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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
229/507

46-5

 吹き止むことのない突風と共に歩み寄る姿を、亜莉香は瞳に映した。

 警備隊が誰も怪しまなかったことから、また別の誰かに姿を変えていたに違いない。油断していて、何とか踏み止まるには一人では限界がある。


 まずい、と感じた瞬間に、目の前で青い光が集まった。

 氷の表面の水が一カ所に集まって、空高く噴射する。

 魔法の風の威力を弱めて、亜莉香の前に立ちはだかった美女は両手を前に突き出した。


「ネモ…」

「ぼーっとしない!吹き飛ばされたら危ないでしょ!」


 叱りつけたネモフィルは振り返らず、目の前の人物を睨みつける。


「長くはもたないわよ。まさか――警備隊の中に敵が紛れ込んでいるとはね」


 苦々しく言ったネモフィルは、ヒナを敵と認識した。

 青い光が強くなり、噴射した水が向きを変えて敵を襲う。水の攻撃を避けて、余裕の笑みを浮かべたヒナは扇を構えた。緑の光を帯びた風と青い光を纏った水がぶつかり合い、派手な水飛沫が空で弾けて降り注ぐ。

 お互いに引かない魔法の攻防戦を、守られている亜莉香は呆然と見つめた。

 矢のように水がヒナを標的として、風は容赦なく魔法を相殺する。


「ったく、可愛くない小娘が!」

「ネモ、あんまり無理は――」

「無理じゃないわよ!絶対に仕留めてやる!」


 ムキになっているネモの攻撃を物ともせず、ヒナは確実に距離を縮める。ヒナが扇を回す度に、風の魔法が繰り出される度に、辺りが白い霧に覆われていく。

 辺りに立ち込め始めた霧に、視界が悪くなり始めた。

 近くで氷に金属が突き刺す音がして、透の後ろに目を向けた。ツユが日本刀で身体を押さえて、倒れないように片膝をつく。その顔色は青白く、眉間には皺が寄っていた。


「ツユ!大丈夫か!」

「平気、だ」


 透に答えた声は弱々しく、言葉とは裏腹な様子だ。


「俺より…兄さん、は?」

「人の心配をしている場合か!今すぐに縄を――って、どれだけ頑丈に結び直した!魔力込めただろ。この馬鹿!」


 五月蠅い透がツユを心配しつつ、縄を解こうと試行錯誤する。瞳を伏せたツユは顔を伏せて動かなくなり、亜莉香は近くにいるはずのトシヤの姿を探した。


 霧に遮られて、何も見えない。

 声まで遮られたようで、この場にいる人間だけが取り残された。

 霧の中に混じって、囲っているのは細かい砂のような毒々しい紫の光。霧に紛れ込んだ魔法の対処法も分からず、ツユだけが影響を受けて蹲る。

 ネモはヒナと応戦して手が空かず、亜莉香は立ち上がって透の後ろに回った。

 固く縛られた縄を解く手助けをしようにも、とても頑丈で解けない。


「ごめん、透。もうちょっと待って」

「あー、もう!分かっている!亜莉香、王冠はあるよな!」

「王冠は――」


 ある、と声が掠れて、握っていた目薬が無くなっていたことに気が付いた。

 手を止めて辺りを見渡しても、目薬の容器は見当たらない。しっかりと握っていたはずの目薬だけがなくなって、右手首に王冠だけが残っていた。


「封印した…目薬がない」


 呆然として、掠れた声が出た。

 信じられないのは亜莉香だけじゃなくて、目を見開いて透が首だけ振り返る。


「嘘だろ!?」

「ごめん!すぐに探すから!ちゃんと握っていたの。なのに――」

「落ち着け!俺も一緒に探すから!」


 頭が真っ白になった亜莉香の声を遮って、透は叫ぶように言った。泣きそうな顔の亜莉香と目が合えば、落ち着け、と優しく繰り返す。


「大丈夫だ。この近くにあるのは気配で分かる。すぐに見つかる」

「でも――」

「ひとまず、縄を解かせてくれよ。時間をかけられないから、力ずくで解く。ちょっと離れていてくれないか?」


 諭すように頼まれて、亜莉香は素直に頷いた。

 一人分以上の距離を開けて、蹲って動かないツユの傍に寄る。ツユの顔色は悪く、話を聞いていたはずだけれど、その会話すら耳に入っていない様子だった。ただただ苦しそうに耐えて、石像のように動かない。

 その肩にそっと手を添えて、同じく動かない透の背中を眺めた。

 裸足の肌に触れている水に温かさを感じれば、近くの氷の表面の水が透の周りに集まった。水かさが増えたのは透の両手を縛っている傍だけで、風もないのに波打って淡く光る。


「【貫け】」


 零れ落ちた一言で、空へ向かって放たれた水が鋭く縄を切り裂いた。

 結んであった縄に綻びが生じて、両手が自由になった透は肩や首を回す。立ち上がれば亜莉香を振り返ることなく、お面を外して、近付いて来るヒナに目を向けた。

 ヒナの距離は三メートル程まで迫り、悔しそうにネモフィルは攻撃を繰り返す。

 歩き出した透がネモフィルの隣に立つと同時に、その右手には日本刀が現れた。

 その美しさに、亜莉香は息を呑む。


 しなやかな曲線の儚い刃は白銀で、細身。深く青い深海の色の柄で、刀身の手元には王冠の模様があり、その中心には埋め込まれているのが青く澄んだサファイア。

 その近くには幾つも瑠璃唐草の模様が刻まれ、星の光を反射して輝いた。


 透がネモの名前を呼べば、一瞬だけ視線を交わした。言葉にしなくても意思疎通をして、ネモフィルが下がって透が一歩前に出る。

 二メートルほど手前で、扇を手にしたままヒナは立ち止まった。

 透は剣先をゆっくりと、微笑んでいるヒナに向ける。


「さて、お前は誰だ?」

「貴方と同じく名乗るほどの者じゃない。全く、毒が効かない人間が二人もいるのは厄介ね」


 後半は独り言のように言い、扇で口元を隠した。

 ネモフィルがそっと場を離れ、亜莉香とは逆側のツユの隣に移動する。辛そうなツユを見て顔を歪めて、母親が子を守るようにツユの身体を抱きしめると、ヒナを睨みつけた。

 ネモフィルの視線など気にせず、ヒナは平然と透に話しかける。


「悪いけど、私が話したいのは貴方じゃなくて、後ろにいる人間なの。場所を空けてくれないかしら?」

「見るからに怪しい奴の言うことを、聞くと思うか?」

「なら、ここからでいいわ」


 亜麻色の瞳が亜莉香を捕らえた。

 真っ直ぐに、澄んだ色の瞳が笑いかけても、何も言えない。表情が硬くなって肩に力が入ると、ヒナは左手を顔の位置まで上げた。

 手の中にあった物を見せるように指で挟み、はっきりと言う。


「一つ目。これは私が持って行く」


 手にしていたのは間違いなく目薬の容器で、透やネモフィルが驚いた声を出した。取り返そうと透が動く前に扇を前に出して、場を支配した声が響く。


「封印されているとは言え、こちらの駒を失くすわけにはいかないの。安心して、この場で封印を解くつもりはない。私は、それを望んでいない」


 私は、と微かに強調した言葉に、透は構えていた刀を微かに下ろして眉をひそめた。襲って来た敵なのか、それとも訳の分からない味方なのか。どちらか判断しかねる思いは、亜莉香の胸の中にも芽生えた。


「二つ目。そこの彼を助けたいのなら、今から私の言う通りにして」

「おいおい、何を言っているんだよ」


 理不尽な要求に、透は呆れながら口を挟んだ。

 亜莉香しか見ていないヒナが、左手に持っていた目薬を帯の中に隠す。代わりに胸元から取り出したのは無色透明な液体の入った小瓶で、淡々と話を続ける。


「この中に入っているのは、そこの彼を治すための薬。魔法の毒って不思議でね。解毒するには、同じく魔法のかかった対等な薬が必要なの。何もしなければ数時間で死ぬけど、助けたいなら指示に従って」


 そこの彼、と言った時だけ、ヒナはツユに目を向けた。


「応じないのなら、私は持っている小瓶を壊す。誰が死んでも、私には関係ない。誰かを助けるなんて、私の役目じゃない」


 無情な声に同情はなく、一方的で容赦もない。

 今の亜莉香に、脅迫にも聞こえる要求を拒否することは不可能だった。何を望んでいるか分からないまま、張り詰めていた空気の中で息を吐く。


「何が、お望みなのですか?」

「アリカ!言うこと聞くつもり!」


 悲鳴に近い声を出したネモフィルに顔を向けず、立ち上がってヒナを見据えた。

 相手にするな、と言う声は耳を通り抜ける。緊張した両手を強く握りしめ、水の上を歩くたびに歩く音がした。

 足元から感じる冷たい水が、頭を冷静にさせる。


 静まり返った状況で状況を見定めようとする透の隣に立ち、顔を上げた。

 交渉を続ける意思を汲み取り、ヒナは手にしていた扇を閉じる。扇は帯に、小瓶は胸元に忍ばせて、手を伸ばしたのは腰に付けていた日本刀。

 鞘から抜けば、烏の羽のような艶やかな黒の刃が星の光を反射した。

 柄は漆黒。青や紫、緑などの光沢を帯びた美しい黒である濡羽色の刃先を、真っ直ぐに亜莉香に向ける。その日本刀には、飾りも模様もない。透の持っている日本刀と形はそっくりなのに、色の印象は真逆。

 光と闇のように、対極の武器を怪しく構えて微笑む。


「貴女の手首にある物を、こちらに渡して貰いましょうか」

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