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数日間お世話になった建物の前で、馬車を待つこと数分。
お土産は立っている足元にまとめて置いてあり、手荷物は左手で持っている風呂敷一つ。ウルカから貰った氷の結晶は中々溶けず、ネモフィルが預けてくれた想涙花と一緒に、ガラスの小瓶に入れて風呂敷の中。カイリから借りた本はお土産の中に混ぜて、お気に入りの青いリボンは手首に結んである。
予定時刻を過ぎても、シンヤ達御一行の姿は見えない。欠伸を噛みしめて空を見上げていると、頭にしがみついていた女の子姿のフルーヴが暇そうに言った。
「来ないねー」
「そうですね。もうすぐ来るかもしれませんから、そろそろ隠れませんか?」
首を横に振ったフルーヴは、腕に力を込めて離れないと意思表示をした。
ネモフィルと一緒に部屋に戻ってから、フルーヴは亜莉香にくっついている。昨晩は色んな人に姿を見られたことを気にして泣きそうになって、少しだけでも離れるように頼んでも、どこかに行ってしまいそうだと泣きそうな顔を見せる。
無理やり離すのは気が引けて、もしも泣き出したら宥めるには時間がかかる。
途中で諦めて好きにさせていたが、フルーヴの行動を止める人はいない。
建物を出てからトシヤは亜莉香の右手を握り、離してくれない。手の届く左隣には腕を組んでいるルカがいて、左右を挟まれた状況で動こうとすれば引き止められる。
ルイだけは道端に出て、馬車が来る方向を眺めていた。おそらく話は聞こえている。不意に振り返ると亜莉香に笑いかけて、フルーヴに声をかける。
「フルーヴ、絶対に離れちゃ駄目だよ」
「うん!」
「私、もうどこにも行くつもりはないのですが?」
「そう言って、目を離すといなくなるからな」
ぼそっと言ったルカの一言が図星でもあり、何も言い返せなかった。
セレストに着いてから無断でいなくなったことは、一度や二度ではなかった。朝食を抜いて街へ出掛けたり、名前も知らない少女に襲われて一時的に帰れなくなったり、ネモフィルと共に狭間に行ったりもしたが、全てが亜莉香のせいじゃない。
今朝は行く場所を書き残したのに、それだけでは不十分だったようだ。
何も言わないトシヤの横顔を盗み見れば、目が合ったのは一瞬で、すぐに逸らされた。絡めている指に力がこもり、不機嫌そうに眉間に皺が寄っている。
せめて機嫌の悪い理由を教えて欲しいのに、いつもより口数が少ない。
肩を落として一人で反省していると、可笑しそうにルイが話し出した。
「トシヤくん。いい加減いじけるの、やめたら?」
「いじけてねーよ」
「まあ、目が覚めたら姿が見えなくて。厄介事に巻き込まれていないか、心配だったのは僕もよく分かるけど」
そういう認識をされているのかと思えば、亜莉香は何とも言えない。
本心を言い当てられたトシヤがますます不貞腐れて、ルイを軽く睨んだ。
「そう言うルイだって、ルカがナギトさんを気にかけていた時はいじけていただろ」
「その話を、ここで蒸し返すの?」
肩を竦めて見せたルイは、何てことなく続ける。
「だって、あれ。ルカの父親に似ていただけの話だったし」
主語が抜けても、その言葉の意味は分かった。亜莉香とトシヤがゆっくりとルカを見れば、その口角が引きつって若干顔が赤い。
ルカの変化に気付いているはずなのに、ルイは全く気にせず、両手を頭の後ろに回す。
「仲直りした翌日には、気付いていたんだけどね。似ていると言っても、顔は全然違って。性格の面で似ている箇所がちらほらあるな、とは――」
思っていたよ、と最後まで言う前に、ルカが足音を立ててルイに近づいた。
亜莉香からはルカの後ろ姿しか見えなくて、ルイの胸倉を掴んで話を中断させた。息を思いっきり吸い込んだかと思うと、腹の底から叫ぶ。
「言えよ!」
「え、何を?二人の共通点?いやー、まだ数個しか見つけられてなくて」
「そっちじゃないに決まっているだろ!気付いた時点――じゃなくて、この場でそれを言わなくてもいいだろ!」
「アリカさんもトシヤくんも、実は気にしていたと思うから。丁度いいかなと」
「丁度いいわけあるか!!」
騒ぎ出したルカとルイに、呆然としたまま亜莉香は成り行きを見守る。
ルカがナギトを気にかけていた理由が、まさか父親に似ているからだとは思っていなかった。それはトシヤも同じだったらしく、小さく声が零れる。
「父親か」
「そうみたいですね」
視線の先ではルイが笑いながら謝っているが、ルカはそう簡単に許す気配がない。シンヤ達が来るまでに仲直りするのか。数日前のような喧嘩にはならない確信だけはあって、微笑ましく思いながら亜莉香は眺める。
ふと絡めていた指に力が入った気がして、隣のトシヤを見上げた。
「今朝、ニチカさんと…トシキが来た」
「え?」
そっと話し出した内容に耳を疑い、瞬きを繰り返して問いかける。
「今朝の、いつですか?」
「アリカが戻って来る、少し前だな。トシキは無理やり、ニチカさんに連れて来られた感じだったけど」
僅かに笑いが混じったトシヤは笑みを浮かべて、前を見据えたまま言う。
「一応、両親の住所を教えて貰った。会いに行けばいいとも言われたけど、それは断った。代わりにガランスの俺の住所を教えて、俺からは手紙くらい送るかもしれない」
「今からでも、まだ間に合いますよ?心残りになりませんか?」
「時間がないだろ。生きていてくれたら、それだけでいい」
あっさりと反論したトシヤに後悔はなく、でも、と呟いた亜莉香に向き直った。至近距離で目が合い、あまりの近さに我慢出来なくなる前に、こつんとお互い額が当たる。
「それに俺は――守りたい人の手が届く場所にいたい」
「…それって、私のことですか?」
囁かれた言葉に、段々と小さくなった自分の質問で赤面した。
恋人同士でもないのに、自惚れたことを言ってしまった。恥ずかしいことを口走って、顔が熱い。視線を逸らして、慌てて付け加える。
「い、今のはなしで。それはトウゴさんとかユシアさんとかのことで――」
しどろもどろになりながら、一歩下がろうとすれば、逆に握っていた右手を引っ張られた。身体の重心がずれて、転ばないように足が前に出る。
トシヤに抱きつく格好になって、謝る前に声がした。
「俺はアリカの傍に居る」
小さくも耳に響いた言葉に、頭の中が真っ白になった。
何も言えなくて、林檎のように真っ赤になった亜莉香の顔を、身を引いたトシヤが覗き込んだ。微笑んでいる顔が眩しくて、何か言いたいのに、口を開けては閉じる。顔を見られないように伏せるのが、精一杯だった。
全ての音が、五月蠅い心臓の音に掻き消されてしまう。
早く静まれと、祈るしかない。
そのせいで、ゆっくりとした馬の足音や馬車を引く音に気付くのに遅れた。遠くからシンヤ達御一行は現れて、トシヤが先に視線を向け、ルカとルイは遅いと声を上げる。
深呼吸を繰り返して顔を上げると、先頭の馬に乗ったシンヤが片手を上げた。
「遅くなった。何やら時間が必要なら、出直してくるが?」
「「いい加減にしてください!」」
重なった声はシンヤの横で馬に乗っていたサクマと、馬車の窓から顔を覗かせていたチアキ。どちらも必死な顔で、サクマが先に口を開く。
「忘れ物がないか確認するのに、また荷物を出すつもりですか!」
「出発時刻は過ぎています!お見送りに来て下さる方々を待たせているのですよ!」
「お前ら、そろそろ声が枯れそうだな」
馬車の後ろで、ルカとルイの馬達を引き連れてやって来たナギトが言った。
それぞれの馬が近くで止まり、チアキが慌しく荷物を積み込み、サクマは全く反省色のないシンヤを叱りつける。傍観者に徹しようとするナギトに近づいたのは笑いを耐えたルイで、ルカが物凄い形相で睨んでいる。始終笑みを浮かべているのは、馬車を引く用意が出来ているロイだけ。
いつの間にか、フルーヴは亜莉香の背中に隠れたようだ。
ガランスに帰る支度は済んでいる。荷物を積み終え馬車に乗り込めば、行きよりは余裕を持って帰れる手筈のはず。
「帰りも、何かしら起こりそうだな」
トシヤの声を否定する気にはなれず、亜莉香は笑って繋いでいた手を握り返した。




