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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
239/507

48-3

 フミエの帯や小物合わせに途中まで付き合って、亜莉香は席を外した。

 中々戻って来ないケイとルカの様子を見に家まで戻れば、中庭を眺めているルカがいた。

 普段と雰囲気が違って髪を下ろしたまま、両手を膝の上で合わせて、物思いにふける横顔は美しい。静かに縁側に座って動かないと、高貴な女性にしか見えない。

 声をかける前に、足音に気が付いたルカが振り返った。

 深い紫の瞳に亜莉香を映すと微かに微笑んで、その傍に寄る。


「隣、座ってもよろしいですか?」

「ああ。フミエは?」

「まだ終わりませんが、ご安心ください。先程のルカさんのようにならないように、手は打って来ました」


 微笑みながらルカの隣に置いてあった笹の葉に包まれた昼食の反対側、何もなかった縁側に腰を落とした。地面に足を下ろしていたルカは裸足で、足袋を脱いでいた。

 また店に戻ることを考えて、亜莉香は正座して中庭に目を向ける。


「もっと早く、店に戻って来るべきでしたね。嫌な思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした」

「アリカが謝ることじゃないだろ?それに、ケイさんにも散々謝られたから」


 落ち着きを取り戻したルカの声は優しく、奥の昼食をちらっと確認した。

 笹の葉の包みの大きさは、半分程度になっていた。中身は有名な寿司屋の押し寿司で、ケイに頼まれて、店に戻る前に亜莉香が立ち寄って買って来た。

 昼食代として手渡されたお金は、ケイとルカの二人分の弁当分と亜莉香のお昼代。好きなものを買えばいい、と言われた亜莉香のお昼代は使っていない。

 何もしていないから受け取れず、自分のお金で一回り小さな押し寿司を買って、フミエと一緒に歩きながら食べた。押し寿司は鰻の蒲焼きが乗った豪勢なもので、具が沢山の酢飯がとても美味しかった。

 少し遅いお昼になったが、ルカが押し寿司を食べたことに安心して、亜莉香は話し出す。


「お寿司はお口に合いましたか?」

「美味しかった。でも昼飯まで奢って貰って、俺の方が申し訳なくなった」

「私達は孫のような存在だそうですよ?なので、お礼を言ってくれるだけで嬉しいと、随分前に言われました」


 嬉しさが滲み出て、亜莉香の頬は緩んだ。

 穏やかな表情のルカが足元を見ながら、小さく呟く。


「祖母、か」

「孫と思われるのが嫌でしたか?」

「いや、そうじゃなくて――」


 顔を上げて、ルカは空高くを見上げた。何かを見ているようで、空には何もない。顔を上げたまま、そっと語り出す。


「俺にとって、血の繋がった祖母は父方の母親しかいなかった。母親の両親は他界していて、名前は覚えているけど顔は知らない」


 淡々とした声に、亜莉香は耳を傾ける。


「母さんが父さんに会った時、既に天涯孤独だったらしい。だから血の繋がった祖母と言えば、父方の母親。ルイにとっても祖母にあたる人はいたけど、その人とは数回しか顔を合わせてない。元々、俺の両親の結婚はリーヴル家には反対された結婚で、俺のことは眼中になかった。俺にとって祖母のように接してくれて、両親を亡くした俺を育ててくれたのは、先々代の巫女ただ一人だった」


 先々代と呼ぶ声に、懐かしさと尊敬が入り混じる。視線を下げて、ルカは両手と重心を後ろに移動させた。晴々した顔になり、今度は中庭に目を向ける。


「先々代がいなくなった時に、もう家族のように扱ってくれる人はいないと思っていた。だから赤の他人なのに、孫だって言ってくれる人が現れると恥ずかしさもあってさ」

「私は嬉しさの方が大きかったですよ?」

「子供扱いされて恥ずかしいのは、俺だけか」


 肩を落としたルカを見て、亜莉香は右手で口元を隠して笑った。

 ルカが話をしてくれたから、すぐに笑うのをやめて、代わりに自分の話をする。


「私の場合は、両親の祖父母に一度も会ったことがありません」


 両親の単語を口にしても、前みたいに心は痛まない。

 ようやく乗り越えられた気がして、前を向いて話す声は弾んだ。


「幼い頃から、祖父母はいないのが当たり前でした。周りに子供扱いしてくれる大人が現れても、素直にその好意を受け取れず。誰かに甘えればいいとか、頼ればいいとか言われても。両親にすら出来ないことを、他人に振る舞うのが嫌だったのです」


 口に出すと、幼い頃の記憶が蘇った。

 幼い頃は大人だけじゃなくて、誰も信じられなかった。心配してくれる人はいたのに、見て見ぬふりをした。学校の先生も近所の人も、声をかけてくれた人達の声に耳を貸さずに、一人で大丈夫だと言い聞かせて過ごしていた。

 周りからしたら、可愛げのない子供だったはずだ。

 それは今だからこそ、向き合える事実。


「正直、私は甘え方も頼り方も分かりません。それでも孫だと言ってくれる人がいるなら嬉しくて、今度は素直に向き合ってみたいのです」


 一呼吸を置いて、祈り込める。


「結んだ縁を、大切にしたいのです」

「そっか」


 短くも温かな相槌を打ち、空を見上げたルカが繰り返す。


「結んだ縁、か」

「ルカさんやルイさんとの縁も、とても大切ですからね」

「取って付けたように言うなよ」


 付け足した一言で顔を合わせて、どちらかともなく笑い声が零れた。

 穏やかな時間は、あっという間に過ぎる。そう言えば、と辺りを見渡した。てっきりルカと休憩していると思っていたケイの姿が始終なく、目の届く範囲にはいない。

 きょろきょろした亜莉香に気が付き、ルカが首を傾げた。


「どうかしたか?」

「ケイさんは、どちらにいらっしゃいますか?」

「ちょっと外に行った。そろそろ戻って来るんじゃないか?」


 なるほど、と呟き、亜莉香はルカに向き直る。


「それでは、ケイさんが戻って来たら。一緒に店に戻りますか?もう二度と、あのような事態にはさせませんので」


 断定して言っても、ルカの眉間に皺が寄った。


「あの場所は、あんまり行きたくない」

「苦手認定されてしまいましたね」

「当たり前だろ。アリカがいなくなって暫くしたら、どんどん人が増えて、収拾がつけられない状況になったからな」

「それで無言でした?」

「もう何も言えなかった」


 疲れたと言わんばかりの表情に、お疲れ様と言いたくなる。


「一応、お客様の前では皆さん押さえているのですよ。今回は何故か、あんなに盛り上がっていましたが…ルカさん、何か言いましたか?」


 不意に問いかけると、ルカは視線を泳がせた。ゆっくりと身体の体勢を元に戻して、両手で頭を抱えて、言おうか言うまいか悩み出す。

 何とも言えない顔になっていたので、思わず亜莉香は声をかける。


「言いたくなかったら、言わなくていいですよ?」

「いや、別に。言いたくないわけじゃなくて」


 段々と声が小さくなったルカの視線は地面まで下がり、とても小さな声で続ける。


「少しは、女らしくなろうかと」

「…え?」

「少しだけな!ほんの少し!女らしい格好をしようと零しただけで!」


 勢いよく答えて大きくなる音量に比例して、ルカの頬が少し赤くなった。

 恥ずかしそうに頬を赤らめて目も合わせない姿は、ここ半月よく見かける。その原因である人物は一人しか思い浮かばず、本人がいたら満面の笑みを浮かべて抱き付いただろう。

 耳まで赤く染まったルカにつられて、何となく亜莉香の顔も赤くなる。


「やっぱり、店に戻ってもう少し頑張りませんか?」

「…今は、無理」


 黙りこくったルカに、亜莉香は何も言わずに中庭を眺めることにした。

 何の変哲もない中庭の木に、蝉がとまって鳴いている。暑さのせいで顔が熱いのだと思い込み、熱さが引くのを待つ。

 そのうち人の声がして、玄関を振り返った。

 和室を挟んで、襖が開けたままになっていれば丸見えだ。曇りガラスの引き戸越しに数人の影があり、先頭にいるのはケイだと分かる。

 引き戸が開いて、ケイより先に青々とした竹が玄関に入った。


「気を付けて運んでおくれ」

「分かっているって」


 玄関の前で指示を出すケイに返事をしたのは、竹を担いでいたトシヤだった。

 右肩に軽々と数本の竹を担いでいたトシヤが先頭で、後方に誰かがいた。二人で長い竹を持っていて、もう一人の姿はまだ家の外。

 亜莉香に気が付き足を止め、お互いに挨拶する前に後ろで声が上がる。


「ちょっと、トシヤくん。急に止まらないでくれない?」


 よく響いたルイの声に、亜莉香は傍に居たルカを見た。

 一瞬だけ肩が上がって、一気に赤みが引いた表情が強張った。ゆっくりと亜莉香と目を合わせて、言うな、とその口が動く。

 トシヤが小さく謝る隙に静かに立ち上がり、足音を立てないように中庭に降り立った。

 裸足のまま逃げ出そうとしたルカが、少しでも振り返ったのが運の尽き。その瞳に家の中を覗き込もうと首を傾げたルイの姿が映り、慣れない着物姿で後退って動きが遅れる。

 瞬く間に何かが傍を横切ったかと思うと、ルカの悲鳴が上がった。


「下ろせ!」

「嫌だよ。凄く似合っているね、ルカ」


 想像通りの笑みを浮かべたルイは、草履も脱がずに和室を横切って、ルカを抱き上げていた。一方の手は膝の後ろに、もう一方は腰に回して向かい合う格好で、みるみるルカの顔は赤く染まっていく。


「似合ってないから!下ろせ、って言っているんだよ!」

「下ろしたら、逃げちゃうでしょ?可愛い格好のまま、折角だから二人で買い物に行こうよ。きっと楽しいよ」

「話を聞けよ!」


 ルイの肩に両手を置いたルカが、必死に距離を取ろうとするのに苦戦していた。

 お互いの姿しか見えていない様子を、微笑ましく思いながら亜莉香は後ろに下がる。

 幸い二人に気付かれず、立ち上がって玄関に向かって踏み出した。何事かとケイは玄関前から顔を覗かせる。一部始終を見ていたトシヤは呆れ顔で、咄嗟に腰を落としてバランスを保っていた重い竹を、そっと床に下ろした。

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