05-5
空洞の中は、真っ暗ではなかった。
おそらく出口である格子があり、外の明かりが遠くに見える。大人一人がせいぜい通れる幅があるが、高さはない。小さな子供なら走って抜けられる空洞を、しゃがみながら亜莉香とルカは進む。
用心しながら前を進むルカは、時々蜘蛛の巣を壊していた。明かりがなければ蜘蛛の巣まみれになっていたかもしれないが、蜘蛛の巣がなくても埃は多い。
外に出たら相当汚れているに違いない、と思いながら亜莉香はルカに話しかける。
「蜘蛛の巣、すごいですね」
「暫く誰も通ってなかっただろうな。結界自体はもう何百年も前に作ったみたいだけど、あの部屋とこの道は誰も見つけなかった。そんなところだろ」
「そう言うのも、誰でも分かるものなのですか?」
ふと、気になった質問を問いかければ、ルカは小さな声で言う。
「…言いたくない」
ただ、と言葉が続く。
「結界は、作った人の想いが続く限り存在し続ける。俺も結界を作れるけど、大した力はない。俺が結界を使えること、誰かに言うなよ」
出口間際で立ち止まったルカが振り返り、じろりと亜莉香を睨んだ。薄暗い空間で、クナイに纏っている焔の明かりのせいなのか、いつもより一層表情が怖く見えるが、不思議と怖さは感じない。
瞬きを繰り返して、はい、と亜莉香は微笑んだ。
「言いたくないことは、誰にも言いません。なので、私が泣いたことも言わないでもらえると、助かります」
亜莉香の交換条件を理解して、ルカは睨むのを止めると、目の前の格子に手を伸ばした。
「分かった。外に出たら、お互いこのことは口外しない。いいな」
「分かりました」
亜莉香が言い終わる前に、格子は簡単に外れた。外れた格子を外に投げ、ルカは外に出る。眩しい太陽に目を細めながら、外の様子を見た。
雑草が覆い茂り、図書館を囲っていた柵がある。
空洞は地面から少し離れた場所にあったので、軽く飛び跳ねて地面に着地した。
風で髪がなびき、安堵の息が零れる。
帰れる、という言葉が心に浮かんだ。
ほんの少しの間、知らない部屋に閉じ込められただけだ。それなのに泣き出して、泣き顔を見られたのが、今更恥ずかしくなった。少し赤くなった顔を見られないように、下を向いたまま動かない亜莉香に、格子を持ったルカが言う。
「そこどいて。格子を元に戻す」
「あ…はい!」
亜莉香は急いで立ち上がり、場所を空ける。
ルカは外した格子を元に戻し、何事もなかったように埋め込む。これでよし、と呟いて、亜莉香を振り返ると、あー、と唸り声を上げた。
「すごく汚い」
「それは…ルカさんも同じですね」
言い返した亜莉香の言葉に、自分自身を見下ろしたルカは、確かに、と言った。
長年溜まった埃や煤のせいで、着物や袴が汚れている。お互い顔も汚れていて、目が合った亜莉香とルカは、どちらかともなく、声を上げて笑い出した。
「普通に生活していても、ここまで汚れない」
「ですね。早く汚れを落とさないと」
「それもだけど、その前に飯食いたい。腹減った」
ぐう、とルカのお腹の音が鳴った。
ルカはお腹の音が鳴っても気にせず、ほらな、と亜莉香を見た。肯定すれば、またお互い笑いが止まらなくなった。
空洞があった場所は、裏庭だった。
玄関に戻る前に、建物の傍に備え付けられていた水道で亜莉香とルカは顔や手を洗った。軽く着物や袴の汚れを落とし、ある程度は綺麗になってから、軋む玄関の扉をルカが開ける。扉が開いた音で、休憩室からルイがひょっこりと顔を出した。
「あれ?なんで、二人は外から来たの?」
亜莉香とルカは顔を見合わせて、笑みを浮かべた。
別に、とルカが先に口を開く。
「何でもいいだろ。それより、ルイ。腹減った」
「何を買って来たのですか?」
亜莉香もルカも笑みを浮かべたまま、足取り軽く休憩室に向かう。意味が分からないルイだけが、首を傾げて答える。
「サンドイッチとパンケーキと、飲み物とおやつの桜餅を買って来たけど…トシヤくんが食べているから、残り少ないよ?」
「なんで、トシヤがいるんだよ!」
一気に不機嫌な顔になったルカが、駆け足で休憩所に駆け込んだ。
ルカの叫び声は、休憩所に入る前でもよく響く。さっきまでのことなど、全くなかったことのように振る舞うルカの姿に、亜莉香はまた笑い声を出しそうになるが、それを押し殺してゆっくりと休憩所に向かった。
「トシヤ!食うな!!」
「いや、もう食べているし。だいたいアリカを連れて、どこ行っていたんだよ。着物汚れているみたいだし」
「トシヤには関係ない!」
「関係ない、て。お前な」
騒がしいくらい五月蠅いルカの声に、トシヤは呆れたように言った。亜莉香が遅れて休憩所に入れば、パンを食べていたトシヤが視線を向け、少し驚いた顔になる。
「ルカだけじゃなくて、アリカも埃まみれかよ。本当に何かあった?」
「何でもないです」
にこにこと笑って、亜莉香は空いていたトシヤの隣に腰を下ろした。
ルカは頬を膨らませながら、残っていたパンケーキを食べる。亜莉香は斜め前に座っていたルイから、サンドイッチと飲み物を受け取り、静かに食べ始めた。
亜莉香とルカが何も言わないので、トシヤとルイは顔を見合わせた。
無言で会話をしている様子を横目に、亜莉香も無言を通せば、それで、と勢いよくパンケーキを食べ終えたルカが、口を開く。
「なんで、ここにトシヤがいる」
「あ、それは僕が誘った。お昼を買っていたらトシヤくんと会って、アリカさんを心配していたから」
「私を、ですか?」
名前が出てきた理由が分からず、トシヤの方を見れば、亜莉香と目が合った。
意味が分からない亜莉香の顔を見て、ため息をついたトシヤは言う。
「朝、アリカが何か言いたかったような感じがしたから早く帰ってみれば、アリカはいない。ルイの変な置き手紙はある。そりゃあ、心配になるだろ」
「変な置き手紙、とは?」
置き手紙なんて書いた記憶が無く、聞き返せば、トシヤはルイの方を見た。トシヤが恨めしそうに見ても、ルイは飄々と飲み物を飲む。
「アリカを連れ去るから、よろしく。だと。よろしくの意味が分かんないからな、ルイ」
「いやー、トシヤくんなら解読するかな、と思って。予想通り、ここまで来たから。僕の想定内だよ?アリカさんは夕食の準備があるだろうし、一人で家に帰らせるわけにはいかないでしょう?」
「なら、そう書けよ。おかげでルカとルイの目撃情報を探して、お前らを見かけた、て、言うのが数人。図書館に入ったのを見た、のが二人。確認だけでもしようと思って、図書館に行く途中にルイに会った」
一通りの説明をしたトシヤに、ルカはぼそっと呟く。
「予想通り過ぎて、面白くない」
「何だって?」
「あはは、行く場所書かなくてもいい、なんて提案したのはルカだよね。僕は暗号まで考えたのに、それは解けないだろうから、ルカに却下されちゃった」
軽い口調で言ったルイの言葉に、トシヤは言葉を失った。
完全に遊ばれていた事実に、トシヤは一人不貞腐れて、ルカの分の桜餅を口に放り込む。桜餅を食べられたルカが怒りだし、二人分の怒声と笑い声が入り混じる。
賑やかで騒がしい空間。
会話に入れなくても、心の底から楽しくて嬉しい。温かい気持ちで心が満たされていた亜莉香は、誰にも気づかれることなく、満面の笑みで桜餅を口に運んだ。




