46-4
縄で縛られた上、縛っている縄をツユに握られている透の姿を憐れに思うべきか。
湖の氷の上で胡坐をかき、お面を被っているので表情は分からない。逆らう素振りはなく、両手は身体の後ろ。ウルカに連れ添う形でリリアは席を外して、警備隊に守られながら湖を後にした。ネモフィルは姿を隠してしまって、ツユが背後に立っている透は始終無言だ。
どうしてこんな状況になっているのか。
ツユから指示を受けた警備隊の数が減って、亜莉香は少し離れた場所から眺めた。
端に避けていたルカとルイと視線を交わすと、二人は近くに寄って言う。
「お疲れ。あとは後処理するってさ」
「元凶は封じ込めたからな」
疲れたルカは腕を組み、ルイは頭の後ろに腕を回した。
元凶、と言いながらトシヤと首を傾げると、ルカが透を振り返って話し出す。
「あいつが、なんか小さな器に封じ込めた。俺は見たこともない入れ物だったけど、それで暫くは持つから、後で封印を重ねるとか何とか言っていた」
「僕もよく分かんなかったんだよね。光ったと思ったら、あの子いなくなっていてさ」
「近くで見ていた俺も、よく分からなかったけどな」
頷きながらルカが言い、ルイは亜莉香に問う。
「アリカさんなら、遠くからでも何があったか分かった?」
「えっと…よく、分からなかったです」
正直に言えば、その瞬間を見ていない。
トシヤと向かい合って言い訳を考えていた時か、その後の出来事の時か。収まったはずの熱が僅かに上がって、から笑いをして誤魔化した。
困った亜莉香を察して、トシヤが助け舟を出す。
「それで、俺達はもう帰っていいんだろ?」
「そう言われたよ。ルグトリスの気配も弱まったし、後はセレストの警備隊で始末すると。馬鹿領主の息子はお供を連れて、さっさと帰ったし」
「ああ、シンヤがいたのを忘れていた」
「僕とルカに挨拶して、いなくなったからね。明日の昼を一緒に食べるように言うだけ言って、こっちの返事も聞かなかった」
最悪、と呟いたルイが遠くを眺めて、何もない闇を見つめた。
タイミングを見計らって、ルカが口を挟む。
「俺達も帰っても良かったけど、アリカがトオルと何か話すかと思って動かなかった」
「行ったり来たりは、二度手間だからね」
付け足すようにルイは言い、亜莉香に笑いかけた。
気持ちを見透かされていたが、嫌な気分にはならない。透と話さなければ今後を決められず、トシヤに頷いて見せてから、その場を一人で後にした。
透がいる場所はすぐそこなのに、足を動かすのに気合が必要だった。
何故か緊張した亜莉香が近づいて、ツユの傍に居たミスズは眉をひそめた。ツユは何も言わずに、数歩下がって指示を出し続ける。
気配を感じたのか、透が顔を上げた。
お面越しの黒い瞳と、目が合う。
その目を見れば、透が笑っているのが伝わった。愉快そうに、おかしそうに現状を楽しんでいる。腰を落として、膝を抱えた。
視線を合わせて、相変わらずだと思いながら話しかける。
「全く、なんで捕まっているの?」
「それはネモに聞いてくれよ。ツユと協力して、俺を逃がさないように仕組んでいたんだぜ。酷くない?」
「それは透が突然いなくなったからでしょう?」
近くにいる人には声が聞こえないように、小声で話しながらも遠慮はしない。
「いなくなるつもりだと、ネモには伝わったんじゃない?」
「まあ、その通りではあるけどな」
「家族の傍に居たくないの?」
言ってから、透の悲しみに気付いた。
瞳が影って、そうだな、と静かに相槌を打つ。
「俺が傍に居ると、災厄を巻き込むから。家族が大切だと思えば思うほど、離れていた方がいいとも思う」
「リリアさんのことは?」
「手離すつもりはない」
清々しさを感じる程はっきりと、透が即答した。驚きと嬉しさが混ざった亜莉香は顔を伏せて、笑い声を出さないように肩を震わせた。
それでも声は零れて、透は不貞腐れる。
「おい、笑うな」
「だって、今まで恋愛興味なしの透しか知らなかったから。今日だけで透のこと、前より好きになった気がする」
笑っていた顔を上げれば、ため息が返って来た。
「気がするのかよ。俺はずっと前から、亜莉香のことを妹のように好きだったよ。恋愛話なんて、恥ずかしくてしたくなかったけどな」
「透って、認めると素直だよね」
「ほっとけ…いや、待て。このまま放って置かれると、ネモやツユに色々聞かれそうで面倒くさい。どうにかして、縄を解いてくれないか?」
声を落とした真面目な透に、亜莉香はわざと首を傾げた。
「捕まっているのは可哀想だと思うけど、たまには怒られた方がいいよ。お兄ちゃん」
「うわ、その呼び方は気持ち悪い。兄だとはそのうち認めさせたかったけど、いつも通り呼べよ。今更変えられたら、鳥肌が立つだろ」
縛られているのに、透は身体を震わせた。
本気で嫌がっている様子に、話を変える。
「それより、あの子を封印したって聞いたけど。何に封印したの?」
「急に話を変えたな。別にいいけど…俺の、右ポケットの中」
言われた通りポケットを探ると、小さな目薬が出てきた。それは市販の入れ物で、中身が透明な液体なら不思議はない。
澱んで真っ黒な液体の入った目薬を掌に乗せ、透は説明する。
「その中に、一応は封印してある。けど俺は得意じゃないから、出来るなら亜莉香にも協力して貰って、封印を重ねたい」
「私?」
「俺は昔から、結界とか封印とか苦手なんだよ。それに関しては灯の方が上だった。いや、まあ…それ以外でも灯に勝てなかったことは沢山あるけど」
昔を思い出して、話がずれた。
「灯は薙刀を持たせたら最強だし、日本刀を持たせても俺と互角で渡り合うんだよ。水魔法や治癒魔法は俺より下手だったけど、まんべんなく魔法は使えて、精霊を見つけるのも得意だった奴でさ」
「――その話、長い?」
亜莉香の一言で、つまり、と透は話をまとめる。
「今すぐにでも、封印を重ねたい。そのためには亜莉香の力が必要だ」
「縄で縛られてなかったら、格好がつくのにね」
「おいおい、俺を誰だと思っているんだ。この程度で、俺が抑えられるはずが――」
ない、と言い終わる前に、透の頭に影が下りた。
真後ろで見下ろしているのは、無理にでも笑おうとしているツユだ。発せられる気配は冷ややかで、氷のように冷たい。
自分の失言に気付いた透が、後悔しても遅い。
「ほう、この程度なら逃げるのか」
「畜生!裏切ったな、亜莉香!」
「私は何も言ってないでしょう?透が自滅しただけで」
呆れながら言えば、その間にツユが縄を締め上げた。
透の騒ぐ声に両耳を塞ぐと、両手の存在が気になった。王冠も白いリボンに括り付けた鈴もそのままで、今後の扱いに悩む。
警備隊に話しかけられたツユの視線が透から外れて、亜莉香はそっと問う。
「因みに、透」
「俺は怒っている!何でも聞けば答えると思うな!」
「王冠って、どうすればいいと思う?」
「はあ!?」
湖全体に響き渡る声を出した透は、慌てて亜莉香を見つめた。
耳を押さえていた右手首の王冠に気付いて、顔色が変わる。青白くて、信じられない物を見るように目を見開く。
「それ…どこで?」
「リリアさんの家の池の中で、ネモから聞いてなかった?」
「聞いてねーよ!てか、そっちの方が早く封印した方がいいだろ!意識すれば光の魔力を感じるし、それが敵の手に渡る方がやばいんだよ!」
後ろで手を縛られていた透が立ち上がろうとして、両手の不自由を喚いた。ツユに突っかかって喚く透に、他人事のような疎外感を味わう。王冠を持っているのは亜莉香だけど、封印する必要も考えなければ、光の魔力も感じないのだ。
そんなに慌てる話だったのかと呑気に考えていると、緑の光が目の片隅に映った。
細かい砂のような緑の光はふわりと風に乗って、亜莉香の髪を撫でる。思わず目薬を持っていなかった左手で押さえると、風を感じた方角に真っ白な髪の女性の姿があった。
警備隊と共通の着ている着物と袴姿で、悠々と近づいて来る。
腰には日本刀を身に付けて、行き交う周りの人間は誰も気にしない。
歩きながら、袖の中に隠していた扇を右手に持った。亜莉香と目が合えば微笑んで、数メートル先で立ち止まった瞬間、空高く掲げた扇を力一杯振り下ろす。
切り裂くような風が、亜莉香と透の間を通り抜けた。
突然の攻撃に透が身を引き、間を置かずに亜莉香の身に強風が襲った。両手で風を防いでも威力は衰えず、しゃがんでいた身体が吹き飛ばされそうになる。
ヒナの狙いは、間違いなく亜莉香だった。




