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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
207/507

43-1

 領主の家に戻るため、船の後方に乗っていた亜莉香は空を見上げた。

 酒場から外に出ても、空はまだ明るい。

 夕方が近づいているはずなのに晴れ渡る水色の空、薄っすらと星が見えなくもない。あと数時間もすれば星々が輝く夜となり、買い物を済ませて領主の家に戻ったらネモフィルと合流する手筈になっている。


 視線を前に戻せば、目の前で見知らぬ老夫婦が穏やかに談笑していた。

 祭りの当日とあって、どの船も混み合い相席である。

 じっと眺めているのは失礼な気がして、視線を後ろに向けた。

 沢山の船が行き交う水路には色鮮やかな花が咲き乱れて、筏のように連なっていく。綺麗、としか言いようがなくて、水面には昼間にはなかった丸く青いビー玉のようなものが流れていた。

 何だろう、と隣で街並みを眺めていたトシヤの着物を引っ張る。


「トシヤさん、あれは何ですか?」

「どれ?」

「あの青くて丸いものです」


 声を落として訊ねると、何のことか分かったトシヤも首を傾げた。


「何だろうな?花…じゃないよな?」


 船の後ろを向くように、亜莉香の方に身体を向けたトシヤと一緒に、水路を流れる青い玉を見つめる。よく見れば花の影に隠れているものもあり、昼間は気付かなかった存在がとても気になった。

 手を伸ばせば届きそうだと思いつつ、船の縁に手をかけて問う。


「朝から流れていましたっけ?」

「そこまで気にしていなかったから、覚えてない。アリカの方が記憶力いいだろ?」

「うーん…流れていなかった気がしてはいるのですが、自信はないです」


 素直に答えて、流れていた一つを目で追った。

 ゆっくりと水面を流れながら、太陽の光を反射して輝く青い玉。トシヤとは反対側の隣の席はないに等しく、亜莉香はそのまま視線を後ろに向けた。

 幾つもの青い玉が流れて、遠方に消えて行く。


「カンヨウカ」


 小さくも耳に届いた声に、亜莉香は振り返った。

 トシヤの隣にいたルカが膝の上に両手を置いたまま後ろを振り返り、遠くを見つめる眼差しで水面に目を向けていた。少し伏せた瞳は青い玉を映して、静かな声が続く。


「目印となる意味を持つ、栞。きらきら光る意味を持つ、耀き。二つの文字と果実の前一文字を組み合わせて、栞耀果。本来は袋状の花びらに包まれていて、中に水が入ると内側から花びらが溶けて消えて果実が残る。死者に別れを告げて、その魂がまた巡って帰って来られるように願いを込めて、祭りの最後に流す人が多いけど…もう流している人もいるのか」


 淡々とした説明を聞いて、亜莉香はもう一度青い玉に視線を戻した。

 栞耀果の文字を頭に思い描き、随分と前に読んだ花図鑑から記憶を呼び戻す。

 初めて聞いた時にすぐに分からなかったのは、栞耀果が果実の呼び名だからだ。水花祭りの記載はなく、果実の写真はとても小さかった。

 花図鑑に大きく載っていた栞耀果の花は薄く青い花びら三枚で、袋状に閉じていた鬼灯に似た植物として紹介してあった。夏に咲く花であり、秋には熟した果実が大きくなる。

 その花の呼び名は、と亜莉香の声が零れる。


「雫石、の果実ですか?」

「そうだよ。花の形が雫みたいだから、その名前が付けられた。石の隙間の地面の傍で咲く花で、雨の多い土地だと育たないらしい」

「それ、花屋で売っているの?」


 ゆったりとした体勢で一番離れた席に座っていたルイの質問に、ルカの眉間に皺が寄った。腕を組んで首を捻り、唸りながら答える。


「多分?」

「曖昧だな」

「買ったことがないから、よく知らない」


 トシヤの一言で不満そうな顔になり、カは姿勢を元に戻した。


「売っている場所を知っていたら、さっさと買った」

「探しに行きますか?」


 亜莉香の問いに、少し悲しそうな顔のルカは首を横に振る。


「いいよ。わざわざ手間暇かけて探す必要はない」


 でも、と途中で言葉は宙に浮き、肩を竦めたルイと目が合った。これ以上は聞かない方が良いと物語る瞳だと解釈しても、素直に納得出来ない。

 トシヤとルイは栞耀果を眺めて、亜莉香は船から落ちないように座り直した。

 目の前の老夫婦の視線を感じれば、女性が優しい笑みを浮かべる。


「栞耀果なら、どの船にも置いてありますよ」

「――え?」

「今日だけは売り物ではないの。上流から流す人もいるけど、船から流す人も多いから。どの船も大きな袋に花を詰めて、必要な人にお配りするのよ」


 ね、と女性は可愛らしく首を傾げて、隣にいた男性に同意を求めた。

 男性は頷いて、視線を先頭に向ける。船主の足元には太く青いリボンで結んである、真っ白な袋があった。その中に雫石があると分かっても、距離のある船主になんて言って声をかければいいのか。困った亜莉香に、男性が微笑む。


「一つでよろしいかな?」

「えっと…」

「三つ、頂けますか?」


 言葉に詰まった亜莉香の代わりに、はっきりとルイが答えた。

 男性が承諾して、先頭まで人伝で話は伝わった。誰もが嫌な顔をせず、数人を経由して話が通って、船主の近くにいた一人が袋から雫石を取り出した。回って来た雫石がルイの手に渡ると、親切な男性は付け加える。


「忘れずに、流す前に花を開きなさい。全部じゃなくて、ほんの一部だけで大丈夫。そうしないと花のまま流れて、魂が帰って来ないからね」

「それでもいつか、長い時間を経て帰って来るとも言われていますけどね」


 小さく笑いながら女性も言い、老夫婦は仲睦まじく談笑を再開した。

 思いがけずに手に入れた雫石に視線は集まって、亜莉香は口を開く。


「三つとも、流すのですよね?」

「まあね。聞かれる前に言うけど、二つはルカの両親。もう一つは僕達の祖母のような人の分だよ。もう皆、遠くに行ってしまったからね」


 しみじみと話ながら、ルイは雫石二つをルカに手渡した。

 黙って話を聞いていたルカは雫石を見下ろして、小さく感謝を述べる。それから祈るように両手で優しく包み込み、そっと瞳を閉じた。隣のルイも同じように雫石を抱えて、死者に別れを告げる。


 二人の姿から目を背けて、亜莉香は街を眺めた。

 仄かに明るくなり始めた街灯は濡れている地面の水に反射して、より一層幻想的な景色を生み出す。楽しそうな人々が行き交う街並みを眺めていると心は穏やかで、もう少しだけ祭りの雰囲気を味わう。

 正直、今夜のことを考えるだけで不安だ。

 あと少しで船は目的地に到着して、嫌でも向き合わなくてはいけないこともある。それでも何が起こっても大丈夫だと、根拠のない気持ちもあった。

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