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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
254/507

52-1

 居場所を奪ったつもりなんて、一度もなかった。

 灯の役割を、押し付けられたと思ったこともなかった。大変なことも怖いことも、悲しいことも辛いことすらあったけど、それは亜莉香自身が選んだ結果だ。


 役目なんて、知らない。

 牡丹の紋章を持つ者であり、護人であるかもしれないけど、国や人々を守っていたつもりはなかった。いつだって守られて、ガランスに来てから過ごしてきた日々は楽しくて、嬉しくて、幸せな日々だった。


 亜莉香は、灯じゃない。

 それだけは確かなことだと言いたくて、涙が溢れそうになった瞳を開けた。


「アリカ!」


 涙が零れた瞬間、泣きそうなピヴワヌと目が合った。

 人の姿でいる時は幼くて、真っ白な髪は綺麗で、真っ赤なルビーの瞳に目を奪われる。

 横になっていた亜莉香から見れば、ピヴワヌはベッドの縁に座っていたようだ。羽毛の掛け布団が身体の上にあり、右手だけが外に出ていた。亜莉香の冷たい手の傍に座り、自身の右手を重ねて、強く握られている手のひらから温かさが伝わる。


 たった数日顔を合わせていないだけで、懐かしく堪らない。


「…ピヴワヌ」


 弱々しく名前を呼べば、握りしめていた亜莉香の右手を頬に寄せた。されるがままで、触れた柔らかさに涙が込み上げて、会いたかった、と気持ちが溢れた。


「目を覚ますのが、遅い」


 言葉にしなくても、それ以上の気持ちは伝わった。

 ピヴワヌの瞳からも涙が零れて、鼻をすすって顔を伏せる。


「儂も、同じだ。お主が好きであの夢を見ていたわけじゃないのに、呼ばれなかったことにいじけて傷つけた――主であるお主を一人にして、すまなかった」

「私の方こそ、ごめんなさい」


 深く頭を下げたピヴワヌを見て、素直に謝った。


「ピヴワヌに分からないはずがないのに嘘をついて、ごめんなさい。心が壊れかけていると言い当てられて、認めたくなくて、意地になって、本当にごめんなさい」


 ゆっくりと話す途中で、ピヴワヌが顔を上げた。

 目を合わせただけなのに、お互いに許し合っていることは分かる。涙を浮かべつつも、笑い合って、今まで感じていた心の壁が消えて行く。

 握っていた手を布団の上に優しく戻して、ピヴワヌは口を開いた。


「儂より謝るな。儂とお主は友であり、対等なのだろう?お主が謝り過ぎると、儂の立場が悪くなるではないか」

「ですが、ピヴワヌは頭を下げてくれましたから」


 横になっていた亜莉香は、それに、と心の底からの想いを付け加える。


「ピヴワヌがいないと、やっぱり私は駄目みたいですので」

「それは儂とて言えることだ。お主がいないと、毎日つまらん。心配する精霊共は朝昼構わず会いに来るし、大量の蜜柑は食べ飽きたし、お主の手料理が食べられなくて腹が減るし。離れていて、いいことはない」


 後半二つが食べ物に関してなのが、何ともピヴワヌらしい。

 さて、と言ったピヴワヌがベッドから下りて、微笑んでいた亜莉香を振り返った。


「そろそろ起きて、何か食べられるか?おかゆを用意してあるのだ」

「…少しなら」


 食欲はないが、心配そうに言われて小さく返した。

 全身が重たくて、ゆっくりと起き上がる。背中に腕を回したピヴワヌに支えられて起き上がれば、着物は見知らぬ柄だった。


 縦縞のストライプ柄は細く、淡い白と黄色、青が混ざっていた。帯は緩く濃紺で、枕の隣に、トシヤから貰った簪や持ち歩いていた小物が並ぶ。


 改めて部屋を見渡すと、知らない場所だ。

 部屋の中にあるのは、ベッドが一つ。壁際に物書きするための机と椅子があり、木製の床で、ベッドの傍に亜莉香の靴が揃えて置いてあった。あまり広くはなくて、生活に最低限な物しかない。


 一つ窓があるが、雪が積もって凍っている。

 外は暗い。雪がちらつき、立ち並ぶ建物が見えた。 


「ピヴワヌ、ここって?」


 窓に目を向けたまま訊ねると、机の上に乗っていた小鍋を持ってピヴワヌが戻って来た。落とさないように両手で持ち、布団の上に置いてから言う。


「宿だ」

「えっと…どうしてですか?」

「それは儂の方が聞きたい。なんで、お主は裏路地で倒れていたのだ。それも何時間も雪に埋もれて、凍え死ぬのかと思ったではないか」


 深いため息をつき、ピヴワヌが背を向けた。

 いそいそと椅子を持って来て、亜莉香のベッドの脇に置く。さも当たり前のように足を広げて座り、腕を組んで真剣な表情になる。


「食べながらで構わん。まずは、お主の身に何が起こったのか。一から、詳しく説明しろ。それを聞いたら、儂も説明してやる」

「私が先なのですね」

「…ああ」


 微妙な間が合って、じっと見つめられる視線を逸らして小鍋を見た。

 微かに香るお米の匂いに、お腹が減っていたのだと今更気付く。小鍋を目の前に持って来て、蓋の上に置いてあったスプーンを右手に持つ。

 そっと鍋の蓋を開ければ、梅干しが中心に添えられていた。

 一口食べてから、美味しいと零す。


 もう一口を食べる前に深呼吸をして、亜莉香は灯と出会った時のことを話し出した。






 落ち着いて話した内容を、ピヴワヌは黙って聞いてくれた。

 時々顔を顰めたり、口を挟もうとしたりもしたが、最後まで何も言わなかった。全てを話し終わる頃には、おかゆは冷たくなった。半分しか食べられなかったおかゆを、冷たくても口に運ぶ。優しさと梅の酸っぱさがあり、おかゆの美味しさは変わらなかった。


「――これが、私の身に起こった全てです」

「そうか」

「彼女が本物の灯さんなのか、私には判断出来ません」


 よく噛んで、呑み込んでから口を開く。


「彼女が魔法で何をしたのか、私には分かりませんでした。でも私には、居場所を奪うつもりも、役目を押し付けられたつもりなかったのです」


 段々と声が小さくなると、意を決した顔でピヴワヌを見た。

 何かを言おうとして、苦しそうな感情が流れ込んだ。

 言いたくないなら言わなくていいと、スプーンを小鍋に置いた途端に、勢いよく扉が開く。小さな女の子が叫んだ。


「信じられないの!」


 声には聞き覚えがあり、リスのように頬を膨らませたフルーヴが大股で部屋に足を踏み入れた。そもそも三歳くらいの女の子にしか見えないフルーヴは、大股で歩いてもあまり進まない。真っ直ぐにピグワヌの姿を青い河の色の瞳に映して、裸足である足を止めた。

 思いっきり息を吸い込んで、両手を腰に当てる。


「みんながありかを忘れるなんて、信じられないの!!」

「…え?」


 興奮した声が響いて、理解出来ずに間抜けな声が出た。

 亜莉香が声を出したことで、フルーヴは瞳を大きく開いた。一気に顔を明るくして、たったった、と駆け足と共にベッドに飛び込む。


「ありか!」


 小鍋を前にしたままだった亜莉香に抱きつこうとして、ピヴワヌが素早く動いた。

 さっと着物の襟を掴むと、フルーヴの姿が小さな兎に変わった。ぶらんと身体が揺れた白い兎は何が起こったか分からない顔になり、ピヴワヌが低い声を出す。


「ちょっと黙っていろ、フルーヴ」

「なんでー?」

「話がややこしくなるからだ!トウゴ、フルーヴを捕まえていろ!」


 怒鳴りつけると同時に、ピヴワヌは身体の向きを変えて、思いっきりフルーヴを投げた。扉に向かって投げつければ、トウゴの抱えていた風呂敷に見事に当たる。

 フルーヴと一緒に部屋に入ろうとしていたトウゴが、亜莉香を見て僅かに涙を浮かべる。

 微笑んで、フルーヴを風呂敷の結び目の間に押し込んだ。


「アリカちゃん、目が覚めて良かった」

「トウゴさん…」

「何!まっくらなの!」


 風呂敷に頭を突っ込んでいるフルーヴが騒いでいたが、誰も耳を傾けない。

 トウゴが亜莉香の傍まで歩み寄り、そっと右手を伸ばした。優しく触れた手は頬に触れ、トウゴの手の方が冷たい。


「本当に、無事で良かった」

「あの、一体何が?」

「うん。色々話をしたいけど、ちょっと待って。フルーヴを黙らせるから」


 身を引いたトウゴにまで、黙るように言われたフルーヴが騒がしい。段々と真っ暗でも楽しくなったようで、狭い風呂敷の中で身体を動かして、嬉しそうな声が聞こえた。

 ピヴワヌがため息を零す。トウゴはひとまず布団の上に風呂敷を置き、フルーヴの頭だけを外に出した。中に何が入っているか分からない風呂敷が大きな身体のように見えて、間抜けすぎる姿に、フルーヴは何故か満足そうな顔をする。


「楽しい!」

「はいはい、フルーヴ。これでも食べて、大人しくしていて」


 言いながら、袖から取り出した飴をフルーヴの口に入れた。大きな飴玉が口に入って嬉しそうになり、何度も首を縦に振って、部屋が静かになる。


 静か過ぎて、眉間に皺を寄せたピヴワヌが気まずそうだった。

 トウゴは空気を読んで、お茶を入れようかと提案した。亜莉香もピヴワヌも首を振ると、どこに座ろうか視線を泳がせる。


 フルーヴの言葉は頭から消えず、亜莉香は布団から出ようとした。

 手をついた右手に傷みが走り、顔を顰めた。よく見れば包帯に血が滲み、爪が食い込むほどの痛みがあったことを思い出す。おかゆを食べている時は気にならなかったのに、気付いてしまえば目が離せなくなる。


 棘が刺さったままのように、痛い。

 そっとピヴワヌの手が添えられて、傷に触れずに瞳を伏せる。


「この傷には闇の力が混ざっておる。フルーヴでも治せなかった」

「そう、ですか」

「アリカが見た魔法は、闇の魔法だろう。お主の血が利用されて、それで――」


 その先を言うのが辛そうで、代わりに亜莉香が言う。


「皆が私を忘れた、と?」


 ピヴワヌの肩が震えて、トウゴに視線を向けた。何も言わないピヴワヌとは違う。亜莉香の視線を逸らさず、トウゴは表情を硬くして息を吐く。


「そうだよ、アリカちゃん。ここにいる俺達以外、誰もが君を忘れている。そう言ったら、信じられる?」


 信じられるじゃなくて、信じたくない。

 それでも無理やり笑って、事実を口にする。


「フルーヴが嘘をつく必要なんて、ないですよね?それにここには、皆がいない」


 重い言葉に胸が締め付けられても、どこかで納得している気持ちもあった。


 目が覚めたら、亜莉香の帰る家じゃなかった。いつだって守ってくれて、傍に居てくれた人達の姿が、どこにもなかった。

 居場所を奪わないで、と泣いた灯の言葉の意味がようやく分かる。灯がいるべき場所を、役割を奪ってしまっていたから、元に戻った。

 ピヴワヌが否定しないから、信じられなくても受け止める。

 小鍋に蓋をして脇に置き、ベッドの上で正座をしてトウゴに向き直る。


「私に何があったのかも、お話しします。その前に、今の状況を詳しく教えて下さい。これからピグワヌから話を聞く所でしたが、トウゴさんのお話も聞きたいです」


 真っ直ぐに見つめれば、観念したと言わんばかりにトウゴは肩を竦めた。


「強いね、アリカちゃん」

「強いわけではありません。でも、何も知らないままではいられません」

「なら、儂から話す。儂とトウゴが家に帰った時のこと、お主を見つけた時のこと」

「それから先の、今日のことは俺が話すよ」


 静かに言い、トウゴがベッドに腰かけた。

 ピヴワヌとトウゴの視線が絡み、二人の間には何も言わなくて信頼関係があるのを確認した。膝の上に両手を握りしめて、何を聞いても取り乱さないと身構える。


 さて、と腕を組んだピヴワヌは顔を上げて、静かに語り出した。

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