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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
234/507

47-4

 リリアが警備隊に声をかけられたのを合図に、亜莉香はその場を後にした。

 これからの未来の話を少しして、また会う約束を交わした。

 別れる間際に急いで手渡されたのは小さな手鏡で、手のひらに収まる大きさ。金色の蓋に描かれているのは菖蒲の花で、中心には一粒の小さな金色の宝石が埋め込まれていた。蓋を開ければ一面が鏡で、もう一面には何もない。滑らかで平らな金色の蓋の裏を閉じて、落とさないように右手で握りしめた。

 前を歩いていたネモフィルの背中に、亜莉香は感謝を込めて言う。


「ありがとうございました。ネモのおかげで、気持ちがすっきりしました」

「お礼なんて言わなくていいわ。私の方が貴女には恩を作ってばかりで、小さなことからお返ししたいの」

「私は何もしていませんよ?」

「そんなことないわよ。私の願いを二つも叶えてくれたし、それに――」


 途中で言葉を切って、それで、とネモフィルは言い直した。


「リリアと話して、何か気になったことはある?私の答えられる範囲なら、何でも答えるわ。人がいないうちに、聞きたいことはない?」


 振り返らずに、ネモフィルは狭間の入口があった場所を通り越した。

 聞きたいことと言われて、手鏡を持ったまま右手を口元に寄せた。左手で肘を押さえて、転ばないように注意しながら、亜莉香は口を開く。


「少し…疑問を覚えました」

「どんなこと?」

「リリアさんは王冠が偽物だと知らなかったそうです。誰かいつ、王冠を入れ替えたか。考えられるのは、二十年前に訪れた一人だけ」

「灯ね」

「そうです。ネモから見て、灯さんはどんな人物でしたか?」


 ふむ、と相槌を打って、ネモフィルは少し考えた。


「私は、灯との面識は多くないわ。灯がセレストを訪れた時に、何度か話したことはある。でもそれはほとんど透と一緒の時で、大した話はしていない。一目で凄まじい魔力を隠している子だとは思ったし、自分の役目を裏切れないと言っていた」

「役目?」

「宝玉を王冠に戻して、全てを元に戻すこと。透ですら、その全ての意味を分かっていないように感じた。何を考えているのか、心を隠すのが上手かった印象があるわ」


 説明しながら、ネモフィルは後ろで手を組んで振り返った。軽い足取りは変わらず、前を見なくても目的地に進む。


「覚えている?私は前に、灯は大切な人の命を見捨てて生き延びたと言ったことを」

「川で溺れた私を、ネモが助けてくれた時ですね」

「そう。私は一度だけ、灯と一対一で会ったことがある。五十年くらい前かしら?その時、透は命を落としたばかりで傍に居なかった。私が会ったのはセレストとガランスの境に近い土地で、灯は血塗れで川で身を清めている最中だった」


 語るネモフィルは悲しそうな顔をして、当時を思い出す。


「初対面ではなかったから、お節介と思いながらも事情を聞こうとしたのよ。そうしたら、氷よりも冷たく言われたわ――関わらないで、と」

「灯さん、が?」

「間違いなく。透の前では笑っていることが多かったし、余裕のある子だったのよ。だけど、その時ばかりは触れてはいけない雰囲気を感じた。私は素直に離れたけど、内心カチンと来て、精霊達を使って何があったか調べたの」


 調べさせたのかと、言いそうになった言葉を亜莉香は呑み込んだ。

 ネモフィルは亜莉香の微妙な表情の変化に気が付かず、話を続ける


「灯が身に纏っていた血は、灯ではない誰かの血だった。その血を辿ったら、森の中で死んだ男がいた。近くにいた精霊を捕まえたら、灯と男が誰かに追われていたそうよ。その途中で男が大怪我を負い、魔法で怪我を治すこともせず、男を置いて去った」


 灯はね、とネモフィルは亜莉香から視線を下げた。


「透より、色々な魔法を使えたの。精霊達に頼めば、大抵のことは叶えられた。その男の怪我だって、治せないことはなかったはずなの。でも、それをしなかった」


 くるりと背を向けたネモフィルは、寂しそうな横顔を一瞬見せて前を向く。


「一人で何もかも抱え込む、孤独な子だと思った。助けてなんて言わない。何が起こっても運命だと言い、諦めることには慣れていた」

「それが…灯さん?」

「私はそう思うわ」


 今まで聞いていた灯の人物像とは違う一面に、亜莉香は考え込む。

 話を聞けば聞くほど、灯の考えや行動の意図が読み取れない。見た目がどれだけ似ていようと、亜莉香には答えを知る術がない。

 緋の護人として、ガランスを守っていた。

 リリアを外に連れ出そうとして、王冠を入れ替えただけで姿を消した。

 王冠を、と囁くように話し出して、思ったままに訊ねる。


「二十年前に王冠を入れ替えた時、灯さんはリリアさんに遠くに行くと言ったそうです。そんな灯さんが誰かが辿り着けるように魔女の御伽噺を作ったのは、帰って来ないことが前提だったのでしょうか?」

「そうかもしれないわね。リリアを外に連れ出したいのなら、何度でも説得しに行けば良かったのよ。あの子の性格からしたら、押せば何とかなったのに」

「なら何故、リリアさんの望みを承諾したのでしょうか?」


 即座に質問を重ねて、答えを聞かずに考えを口にする。


「灯さんは遠くに行く。けど誰かがリリアさんの家を見つけたら、闇に落とせるように鈴という仕掛けをした。その鈴の存在を知っている人は多くはなかったはずです。鈴の存在を知らなければ、あの家は闇に落ちない。私が鈴を見つけない可能性だってあった。不確実な約束を、灯さんはするような人だったのでしょうか?」

「それは…どうかしら。何でも有言実行する人間の部類だった気はするけど」


 唸ったネモフィルが足を止めた。では、と言いながら足を止めた亜莉香を振り返る。


「いなくなる前提に行動を起こしたのなら、誰かに鈴の存在を伝えていたのかもしれないと仮定します。その誰かとは、一体誰か?」

「昨日現れた、ヒナと言う少女?」

「ネモは、彼女が味方だと言い切れますか?」


 しっかりと首を横に振ったのを見て、亜莉香は頷く。


「私も味方と言い切れません。そもそも二十年前に、彼女がいたのかどうかも怪しい。別の人物の介入もあり得ますが、一人で何でもしようとする人が誰かを頼るとは考えにくい。よっぽど信頼した相手がいたのか。誰にも言わずに自分で行動を起こした方が、早くて確実ではないですか?」

「まあ、早いのは早いわね」


 灯だし、とネモフィルが小さく付け足した。


「気になる点は、もう一つ。わざわざ魔女の御伽噺を作ったことも気になります」

「それは何故?」

「語り部が語れば、それはどこまで広がってもおかしくないですよね?」


 亜莉香の言いたいことを瞬時に理解したネモフィルは、真剣な表情になる。


「敵に王冠の居場所を教えることが、灯の狙いだった?」

「そうとも考えてしまいます。リリアさんから聞きましたが、あの御伽噺は過去を忘れないように脚色した作り話で、全てが事実じゃない。嘘と秘密を組み込んで、未来永劫語り継がれれば、いつか誰かが辿り着くかもしれないと言われたそうです」


 リリアは灯に対して、疑いを抱かずに話してくれた。

 灯に対して好意しかない相手には、こんな話を出来ない。深読みかもしれないと言われたら話を中断しようと思ったのに、ネモフィルは冷ややかな声で問う。


「敵を欺くために、リリアの存在を利用した?」

「リリアさんよりあの場所を、でしょうか」


 冷静な亜莉香は淡々と考えを述べる。


「誰もが事実と受け止めて物語を繰り返していれば、もしかしたら誰かが本当に辿り着いたかもしれない。王冠を偽物と入れ替えて置けば、最悪の場合には王冠は失われたものになるかもしれない」


 勝手に想像するしかなくて、困ったと言わんばかりに肩を竦めた。


「疑い出したら、きりがなくなりますね」

「本人には聞けないしね」


 張り詰めていた空気を壊すように、ネモフィルが息を吐いた。瞳を閉じて一人で考え事をしたかと思うと、青いサファイアの瞳が真っ直ぐに亜莉香を見つめる。


「透には言わずに、灯の今までを探ってあげる。時間はかかるかもしれないけど、二十年前を中心に、灯に不審な点がなかったか精霊に聞いてみるわ」

「ピヴワヌにも、ばれないようにお願いします」

「分かっているわよ。主に対しては忠誠心の強い、厄介な小兎だもの」


 呆れが混ざったネモフィルの言葉に、亜莉香は安心して笑みを零した。

 行きましょう、とネモフィルが歩き出す。後を追いかけて、何気なく屋敷の角を曲がり、リリアがいた庭と似たような縁側があった。


 襖で部屋の中は見えなくても、縁側はそっくりで庭の景色が全く違う。

 縁側から竹垣までの地面を覆うのは、青々とした苔。大きな踏み石が無造作に配置されているように見えるが、職人の手が加えられているに違いない。苔の長さは一定で、整備された庭の竹垣近くには、丸い小さな池があった。

 池の中では魚が泳ぎ、立派な枝垂れ柳が池の半分に影を作っていた。

 美しさに目を奪われた亜莉香に気が付き、ネモフィルは嬉しそうに口元を隠す。


「さっきの庭も素敵だけど、こっちも素敵でしょう?」

「はい、とても」

「私はこっちのほうが好き。池があって、水場あると嬉しくなるの」


 えい、と言いながら、ネモフィルが踏み石を目掛けて飛んだ。見事に着地して見せて、亜莉香に向かって両手を広げる。


「さあ、どんと来なさい!」

「え…私も、ですか?」

「苔を踏んだら、後でツユ坊に怒られるのよ。ちゃんと受け止めてあげるから、勢いをつけて思いっきり飛んで頂戴!」


 そこまで言われると、何が何でも苔を踏んではいけない気がした。

 行かない、という考えはない。ここまで来たら進むだけ。助走をつけて地面を蹴った。身体がいつもより軽く、宙に浮かんだ。

 笑顔のネモフィルに受け止められた瞬間、喜ぶ前に襖が開いた。

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