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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
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51-5 Side灯悟

 深々と雪が降り積もる前に、トウゴは家に帰るはずだった。

 午後から降り出した雪は積もって、地面から数十センチの深さになった。明日の朝までには、もっと積もっているかもしれない。


 夜空には月が上り、雪がちらつく。

 白っぽい月と真っ白な雪が混じって素直に幻想的だと思えないのは、珍しく教えを乞うピグワヌに付き合って、想定外の時間を費やしたせいだ。


「全く、ピヴワヌ様に教えるのはこれっきりにしてね」

「儂とて、こんなに時間をかけるつもりはなかったわ」

「時間だけの問題じゃないよ」

「なら黙って歩け。儂は復習するのだ」


 ぶつぶつと呟きながら、白い兎は謝罪の練習をする。横目で見て、大人しく肩の上で収まっているピヴワヌに、案外嫌われてはいないのだと再確認した。


 さっさと家に着きたいが、いつもより足が重いのは積もった雪のせい。

 いつもなら雪除けしてある道は、夜になって静かに降り積もった。

 足袋を二重にしても、草履では防水にならない。

 ピヴワヌに会いに行ったのは昼過ぎなのに、診療所を出た頃には何時間も経っていた。診療所で働くユシアを先に帰したのは正解だ。時間が惜しいと言いながら、ピヴワヌは納得いくまで謝る練習をした。

 真剣に謝ろうとする姿を見て、見放したい気持ちは浮かばなかった。


 精霊であるピヴワヌとは、奇妙な縁で繋がれている。

 トシヤ達がセレストへ行った時。ピヴワヌが監視をすると言い出した時は、距離感が分からなくて、気が付くと傍に居て驚かされた。人の姿でいれば、誰もが精霊とは思わない。急に現れることに段々驚かなくなると、ピヴワヌは素っ気なくも魔法の使い方や身を守る術を教えてくれた。


 禁術の影響で魔法は使えないと思っていたのに、トウゴの予想とは違った。

 幼い頃に魔法を使っていた時より、身体には温かな魔力が宿っていた。それは言うまでもなく加護の影響で、トシヤ達がガランスに帰って来てからも、時々ピヴワヌは魔法の使い方を教えてくれる。


 教わっていたのはトウゴの方で、ピヴワヌはいつも教えてくれる側。

 まさか、反対の立場になる日が来るとは思ってなかった。


 加護を得てから、一年以上過ぎている。魔法をある程度使えるようになったら、大袈裟に披露するつもりだ。実はピヴワヌやフルーヴ以外の精霊の姿も見えていることは、もう暫くは黙っていよう。


 嬉しく思いながら歩けば、月の光は雪に反射して明るかった。

 家に帰れば甘酒の匂いが充満しているはずで、それも今日で終わる。左手にはトウゴが買った蜂蜜があり、袖の中にはヤタからのお土産である蜜柑が二つ入っている。


 出迎えてくれる家族の顔を思い出しながら、帰路についた。

 明るく玄関を開ければ、甘酒の匂いがしなくて首を傾げる。


「あれ?アリカちゃん、いない?」

「この時間に帰っていないはずがなかろう。馬鹿なことを言うな」

「そうだよね。誰よりも先に帰っているのが、アリカちゃんだよね」

「待て!心の準備をするから、まだ開けるな!」

「ここまでさせて往生際が悪くない?」


 軽口を叩きながら、トウゴは茶の間の扉を開けた。

 ただいま、と明るく言えば、何故か全員の反応が悪い。ソファを囲むように立っているのはトシヤとルカとルイで、ユシアだけがソファに座っていた。

 誰もが困惑の表情をして、トウゴを見ていた。

 意味が分からず、右手の人差し指で頬を掻きながら問う。


「えっと、何かあった?」

「まあ。なんかまた、灯さんが記憶を失ったみたいで」

「大方、またユシアの父親の薬を飲んだんだろ」

「ごめんね。私の家族のせいで、また灯ちゃんに迷惑をかけちゃって」


 ルイとルカの呆れが混じった声に、ユシアが申し訳なさそうに隣に座っていた相手に謝った。聞き慣れない名前があって聞き返す前に、肩の上のピヴワヌが呟く。


「…灯」

「え?」


 何を言っているのか。ピヴワヌに目を向けると、驚いた顔でユシアの隣の少女を凝視していた。ソファに座っていたのは、トウゴの予想していた人物じゃない。


 見慣れない、綺麗な真っ赤な髪は鮮やかに咲く牡丹の色。

 白い上品な着物と深紅の袴で、大きな黒い瞳と目が合った。誰だろうと探る瞳や、その表情をそっくりな少女を知っているのに、違う。別人だ。


「誰?」


 何もかもが違って、口から零れた声に、へらっと笑って言葉を重ねる。


「何の冗談?誰が、どこから連れて来たの?あんまりにもアリカちゃんと似ていて驚いたけど、アリカちゃんはどこにいるの?」


 ねえ、とトシヤに問いかければ、戸惑った顔と無言を返された。

 ユシアや、ルカとルイは呆気に取られている。トウゴの言っている意味を理解してくれる人はいなくて、急に背筋が凍って鼓動が早くなった。


 やけに喉が渇いて、笑えなくなる。

 静まり返った空気を破ったのはルイで、両手を首の後ろに回して不思議そうに言う。


「トウゴくんこそ、何を言っているの?」

「寒さで頭が壊れたか」


 腕を組んでいたルカが言い、ルイが納得した。ソファに座ったままのユシアだけは心配そうな顔になり、遠慮がちに問いかける。


「えっと…お酒でも飲んで帰って来たの?それともルカの言う通り、寒さで頭が回っていないのかしら」

「どっちもじゃない?」

「ろくなことしてないな」


 飛び交う会話に、口角が引きつった。トシヤだけは何も言わなかったけど、この場にいると、足元が崩れる気がした。


 声が出なくて動けなくなると、肩に乗っていたピグワヌが飛び降りた。

 人の姿で着地して、真っ直ぐに少女に向かって進む。背中からは顔が見えなくて、引き止めようと名前を呼ぶ。


「ピヴ――」

「どこにやった」


 最後まで言う前に、ピヴワヌは少女の前に立ち塞がった。

 顔色は分からないのに、その声で静かに怒っていることだけは確かだ。あまり表情のなかった少女を見つめて、はっきりと訊ねる。


「アリカを、どこにやった?」

「何を言っているの?一体、誰のことを――」

「儂の主をどこにやった!!」


 三度目にして叫んだ声は部屋に響いて、少女が息を呑んだ。驚愕した顔はすぐに消え、強く握りしめていたピヴワヌの両手に、そっと右手を伸ばす。


 その少女の手に、黒い光が見えた。

 咄嗟に投げたのは蜂蜜の瓶で、ピヴワヌと少女の間を通り抜ける。誰にも当たらなかったが、床に落ちてガラスが割れた。

 風呂敷に包んではいたが、部屋に充満した甘ったるい匂いは蜂蜜。


「ご、ごめーん」


 投げ終わった格好のまま、場違いな謝罪をして視線を集めた。

 黙っていても、ピヴワヌと少女以外の気持ちは伝わった。何をしたのか、自分でも分かっていたが、身体を止めることは不可能だった。

 ゆっくりと姿勢を正そうとしたら、盛大な舌打ちが聞こえた。

 踵を返したピヴワヌが、酷い形相でトウゴに迫る。


「行くぞ」

「え…ちょ、ま――」


 問答無用で腕を掴まれて、足がもつれそうになった。


「この家に用はない」


 小声でも、ピヴワヌの焦りが伝わった。


「急ぐぞ」

「了解。どこまでもお供するよ」


 早足になりつつあるピヴワヌに言われ、トウゴは小さく答えた。

 何に焦っているのかは、言われなくても分かる。この家にいるはずだった主の行方が心配なのは、ピヴワヌだけの話じゃない。

 一瞬だけ視線が交わって、お互いに小さく頷き返した。

 振り返ることなく二人で茶の間を出て、少女が後ろから叫ぶ。


「ピヴワヌ!」


 名前を呼ばれて、ピグワヌの足が止まった。

 茶の間の扉に手を添えて、少女は縋るような眼差しでピヴワヌを見つめていた。


「待って、行かないで」


 トウゴとは違って、振り返らずにピヴワヌは奥歯を噛みしめた。思いっきり息を吸うと、深く吐いて勢いよく振り返る。

 涙目の少女を睨みつけて、玄関の中でピヴワヌは言う。


「儂が帰る場所は、アリカのいる場所だ」


 少女が崩れるように座り込んだが、断言する声に迷いはなかった。


「今の儂の主は、お主じゃない。誰がなんと言おうが、儂の帰る場所は、お主の傍じゃない。儂との繋がりがないのを、お主が気付かぬはずがない。いい加減に気付け!先に繋がりを断ち切ったのは、いつだってお主の方だった!」


 怒鳴りつけて、ピヴワヌは今度こそ少女に背中を向けた。

 慌てて追いかけると、トウゴが外に出た途端に玄関の扉が勢いよく閉まった。振り返れば家の外にいた精霊が集まっていて、その中の緑の精霊が怒って力任せに閉めたようだ。


 緑の精霊だけじゃなくて、集まっている精霊はご立腹だ。

 味方は期待してなかったのに、少なくなんてない。

 家の外で立ち止まり、荒い息を吐くピヴワヌに思わず話しかける。


「ピヴワヌ様、格好いいね」

「そんなことを言っている場合じゃない。落ち着きを取り戻したら、すぐにアリカを探す」


 荒い呼吸を繰り返して、すぐに白い光が集まった。瞬く間に現れたのは小さな兎じゃなくて、人を乗せられる大きさの巨大な兎。

 その大きさに、思わず身を引いた。

 見たことがない、大きさではない。それでもあまりにも大きくて迫力がある。人を踏み潰せる兎はピグワヌで、真っ赤なルビーな瞳がトウゴを捕らえる。


「乗れ、一気に駆けるぞ」


 拒否権はなく、周りの精霊までも早くと急かす。走って追いかけられるわけがない、と即座に悟り、顔を引きつらせながら小さな頷いた。

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