそうにムツキは呟いた。

 コウタを想うムツキの横顔が、あまりにも優しく、幸せそうに見えて、眩しい。母親とはこういうものなのかと。羨ましさを感じていた亜莉香を振り返って、ムツキはにっこりと笑った。


「さて、今日は何を買おうか?アリカちゃんは決めてある?」

「えっと――今日は湯豆腐とわらびの卵とじと、山菜の天ぷらを考えています」

「春だねぇ、春と言えば。もうすぐ筍の季節だから。知り合いが大量に分けてくれる筍、アリカちゃんにもお裾分けするわね。筍ご飯や味噌汁、炒め物やパスタ何でも使えるけど、あく抜きの仕方は分かる?」


 いいえ、と亜莉香は首を横に振った。

 それなら、とムツキが言う。


「今度やり方を紙に書いて渡すわね。アリカちゃんがいると、料理の話が出来て嬉しいわ。トシヤなんて料理の話を聞いてくれないから」

「皆さん、料理は苦手みたいですからね」

「苦手を通り越して、料理をしない人間が集まった家だったじゃない。何度私がおかずを差し入れしたことか…」


 ムツキは深いため息を零した。


「トシヤのことは小さい頃から知っているけど、料理が下手なところだけは変わらないんだから」

「小さい頃のトシヤさんは、どんなでしたか?」


 興味本位で尋ねた亜莉香の質問に、ムツキが口角を上げた。


「それはね――」

「余計な話をするなよ」


 答えようとしたムツキの言葉を、ため息交じりの声が遮った。

 後ろで聞こえた声に、亜莉香とムツキは同時に振り返る。立ち止まって驚いている亜莉香とは違い、にやにやと笑みを浮かべたムツキが口元を隠しながら言う。


「あら、トシヤ。どうしたんだい?恋人のお迎え?」

「違う。何度も言うけど、恋人じゃない。夕飯の買い出しなら、アリカを手伝おうと思って来ただけだ」

「それはお迎えじゃないのかしらね?」


 呆れながら言ったムツキの言葉に、あれ、とトシヤは首を傾げた。

 考え出すトシヤを他所に、ムツキは亜莉香の耳に口を寄せる。


「アリカちゃん、トシヤが来たのなら邪魔をしないように私は行くわね」

「邪魔じゃないですよ?ムツキさんも、一緒に買い物しませんか?」

「私は一人でいいのよ。トシヤと一緒に買い物を楽しんで」


 むふふ、と笑いながら、ムツキが離れた。トシヤは腕を組んで市場の真ん中で考え込んでいたので、亜莉香とムツキの会話など耳に届いているはずがない。

 ムツキが勢いよくトシヤの肩を叩いた。痛がるトシヤを置いて、ムツキは元気よくいなくなった。軽い足取りで、風のように人混みに紛れて見えなくなったムツキの姿を、トシヤは目で追う。


「なんで皆、俺を叩くんだろうな」

「よく、叩かれていますよね。トシヤさんは」

「市場の連中、会うと毎回肩やら背中ならを叩くからな。もう慣れたけど」


 最後の付け足すような言葉に、亜莉香は何も言えない。トシヤと市場の人々の一種の愛情表現に、笑みを浮かべるしかない。

 まあいいや、とトシヤが亜莉香を見た。


「アリカ、まだ買い物をしていないんだろ?どこ行く?」

「あ、まずは豆腐屋さんに」

「なら、こっちか」

 トシヤが歩き出した。置いて行かれないように亜莉香が追いかければ、すぐにトシヤは歩幅を合わせて、隣を歩いてくれる。夕方ではないので、隣を歩いても人に押しつぶされることもなく、歩く亜莉香にトシヤは言う。


「今日はコウタ、一緒じゃなかったんだな」

「最近はお友達と遊ぶことが多いそうですよ。会いたかったですか?」

「いや、友達と一緒ならそっちの方がいいだろ」


 ですね、と答えて、亜莉香はムツキと話していた内容を思い出して尋ねる。


「魔法って…使えるようになるには個人差があるのですね?」

「まあな。説明しようか?」


 分からないことは、出来るだけ聞くようにしている。お願いします、と素直に言えば、トシヤが説明を始めた。


「魔法が使えるようになるのは、七歳前後が多い。早い子供だと、五歳ぐらいから遅くても十歳ぐらいに目覚める」

「へえ、生まれた時から魔法が使えると思っていました」

「それは違う。生まれた時から使える子供がいないわけじゃないけど、普通の子供は目覚めてから魔法が使えるようになる」


 目覚めて、と強調したトシヤの言葉の意味が分からず、亜莉香は言葉を繰り返す。


「目覚める、とはどういうことですか?」

「魔法が使えなかった人が、魔法を使えるようになること、で合っていると思う。目覚めて、とか覚醒、とか言う。幼い子供ほど、自然と魔法が使えるようになる場合もあるけど、コウタみたいに年齢が上がるにつれて、目覚める時に体調を崩す奴もいる」

「なんで、体調を崩すのでしょう?」

「今まで魔法を使わなかった反動、とも言われているけど、詳しいことは俺もよく分からない。ユシアの方が詳しいと思う」


 なるほど、と亜莉香は相槌を打った。

 話しているうちに人にぶつかりそうになった亜莉香の肩を、トシヤは当たり前のように引き寄せて、ぶつからないように配慮する。どきっとしたのは一瞬で、トシヤは気にせずに話し出す。


「コウタの場合も十歳で遅かったから、ムツキさんが心配していたろうな。あいつ、目覚めた直後に高熱を出して、二日間も寝込んだだけじゃなくて、その後も度々貧血起こしていたから。母親としても完全に治るまで、暫く傍にいて欲しかったのかもしれない」

「そ、そうですか」


 うまく喋れなかったのは、トシヤがあまりにも近い距離にいたせいだ。少し顔が赤くなった亜莉香は、俯きながら言葉を続ける。


「トシヤさん、あの…」

「何?」

「もう、ぶつからないようにするので、大丈夫です」


 照れながら言った亜莉香の言葉に、トシヤの顔も少し赤くなる。

 そっと手を離すが、肩が触れ合う距離は変わらず、お互い無言になった。気まずいままは嫌で、亜莉香は前を見ながら明るく言う。


「今日の夕飯は、湯豆腐とわらびの卵とじと、山菜の天ぷらでいいですか?」

「ああ、それでいいと思う。じゃあ、豆腐屋に行って、いつもの八百屋に行って見るか?」

「はい、そうしましょう」


 頷いたものの、会話が続かない。いつもなら普通に話しているのに、話せなくなったまま歩く。そのせいで、真後ろに知り合いがやって来たことも気付かなかった。

 少し駆け足で追いついた知り合いが、亜莉香とトシヤの肩を同時に軽く叩いた。


「ねえ、二人とも買い物?」

「うわ!」

「ひぁあ!」


 ほぼ同時に上がった声に、声をかけたルイまで驚いた顔になる。顔の赤い亜莉香とトシヤが振り返り、ルイは瞬きを繰り返した。


「僕、何もしてないよ?」

「…悪い、ルイ。ちょっと驚いた」

「ルイさんでしたか。びっくりしました」


 深く息を吐きながら、亜莉香はルイの隣にいたルカの姿を確認した。ルカもルイ同様に驚いた顔をしていて、不思議そうに言う。


「どうしたんだよ、二人して」

「いえ、何でもないです。すみません、驚いて」

「いや、別にいいけど」


 疑問が消えないルカとは違い、ルイは何かを察した顔になる。けれども驚いた件に関しては何も言わず、にっこり笑った。


「あのね。買物をするのを僕達も手伝うから、アリカさんにお願いがあるんだよね」

「俺も手伝うのかよ」


 何かを企むようなルイとは対称的に、ルカはぼそっと呟いた。ルカの言葉に対して誰も何も言わずに、トシヤはルイに疑いの視線を向け、亜莉香は首を傾げる。


「お願いとは、何ですか?」

「すごく簡単で、ちょっと面白いお願いなんだけどね」

「さっさと言えよ」


 中々用件を言わないルイに、トシヤがため息交じりに言った。

 にやりと笑ったルイが、口を開く。


「今日はさっさと家に帰って、アリカさんの魔力を探ってみない?」

「はい?」

「は?」


 亜莉香とトシヤが同時に口から零れた言葉に、ルイは満足そうに微笑む。言葉が続かない二人に、ルカは深いため息を零した。

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