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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
247/507

49-6

 小さな女の子から手渡された小瓶を、泣き疲れた亜莉香は一気に飲み干した。

 飲んだ直後に睡魔に襲われて、そのまま意識を失った。

 はっきりと覚えているのは、ユシアの父親の住む家にいたこと。目が覚めて、台所に行って、ネイロと話したことまでは覚えているのに、その後が曖昧だ。

 ユシアの父親が作った薬を飲んでから、よく覚えていない。


 瞼を開けば、見慣れた茶の間の天井が瞳に映った。

 首だけを動かして、聞き慣れた沢山の声のする方を見る。


「ねえ、ルカ。あれ、本当に大丈夫だと思う?」

「本人が大丈夫って言ったから、大丈夫だろ。ユシアとトウゴよりは、ましな食べ物が出来上がりそうだし」


 あまり興味のない声で言い、本をめくる音がした。

 ソファで横になっていた亜莉香の目の前に、胡坐をかいたルカとルイがいる。集中しようとするルカの視線は手元の本で、ソファにもたれ掛かるルイは台所を眺めた。

 目が覚めた亜莉香には気付かない。

 床に座っている二人から視線を逸らして、台所を見た。


 並んで立っているのはトシヤと透で見間違いではないか、瞬きを繰り返した。何度見ても、二人がいるのは間違いない。

 全身は見えないが、透は無地の紺色の着物を身に付けている。

 妙に様になっていて、楽しそうにトシヤに話しかけた。


「どうだ!いい匂いがして、美味そうだろ!」

「美味そうだけど、色々と雑だよな。あ、切れてない人参があった」

「それくらい気にするなよ。切れてなくても、食べれば一緒だろ?ぐつぐつと煮れば、美味しいカレーの出来上がり」


 得意げな透が腕を組んで、トシヤは呆れつつ鍋を混ぜる。


「と言うより、それ以外の夕飯は?」

「カレーあれば、十分だろ?玉子でも茹でるか?」

「ねえ!フルーヴも手伝いたいの!」


 手伝いたいと繰り返すフルーヴの姿は見えないが、飛び跳ねる音は聞こえた。

 引っ張られていたのは透のようで、身体を傾けて話し出す。


「分かった、分かった。それじゃあ、トシヤと交換して。鍋を混ぜるか」

「まぜる!」

「あんまり勢いよく混ぜるなよ」


 トシヤが場所を空けると、透が小さな女の子の姿のフルーヴを抱き上げた。言われた通りぐるぐると混ぜ始めて、部屋の中にカレーの匂いが広がった。

 香辛料の匂いが鼻をくすぐり、美味しそうな匂いに亜莉香のお腹が鳴った。

 咄嗟にかけてあった毛布で顔の半分を隠すが、視線が集まって恥ずかしい。


「…美味しそう、ですね」


 なんて誤魔化せばいいのか分からず、小さく呟いた。

 意識すると空腹を感じて、もう少しだけ毛布を引っ張る。振り返ったルカとルイは驚いた顔をして、目が合ったトシヤは安心した顔で駆け寄った。


「ようやく起きたか」

「アリカさん、僕達のこと分かる?」

「自分のことも、ちゃんと分かるか?」


 勢いよく質問をされて、亜莉香は小さくも頷く。


「分かります、よ?」


 当たり前のことを聞かれて、答えは疑問形になった。

 どうして、そんなことを訊ねるのか。亜莉香の方から質問をする前に、ルカとルイは肩の力を抜いて座り込む。


「「良かったー」」

「だから言っただろ、元に戻るって。亜莉香、気分はどうだ?」


 台所から動かず、フルーヴを抱えたままの透は言った。


「どうと言われても…お腹が減っている、かな?」


 答えながら毛布を顔から外すと、寝ていたせいか浴衣がはだけかけていた。

 部屋で着直したいと考えて、毛布を抱きしめて起き上がる。立ち上がろうとソファから足を下ろすと、ルカが手伝って支えてくれた。

 お礼を言うと、たったった、と軽い足音がした。

 亜莉香が顔を上げるよりも早く、フルーヴが足にしがみついて顔を埋める。


「良かったの!」

「えっと、本当に何の話ですか?」


 知らないところで、何かがあったのは間違いない。訳が分からず、説明を求めたいのに、誰も答えてくれずに会話が飛び交う。


「いやー、これで明日からはアリカさんのご飯だ。掃除も洗濯も、しなくていいね」

「一安心だよな」

「たまには、ルカとルイも家事を手伝えよ」

「フルーヴは手伝うもん!」

「それより誰か、カレーを混ぜてくれない?やっぱり俺、茹で卵食べたい」


 透に至っては自由気ままな発言に、何が何だか分からなくなった。

 透がガランスにやって来て、家で話をするつもりだったけど、正門まで迎えに行った記憶が無い。それなのに合流して、ユシアの父親の家から移動して、夕飯は皆でカレーを食べることになっている。


 これは現実なのか、夢なのか。

 とりあえず朝も昼も何も食べていないから、お腹が減っているのは現実だ。

 騒がしい部屋の中で動けずにいると、誰かが帰って来て茶の間の扉が開いた。


「ただいま!アリカちゃん、戻った!?」


 息絶え絶えのトウゴが叫んで、亜莉香を見るなり瞳に涙を浮かべる。


「おかえり!」

「ただいま、です?」


 真っ直ぐに向けられた言葉に返したが、逆な気がした。帰って来たトウゴにおかえりと言うのは分かるが、おかえりと言われるのは変だ。

 扉の前にいるトウゴに退けてもらう前に、再び玄関の扉が開く音がした。

 あと帰って来ていない人は、一人しかいない。ユシアは邪魔になっていたトウゴを押しのけて、慌ただしく茶の前に足を踏み入れるなり、亜莉香を見つけて抱き付いた。

 後ろに倒れそうになったが、何とか持ちこたえる。

 亜莉香の首に両腕を回したユシアが、耳元で嬉しそうに言う。


「アリカちゃん!おかえりなさい!」

「た、ただいま?」

「元に戻っていて、本当に良かったわ。もう戻らないかと気が気でなくて、仕事中も気になって。もうお父様の怪しい薬なんて、飲まなくていいからね!」


 記憶が抜けているのは、やっぱりユシアの父親の薬が関係していたのだと確証した。そのせいで心配をかけたのだと、ようやく納得する。

 ユシアの背中を撫でて宥めていると、遅れてキサギが茶の間に顔を出した。安堵の表情で、胸を撫で下ろして微笑む。


「旦那様の効果があるかどうか分からない解毒剤、必要なかったですね」

「効果が分からないのに、キサギがわざわざ持って来たの?」


 呆れたルイの問いに、キサギは頷いて茶の間に入った。

 持って来た小瓶について、ソファに座ってルイとキサギが話し出す。トウゴはカレーの匂いにつられて、茹で卵を作ろうとする透のいる台所に移動して、余計なことをしそうな気配にトシヤが後を追った。


 そろそろ、部屋に行きたい。

 ルカが離すように言っても、ユシアが首を横に振る。フルーヴも真似してくっついて、亜莉香だけが身動きが取れない。


 この場を助けてくれそうな名前を、心の中で呼びかける。

 どこからともなく赤い光が集まって、瞬く間に一人の少年が現れた。赤い着物を身に纏った、白い髪の十歳前後に見える。

 軽く着地して、困っている亜莉香と赤いルビーの視線が交わった。


「ピヴワヌ、助けて下さい」

「全く、仕方がない主だ」


 仕方がないと言いつつ、嬉しそうにピヴワヌが言った。

 同じ気持ちで亜莉香も笑えば、再びお腹が鳴った音が部屋に響いた。

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