44-2
金の取っ手を押して、窓を開けた。
先に亜莉香が通り抜ければ、そこは光る小石が道標となっている暗闇。窓の脇には小さく丸いテーブルがあり、待っていたと言わんばかりの灯籠が置いてある。灯籠は辺りを仄かに照らして、置いて行った時と同じ位置。
灯籠を持てば、隣にやって来た透がテーブルを持ち上げた。
「ちょっと借りるな」
「うん。別にいいけど――」
何をするの、と問いかける前に、透はテーブルを頭の上に持ち上げた。止める暇もなく窓に向かって投げつけて、無色透明な窓ガラスが呆気なく砕けて割れる。
「意外と簡単に壊れたな」
「え、壊す必要あった?」
「誰かがこっちに来ると困るだろ?俺は戻るつもりはないし、亜莉香だってないだろ?それなら壊した方が、誰にとっても安全だ」
透は何事もなかったかのようにテーブルを元の位置に戻した。
窓ガラスを割ったテーブルには傷一つなく、寧ろ役目を果たしたような雰囲気がある。テーブルを一通り確認する透に、亜莉香は思わず呟いた。
「強引過ぎない?」
「そうか?壊れなかったら、もっと違う方法で壊すことになっていたと思う」
どんな手段でも壊していたのだと思うと、もう何も言うまいと亜莉香は口を閉ざした。肩にかけていたパーカーの襟元を握りしめて、その存在を思い出して透に問う。
「このまま、セレストに帰るよね」
「そういう話だっただろ?」
「そうだけど…あっちの世界では私の格好が目立って。こっちの世界では、透の恰好が目立つよ。どこかで着替える?」
ひとまずパーカーを返そうとすれば、透は受け取らずに亜莉香に押し付けた。
「着替えるつもりはないから、それは亜莉香が持っていろよ」
「着替えないの?」
「時間の流れの差はそんなにないと思うし、まだ夜中で戦いの最中だろ。この格好で印象付ければ、正体を隠しやすい。ネモに会ったら、お面の一つでも借りて顔も隠して戦うさ。だったら俺より亜莉香が頭から被った方が、髪の毛ごと顔を隠せる」
「私?」
質問の意味が分からずに首を傾げると、腕を組んだ透がため息を零した。
「護人だって、周りにばらしたいのか?」
「戦いに参加するつもりはないから、ばれることもないと思う。だから要らない」
「要らないって、はっきり言うなよ」
ぼやいた透が頭を掻いて、視線を逸らした。
受け取らないとの意思表示を感じて、持ったままでは邪魔になるパーカーをもう一度肩に掛け直す。誰かに見られても困らないので、今度は襟元のパーカーの紐を蝶結びにして、走っても落ちないようにした。
亜莉香がパーカーを身に付けたのを確認して、じゃあ、と透は問う。
「戦いに参加しないで、これから何をするつもりだ?」
「何を?」
聞き返してから瞳を伏せ、右手を口元に寄せて次の行動を考える。
ネモフィルに頼まれたのは透を呼び戻すことで、それは達成したと言っても良いだろう。帰りは小石を辿れば、道に迷うことはない。
問題はネモフィルに案内されて狭間に入った場所で、エトワル・ラックの近くだった。
戦いの最中だった場合、巻き込まれないように撤退する以外の選択肢はない。近くにはトシヤ達がいる可能性が高くて、きっとフルーヴなら名前を呼べば飛んで来てくれる。戦いに参加したところで武器もなければ魔法も使えず、足手まといになるのは目に見えていた。
ネモフィルのもう一つの願いは、と思って、目の前の透を瞳に映した。
亜莉香の言葉を待っている透を見て、泣いていたリリアを想う。
エトワル・ラックを護るのは、リリアに危害が及ばないようにするためだと頭では分かっている。だけど最善はリリアを見つけて王冠を手放させることで、魔力が尽きて王冠が永遠に失われる最悪もあると言われた。
最善とか最悪とか抜きにして、自分の気持ちを優先するなら。
眉間に皺を寄せて、右手を下ろして亜莉香は言う。
「うーん…正直、何をするかは考えてなかった」
「それなら、戦いに参加したらどうだ?少しくらいなら魔法を使えるだろ?」
「魔法を使えるかと言われたら、自分の思い通りに使える気がしないの」
本当に、と付け加えた。
精霊達の力を借りれば何とかなるかもしれないが、思い通りにとなるかと言えば話が違う。魔法を使った時は、いつも行き当たりばったりだ。
それなら、と一呼吸を置いて笑みを浮かべる。
「私は戦いに参加せず、リリアさんを探してみたいな」
口に出すと、それが本心からの願いだと分かった。
ネモフィルでさえリリアを見つけられず、透も水鏡でしか会っていない。透はセレストに帰ったら一番に会いに行くと言っていたが、それが水鏡を通して会うことなら、亜莉香は直接会って話をしたい。
亜莉香の言葉に透は驚き、即答する。
「いや、無理だろ」
「透やネモが見つけられなかったから?」
「それだけじゃないけど」
曖昧な返事は肯定で、不可能だと諦めている。
言いたいことが分からなくもないが、認めたくはない。
最近は泣いているリリアのことばかり考えていて、随分前に夢の中で会ったことを忘れていた。別れる時に聞こえた声は聞き間違えじゃなく、今でも覚えている。
「待っていると、私は言われたよ」
囁くように零れた声に、透が息を呑んだ。
遥か遠くまで続く光る小石を眺めて、言葉を続ける。
「それを言われたからだけではないけど、魔女の御伽噺を聞いて思ったの。リリアさんが約束を守ろうとしている相手は透だと思うけど、見つけて欲しい相手は違って」
千年の魔女の御伽噺を聞いて、勝手に推測した。
魔女がリリアなら、三兄妹の二番目の兄である待ち人は透だ。
透を待っていると約束を交わしたから、リリアは未だに約束を守ろうとしている。待っていると言った手前、自分からは会いに行けない。
見つけて欲しいと思いながら、王冠を守り続けると誓いを立てた。
王冠を護り続ける限り、リリアは姿を見せないのだろう。姿を隠して、それこそ魔力が尽きてしまうまで森の中で暮らすつもりなのかもしれない。
上手く言える自信はないけど、とそっと前置きした。
「隠れているリリアさんを見つけられるとしたら、灯さんだけだったんじゃないかな。御伽噺でも、最初に見つけたのは三兄妹の妹でしょ。私は灯さんではないけれど、牡丹の紋章を受け継いでいる。私なら、リリアさんのいる場所に辿り着けるかもしれない」
「根拠はないけどな」
「それでも、やってみなきゃ分からない」
小さな透の声に反射的に言い返した。両手を腹の近くで握りしめて、肩の力を抜く。
「何より、私がリリアさんを探してみたいと思ったの」
本当は、二人が出逢う瞬間を見てみたい。
それも願いの一つ。
透とは小さい頃からの親友で、リリアとは夢の中でしか会ったことはない。お互いの気持ちなんて知らなくて、どう想っているか聞いたこともない。
ただ口にしなくても、会いたいと想い合っていることは知っている。
水鏡でしか会うことが叶わなかったなら、二人が直接会うために出来ることを。何が出来るか、どこから探せばいいのか皆目見当は付かないが、エトワル・ラックにある狭間と森が繋がっているなら、探してみる価値はある。
「もしリリアさんを見つけたら、絶対に透を案内するよ――それでいいでしょ?」
微笑みながら問いかけると、透は瞬きを繰り返した。何かを言おうとして口を閉ざして、何も言えずに少しだけ悲しそうに前を見据える。
「そうなったら、いいな」
独り言のように呟く声が聞こえて、亜莉香は小さく頷いた。




