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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
257/507

52-4

 翌朝になっても、外の雪は消えなかった。


 灰色がちの白い袖に手を通して、亜莉香は藍色がかった鼠色の帯を締める。

 白い着物は僅かに黄色を含み、裾や袖の下に行くほど大きな雪の結晶が印象的。襟元には白を重ねて、袴は帯より青みを帯びた、暗い灰色である青鈍を合わせた。足元は底が滑らないようになっている、黒のレースアップのブーツ。

 両脇の髪の一部は編み込み、後ろでまとめて簪を挿す。後ろ姿を確認するために、浴室の姿見の前で振り返れば、ガラスの簪が揺れた。

 姿見に顔を向けると、悪夢を見ずに寝た顔色は良い。


「よし」


 両手で頬を軽く叩いて、気合を入れた。


「アリカ、準備が出来たなら行くぞ」

「今行きます」


 扉の前で待っているピヴワヌに返事をして、亜莉香は迷うことなく浴室を出た。

 部屋の中で待っていたのはピヴワヌとフルーヴ、そしてトウゴ。


 精霊である二人は人の姿。いつも裸足のピヴワヌは茶色の靴を履いている。白い着物の上には、目立つ白い髪を一緒に隠すように無地の赤い着物を被って亜莉香の隣に並んだ。

 小さな女の子であるフルーヴは、草履を履いているが裸足。靴は嫌だと言ったが履かせて、ピヴワヌ同様に青い着物で髪を隠して、落とさないように両手で着物を掴む。

 亜莉香を見るとにんまりと笑って、ベッドから飛び降りた。


 そのベッドには、いつもと変わらない格好のトウゴが腰かけていた。

 寒くないように、やはり黒い羽織りを身に付け、亜莉香の準備が出来たのを確認して立ち上がる。折り畳んで持っていた女物の黒の着物を手に持ち、遠慮がちに差し出した。


「これ、アリカちゃんの?」

「違いますが、どうしてですか?」


 黒の無地の着物は持っていないから、即答して首を傾げた。

 少し困った顔をしたトウゴは、手にしていた着物に視線を落とす。


「一昨日アリカちゃんを見つけた時、この着物も羽織っていたから。冷たくなっていた一昨日の着物と一緒に洗ってもらって、さっき届けてもらったけど…てっきり、アリカちゃんのものかと思っていた」

「ほれ、儂の言った通り違っただろ?」


 腕を組んでピヴワヌは自慢げに言い、顔を上げたトウゴは疑問を口にした。


「違ったのなら、誰の着物かな?わざわざ着物を置いていくなら、寒い中にアリカちゃんを放置しないで、助けてくれても良くない?」

「少し、見せてもらってもよろしいですか?」

「うん?いいよ」


 手を引こうとしていたトウゴから着物を受け取り、亜莉香は両手で広げた。

 真っ黒な着物は無地で、風を通さない厚い生地。寒さの厳しい冬仕様で、肩から羽織れば着物の丈の長さが丁度いい。

 いざという時、顔を隠せるし防寒対策になる。

 誰のかどうか、断定したわけじゃない。ただ助けはしないが、そのまま放置もしない誰かの顔は思い浮かび、口角が僅かに上がった。


「折角だから、この着物はお借りしますね」

「誰のか分からないのに?」

「はい。誰のか分かりませんが」


 答えながら、次にヒナに出会った時にお礼を言おうと思った。

 考えを読まれて、ピヴワヌの舌打ちは聞かなかったことにする。ピヴワヌが何と言おうが、亜莉香の心の中では確実にヒナに対しての印象が変わってしまった。


 ヒナは悪い人ではない、と今なら面と向かって言える。


 例え過去に襲われたり、戦ったりした相手だとしても。それと同じくらい助けられ、忠告をくれた。ヒナのことは何も知らないけど、置いていった着物を羽織れば温かくて、優しく仄かな花の香りがする。

 どこかで嗅いだことのある花の名前を、思い出すことは出来なかった。

 誰もが亜莉香を忘れているなら、ヒナとは初対面になるはずだ。別の出会い方をしていたら、仲良くなれた可能性はあったのではないかと思う。


 落とさないように、右手で着物の襟元を掴んでおく。

 トウゴは何も言わずにいてくれて、暇そうだったフルーヴが駆け寄った。思わずよろけた亜莉香の足に抱きつき、楽しそうな瞳で問いかける。


「行く?」

「はい、そろそろ行きましょう」

「今日は何があっても、傍を離れんからな」

「勿論、ピヴワヌ様だけじゃなくて俺もね」

「フルーヴも!」


 頼もしい人達が先に扉に向かい、亜莉香と手を繋いだフルーヴが笑いかけた。トウゴが扉を開けて、ピヴワヌも後に続く。

 笑みを浮かべた亜莉香は、明るい部屋の外に向かって足を踏み出した。






 雪は降っていなかったが、太陽のない外は寒い。

 頭に被った黒い着物をずらして、薄暗い空を見上げる。息を吐けば白く、フルーヴと繋いでいる左手だけが温かい。


 宿があるのは中央通りの近くで、いつもより少ない人混みの中を歩いて東市場を目指した。前を歩くのはトウゴとピヴワヌで、他愛のない話をしつつも、周りに視線を巡らせる。見知った人は極力避けて、普段とは違った道を行く。


 歩いているだけで、精霊達が亜莉香に声をかけて心配してくれた。

 大丈夫と返して安心する精霊もいれば、無理するなと言い残して去る精霊もいる。力のあるピグワヌやフルーヴが傍に居れば、心配は杞憂だと理解していて、幾つもの小さな光は距離を保って傍に居る。

 何かあって呼べば、力を貸してくれる。


「ありか?」

「何ですか?」

「呼んだだけ」


 ふふふん、と声を出して嬉しそうにフルーヴが言った。小さな手に引かれて歩いていると、市場が近づくにつれて、無意識に硬くなっていた表情が緩む。


 会って、なんて言えばいい。

 いくら考えたところで、答えは直前にならないと出ない。


「アリカ、あまり煮詰めるなよ」

「ピヴワヌには何でもお見通しですね」

「何?疲れたなら、ここらへんで休憩する?」


 前を見たままのピヴワヌとは違い、トウゴが後ろを振り返った。

 笑みを作って、出来るだけ明るく言う。


「いえ、大丈夫です。最初はヤタさんの診療所に行くのでしたよね」


 宿を出てから決めた順番を思い出して、それから、と続ける。


「診療所に行った後に図書館に行って、市場でトシヤさんを探して――他の人達にはおいおい、会いに行きましょう」

「でも途中で限界を感じたら、すぐに言ってね。何度も言うけど、無理はしないこと」

「阿呆。儂が傍に居るのだ。アリカの無理に気付かない筈がない。それに儂の堪忍袋の緒が切れて、何かしでかす方を心配した方がいいぞ」

「何もしないで下さいね」


 本気で何かしでかしそうなピヴワヌに注意して、亜莉香は肩の力を抜いた。

 トシヤの名前を口にしただけで、心が苦しい。

 昨日は、ずっと灯と一緒にいたのだろうか。記憶を失ったと思って、心配して寄り添っていたのだろうか。考え出せば想いが止まらず、着物の襟元を掴んでいた右手に力が入った。

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