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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
212/507

43-6

 それで、と透が話し出したのは、亜莉香がフォークを置いてからだった。


「呑気にケーキを食べ終わったけど、俺を迎えに来たって?」

「そうだけど…よく考えたら、透にはこっちにも家族がいることを思い出しちゃった」


 言いながら、頭の中に幸福な家族の姿が浮かんだ。

 幼馴染の有川透と言う少年には、優しい母親がいて、頼もしい父親がいた。年の離れた元気な弟がいて、孫を大切にしている祖父母もいる。絵に書いたような、亜莉香が憧れていた温かな家族がいることを思い出して、冷めてしまったマグカップを両手で包み込んだ。


「そんな透を、私が勝手に迎えに来て連れて行っていいのかな?」

「いいも悪いも、俺は最初から夏までにそっちに行くつもりだったけどな」


 頬杖をついていた透は、困った顔になっていた亜莉香に軽く言った。

 と言うより、と真面目な顔をして瞳を覗き込む。


「亜莉香はネモに言われて、ここまで来たんだよな?」

「うん。途中までネモが案内してくれて、狭間を通って不思議な窓から」

「どうやって帰るつもりだ?」

「自力で帰って来るように言われたよ?」

「どうやって?」


 透の疑問にやって来たはずの窓を見れば、何の変哲もない窓だった。

 相変わらず外は晴天で、行き交う人が少し増えた。光ってもいなければ、その先の景色が変わることもない。窓を開けても、小石が光る道に戻れる気がしない。

 段々と状況が呑み込めてきた亜莉香の顔色が変わって、透がため息を零す。


「自力で帰れる保証がないのに、よく来たな」

「だって、セレストには絶対に帰れるものだと思っていたから」

「来た道から帰れないわけじゃないけど、一方通行の道が多いんだとさ。いつも道が繋がっていたら、こっちとあっちが行き来し放題になるだろ?」


 呆れた透は椅子から下りて、ポケットの中から財布を取り出した。自分で頼んだココアと亜莉香の分を払おうとする姿に、慌てて亜莉香も椅子から下りる。


「自分の分は、自分で払うからね」

「金持ってないだろ?」

「ちょっとなら、あるよ?」


 袖に入れた少し重たい小袋の存在を思い出して、亜莉香は声を落として言った。

 中身をきちんと確認する暇はなく、ネモフィルから小袋を受け取ったのは狭間にいた時。

 流れてきたものを拾っただけ、と言って手渡され、五円や十円などの硬貨ばかり入った小袋。中には五百円玉もあったはずで、全部合わせれば一回くらいの食事代になるはずだ。

 小袋を袖の中から取り出す前に、透は千円札二枚をカウンターに置いた。


「とりあえず、ここは俺の奢りで。セレストに行ったら、何か奢ってくれよ」

「甘いもの?」

「何でもいい。帰ってから考えるから、今は場所を移動しようぜ。セレストへ帰る道を、一カ所だけなら知っているからさ」


 足取り軽く歩き出した透の背を追って、亜莉香は急ぎ足で付いて行く。

 喫茶店の外に出れば、温かな陽気を浴びた。春の草木の匂いがして、春の花々が道端で咲いている。行き交う人の視線を感じて、場違いな袴姿だったことに気が付くが、着替えがないのだから仕方がない。

 透は店の前の花壇の手入れをしていた店主に声をかけ、名残惜しさの欠片もなく挨拶を交わした。亜莉香はお礼を述べてから、透と一緒に喫茶店に背を向ける。

 駅とは反対方向に足を向けて、亜莉香の歩幅に合わせて歩き出す。

 歩きながら学生服の上着を脱ぐと、水色のパーカーも脱いで亜莉香に差し出す。


「これ、頭から被った方が目立たないだろ?」

「目的地は遠いの?」

「歩いて行ける距離だけど、万が一の事態になると困る」


 どんな万が一なのか分からない亜莉香に、透は無理やりパーカーを押し付けた。

 渋々受け取って、フードを被る。袖は通せないので肩に羽織る形になり、落とさないように両手で襟元を握りしめた。

 一度は脱いだ学生服に、透はもう一度手を通した。長ズボンのポケットに手を突っ込んで歩く横顔を見て、亜莉香は疑問を口にする。


「ねえ、透は何でそんなに色々知っているの?護人だから?」

「いや、俺は灯に色々教えて貰った」


 人通りのない小道に入って、隣にいる透は呆れた顔を浮かべた。


「俺より灯の方が好奇心旺盛の塊だったから、何でもかんでも首を突っ込むんだよ。何事も経験して、そっくりそのまま自分の知識にしていた。因みにこれから向かう場所を見つけられたのも、灯から色々聞いていたおかげとも言える」

「それって、いつ教えて貰ったの?」

「亜莉香が生まれる前の話。俺がまだセレストにいた時の話だな」


 当たり前のように話す透がセレストにいたのは、二十年も前の話。

 同い年、正確には一つ年上になった透が前世の記憶を持っていることに疑いはしないが、違和感は覚える。


「護人って、何なの?」


 何も知らなくて、不安な声が出た。


「遠い昔に存在していた、三人の兄妹だってことは知っている。金の王冠に埋め込まれていた宝石を持っていることも教えて貰ったけど…私は、本当に何も覚えてないの」


 段々と声は小さくなり、亜莉香はパーカーを強く握りしめた。透が口を開く前に、今まで抱え込んでいた気持ちが溢れる。


「周りには私を緋の護人の灯さんと呼ぶ人もいるけど、私は灯さんじゃない。緋の護人だと言われても、魔法も使えない。戦えない。国を護ることを誓ったなんて言われても、そんなこと誓った覚えもない。だから時々――自分が、分からなくなる」


 いつからだったか。

 自分が何者か不安に駆られて、足元がおぼつかなく感覚を覚えるようになった。それはいつだって不意に訪れて、いつの間にか消えてしまう感情。

 気にしないで過ごせばいいことなのかもしれないけど、それは無理だ。

 緋の護人だと、灯の生まれ変わりだと。耳を塞いでも、声が聞こえてしまう。その声は重くて、心に残って、押しつぶされそうになってしまう。

 心に付き纏う感情が苦しくて、亜莉香は下を向いた。

 歩く速度を落として透が、優しく声をかける。


「それも含めて、セレストに着いたら話をしよう」

「今じゃなくて?」

「この場で話せるほど、軽い話じゃないだろ?落ち着いて、亜莉香が話を受けいれられる心の準備が出来た時、俺が知っていることを包み隠さず教えるよ」


 嘘偽りのない言葉に、亜莉香は素直に頷くしかなかった。

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