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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
255/507

52-2

 亜莉香は黙って耳を傾け、ピヴワヌの話を聞いた。

 ピヴワヌとトウゴが家に帰ったら、当たり前のように灯がいたこと。ユシアの父親の薬でも飲んだことになっていて、誰も亜莉香のことを覚えてなかったこと。闇の魔力を感じたトウゴが蜂蜜の瓶を投げつけたり、ピヴワヌが灯に怒鳴りつけたりしたこと。

 何もかも遠い話で、話の途中でピヴワヌが舌打ちをした。


「儂にまで闇魔法を使うとは、次に会った時は容赦しない。トウゴが気付かなかったら、儂とて何をされたか分からん。最悪、アリカとの契約に割り込まれたかもしれん」

「いやー、俺のお手柄だよね」

「トウゴさんは、いつから魔法の光が見えていたのですか?」


 何となく聞いた質問に、瞬きを繰り返したトウゴの顔が固まった。

 頭を掻きながら明後日の方向を向いて、小さく声を落とす。


「結構、前から?」

「そうでしたか」

「え、それだけ?もっと何かない!?どうして見えているのかとか!隠していたことに関して怒るとか!」

「特には?」


 首を傾げた亜莉香に、トウゴがあからさまに落ち込んだ。


「俺、大袈裟に魔法を披露して、皆を驚かせるつもりだったけど。アリカちゃんの前だと、それすら得られないことがよく分かった」

「自分より何倍も凄い魔法を使える相手に、何を言っているのだ」


 呆れてピヴワヌが言い、まあ、と話を続ける。


「家を飛び出した後、精霊達の力も借りて、路地裏で倒れていたお主を見つけた。家には引き返せなかったし、ヤタの診療所も考えたが、お主を忘れている家には連れて行きたくはなくて、結局トウゴの知り合いの宿に行きついた」

「トウゴさんの?」

「ああ、うん」


 落ち込んでいた顔を上げて、頷いたトウゴが話を引き継ぐ。


「正確には、俺が働いている店の店長の知り合いの宿。ほら、俺の店って若い女の子のお客さんが多くて、俺みたいに格好いい男が多いだろ」

「そうですね」


 冷ややかな視線を向けたピグヴワヌとは違い、亜莉香は素直に肯定した。暫し無言になり、トウゴが右手を振りながら、僅かに顔を赤くする。


「いや、俺が格好いいことは否定してね。肯定されると、戸惑うから」

「嘘は言っていませんし、トウゴさんを格好いいと思っていますよ?」

「こんな時に俺を褒めないで!」


 頭を抱えたトウゴがみるみる顔を真っ赤にして、亜莉香には聞こえない声で呟く。


「天然の賞賛、こっわ」

「話がずれとるだろ。それで、店長の知り合いの宿がここ。そうだな」


 ピヴワヌが話を促し、咳をしたトウゴは姿勢を戻した。


「あー、うん。あの店って、女関係で厄介ごとに巻き込まれる従業員が多くて。そういう時に身を隠せる宿の一つが、この宿なわけ」

「一つ、ですか?」

「しつこい女の子はね、とことん追いかけて来るから。身を隠せる宿はガランスの中にも数軒、実は他の街にもある。逃げ切らないと、生死の危機に直面するね」


 壁を見つめて、まるで自分の体験のように語る。冗談を言っている雰囲気はなく、膝の上に肘を置き、両手を組んで顎を乗せた。

 僅かに震えた声で、トウゴは真面目に言う。


「この宿を訳アリで使うと、自動的に店長に連絡が入る仕組みでね。宿にいる間は仕事に行かなくていいけど、問題解決して報告するまで、店に顔を出すのは禁止。多分夜に、店長が会いに来るよ。あの、怖い赤鬼が」

「怖くはないだろう。儂に内緒でデザートをくれるぞ」

「小さい子と女の子には甘いから、ピヴワヌ様は知らないだけだよ。先輩も後輩も何人泣かされたことか」


 ピヴワヌは会ったことがある口ぶりで、ため息を零して亜莉香を見た。


「トウゴがそんな店で働いているから、こうして身を隠せる宿にいるわけだ。因みに、儂もトウゴも、フルーヴですら魔力の気配を消している。わざわざ灯が探しに来ると思えんが、誰かに見つかりたくはないのでな。数日は、ここで休める手筈をトウゴが整えた」

「ピヴワヌ、綺麗にまとめましたね」

「話が進まなかったからな」


 それで、とピヴワヌが言い、トウゴを振り返った。


「儂は一日中アリカの傍に居たわけだが、街や人の様子を見に行ったトウゴは、何か分かったか?色々と、会って来たのだろう?」


 含みを持たせた言い方に、トウゴは一瞬だけ亜莉香を見た。亜莉香には聞かせたくない話だったとしても、瞳を伏せた後、息を吸ってから静かに話し出した。


「アリカちゃんと仲が良かった人達には、会って来た。誰も覚えてなくて、アリカちゃんと過ごした記憶が全て、灯と言う少女に変わっていた」


 淡々とした口調は、ありのままの事実を告げる。


「何人かに、本当に覚えてないのか。しつこく話を聞いたら、俺の方が変な目で見られた。街の中で大きな変化は見つからない。家には一応帰って来たよ。俺の荷物とかアリカちゃんの荷物とか、必要だろうから身構えて帰ったけど、誰もいなくて好きに持って来た」


 その中に、と言いながら、トウゴが風呂敷を振り返った。

 視線が集まったフルーヴは飴を舐め終わっていたが、話に付いていけないようで静かにしていた。ぱくぱくと口を開けたので、トウゴがもう一つ飴を与える。

 もう暫くは大人しくしているフルーヴは置いておいて、トウゴが亜莉香に言う。


「後で中を確認して。他に必要な物は明日になったら、一緒に買いに行こう」

「でも私、お金があまりなくて」

「心配するな。それくらいトウゴが支払う」

「うん。そこでピヴワヌ様が払う、にはならないよね」

「儂は子供のふりをしていれば、金などなくてもどうにかなるからな」


 亜莉香の心配を他所に、子供の身なりを最大限に活用するピヴワヌは逞しい。

 穏やかな笑みを浮かべたトウゴだったが、そうだ、と何かを思い出した。


「因みにフルーヴは、昨日のうちに途中で捕獲したわけだけど」

「捕獲されたのですね」

「この馬鹿は、何も知らずに精霊共と雪で遊んでいたからな」


 思わず亜莉香が口を挟めば、容易に想像出来るピヴワヌの言葉が続いた。

兎の姿でも人の姿でも、フルーヴなら歓喜の声を上げて遊んでいたに違いない。

 その時の様子を思い出したトウゴが頷き、フルーヴは自分のことなのに捕獲の意味を理解出来ずに首を傾げた。もぐもぐと飴を口の中で転がせて、意味を聞き直そうか視線を巡らすと、何も言わずに黙り込む。


「そんな感じで捕獲して、一つ確信した。精霊は決して、アリカちゃんを忘れていない」


 真っ直ぐに見つめる水色の瞳が断言して、亜莉香は無意識に唇を噛みしめた。


「俺が覚えているのは、アリカちゃんが加護をくれたからだ。そのおかげで生きていて、魔法を使えるようになったし、精霊の姿も見えるようになった。正直、得体の知れない女の子を家にすら入れたくない。アリカちゃんが家を出るなんて、絶対におかしい。こんな状況は間違っていると思う」


 ピヴワヌには灯と出会った時のことを話しても、トウゴには何も話していない。

 居場所や役割を奪ったと灯は言ったのに、何も知らないトウゴは違うと言う。何も知らないからこそかもしれないけど、向けられた言葉は胸に染み込む。


「俺は、何があっても味方だよ。これから先、アリカちゃんがどんな選択をしても、味方であり続ける。この命を賭けて、君の力になる」

「易々と、命を賭けるなどと言うな」

「いやでも、本当にね。俺の命はアリカちゃんに救われたから、心からそう思っているわけ」

「阿保。寧ろアリカが救った命だ。今度はちゃんと、自力で身を守れ。お主が命を賭けなくても、儂が傍にいるから問題ない。トウゴの魔法はまだまだ未熟で、武器を使って戦うのだって慣れておらんからな」

「ピヴワヌ様、厳しいね」


 途中からわざとふざけたように話したトウゴに対して、ピヴワヌは偉そうだ。二人が話し出して、亜莉香は熱くなった目頭を、顔を伏せて隠す。


 何があっても味方だと、欲しかった言葉をトウゴがくれた。

 傍に居てくれると、当たり前のようにピヴワヌが言ってくれた。


 胸をぎゅっと押さえれば、この場にいない人達の顔を鮮明に思い出す。本当に覚えていないのか、自分の目で見ないと信じられない。

 今だって、明日になったら平和な日々が戻る気がしてしまう。

 今日は宿に泊まっているだけで、家に帰ったら皆でご飯を食べる。笑い合って騒がしい、そんな時間を夢見てしまう。


 明日になったら、自分の足で会いに行こう。

 例え誰もが亜莉香を忘れていても、一人ぼっちじゃない。


 ぐう、とお腹の鳴った音が部屋に響いて、亜莉香は顔を上げた。ピヴワヌでもなく、トウゴでもない。飴を舐めても足りないフルーヴは知らん顔で他所を向き、また音が鳴った。


「おなか減ったの」


 今度は頭を下げて自己申告したフルーヴに、束の間の笑いが広がった。

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