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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
225/507

46-1

 狭間の出口が近くなって、亜莉香は足を止める。

 道標がなくても進めたわけじゃない。右手首に通した王冠のサファイアに張り付いている、青い花びらが微かに光って指し示したおかげで、迷うことなく道を辿れた。それは助かったことだけれど、通ったはずの光が歪んで見える。

 目の錯覚と思いたいが、目を凝らしても見ている光景は変わらない。

 光が弱くなっているようにも見えて、何かがおかしいと思うが具体的なことは分からない。腕の中で静かだったネモフィルに話しかけようか悩むと、ペンギンは顔を上げた。


「悪いけど、そろそろ下ろしてくれる?地上では人の姿でいたいのよ」

「それは構いませんが…ちょっと様子がおかしいのですよね」

「様子?」


 首を傾げたネモフィルが亜莉香の腕から下りて、しゃがんだ途端に人の姿に戻った。立ち上がって後ろを振り返り、出口を見るなり眉を顰める。


「透の作った道が歪んでいるわね」

「通れます、よね?」

「まだ繋がっているから、通れるのは通れるはずよ。元の場所に繋がっているのかどうかは、保証しないけど」


 大きなため息を零して、腕を組んだネモフィルは亜莉香を見た。


「どうする?他にも道はあるはずだから、もっと安全な道を探す?」

「いえ、花びらが指し示している道を行きたいです。おそらく、それが一番の近道だと思いますので」


 真っ直ぐに瞳を見返して、それに、と亜莉香は微笑んだ。


「これ以上遠回りして遅くなったら、ルカさんに怒られてしまいます」

「分かったわ。貴女の周りは心配性が多いものね。透とは大違い」


 くすりと笑って、ネモフィルは左手を差し出した。手を繋ぐ意味だと受け取った亜莉香が右手を重ねると、ひんやりとした冷たさを感じた後に温かさを感じた。

 踵を返したネモフィルに誘われて、亜莉香は出口に向かいながら言う。


「透にも、心配する人は沢山いそうに思いますよ?」

「二十年前だったら、そうだったかもしれないわ。でも今の透は勝手にいなくなって、勝手に帰って来た人間でしょう?心配する人より、怒っている人がちらほらいるのよ」

「怒っている人?」


 誰のことを言っているのか。繰り返した亜莉香に、ネモフィルは少し愉快そうに答えた。


「ウルカとか、ツユ坊とか」

「…え?」


 予想外の名前に、亜莉香は瞬きを繰り返した。

 言葉を失っている間に、ネモフィルは悪びれなく話し出す。


「私ってば、透がいなくなってリリアにも会えなかったから。ちょっと口を滑らせちゃったのよね。ほら、領主であるラメール・ミロワール家って、瑠璃唐草の家紋でしょう?瑠璃唐草の家紋と、透の持つ紋章って似ているじゃない。だから話し相手を探していたらと言うか、構いたくなったと言うか――色々喋っちゃったのよね」


 えへへ、とお茶目に締め括って、ネモフィルが口元を右手で押さえる仕草をした。亜莉香とは反対の遠くを眺める横顔に、思わず口を開く。


「護人のこと…話したのですか?」

「それは違う。うん。護人のことは感づいている雰囲気があるけど、私は話していない。教えたのは透が特別な存在で、いつか二人の前に必ず姿を現すはずだと言うことだけ」


 即否定して、ネモフィルが出口の光に足を踏み入れた。


「だってね。唐突にいなくなった透のせいで、ウルカもツユ坊も相当苦しんだのよ」


 眩しい光はネモフィルの背中で遮られ、亜莉香は握っていた手に力を込めた。離れないように握り返されて、歩きながら話が続く。


「私だって最初は話しかけるのに躊躇したけど、あまりにも悲惨そうで…私が慰めたくて、最初に話しかけた」


 自分の意思だと強調した声は、とても優しかった。


「それは間違いじゃないと、今でも思う。きっと帰って来ると信じて話しかけて、今日まで他愛もない話ばかりをしていたわ。最近のツユ坊は忙しそうだけど、昔は一人でエトワル・ラックに来て泣いていたのよ。ウルカは私の為にお茶会を開いてくれて、泣かなくても寂しそうに笑っていた」


 きっと、と囁くように零して、ネモフィルは立ち止まった。

 右手を前に出して、何かを確かめながら言う。


「きっと私達は、透がいなくなって寂しくて仕方がなかったの。それこそ言葉にしなくても気持ちは同じで、いつ帰って来るかは分からなかった透を待ち続けていた」

「そう、だったのですね」


 小さく相槌を打てば、ネモフィルが少し明るい声を出す。


「ようやく帰って来たのだもの。今日が落ち着いたら、思いっきり話し合わなくちゃ。どれだけ時間があっても足りないくらい、言いたいことがあるの。私だけじゃなくて、ウルカやツユ坊もね」


 楽しそうに振り返ったネモフィルに、亜莉香は笑みを浮かべた。


「それなら私も、透には言いたいことが沢山あります」

「なら、一緒に言いましょう」


 ぐいっと引っ張られて、ネモフィルは背中から光に吸い込まれていく。

 繋いでいる亜莉香の右手に、冷たい水の感触を感じた。水の壁があって、その壁を通り抜けるように、徐々に身体が水に包まれていく。咄嗟に息を止めようとすれば、ネモフィルの右手が亜莉香の唇に触れて、小さな泡が現れた。

 鼻と口だけを覆う泡のおかげで呼吸が出来る。

 青く澄んだ水の中に亜莉香はいた。

 ネモフィルに誘われて身体が浮いて、見下ろすと溶けかけた氷の塊があった。

 狭間の出口は深く暗いエトワル・ラックの底に沈んで行き、ネモフィルが光指す水面に向かって水を蹴るように泳ぐ。一直線に明るい地上に向かって進み、水越しでも夜空の星々がよく見えた。

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