05-4
眩しさのあまり、思いっきり瞑った目をそっと開ける。
八畳程の、小さな部屋の中に亜莉香は一人でしゃがみこんでいた。
本の山、と言う単語がよく似合う部屋。壁には何もなくて、天井に届くぐらいの大量の本が目の前に積み上げられている。
「何、ここ?」
呟きながら、立ち上がって部屋を見渡す。
窓も電気もないのに、部屋の中は白い壁に囲まれていて明るい。山積みになっている本以外なくて、後ろを振り返れば何もない。
本当に、真っ白な壁しかなくて、帰る扉がない。
元の場所に戻る方法が、全く思い浮かばない。
「また、帰れなくなったの?」
呟きながら、真っ白な壁に触れる。壁に触れても何も起こらず、しゃがんでみても楓の葉はどこにも見当たらない。
「帰りたいのに」
どうしよう、と言いながら、壁に背を預けてそのまま座りこむ。
一週間前も、同じように突然知らない場所にいたのに、あの時とは全然違う。
不安で、怖くて。
泣きそうだ、と思った。
泣いても意味がないのに、涙が零れそうになる。どうすればいいのか、考えたいのに頭は真っ白で何も思い浮かばない。呆然と座りこんで、亜莉香は泣かないように唇を噛みしめた。
「特殊結界、か」
突然聞こえた声に振り返れば、いつの間にか隣にルカがしゃがんでいた。
にやりと笑ったルカの姿が、今にも涙が零れそうだった亜莉香の瞳に映る。
「隠し部屋、よく見つけたな」
「ルカさん…」
安堵して、涙が一粒、頬を流れた。
亜莉香が泣き出して驚いたルカは、ぎょっとした顔になった。
「何で泣く!」
「一人ぼっちで、帰れなくなったと思って」
淡々と言葉が出てくるのに、涙は止まらず、亜莉香は溢れる涙を袖で拭う。涙を流す亜莉香の姿にルカが狼狽しているので、それで、と下を向いて顔を隠しながら言う。
「特殊結界、とは何ですか?」
「あー…説明してやるから。先に泣き止んでくれ」
頼む、とルカが付け加えた。
亜莉香は小さく頷き、深呼吸を繰り返す。亜莉香が落ち着きを取り戻す間に、ルカは立ち上がって部屋の中をぐるりと一周した。
山になっている本の一冊を抜こうとしては、抜くと山が崩れそうになるのを悟り、無理やりは本を抜かずに、本の山を見つめる。
亜莉香が泣き止んだことをちらっと確認してから、ルカは口を開いた。
「特殊結界は、特定の条件が組み込んである結界。普通の結界が、どういうものか知っているか?」
「いえ…」
泣き止んだ亜莉香は、首を横に振って否定した。
ルカは少し間を置いて、説明を続ける。
「結界は、一定の区域を守るものが基本。外からも内からも、どちらからも破れないのが普通の結界で、透明な目に見えない壁が基本形」
振り返ったルカが、袖からクナイを取り出した。そのクナイを右手の上に置き、そのままの状態で亜莉香の前までやって来た。
しゃがみ込んで、右手を差し出す。
「クナイに触れるか、試してみろよ」
言われた通り、クナイに触れようと手を伸ばせば、ルカの手の上のクナイに触れる前に、透明な何かがあった。それは四角い透明な箱のような形で、クナイに触れることは叶わない。
「これが、結界ですか?」
「簡単に言えば。この基本形に、特殊結界は条件を組み込む。今回はあの葉っぱに触れた者だけ結界の中に入れた。葉っぱはただの道標で、結界には関係なかった」
「神社みたいに鏡のように見えたりするのも、特殊結界ですか?」
ルカの目を真っ直ぐに見て問えば、ルカは首を縦に振った。
「近くにある結界で言えば、俺らが住んでいる家も当てはまる」
「あ、ルイさんから聞きました。確か、主の許可がないと家に入れないと、害を為すものは家を見つけられないと」
「条件が揃わないと、入れない書庫の結界だろ?あの家で目立つ結界はその三つ。他にも絶対に壊れない物が数点、結界で守られているみたいだな」
亜莉香の言葉を付けたすように、ルカは言った。
さて、と言いながら、ルカは本の山に向き直る。
「問題は、ここから出る方法だな。閉じ込めるための部屋なら、こんな手の込んだ入口は作らないだろう。出口もあるはずだ。葉っぱが挟んである本を抜き出せば、部屋を出るヒントが分かりそうだけど」
腕を組んで考えるルカ。
心臓に手を当て、もう大丈夫だと確認してから、亜莉香は立ち上がった。ルカの傍まで行き、どれですか、と訊ねる。
ルカが教えてくれたのは数十冊の本で、近くで見れば確かに楓の葉が挟んであった。その挟んである本を下から目で追い、一つの案が浮かぶが、その案を口に出した後のルカの方が気になる。ずっとこの場所にいたいわけじゃないし、何もしなければ外には出ることが出来ない。
正解なのかも分からないが、黙っているわけにもいかず、亜莉香は遠慮がちに言う。
「本が好きなルカさんが、おそらく思い浮かばないことを一つ。言ってもいいですか?」
「何?」
「怒りません?」
言ったら確実に怒りそうで、亜莉香は訊ねた。ルカの眉間に皺が寄る。
「内容にもよる」
「なら、やめときます」
「言え」
はっきりとルカが言った。言っても言わなくても怒るだろう、と言う結論になって、亜莉香は口を開く。
「楓の葉が挟んである本なのですが」
一呼吸置いて、亜莉香はしゃがんで一番下の本に触れた。
表紙が半分以上出ている本、その本だけじゃなく楓の葉っぱが挟んである本は、全て表紙か背表紙が半分以上見えている。他の本に比べて痛んでいて、埃っぽい本を撫でながら亜莉香は言葉を続ける。
「この部屋に入る時も、楓の葉は道標でした。それは小さな子供目線で、道に迷わないようにしたのだとしたら、その本を階段にして上ったら、どうなるのかな、と」
「…」
「本を階段代わりにしたら、面白いですよね。なんて?」
沈黙が怖くて、冗談交じりに言い切った。
ルカの表情を伺えば、苦悩に満ちた顔で本の山を眺めていた。怒ってはいないが、心の中の葛藤が起こっている。
勝手に本の山を上ることは阻まれて、ルカの様子を伺う。
ルカは数分黙り込み、ゆっくりと口を開く。
「先に、俺が上る」
「私が上りますよ?間違っているかもしれないですし」
「いや、いい…」
渋々、または嫌々本に足を乗せ、小さな声で本に謝罪しているルカの姿に、亜莉香の方も罪悪感を抱く。それでもルカは天井近くまで進み、天井に手を伸ばした。
天井の板は簡単に外れ、薄暗い空洞。
一度はしまったクナイを再び手に持ち、クナイに焔を宿らせたルカが、その焔の明るさで空洞の中を確認する。
軽く中を見て、下で待っていた亜莉香を見下ろした。
「ここから出れそうだ。上れるよな?」
「はい」
しっかり頷いて、亜莉香も小さく謝罪をしながら本の山を上る。先にルカは空洞の中に入り、手を差し伸べてくれたので、亜莉香は迷わずその手を掴んだ。




