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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
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51-2

 窓の外で音がして、甘酒を煮ていた亜莉香の手が止まった。


 台所から見える茶の間の大きな窓から、明るい雪景色が見える。新年を迎える前の方が雪は多かったが、新年を迎えて最初の月である暮新月でも雪は残っていた。


 あと数日で雪消月と呼ばれる、二番目の月になる。

 月の名の通り、雪が急激に減る。前半はぼた雪が降って積もるが、後半にもなれば淡雪に変わって春の訪れを感じるはずだ。春なれば山菜や筍が市場に出回り、草木や花々が雪から顔を覗かせて、あっという間に桜が咲く。


 春は待ち遠しいが、太陽の光を浴びた中庭の雪景色は美しい。

 雪景色を見ながら温かい部屋でこたつに入って過ごしたり、寒いと言いながら外に出て遊んだり。雪の下で甘みが増した野菜を食べたり、鍋を囲って夜通し語り合ったり。


 冬には冬の楽しさがあるのに、亜莉香の心は沈んでいた。

 お玉を鍋から取り出して、火を消す。


 部屋の中は冷え冷えして、誰もいない。いつもなら呼びかければ姿を現すピヴワヌが、ここ数日は姿を見せない。


「今頃、どこにいるのかな」


 落ち込んだ声で言い、亜莉香はため息をついた。


 夢の中で出会ってから、ピヴワヌはどこかへ行ってしまった。

 いつだって亜莉香を探し出してくれるのに、探す側に変わると見つからない。フルーヴに聞いても首を傾げられて、他の精霊に聞いても知らないと言われたら、もうお手上げ状態で為す術がない。


 居そうな場所に行っても、街に探しに行ってもいない。きっと帰って来ると信じて甘酒を温めても、喜んで飲む人がいないと意味がない。


「…買い物に行こう」


 このまま一人でいると、悪いことばかり考えてしまう。

 甘酒の鍋に蓋をして、茶の間の戸締りを確認する。これから買い物に出れば、家に帰って来る頃には空は薄暗くなる。日に日に太陽の上っている時間が伸びているとは言え、いつ雪が降るかも分からない。


 寒くないように、ソファに置いていた厚手で無地の深紅の着物を手に取った。

 室内にいる時は温かいから、袴姿でも寒くない。淡い白地の着物は新年に新調したもので、裾は見えないが柔らかい緑色に変化する。着物全体に色とりどりの大輪の花が咲いて、小さな薔薇がワンポイントの袴は濃い緑。


 深紅の着物を羽織った時に、簪が揺れた。

 ピヴワヌがいなくなってから、髪を結う気分にもなれない。結っていた時と同じように髪を梳くって、軽く簪でまとめていた。繊細で細長い円形の、一輪の真っ赤な牡丹の花が描かれた透明で薄いガラスが揺れて、そこにあるだけで安心する。


 簪は亜莉香が失くせない、大切なものの一つ。

 いつも持ち歩くものであり、他に貰い物で持ち歩いているのは二つ。


 どちらも胸元から取り出して、存在を確認するために両手の上に乗せた。

 一つは透から貰った髪飾りで、亜莉香の魔力を溜めて道標になる魔道具。最初は五枚あった花びらは二枚だけになり、その二枚の花びらは黒いまま。魔力が溜まる気配はない。

 もう一つはリリアから手渡された金色の手鏡で、蓋には菖蒲の花が描かれている。何度か蓋を開けてみたが、普通の手鏡だった。


 透とリリアとは半年以上、直接顔を合わせていない。

 何度かフルーヴを通して水鏡で会話をしてはいるが、話すのはお互いの近況だけ。透とリリアは孤児院に身を寄せて毎日振り回されているとか、年長であるメルが小姑のように五月蠅いとか、水の精霊であるネモフィルが悪戯を仕掛けるとか。


 とても楽しそうに二人が笑っていたのは、よく覚えている。

 透とリリアが幸せそうなのは、自分のことのようで嬉しい。


 水鏡を通さなくても、次期領主のツユの奥方であるカイリとは文を交わしている。文と言いつつ、カイリからはお薦めの本も一緒に送られてきて感想を聞かれる。亜莉香より読書量が多く、時々本のお礼に栞を贈ったこともある。

 手紙にはツユや娘のマホリ、義理の母であるウルカは元気過ぎると書いてあった。


 顔見知りとなった人が増えたセレスト行きから、日々は少し変化した。

 亜莉香の仕事自体は、特に変わらない。午前中はパン屋の手伝いをしたり、午後はケイから頼まれた着物を仕立てたり、家事をこなしたりすることが多い。


 大きく変わったのは、周りの人達だ。

 例えばセレストに行っている間にパン屋を手伝っていた、近所に住むムツキ。専業主婦をしていたムツキは働くのが楽しくなったようで、午後から亜莉香と交代して売り子となった。ムツキが売り子を名乗り出たおかげで、パン屋を営むモモエとワタルの夫婦は、ますます商売繁盛と言いながら店を経営している。

 夫婦にとって一人娘であるアリシアは可愛くて仕方がない。お金を稼いで、どんな着物や髪飾りを買い与えるかで、道端で恥ずかしげもなく夫婦喧嘩をしていた。


 ケイの店は相変わらず人で賑わい、いつだって温かく出迎えてくれる。

 店主であるケイの孫であるイトセは、新年早々、今年こそ次期店主となると宣言した。誰も相手にしていなかったが、恋人であるスバルは応援していて、店主であるケイが少しずつ、店のあれこれを教えている姿は度々目にしている。


 相変わらず愉快な笑い声を出すヤタは、ユシアと共に診療所で人々を癒す。

 週の半分はユシアの父親と食事を共にしていると、使用人であるキサギとネイロが言っていた。あまりにも突拍子もない薬の話を二人が話し出すこともあって、ユシアがいないと話は夜遅くまで続くらしい。


 ゆっくりと距離を縮めたユシアとキサギは、よく二人で出掛けるようになった。

 どちらかの買い物に付き合う形で、中央市場まで足を運ぶ。その目撃情報はトウゴで、それを話題にして茶化した結果、ユシアに殴られていた。相当の力で吹き飛ばされたが、本人は笑って懲りてない。


 恋人同士であるユシアとキサギより、ルカとルイの方が一緒にいる気がした。

 働く場所も、住んでいる家も一緒。隙あれば口説く台詞を口にするルイに、聞いていた周りの人達が赤面する程だ。耐え切れずルカが逃げ出すこともあるが、ルイから逃げ切った姿は見たことがない。

 逃げてはいても、ルカはルイの気持ちを拒絶しているわけじゃないのだろう。

 戸惑っている方が大きくて、二人が恋人同士になるのは時間の問題と噂している。それこそ雪が降ってから、フミエの手紙を受け取り、さっさと自分の気持ちを伝えるように書いてあった日には、余計なお世話だと叫びながら手紙を破っていた。


 因みに、それは皆揃った夕食前の出来事。

 ソファに座って手紙を読んでいたルカの隣には、フルーヴで遊んでいたルイがいた。何が書いてあったか覗き込まれる前の、咄嗟の行動だと本人は言う。

 手紙に何が書いてあったのか。

 未だルイが訊ねることがあっても、ルカは口を割らない。

 誰もが寝静まった夜になって、必死に破いた手紙を繋ぎ合わせていた。部屋より広いテーブルがある茶の間に手紙の欠片を広げて、苦労していた姿を亜莉香が見てしまったのは、夢を見るのが怖くて眠れなかったせいだ。

 何か飲もうと台所に向かったら、気まずい顔のルカと顔を合わせて手を貸した。


 こっそりと読ませてもらった手紙には、簪の君に会えました、と綴られていた。

 綺麗な文字で具体的には、灯籠祭りの夜のこと。部屋にある場所を書いた置き手紙を残し、来るか来ないかも分からない相手を待ったこと。ちゃんと会え、色々あって、簪の君と想いが通じ合ったと。

 随分前に聞いたイオ計画の作戦を実行して、おびき寄せたフミエには拍手を送りたい気分だった。次に会った時、改めて紹介すると締め括られていて、簪の君の名前はない。


 ヨルは失恋か、と呟いたルカは簪の君の正体を知らない。

 誰よりも鈍いルカに正解を教えるのは、亜莉香の役目じゃない。

 弟であるルイなら知っていそうだけど、敢えて誰にも言っていないような気もする。亜莉香が簪の君を知っているのは本人から聞いたからで、誰かに言いふらすつもりはない。


 ヨルの想い人がフミエであることは、トシヤも知っている。

 ピグワヌと喧嘩をしてから、まともにトシヤの顔を見ていない。夢の中にいた少年と重なって、夢が現実になる日が来る気がしてしまう。


 人のことを言えない。


 亜莉香だって、トシヤのことを夢の中の少年と比べている。夢の中の少年より、トシヤの髪が短い。眠っている顔は幼く見えるし、格好いいと見惚れる。


 違いを見つける度に、自分が嫌になった。

 ピヴワヌに言ったことは嘘で、きっと心は壊れかけている。


 一人で抱え込むには限界で、共感してくれる人が必要だった。だからこそ夢の中で、無意識にピヴワヌを呼んだのかもしれない。折角来てくれたのに喧嘩して、何をしているのだと落ち込んだ。


 会って、きちんと話がしたい。

 そうしなければ、トシヤとも向き合えない。

 深呼吸をして、手にしていた髪飾りと手鏡を胸元に戻した。

 そろそろ買い物に行こうと、部屋の中を見渡す。

 暖炉の火は消したままだったから、火の気がないと体感温度は低い。六人が悠々と食事を出来るテーブルの上には何もなくて、真っ白なカーペットは洗ったばかりで綺麗だ。壁に飾られた花の絵画より、大きなガラス張りの窓から見える中庭の雪が印象的で、時計の音がよく響く。


「…行ってきます」


 誰もいない家は広く感じて、どこか寂しかった。

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