05-2
図書館、とルイが言った建物は、家から離れた場所にあった。
建物全体が木々と、その周りにある柵に囲まれている。広大な敷地の真ん中に存在する、木造三階建ての古い建物。漆黒の煉瓦は色褪せ、所々なくなっている。真っ白だったはずの壁は日焼けしており、窓ガラスの中には今にも割れそうなものもある。
洋館、とも言える建物の前に辿り着き、亜莉香は呆然と立ち尽くしていた。想像していた建物より、年季が入っていて、昼間なのに薄暗さがある。
図書館と言うより、廃墟の建物、と言った方がしっくりきた。
躊躇して立ち止まった亜莉香に気が付き、前を歩いていたルイが振り返る。
「どうかしたの?」
「いえ…古い建物だな、と」
素直な感想にルイは納得して、ああ、と頷く。
「元々、個人の家だったらしいよ。一応、人が住める設計をしてあるけど、今はどの部屋も本棚があって、図書館と呼ばれているわけ。部屋の数が多いけど、迷うような設計はされていないから」
安心して、と亜莉香に微笑んで、ルイは再び歩き出す。
置いて行かれないように、亜莉香はルイの後ろ姿を追った。ルカは家を出てから亜莉香と、その少し前を歩いていたルイよりも先を歩いていた。家を出てから一言も発していないルカが図書館の扉の前で立ち止まり、木製の大きな扉に手を伸ばす。
軋む音が響き、ルカが扉を開けたまま中に入る。
ルイもその後に続いたので、亜莉香はおそるおそる図書館の中に足を踏み入れた。
少し薄暗い、と思ったのは数秒で、カチッと音がして図書館の中が明るくなる。
明るくなって、最初に亜莉香の瞳に映ったのは広々とした階段だった。紅葉の赤に似ている、真っ赤な絨毯が階段に敷いてあり、亜莉香の足元まで続いている。階段を上ると、廊下がぐるりと一周あり、沢山の部屋がある。見えているだけでも十以上の部屋があるが、建物が三階建てだったのだから、それ以上の部屋数があるはずだ。
あまりの広さに驚いて、亜莉香は言葉を失った。その隣で、亜莉香と同じようにルイも階段を見上げる。
「ね、廊下に出れば玄関がすぐ見えるから、迷子にはならないでしょう?」
「そう、ですね」
曖昧に頷きながら、図書館の中を見渡す。
外観とは裏腹に、綺麗な図書館。掃除が行き届いて、埃っぽさはない。床や階段、絨毯に汚れは一つもなく、様々な絵画まで展示されている。
物珍しく辺りを見渡していた亜莉香の後ろで、ルカが咳払いをした。
振り返った亜莉香の顔が、不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、腕を組んで壁に寄りかかっていたルカの瞳に映る。目が合ったルカが、それで、と口を開く。
「ルイがこのまま図書館を案内するわけ?」
「この図書館で案内する場所なんてある?僕はどこにどの本があるのかまだ把握していないから、ルカが案内する?」
「嫌だ」
ルイの提案を、ルカははっきりと否定した。
予想出来た言葉だったので、亜莉香は苦笑いをするしかない。建物から外に出る予定もなく、迷子の心配もないので、あの、と亜莉香は遠慮がちに言う。
「私なら適当に本を探すので、一人で大丈夫だと思います」
「なら、あとは自由行動にしようか。ルカと僕は二階で本の整理をしているから、アリカさんは自由に図書館を見て回って。今日は僕とルカ以外の人はいないから、何かあったら名前を呼んでくれれば聞こえるはずだから」
「分かりました」
「あと、部屋が暗かったら電気を付けるか、窓を開けてね。この図書館はどこにでも本があって面白いから、気に入った本があったら持って来て」
しっかりと亜莉香が頷いたのを確認して、ルイは微笑んだ。それじゃあ、と手を振って、ルカの腕を掴んで歩き出す。
「ほら、ルカ行くよ。」
「なんで引っ張るんだよ!」
言い返すルカの言葉に耳を貸さず、ルイが二階へと引っ張っていく。
二人の姿が見えなくなってから、亜莉香は静かに息を吐き、ゆっくりと歩き出した。どんな本があるのか、どれだけの本があるのか、気になって無意識に笑みが零れる。
「一階の奥から順番に部屋を開けてみて、本を探してみよう、と」
独り言を呟いて、軽い足取りで一階の奥まで進んだ。
奥の部屋の扉の前に辿り着く。少し緊張しながら、失礼します、と扉を開ける。
その部屋は、まるで寝室のようだった。窓際に大きなベッドが置いてあり、大きな窓がある壁以外は全て本棚が設置されている。どの本棚にも本が沢山置いてあって、ベッドの上には数冊の本が散乱していた。部屋の中が薄暗いので、迷わず窓まで進む。閉まっていたカーテンを開けて、窓の鍵に手を伸ばした。
窓を開ければ、清々しい空気が亜莉香の髪を揺らした。
深く息を吐いて、振り返る。
部屋が明るくなって、文字が読みやすくなった。本棚に目を向ければ、どの文字でも読めるのが不思議で仕方がないが、考えても答えが出ないことは明白だ。
疑問は無視して、ベッドの傍にあった小さなテーブルの上にあった本を手に取る。
深い緑の表紙に、金の文字で花図鑑。
三センチ程の厚さのある、真四角の本。
どんな本だろう、と軽い気持ちで本をめくれば、中身はページごとに花の写真とその説明が綴られていた。全部読むのには時間が掛かりそうだけれど、見知った花の名前を見つけると嬉しくなる。
ページをめくりながら、時々全く知らない花の名前が目に焼き付いた。
朝日を浴びて咲く花、夜に光る花、一年に一日しか咲かない幻の花。様々な花を見ていると、透明な水の中に存在する綺麗な花のページで、亜莉香の手が止まった。
「魔力を宿す、花?」
どういうことだろう、と説明の一部を指で追う。
「澄んだ水の中で枯れることなく咲き続け、汚れた水で枯れる幻の花。精霊達が住処とすることから、魔力が宿り、半永久的に咲き続ける。また、宿っていた魔力が尽きれば、すぐに枯れてしまう。言い伝えでは、遠い昔に、一人の女性がいなくなった恋人を想って、零した一粒の涙から生まれた花、と言われている。だから――」
ルイソウカ、と声が零れた。
恋人を想い、零した涙から生まれた花として名付けられた、涙想花。
すとん、と言葉が心に残り、花の写真を見た。茎は細く青緑、葉は細く長い。水が透き通るくらい薄く、桜のような、見方によっては大粒の涙のような、花びらが七枚。
あまりにも綺麗で、あまりにも悲しい言い伝えに、亜莉香はそっと本を閉じた。
「…後で、じっくり読もう」
呟いて、本を元のテーブルの上に戻す。
借りたいと思った本を一冊だけ確保して、今度はベッドの上に散乱していた本に手を伸ばす。それらはどれも辞典のようで、空いていた本棚の空白の傍に、同じ種類の本があった。どうしようか、と少し悩んでから、本棚の元の位置らしき場所に本を戻す。
ゆっくりと、本棚の本を眺めながら亜莉香は歩いた。
本棚の本は、規則正しくタイトル順に並んでいるわけでも、作者順に並んでいるわけでもない。辞典があれば、歴史の本があり、医療の本もあり、料理や手芸の本などもある。
文字通り、様々な本で、本棚は埋まっていた。
部屋を一周して、結局気になったのは最初の花図鑑だけ。
亜莉香はカーテンと窓を閉め、花図鑑だけ持って部屋を出る。
隣の部屋の扉を開けると、その部屋も先程と同じような部屋の内装だった。違う箇所、と言えば本の種類と、ベッドやカーテンのデザイン。
さて、と小さく呟いて、亜莉香は窓を開けるために部屋に足を踏み入れた。




