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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
217/507

44-4

 頭の上にいるフルーヴは上機嫌で、楽しそうに話す。


「それでね。みんなが強いから、くそばばあが、すごくおどろいていたの!」

「皆さんは怪我をしていませんでしたか?」

「うん!けがしても、フルーヴがなおしたの!えらいでしょう!」


 えへへん、と胸を張るフルーヴは兎の姿で、両手を離したせいで落ちそうになった。慌ててしがみついて、亜莉香の髪を引っ張る。


「それでね。さっきの人が、とおるでしょう?」


 不思議そうな問いに、灯籠を右手に持った亜莉香は笑いを耐えながら頷いた。

 初めて透を見たフルーヴは、それはもう穴が開くほどじっと透を見つめた。誰だろうと好奇心旺盛な瞳を輝かせたが、近寄ることはなく亜莉香の腕の中で黙っていた。気になるくせに自分からは話しかけられず、透が覚えているか聞いた時だけ思いっきり首を横に振って、透を笑わせていた。


 また後で、と告げた透と別れて数分。

 フルーヴと一緒に灰色の世界である狭間を歩き、目的地も分からず歩き続ける。出口はフルーヴが分かると自信満々に言われたので、それを信じて亜莉香は心の向くままに足を進めていた。

 亜莉香が口を閉じるとフルーヴも黙り、早々に飽きて言う。


「まだー?」

「まだですね。暇ですか?」

「ひまー」


 素直に答えて、小さな兎は足をぶらぶらさせる。


「どこに行くの?」

「どこでしょうね」

「うーん…じゃあ、先にかみかざり返すの!」


 名案を思い付いたフルーヴの姿が女の子の姿に変わった。驚いた亜莉香の足が止まり、落としそうになって左手で支える。


「フルーヴ…落ち着きましょう」

「おちついているよ?」

「そう、ですよね」


 全く気にしていない本人は、肩に移動してから腕の中に収まった。胸元から白い布を取り出して、左手で支える亜莉香に見せる。


「ちゃんと持っていたの」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 うふふん、と嬉しそうになったフルーヴが亜莉香に手渡そうとして、両手が塞がっていることに気が付いた。どうしよう、と困った顔で首を傾げた姿に、亜莉香は微笑んで言う。


「フルーヴ、私の髪に付けてくれますか?」

「うん!」


 大きく頷いて、肩にフルーヴが肩によじ登ろうとした。動くと落ちそうなので動かずにいたが、慣れない作業にフルーヴの手が滑る。


「――あ」


 ふわりと、灰色の地面に髪飾りは落ちた。

 音もなく舞い落ちて、亜莉香はしゃがんで髪飾りを手に取った。

 三枚しかない花びらの一枚が、狭間の中では澄んだ青い光を帯びて光っているように見える。残りの二枚は黒いまま、水色の一枚だけが青い光に包まれて輝いていた。

 じっと髪飾りを見つめて動かなくなった亜莉香に、フルーヴは恐る恐る問う。


「ありか、おこった?」

「え…違いますよ。怒っていません」


 ただ、とフルーヴを振り返った顔を、左手の中の髪飾りに戻す。フルーヴも髪飾りを見て、その輝いている花びらを確認した。


「きらきらしている?」

「フルーヴが布から取り出した時も、光っていましたか?」

「ううん。ありかが手にしてから、きらきらして見えた」


 素直な答えに瞳を閉じて、亜莉香は少しだけ考える。

 透から貰った髪飾りは魔道具で、魔力を溜めて道標になる。息を吹きかければ機能するはずで、僅かながら光っているなら機能する可能性はある。


 なくなった二枚の花びらの時はもっと輝いていて、温かかった。

 あの時は何を想っていたのか。

 どんな未来を描きたい、とリリアの問いかけた声が脳裏に甦る。

 状況は変わったが、心に描いた未来は変わらない。大切な居場所があって、一緒にいたい人達がいる。知り合って関わる人達が増えて、セレストまで足を伸ばして、かけがえのない時間が優しい雪のように心に降り積もった。

 瞼を閉じても感じる光のように、その雪は温かく光を灯しているのだろう。

 淡く青い光を感じて瞳を開け、輝きを増した髪飾りを見て笑みが零れた。しゃがんだまま左手を口元に寄せて、ふっと息を吹きかける。


 花びら一枚が零れ落ち、風もないのに宙を舞った。

 ふわりと地面に舞い落ち、亜莉香が立ち上がると舞い上がる。数メートル先に飛んで、こっちだよ、と進むべき道を教えてくれる。初めて見る現状にフルーヴが亜莉香の顔色を伺い、花びらから目を逸らさずに足を踏み出す。


 灰色の世界から闇の中へ、花びらの光を道標に前に進む。

 周りの景色が変わってフルーヴは兎の姿に戻り、緊張しているのが触れている頭から伝わった。柔らかい毛並みを押し付けて、離れないようにしがみつく。

 対して亜莉香の足取りは軽やかで、深い闇の奥に行くにつれ花びらが輝いて見えた。右手の灯籠と花びらの淡く青い光があれば恐れることはなく、どこへでも行ける気分だ。響く音は足音だけで、近くに誰かいる気配はない。


 何も感じないだけかもしれないが、と思えば景色が変わった。

 草木の匂いがして、茂っていた草を踏んだ。

 足を止めて周りを見れば、肌寒い風が頬を撫でる。亜莉香の背より高い木々が乱雑に成長した森で、どこまでも続き、空を見上げれば分厚く黒い雲に覆われていた。

 狭間から出たわけではないのは、手の中の灯籠が証明してくれる。

 花びらが木々の隙間を飛んで行き、見失わないように足を速めた。


「あわわ」

「落ちないで下さいね」

「わか――」


 言い終わらないうちにフルーヴの身体の感覚が消えて、代わりにフードに重みを感じた。一瞬だけ振り返り、フードの中に落ち着いたフルーヴと目を合わせる。

 ほっと息を吐いた亜莉香に、大きく瞳を開いたフルーヴが呟く。


「びっくりした」

「私も、ですよ」

「あ、行っちゃう!」


 急いで肩から顔を覗かせたフルーヴの声で、亜莉香は急いで花びらを探した。

 何もなければ見失わない花びらも、木々の多い森の中では簡単に見失ってしまう。フルーヴが落ちるより花びら見失う心配が大きく、見え隠れする花びらを追いかけた。

 奥へと走って、途中で完全に見失った。

 見えなくなって辺りを見渡すが、森の中に光る花びらがない。


「ありかー」


 不安そうなフルーヴの声に何も言えず、亜莉香は左手を胸に当てて深呼吸をした。

 落ち着け、と自分自身に言い聞かせる。道標である花びらが亜莉香を置いて行くなんて、考えられない。追いつけなければ地面に舞い落ちて、やって来るまで待っていたはずだ。

 落ち着け、と繰り返す。

 慌てても誰も助けに来ない。それを分かった上で花びらを追って、ここまで来た。この森に何かあるはずと、一つ一つを観察する。

 鳥や生物のいない、静まり返った深い森。青々とした木々はなく、枯れ果てた木や乾いた葉っぱの木が多い。少しでも空が見える地面の草は空へと伸び、影となる草は萎れている。

 誰もいない。振り返っても帰り道は分からず、花びらが消えたと思う方角を見て一歩踏み出した。

 何かを踏んで、視線を下げる。

 草の間で、落ち葉の下に固い何かがある。木の実かもしれないと足を下げ、腰を下ろして被さっていた落ち葉を退けた。


「…これって」


 隠れていた鈴を見つけて、そっと壊れないように手のひらに乗せる。

 ぼろぼろになった真っ白なリボンに、剥げてしまった金の装飾。小さく、何十年も地面に落ちて人の手に触れなかった鈴は、どこかで見た。

 どこで、と自分の心に問いかけて、答えはすぐに出る。


「リリアさんのいた夢の中」


 小さく零れた声に、亜莉香は顔を上げた。

 目の前の光景は、見覚えのある森だった。花びらは見当たらないけど、どうすればいいのかは理解する。

 夢の中では鈴を見つけて、音が鳴るか確かめた。同じことをすればいい。


 直感に従って、リボンを握って鈴を鳴らした。

 微かに響いた音は、軽やかで可愛らしい音だった。


 直後に木々が揺れた。幾つもの葉が地面に落ち、ゆっくりと根っこごと移動する。枝が伸びたり引っ込んだりして、アーチ状の一本道が出来上がるまで時間はかからず、その道の奥に青い花びらが光っていた。

 右手には灯籠を、左手には鈴を握って立ち上がる。


「行きますよ、フルーヴ」


 不安の消えないフルーヴが頷いてから、亜莉香は歩き出した。

 進んできた道に間違いはなかった。

 前を見据えて黙々と進み、道は夢の中より長く感じる。真っ直ぐに歩いているのに、どこまでも続いているようにも見える。

 暗い道を進んでいたはずだった。

 そのはずが、少しずつ暖かな太陽の光が差し込む道へと変わる。

 木々の隙間から光が差し込み、温かな風が前から吹く。甘い花の匂いがして、鳥の囀りや穏やかな水の流れる音が聞こえて、青々とした木々に出迎えられる。


 突然、視界は開けた。

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