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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
223/507

45-5

 静かになった暗闇の途中で、何かを踏んだ。

 視界が悪くてよく見えなかったが、踏み付けたのは枯れた草。青い花びらの光では辺りを照らすことは不可能で、知らないうちに亜莉香は森の中に入った。


 前回とは違い、闇に包み込まれた不気味な森。

 森の中にいることは分かるのに、歩きながら眺めた木々は黒く染まっていた。歩くたびに落ち葉を踏む音がして、風もなければ生気も感じない。静まり返った闇に紛れてしまわないように、花びらとネモフィルを追って足を動かした。


 黙々と二人で歩いて、アーチ状の一本道を抜ける。

 開けた視界の先に何が待ち受けていても、驚かないつもりだった。

 薄暗い雲に覆われた空の下、顔を強張らせたネモフィルの隣で立ち尽くす。

 敷地を守るはずの石垣は崩れ、池に繋がっていた小川は澱んで異臭を放っていた。葉を全て失った大樹は枯れて、チョコレート色の一軒家は半壊状態で人は住めない。季節関係なく咲き乱れていた花々は踏み荒らされて、美しく綺麗だった場所が見るも無残な光景に変り果てていた。

 ただただ悲しさが心を占めて、亜莉香は両手で胸元を押さえた。

 涙が溢れそうになり、唇を噛みしめて感情を抑える。


「酷い」

「そうね。その元凶の姿は見当たらないけれど」


 淡々と状況を見極めたネモフィルが辺りを見渡した。


「この土地は光に溢れていて、何か大きな力があるのを感じるわ。上手く隠されているみたいだけどね。アリカは何か感じる?」


 何も、と言いそうになって、青い花びらを探した。

 いつの間にか見失っていた花びらは、池の水面で浮き、落ち葉や色褪せた他の花びらに紛れて漂う。見つけられたのは光っていたおかげで、淡く小さな光が心を占めていた悲しみを落ち着かせた。

 ネモフィルの言う何か大きな力が王冠なら、まだ少女の手には渡っていない。

 肩の力を抜いてからネモフィルを見上げて、僅かに口元に笑みを浮かべる。


「花びらが、呼んでいるように思います。折角ですから、池を探してみませんか?王冠が見つかるかもしれませんよ」

「そんなに簡単に見つかったら苦労しないけど、貴女に従うわ」


 仕方がないと言わんばかりに肩を竦めて、ネモフィルが先に歩き出した。

 少女がいないことで安堵した亜莉香は、裸足のまま慎重に足を進める。ガラスの破片や危険物はないが、用心に越したことはない。

 小石を踏んで少しの痛みを感じて、怪我だけはしないように注意する。

 池の縁に到着すると、あまりにも酷い匂いに息を止めた。

 呼吸をしないのは無理なので、口呼吸に変える。それでも匂いは消えないが、手にしていた灯籠と鈴を地面に置き、膝をついて水面に浮かんでいた花びらに手を伸ばした。


 あと一歩、と言うところで、右手が届かない。

 落ちそうになった亜莉香を引き止めたのは後ろに立ったネモフィルで、着物の後ろの首元を引っ張った。


「この池に入るのは、正直お勧めしないわ」

「それは分かっているのですが、届かなくて」


 少し首が絞まりながらも答えて、もう少しだけと手を伸ばす。


「あと少し…ほんの少し、なのですが」

「私が押さえているから頑張りなさいよ。それにしても、折角綺麗に咲いていた花が台無しね。何もかも無茶苦茶で…池の中の想涙花も枯れてしまったかもしれないわ」


 残念そうに言いながら、ネモフィルが池の中を覗き込んだ。

 後ろから覗き込まれて、亜莉香の身体はもう少し前まで伸びた。ネモフィルが手を離したら池に落ちるのは確実で、瞳に花びらだけを映して前のめりのまま問いかける。


「この池に、想涙花が咲いていたのですか?」

「そうよ。池の中で、リリアが大事に育てていたの。時々私や透の元に贈ってくれて、何度か違う場所で育てようとしたけど、ことごとく失敗したのよ。結局、成功した場所は一カ所だけだったのよね」

「それって――」


 どこですか、と言おうとして、指先が花びらに触れた。

 掴んだ、と思った瞬間に、地面に添えていた左手が滑る。


 花びらを掴み損ねて、ネモフィルが掴んでいたはずが、身体は水飛沫を上げて池に落ちた。頭から落ちて、水を呑み込まないように口を閉じ、水面に浮いていた落ち葉や花びらが顔に当たって、目も上手く開けられない。

 ほんの微かに光が見えた気がして、咄嗟に手を伸ばした。右手の違和感を覚える暇もなく掴んだ何かを握りしめて、もがいていたのは数秒間。

 腕を引っ張られて、顔が空気に触れる。


「馬鹿じゃないの!?」

「た、助かりました」

「いいから早く上がりなさい!」


 叱りつけるように叫んで、ネモフィルは池の縁で腰を落として亜莉香を引き上げた。

 着物や袴が水を含んだせいで全身が重くて、這い上がるように池から出る。染みついた池の水の匂いに咳き込んで、浅い呼吸を繰り返して息を整えた。


「…びっくりしました」

「それはこっちの台詞よ」


 ぺたりと座り込んで両手を地面につけたまま、亜莉香はネモフィルを見上げた。心配している顔を見て、気の抜けた顔で笑いかける。


「ネモフィルがいてくれて、本当に良かったです」

「呑気なことを言わないでよ。心臓が止まるかと思ったじゃない」

「精霊も心臓ってあるのですか?」

「比喩よ。そんなことはどうでもいいから、花びらは――」


 どうしたの、と続いたネモフィルの声が小さくなり、唖然とした表情に変わった。視線の先は亜莉香の右手で止まって、ゆっくりと掴んでいた何かを確かめる。


 掴んだ感触から、違和感はあった。

 花びらよりも大きくて、金属のような冷たさ。直径十センチ程の王冠は金色で、浮き彫りになっているのは様々な花の模様。小さくも存在感のあり、埋め込まれているのは三つの宝石。

 真ん中に真っ赤に燃えるように赤いルビーがあり、左右にあるのは澄んだ水のように青いサファイアと、爽やかに吹く美しい風のような緑のペリドット。その他にも、花の模様の中心には色とりどりの小さな宝石が散りばめられていた。

 掴み損ねたと思っていた青い花びらは、サファイアの宝石に張り付いている。


「王冠、みたいに見えますね」

「どっからどう見ても、王冠でしょ」


 顔が引きつったネモフィルとは違い、亜莉香は実感なく王冠を見つめた。

 両手に収まってしまう王冠は小さく、小さな子供ですら被れない大きさだ。頭に付けるだけなら問題ないかもしれないが、乗せて動いたら落ちそうでもある。

 失われれば国が滅びると言われた代物だと、頭では理解している。手にするのも恐れ多い気がするべき王冠を、膝の上に乗せて呑気に言う。


「これ、どうすればいいのでしょう?」

「どうもこうも、安全な場所に隠すのが最適じゃない?」

「安全な場所って?」


 顔を上げた亜莉香の疑問に、何も答えないネモフィルが両手の掌を見せながら一歩引いた。私は触りません、と主張する姿に、亜莉香は何とも言えない表情を浮かべる。


「ネモは、リリアさんに王冠を手放して欲しかったのですよね?」

「そうだとしても、こんな予定じゃなかったのよ」

「どんな予定だったのですか?」

「前提として――私は王冠の存在が半信半疑だった」


 素直な意見を述べて、ネモフィルは困った顔をして腕を組んだ。


「だって、私が生まれる何百年も前に存在した代物よ。リリアが千年近くも狭間の森に籠って、王冠を護り続けていると聞いても。内心願ったのは、それが既に失われていて、無くても国が滅びないと証明して欲しかった」


 亜莉香から視線を外したネモフィルが、遠くを見つめて本音を零す。


「大きな力なんて災いの元じゃない。そんなもの誰の手にも触れない方がいい」


 憂える瞳は曇って見えて、静かに声が続く。


「王冠だけの話じゃないわ。時代で生まれた大きな力は、いつだって災いを連れて来た。自然は穢され、土地は荒らされ、奪い合って、戦い傷ついて…残るものはなかった」


 今にも涙が零れそうなくらい、ネモフィルは涙が潤んで唇を噛みしめた。遠い昔を思い出す横顔に、口を出せる雰囲気はない。

 亜莉香が黙っていると、小さな声で話が続いた。


「ねえ、精霊がどうやって生まれるか知っている?」

「…いえ」

「精霊が生まれる瞬間は、二種類あるの。多くは土地や自然の魔力が集まって生まれて、稀に全く別の理由で生まれる」


 淡々と話そうとしたネモフィルの声が震えて、腕を組んでいた手に力がこもる。話すのが辛そうで亜莉香が止める前に、悲しそうに微笑んだネモフィルが振り返った。


「死んでしまった人間の強い祈りや願いで、私のように生まれる精霊もいるのよ」


 真っ直ぐに見つめた綺麗なサファイアの青い瞳には、全く別の人物が映った気がした。

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