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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
206/507

42-5

 騒々しい酒場は、夜に訪れても昼に訪れても変わらない。

 店の中の人は愉快に酒を飲み、美味しい匂いが充満していた。多くのテーブルに料理が並び、空席は少ない。忙しい店内を行き来していた若い女性に案内されて、亜莉香達一行は隅のテーブルに腰を下ろした。


 遅めの昼食でもあり、早めの夕食にと、初日に訪れた酒場に足を踏み入れたのは二度目。

 同じ席に座るのも、二度目。

 今回はルイとフルーヴの三人ではなく、トシヤとルカを加えた四人。フルーヴは朝からネモフィルに捕まって、夜になるまで合流しない。散々喚いたフルーヴは無理やり連行されたので、今頃泣いているかもしれない。

 合流したら慰めようと思いつつ、亜莉香は店内を見渡した。

 探していた女性はすぐに見つかり、目が合うと早足で駆け寄る。

 数日前に親切に対応してくれた女性は少し年上で活発そうな印象の持ち主。淡い青の髪を後ろで結って、髪飾りと一緒に青い小花が咲いていた。白っぽい黄色地の着物は花柄で、緑の袴を合わせていた。

 濃紺の夜空の色の大きな瞳が亜莉香を映して、席に来るなり口角を上げる。


「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます」

「こんにちは。えっと…適当に、料理を頼んでもよろしいですか?」

「いいですよ。えっと――四人分?」


 持っていたお盆を両手で抱きしめて、女性がテーブルの面々を見回した。その視線がルイで止まり、亜莉香の耳に顔を寄せて尋ねる。


「この前一緒に来た友達のお兄さん?」

「いえ、その…」


 なんて答えようか迷えば、向かいに座っていたルイと目が合った。にっこりと笑っている顔は何かを企んでいる顔で、女性の声が届いていた顔でもある。

 ルイは頬杖をつくと、優しい笑みを浮かべた。


「初めまして、綺麗なお姉さん。料理の前に、お酒以外の飲み物をお願い出来る?」

「あ…はい」


 綺麗なお姉さん呼びとルイの笑みで、顔を赤くした女性が小さく頷く。トシヤとルカの冷ややかな視線を浴びても気にせず、ルイは飲み物を頼んだ。

 急いで踵を返した女性がいなくなってから、亜莉香は遠慮がちに問う。


「初対面でよろしかったのですか?」

「一から説明する必要はないでしょう。わざわざ名乗る間柄ではないから」


 女性を魅了した笑みを消して、ルイは亜莉香を振り返った。


「それに僕が誰か、自分から言わなくても気付いてくれる人は沢山いるからね」

「だからって、その胡散臭い笑顔はやめろよ。気持ち悪い」

「気持ち悪いって、酷くない?」


 若干引いていたルカに、可笑しそうにルイは笑った。

 すぐに飲み物が運ばれて、運んでくれた女性は忙しそうに席を離れる。

 料理が来るまでの間、トシヤがテーブルに置かれた冷たい烏龍茶に手を伸ばした。グラスを持って、笑みを絶やさないルイに言う。


「ガランスに戻ったら、真っ先にユシアとトウゴが騒ぎそうだな」

「まあね。でも、その二人より騒ぐのは愚兄の方だと思うよ?あれで、僕のことを両親以上に気にかけているから」


 あれ、と強調したルイは、トシヤと同じく烏龍茶を両手で包んだ。グラスを口には運ばず、あーあ、とため息を零して頭を下げる。


「次に会ったら、五月蠅く色々言われそう。会うのは当分先の話だと思うけど」

「そんなに五月蠅く言うか?」

「言うよ。だって今までずっと僕の格好に文句を言っていたのは、ルカと愚兄ぐらいだよ?絶対に何があったか、根掘り葉掘り聞こうとする」


 木苺のジュースで喉を潤したルカに、ルイがゆっくりと顔を向けた。


「愚兄がしつこいのは、ルカだって知っているでしょう?」

「昔は散々追いかけられたよな」

「森の中で何時間追いかけっこをしたことか」


 しみじみと昔を思い出すルカとルイに、呆れたトシヤが口を挟む。


「どうせ、ルイがヨルを怒らせたんだろ?」

「いやいや、愚兄が勝手に怒っていただけだよ。僕はちょっと悪戯をしたり、ふざけていたりしただけで」

「何もあそこまで怒らなくてもいいのにな」


 ルカとルイに反省の色はない。

 話を聞きながら一口飲んだ桃ジュースをテーブルに戻して、亜莉香も尋ねる。


「因みに、どんな悪戯をしたのですか?」

「子供の悪戯だから、可愛いものだよ?愚兄が大事に取っていたお菓子をくすねたり、寝ている愚兄の顔に落書きをしたり」

「納戸に閉じ込められたから、やり返したこともあったよな。大量の蛙と一緒に」

「あの時は間違ってフミエも閉じ込めちゃって、大泣きしていたよね。それだけは申し訳ないと思っている」


 明後日の方向を向いたルイが、烏龍茶で一息ついた。口に出すのも恐ろしいと言わんばかりに、身を小さくしたルカが呟く。


「その後のフミエからの仕返しは、ヨル以上に怖かった」

「三倍返しの言葉通りだったよね」


 空気が重くなって、話を聞いていた亜莉香とトシヤは何も言えなかった。

 子供の頃から今と変わらないルカとルイに、特に振り回されていたヨルには同情するしかない。三倍返しをするフミエは想像出来なくて、不意に湧いた疑問を口にする。


「フミエさんが街に来るとしたら、ヨルさんと一緒でしょうか?」

「その確率は高いと思うよ。イオが裏で手を回していれば」


 あっさりとルイが答えて、首を傾げる。


「どうして?」

「着物の仕立てを頼まれていまして、出来上がったら取りに来ると思います。その時にヨルさんが一緒なら、ルイさんはお会いになるのかな、と?」


 段々と小さくなった声に、ルイは腕を組んで眉間に皺を寄せた。


「わざわざ会いに行きたくないけど…五月蠅く言われるのが目に見えているから、さっさと済ませるべきか」

「一回会えば、それ以上は何も言わないだろ?」

「それは分かっているけどさ」


 不満そうなルイが話し出して、亜莉香は桃ジュースを口に運んだ。

 会話が続く二人を横目に、トシヤに目を向ける。視線に気が付いたトシヤと目が合って、ほぼ同時に笑みを零した。


「トシヤさんも、小さい頃はよく悪戯をしていましたか?」

「俺は止める方。悪戯をしていたのは、主にトウゴだな。ヤタさんに気付かれないように、ユシアに対して悪戯を仕掛けて、結局ばれて俺も一緒に怒られる。連帯責任だってさ」

「それは大変でしたね」

「本当だよ。止めようとしても、そう簡単に止められる奴じゃない」


 確かに、と笑いながら、他愛のない話が続いた。

 途中で女性が出来立ての料理を持って来て、話が中断する。

 次々に料理がテーブルに並んで、目が釘付けになった。

 頭の付いた大きな海老中心に、真っ白な大皿に盛り付けられた新鮮な数種類の刺身。鮎と豆腐の田楽味噌に、透き通る出汁に浸った茄子の煮浸し。焼きおにぎりにはウニがちょこんと添えられて、一人一人にタコの山葵和えが配られた。

 テーブルに料理を並べ終えた女性が、にっこりと笑う。


「後で天ぷらを持って来ますが、ご飯が足りなかったら白米をお持ちします。他に食べたいものがあれば、すぐに用意しますよ?」


 どうしますか、と言葉が続いた。

 亜莉香が顔を上げる前に、ルイが嬉しそうに言う。


「それじゃあ、白米追加で」

「これ以上食べるのよ」


 小さなルカの声は聞き流されて、同じことを言おうとしたトシヤが亜莉香を振り返った。


「ひとまず、これで十分だよな?」

「はい」

「食べきれなかったら、ルイに全部食わせようぜ」

「大丈夫。食べきれる自信があるから」


 話をしながら箸を手に取ったルカとルイを見て、微笑んだ亜莉香は女性に顔を向ける。


「ありがとうございます」

「お客様にこれくらいするのは、当たり前よ。それに――」


 大きな瞳を少し細めて、女性は口を亜莉香の耳元に寄せた。他の人には聞こえないように、声を落として囁く。


「探していた人達、見つかったのよね?」

「…え?」

「父から紙鳥が届いて、粗相のないように言付かっているの」

「父?」


 まじまじと女性の顔を見ても、父親が誰か分からない。

 けれども探していたことを知っているのは酒場にいた少数で、トシヤの家族を見つけたことを知っている人物は一人しかいなかった。黒髪の青年が友人だとも話した警備隊の男性を思い浮かべて、目の前の女性と見比べる。

 全然、似ていない。

 顔が引きつって、まさかと思いながら質問する。


「ニチカさん、の…?」

「娘のシイナ。これからも厨房にいる母共々、この店をご贔屓にしてね」


 片目をお茶目に閉じて見せたシイナは、他の客に呼ばれて急いでいなくなった。

 母親と聞いて厨房に目を向ければ、シイナとそっくりの女性と目が合う。軽く会釈されて、慌てて亜莉香も頭を下げた。

 冷めないうちに料理を食べようと、姿勢を正して箸を取る。

 食欲はあるが、世間が狭すぎると眉間に皺が寄ったのだった。

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