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声の届かない二人を中庭に放置して、亜莉香は竹を運ぶのを手伝った。
縁側に座ったケイが指示して、トシヤは幾つもの竹を器用に組み立てる。部屋の中に完成していくのは、長い流しそうめんの台。部屋の隅から隅へ、少しずつ角度をつけて、三面の壁に沿って作り上げる。
十人以上は一緒に楽しめる流しそうめんの台は、とても大きい。
しゃがんだまま、ぐるりと見渡して感動の声が零れる。
「凄いですね」
「久しぶり竹を頼んだからね。イトセやトシヤが小さい時は、よく皆で囲って流しそうめんをするのが、この店の夏の風物詩だったのさ」
「もう何年も昔の話だけどな」
「誰かさん達が口を揃えて、そうめんは食べ飽きたと言ったからね」
「それ、俺も含まれてないですよね?」
振り返らずに聞き返したトシヤに、ケイが笑った。
亜莉香は目の前の、流しそうめんの台に視線を戻す。そうめんを流す台だけではなく、その台を支えているのも竹。隣にいるトシヤは膝をつき、慣れた手つきで組み立てているが、亜莉香には到底真似できない。
楽しそうだと瞳を輝かせ、膝を抱えてトシヤの作業を見つめる。
「…アリカ、見過ぎだ」
気恥ずかしそうなトシヤの声に、我に返って小さく謝る。
「すみません。何だか面白そうで」
「見るのは構わないけど、俺は素人同然で適当に組んでいるから。昔の記憶を頼りに紐を結んでいるだけで――アリカ、代わるか?」
「いいのですか?」
「何事も経験だろ?」
手を動かしていたトシヤが振り返り、場所を開けてくれた。すでに三本の竹の上の部分はしばり纏められていて、三脚のようにする。上に乗せる竹の重さで三脚が広がらないように、下にも紐を回して固定した。
三脚用の竹を縛ってまとめては三脚にして、竹を乗せての繰り返し。
単純作業とも言える工程を必死に行いながら、亜莉香は訊ねる。
「今までは、誰がこれを作っていたのですか?」
「イトセの両親だな」
「私は会ったことがないのですが、どんな方なのでしょう?」
「俺も数える程しか会ったことがないけど、明るい人達だったと思う」
トシヤが曖昧に答えて、最後の竹を設置し終えた。
ケイに確認して貰おうと縁側に目を向けると、その場にいない。トシヤと顔を合わせて探す前に、お盆にお茶菓子を乗せて戻って来た。
「終わったなら、こっちで休憩としよう」
亜莉香は頷いて、トシヤと共に縁側に移動する。
ちらっとルカとルイを見ると、言い争いは一段落して、大人しい話し合いに変わっていた。体勢は変わらず向かい合っているが、ルカは微かに赤い頬を膨らませ、時々ルイが困ったように眉を寄せる。
さっさとヨルに会いに行けとか、会いに行きたくないとか。格好について言われるのが当たり前だとか、面倒だとか。
まだ当分、話し合いは終わりそうにない。
数メートルしか離れていない二人を気にせず、亜莉香は座った。胡坐をかいたトシヤの隣に並んで正座をすれば、ケイがお茶菓子とグラスを差し出した。
お茶菓子は、朝顔の練きり。白い小皿の上に、淡い桃色の花が咲いていた。冷たい煎茶が注がれたグラスは長細く、透明な氷が涼しげな音を立てる。
亜莉香の右隣にケイも腰を下ろすと、楊枝で一口に分けたお茶菓子を口に運んだ。
「さて、イトセの両親の話だっけ?」
「聞こえていたのかよ」
煎茶で喉を潤したトシヤが小さく零して、亜莉香は微笑みながら問う。
「イトセさんのご両親は、時々帰って来るのですよね」
「まあね。ただ、あの娘夫婦はいつも自由奔放だ。気が向いた時に帰って来て、旅先で珍しい生地を見つけると送ってくれる。ここ数年は各地の祭りに合わせて、好き勝手に移動しているみたいだね」
「俺達がセレストにいた時に、会えたかもしれなかったのか」
独り言のようにトシヤが呟き、ケイはグラスに手を伸ばした。
「もし近くにいたら、嫌でも分かるだろうさ」
「そうなのですか?」
「良くも悪くも、よく響く声だからね」
どんな声だろう、と首を傾げたのは亜莉香だけ。
トシヤは納得した顔になり、お茶菓子を食べながら頷く。
「確かに、イトセさんにそっくりですよね」
「自分好みの着物や帯を見つけてはしゃぐ、あのイトセにね」
話を聞きながら、亜莉香もお茶菓子の皿を手に取った。
楊枝で切り分けた練きりの中身は白餡で、口に含むと優しい甘さが広がった。食べながら頭に浮かんだのは、顔を輝かせてはしゃぐイトセの顔。
中庭を眺めながら、イトセの雰囲気の人物を想像する。
「見た目も、イトセさんと似ているのですか?」
「どうだろうね。イトセは母親と父親の両方に似ているけど、声だけなら母親そっくりだよ。二人いると五月蠅くて仕方がない」
ため息交じりケイが言い、でも、と一呼吸を置いた。
「頑固な性格は両親に似ているけど、イトセは一緒に行こうとしなかったね。この店を継ぐのは自分だと言って、私の元に残ったわけだから」
「それは俺も昔に、よく聞いた気がするな」
「昔は毎日のように、そう言っていたからね。まあ今日は、皆でそうめんを食べるわけだ。その台詞を言うかもしれない。それが聞けるなら、竹を用意した甲斐があるよ」
冗談交じりの言葉で締めくくり、亜莉香の口角は上がった。
今日のためにケイが準備したのは、流しそうめんの台である幾つもの竹。知り合いに竹を頼み、一度組み立てれば、夏の間はそのままにしておくと言っていた。
従業員達や近所の人とは後日、それぞれ都合の良い時に流しそうめんをする予定。
今日だけは、フミエを含む面々で夕食を共にする。
仕事が終わったら、ユシアとヤタが合流する。絶対に参加すると駄々をこねたピグワヌとフルーヴを連れて来るのはトウゴの役目で、キサギが甘いものを買って来る手筈になっている。用事が終われば、ヨルもすぐに来るだろう。
ケイやイトセは勿論だが、恋人であるスバルは遠慮しようとして、イトセに強制参加だと言われていた。他の従業員はさておき、スバルだけは家族同然らしい。
賑やかで楽しそうな夕食に、心が浮き立つ。
お茶菓子を口に運びつつ、笑みを絶やさない亜莉香を、トシヤが横目で見た。
「アリカ、楽しそうだな」
「トシヤさんは、楽しくありませんか?」
「アリカ程ではないな。トウゴが酒を持って来て、場が荒れないことを祈るよ」
「荒れたら、荒れたでいいじゃないか。今日は無礼講。うちにある年代物の葡萄酒も空けるかい?」
冗談なのか本気なのか分からないケイの笑みに、トシヤが口角を引きつらせた。なんて答えればいいのか、迷って言葉を濁す。
他愛のない談笑をしていれば、玄関の呼び鈴が鳴った。
グラスを片手にしていたトシヤに続いて、亜莉香も玄関を振り返る。
「誰か来たな。キサギか?」
「なら、出迎えようかね」
「私が行きますよ」
ケイが腰を上げる前に、亜莉香は手にしていた和菓子を置いて立ち上がった。
急ぎ足で玄関に向かい、引き戸に手をかける。勢いよく引けば、もう一度、呼び鈴を鳴らそうとしていたヨルと目が合った。
数秒間の無言があり、お互いに瞬きを繰り返す。
「ヨルさんでしたか」
「俺じゃ悪いか。用事が早く済んだから来たけど、来るのが早すぎたなら出直してくる。それなら俺の荷物とフミエに渡して欲しい菓子だけでも、預けさせてもらえると――」
助かる、と言いながら、ヨルの瞳に亜莉香じゃない人物が映った。
身を引いて一歩下がり、亜莉香は後ろを振り返る。予想外のヨルの登場で驚いたルカが、瞳を大きく見開いた。ルイはげっそりした顔をして、抱き上げていたルカを引き寄せ、そのままヨルと向き直るように移動する。
バランスが崩れたルカが抱き付き、声を上げた。
「ちょ、ルイ――!」
「来なくて良かったのに、愚兄は」
慌てて下りようとするルカとは違い、淡々と言ったルイはため息を零した。
向かい合う二人を見て言葉を失っていたヨルが、その声で我を取り戻す。目の前にいる少年少女が誰なのか、ようやく理解したようだ。
人差し指をルイに向けて、何度か口を開いては閉じた後に大きく叫ぶ。
「なんだその恰好は!!!」
家に響いた声に、亜莉香はセレストから戻って来た時のユシアとトウゴを思い出した。




