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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
256/507

52-3

 店長が呼んでいる、と宿の人に呼び出されたのは夜遅くだった。

 日付も変わる時刻に、待ち合わせに指定されたのは、宿の隣の建物。廊下で繋がっている隣の建物には、宿泊者や昼には一般客も受け入れる食堂があった。


 一階の食堂の扉は少し開いていて、仄かな明かりが漏れていた。

 静まり返っていた扉をトウゴが開けるなり、待ち受けていたのは仁王立ちの赤鬼。

 真っ赤な顔に、太い眉。つり上がった瞳に、開いている口から鋭い歯が二本覗き、おまけに角があった。仁王立ちの鬼は腕を組んで立ち、堂々とした態度を見せる。


 入口の近くのテーブルにある蝋燭一つの明かりでは、薄暗い部屋の雰囲気は不気味だった。お腹いっぱいになってベッドで寝てしまったフルーヴがいれば、泣いて喚いて騒いだり、悲鳴を上げたりして、亜莉香にしがみついたかもしれない。


 誰も騒がなかったのは、鬼の背丈が低く、テーブルの上に乗っていたせいだ。

 よく見れば、鬼の顔はお面。子供で、どう見ても店長に見えない。

 呆然とした亜莉香の代わりに、手を繋いでいたピヴワヌが言う。


「電気を付けろ」

「節電対策だよ」


 冷静なピヴワヌに対して、返って来た声は可愛らしい声だった。


「節電をしないと、お母さんに怒られるからね」

「いや、夜中に出歩いている時点で怒られない?」

「今は妹が泣き喚いているから、大丈夫!」


 ドンと胸を叩く仕草をした赤鬼に、トウゴが呆れた。


「ばれたら絶対に怒られると思うけどな。あと、そろそろテーブルから下りた方がいいよ。それもばれたら、こっぴどく怒られる」

「ばれなきゃ、いいの!」

「その台詞を、俺は何度も聞いたけどね」


 食堂に入りながら、トウゴは扉付近にあった電気を付けた。

 一瞬で明るくなって、食堂の中がよく見える。亜莉香が初めて足を踏み入れることになる食堂。二十人程度が座れる椅子とテーブルがあり、どれも別々の種類の組み合わせ。庶民的の言葉が当て嵌まり、少し薄汚れた壁や傷んだ床でありながら、掃除が行き届いて、大切にされていると一目で分かった。


 その中心のテーブルに、赤鬼のお面を被った女の子。

 お面から覗く瞳は、澄んだ紅。肩まで伸びた強い黄みがかった朱色、猩々緋色の髪をそのままにして、顔はお面で見えない。淡い色の白と橙色の着物を重ねて、桃色の帯に梅の花が咲く。外は雪が降る寒さのはずが、足は厚手の足袋のみだった。


 不思議な女の子を、亜莉香はじっと見つめた。

 不意に視線に気付いたようで、両手を叩いた女の子は声を上げる。


「やっぱり可愛い人と一緒だった!彼女の前でトウゴの情けない姿をさらけ出させ、私が腹を抱えて笑い転げ、その恥ずかしい姿をお母さんや他の皆に言いふらす。ここまでが計画だったのに!!」


 途中で悔しそうに膝をつき、女の子が両手で頭を抱えて見せた。


「そのためだけに、わざわざ鬼のお面を被っていたの?」


 大袈裟な仕草とくだらない計画に、トウゴはため息をつく。一部始終がどうでもいいピヴワヌは空いていた左手で口を隠して、大きな欠伸を零した。


「さて、部屋に帰るか」

「なんで!折角来たのに!」

「店長なら世話になる手前挨拶をするが、小娘と話をする必要性はない。話したくもない。アリカ、部屋に帰って休むぞ」

「ちょ、ちょっと!待って!!」


 テーブルから飛び降りた女の子は、慌ててピグワヌの着物に手を伸ばす。

 近くに来ると、背丈はピヴワヌとフルーヴの間ぐらい。

 掴もうとした小さな手は袖で振り払われ、見事な後転をして体勢を整える。どこぞの殿様に仕える武士のように片膝をつき、ふっと息を吐いた。


「中々やるな」

「よし、アリカちゃん。部屋に戻ろう」

「待って!!トウゴまで私を見捨てないで!!」


 亜莉香の身体の向きを変え、トウゴが背中を押した。来た道を戻ろうとしたトウゴの足に女の子がしがみつくと、流石に振り解けなかったようだ。

 しがみついたままの女の子を見下ろして、トウゴは優しく話しかける。


「ウメちゃん、子供は寝る時間だって分かっているよね?」

「私の中身は大人への階段を上ったばかりの、まだまだ若い十代の女性なの。そう、光沢のある美しい髪を靡かせ、誰もが振り向く美貌を――」

「持っているわけないだろ。小娘の顔など、人参と同じだ」


 途中で語り口調になった女の子の話を、ピヴワヌはばっさりと切った。

 耐え切れなかったトウゴが吹き出して、亜莉香は無表情であろうとする。例えが野菜の人参で、どう反応すればいいのか。例えた本人は満足そうだが、言われた本人は違う。

 わなわな震えだして、ウメと呼ばれた女の子が勢いよくピヴワヌを指差した。


「貴方だって、ちんちくりんの食いしん坊!」

「何だと!人参娘だって、儂と同じくらいの食いしん坊だ!」

「違うもん!ケーキを一人でワンホール食べないから!」

「違わん!儂の気に入っていた苺牛乳を瓶ごと飲み干しただろうが!」


 低レベルの言い合いが始まって、止める人がいない。

 その隙にトウゴが手招き、亜莉香の耳に口を寄せた。


「ピヴワヌ様と顔を合わせる度に喧嘩になるのが、店長の次女のウメちゃん。食べるのが好きで、負けず嫌いの女の子。時々うちの店にやって来ては、廃棄直前の甘いものをピヴワヌ様と奪い合っているよ」

「ピヴワヌ、トウゴさんの店でご迷惑をかけていたのですね」


 予想外の情報に、頭が少し痛くなった。

 亜莉香の知らないところで、子供のふりをして食べ物を貰っているのは日常茶飯事なのだろう。トウゴの店以外でも貰っていて、少し考えただけで数軒の店と、その店で働く子供好きな人達の顔が思い浮かぶ。

 姿勢を戻したトウゴが、まあ、と声を落とす。


「捨てるよりは食べてくれた方がいいから、そこは気にしないで。もうすぐ六歳になるはずだけど、口が達者で、話し出すと止まらない子。悪い子ではないけどね」


 取って付けたように言えば、ウメがトウゴの着物を力強く引っ張る。


「悪い子じゃないもん!」

「聞こえちゃったか」

「皆いつもウメを馬鹿にして、絶対に見返してやるから!」

「馬鹿を馬鹿にして何が悪いのだか。全く、儂の相手にはならんな」

「むかつく!凄く、むかつく!!」


 余計なピヴワヌの一言で、ウメが地団駄を踏む。

 背の高さも年齢も間違いなくピグワヌの方が上なのに、大人気ない態度が一貫していた。いつまでも続きそうな言い合いに、亜莉香は繋いでいたピヴワヌの手を軽く握る。


 目が合えば、気持ちを汲み取ってくれる。

 大人しくしようとピヴワヌが息を吐くと、床が微かに揺れた。


 何の音なのか。

 まるで巨大な生き物がやって来るような、低く重い音が響いた。

 トウゴとウメだけが何の音か悟り、音のする扉の方を振り返った。トウゴの顔は真っ青になり、逃げるように一歩身を引いた。その後ろに隠れたウメが、ほんの少し顔を覗かせて、震えながら薄暗い廊下を見つめる。


 誰か来るのか分かっている二人とは違い、亜莉香には全く分からない。

 トウゴとウメを見比べた後、静かになったピヴワヌと一緒に廊下を眺めた。


 近付いて来る音と共に、やっぱり微かに床が揺れる。

 人影だけ見れば、近付いて来る人物は女性。

 無地の赤い着物に、黒い帯。一つに結んでいる髪の色はウメと同じで、つり上がった瞳の色はウメよりも濃い紅。背はトウゴより高く、横幅もある。右手には何故かお玉を持って、左手に持っているのはフライ返しだった。

 笑っている顔は薄暗いせいか、そもそもの顔のせいか。どちらにせよ、鬼と表現すると当て嵌まる女性がいた。手にこん棒を持って角があったら、まさしく赤鬼と言えるだろう。

 若干口角を引きつらせて、トウゴが言う。


「…店長」

「ひょえー。お母さん、違うよ。私は悪くない。本当に、悪くは――」


 話している途中で、女性はトウゴの前に到着した。

 言葉に詰まったウメが傍にいて、逃げ場のないトウゴの緊張が伝わる。トウゴが何かを言おうとして、女性の左手が先に動いた。

 その先を予想して、反射的に亜莉香は目を閉じた。


 バチーン、と痛そうな音が響く。

 恐る恐る、目を開けた。フライ返しで叩かれたのは、鬼のお面を被っていたウメだった。ふらりと身体が揺れて、トウゴの真横で蹲り、両手で頭を抱える。

 ウメは身体を僅かに震わせると、瞳に涙を浮かべて、噛みつく勢いで顔を上げた。


「いたーい!!」

「当たり前だ!この馬鹿娘!!!」

「私は悪くないもん!!」

「悪くないわけないだろ!親に無言で家を抜け出すとは、何様だ!!!」


 間に挟まれた憐れなトウゴが動けず、亜莉香はピヴワヌと共に少し離れた。


「可愛い娘だから甘やかしてくれてもいいでしょ!」

「可愛くもないわ!憎たらしく育って、上の子とは大違い!全く――明日から一週間、毎日家事を手伝わせる!!」

「うえ、嘘でしょ?お母さん、冗談でしょう?」


 反省の色のなかったウメの態度が変わって、明らかに狼狽えた。

 左手のフライ返しを右手に持ち替えた女性は、素早い動きでウメの頭を鷲掴みにした。睨みつけると迫力が増して、ウメの小さな悲鳴は無視される。


「返事は?」

「い――」

「返事は!!」

「手伝わせていただきます!」

「なら、さっさと帰るよ」


 痛がるウメの頭を掴んだまま、女性は踵を返した。そのまま亜莉香達には何も言わず去ろうとする背中に、途中から動けなかったトウゴが声をかける。


「あの、店長!」


 店長と呼ばれて身体の半分を振り返り、まだ怒りの収まっていない女性の眼差しは鋭い。それでも意を決した顔で向き合い、トウゴは姿勢を正して頭を下げる。


「ご迷惑をかけて、すみません」

「っすみません」


 慌てて亜莉香も頭を下げると、小さくピグワヌも頭を下げた。

 じっと動かずに、返事を待つ。空気を読んだウメも黙った食堂は静かで、返って来たのは盛大なため息だ。


「頭を上げな。私は今、それどころじゃない」


 ゆっくりと亜莉香とピヴワヌは顔を上げたが、トウゴだけ体勢を変えなかった。


「でも――」

「でもじゃない。ウメと一緒に怒られる覚悟があるなら、一緒に家まで付いて来な。それが嫌なら、今日はさっさと寝ろ。話は明日。よく寝て起きて、明日の夜に聞きに来る」

「…はい」

「そっちの二人も同じだよ」


 蚊帳の外だと思っていた亜莉香とピヴワヌにも言い、反射的に頷く。

 真っ直ぐに睨まれると、少し怖い。

 店長の性別は男だと思っていたし、想像していた人物と随分かけ離れていた。


 トウゴの店で働いている従業員と言えば、見かける人は男性ばかりだ。細身から筋肉質な見た目まで、背が高い人もいれば低い人もいる。基本的には優しい人が多くて、従業員の女性の姿は見たことがなかった。

 まさか赤鬼と呼ばれた店長が、子持ちの女性だとも思っていなかった。

 身を固くした亜莉香に気付いたかは分からないが、女性は声を柔らかくした。


「昨日は、色々あったようだからね。ゆっくり寝て、よく食べなさい。それから、ちゃんと話を聞くよ。嘘をついたら、すぐに追い出すからね」


 ちゃんと、を女性は強調した。怖いと思っていたはずなのに、内容は優しく、嘘さえつかなければ追い出さないと受け取る。


「分かりました」

「儂は話すことがないのだが?」


 微かに笑みを浮かべた亜莉香の隣で、平然としたピヴワヌは小さく呟いた。

 ふっと笑みを零した女性が、今度こそ背を向ける。お玉とフライ返しを持った片手を、少し上げたかと思うと軽く振る。


「どっちにしろ、今日はもう寝る時間だ。電気を消して、さっさと部屋に帰りな」


 おやすみ、と素っ気なくも言い残した。

 女性はウメを引っ張っていなくなる。

 二人の姿が見えなくなっても、自分で歩こうとするウメの、離すように頼み込む声がよく聞こえた。叩かれた音を最後に、その後は静かなものになる。

 部屋に帰るか訊ねようとすれば、女性の顔を見なかったトウゴが息を吐いた。


「あー、明日こそ怒られるのかな」

「そんなことは、ないのでは?」

「いや、あの店長が年中怒っているのは、誰もが目撃している事実だから。平常な方が珍しいと言うか。従業員に対しては容赦がないと言うか――」


 ようやく顔を上げたトウゴは悲しげな表情で、誰もいない廊下を見た。

 すぐに両手を合わせて、瞳を閉じる。


「ひとまず今日は、ウメちゃんの犠牲に感謝」

「あれは自業自得だろ。それに儂やアリカに対しては、そう怒ることもない。怒られるとしたら、トウゴだけの話だろうな」

「それを言わないでよ、ピグワヌ様」


 怒られる前提のピヴワヌに、トウゴが情けない声を出した。

 二人の会話を聞きながら、亜莉香は目が覚めてからのことを考える。知らない人達はまだまだ沢山いて、手を差し伸べてくれる人もいる。目が覚めてからだって、ピヴワヌやトウゴ、フルーヴだけじゃなくて、宿の従業員の人や精霊達も心配してくれた。


 悪夢を見ていた日々の方が、ずっと一人だと感じていた。

 明日になれば絶望するかもしれないのに、今だけは大丈夫だと思える。


 小さなピグワヌの手を握れば、柔らかくて温かい。目が合えば、どうしたと言わん顔を向けてくる。不安も孤独も完全に消えたわけじゃないけど、何でもない、と微笑んだ。

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