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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
204/507

42-3

 足取り軽いルイと引っ張られるルカの後ろを、亜莉香はトシヤと並んで歩いた。

 大抵の道の片側は露店が並び、もう片方には水路が続く。装飾品や骨董品が並ぶ露店から、食べ歩ける飴細工や饅頭の露店まで。数えきれない露店があって、水路では様々な花で彩られた船が行き交った。

 傍らには必ず、華やかな花々と潤いの水。

 水花祭りの名に相応しい祭りを楽しむ亜莉香の前を歩く二人は騒がしく、何度も足を止めようとするルイを、呆れながらルカが引き止める。途中でどちらが引っ張っているのか分からなくなり、仲の良い様子を眺めた。


 数日前の喧嘩が嘘だったように、ルカとルイの距離が近い。

 髪を短くして男にしか見えなくなったルイは、ルカに対する好意を全面に押し出していた。気持ちを隠す気のないルイの態度は清々しく、時々ルカが戸惑っている。

 ルカが心底嫌がっていることはない。思わず本音が零れる。


「仲良しですね」

「喧嘩しているより、ましだよな」

「あのまま喧嘩が長引いて、ガランスに帰るまで続くのかと思いました」

「そうなったら、今頃こうして歩けなかったな」


 前を歩く二人に聞こえないように、トシヤがしみじみと言った。亜莉香は笑みを浮かべたまま、胸の前で握りしめていた花束で口元を隠す。


 そう言えば、と話題を変えようとすると、青い精霊が目の片隅に映った。

 名前を呼ばれた気がして、トシヤとは反対側の水路に目を向ける。ふわりと傍に寄った精霊は花束の上に止まって、亜莉香の足も自然と止まった。

 ちょっと待って、と小さな子供のような声が聞こえた。

 話を詳しく聞く前に、後ろから声が響く。


「「いたー!!」」

「道端で叫ばないでよ。ムトとテト」


 呆れた声が続いて、亜莉香とトシヤは勢いよく振り返った。

 後ろで大きな声を上げたムトは右手を、テトは左手で亜莉香を指差している。興奮するような顔立ちの二人に対して、一歩後ろにいたメルがため息を零す。

 意外な三人を導くように、目の前にいた水色の精霊が亜莉香の周りを回った。

 その精霊が見えていたのは亜莉香とメルだけで、声をかけた青い精霊と一緒に空に舞い上がる。亜莉香が目で追っているうちに、ムトとテトは駆け寄って叫んだ。


「探したぞ、客人!」

「見つからないと思ったぞ、客人!」

「落ち着きなさいよ」


 バシッと音を立てて、メルが騒ぐ二人の頭を叩いた。

 叩かれたムトとテトは頭を押さえて、悲痛の声を絞り出す。心なしか涙目になった二人が黙って、真面目な顔をしたメルはまじまじと亜莉香を見た。


「…元気そうね」

「元気ですよ?メルさん達も祭りに来たのですね」


 のほほんと返した言葉に、メルは不機嫌な顔になる。


「祭りついでに、数日前の件で顔を見に来ちゃ悪い?」

「そんなことはありません」


 頬を膨らませたメルに、亜莉香は首を慌てて横に振った。

 祭りのついででも、わざわざ顔を見に来てくれるのは嬉しい。精霊と一緒に来たのだから案内して貰ったのだろうと思えば、精霊の姿を見たくないと言ったメルの心に変化があったに違いない。

 ふわりと微笑んで、亜莉香は口を開く。


「会えて良かったです。ガランスに帰る前に、もう一度会いたいと思っていたのですよ。まさか、祭りで会えるとは思いませんでした」

「まあ…毎年、来ているからね」

「いつもは買い物をして、すぐに帰ろうとするけどな」

「余計なことはするなと、いつも五月蠅いけどな」


 ぼそぼそと続けたムトとテトを、鋭い眼差しでメルが睨んだ。一瞬で黙った二人が口に手を当てて、トシヤが不思議そうに尋ねる。


「毎年、三人で来ているのか?」

「違うわ。いつもは皆で来るけど、今年はミチさんの体調が良くなくて。小さい子達とエイミは留守番で、私は祭りに行きたくて騒いだムトとテトの子守をしているの」

「へえ、それは大変だ」


 ひょっこりとトシヤの後ろからルイが顔を覗かせて、メルが瞬きを繰り返した。ムトとテトまで誰だろうと言わんばかりの顔になるが、全く気にせずにメルに話しかける。


「これからどうするの?用事が済んだら、すぐに孤児院に帰るの?」

「えっと…うん」


 頷きつつも、メルはまだ話しているのが誰か分かっていない。

 そっか、とルイは残念そうな声を出す。


「時間があるなら、これから行く喫茶店で甘味でも奢ろうと思ったのに」

「「甘味!」」

「いや、でも…知らない人に奢ってもらうのは」


 ムトとテトの歓喜を無視して、メルはしどろもどろに答えた。両脇で五月蠅い二人を無視して、助けを求めるように亜莉香を見ると、着物を握りながら視線を下げる。

 知らない人、と言われたルイはきょとんとして、手を繋いだままのルカを振り返った。


「僕、知らない人になる?」

「まだ数回しか会ってなかったら、知らない人でも間違いではないだろ?」

「助けてくれたお礼をしたかっただけだよ?」

「なら最初から、そう言えばいいだろ?」


 飛び交った軽い会話に、ゆっくりとメルは顔を上げた。

 穴が開くほどじっくりとルイを見て、段々と信じられないと物語る表情になった。口角を引きつらせて、ようやく誰なのか気が付くと、出て来たのは擦れた声。


「…ルイ、さん?」

「あ、名前覚えていてくれたんだ」


 にっこりと微笑んだルイに、メルが呆然と言葉を失った。ルイの名前を聞いたムトとテトも目を見開き、亜莉香を見つけた時と同じように指を指して叫ぶ。


「「美人の姉ちゃん!?」」

「いやー、元々男かな。もしかして、気付いてなかった?」


 不思議そうにルイが首を傾げて、優しく微笑んだ。

 トシヤとルカが呆れた顔になり、メルは説明を求める視線を亜莉香に向ける。どこから説明しようか考えると、ムトとテトがルイに詰め寄った。凄い、なんで、と瞳を輝かせる二人と一緒にルイが歩き出せば、必然的にルカも巻き込まれて足を動かした。

 置いて行かれないように、亜莉香とトシヤ、そして隣にそっと並んだメルも付いて行く。放心状態になったメルの口数は少なくて、ナギトに教えて貰った喫茶店を目指した。


 明るい道から、建物の隙間の細い道に入る。真っ直ぐに進んで途中で右に曲がり、今度は一人しか通れない左の細い道を行く。話を聞いていなかったら見落としてしまう道を進み、辿り着いたのは古びた一枚の扉。

 焦げ茶で、円形の曇りガラスの埋め込まれた扉だけが日の光を浴びていた。


 先頭のルイが扉を開けて、錆びた呼び鈴が鳴る。

 隠れ家のような喫茶店の中に、前を歩いていたルイ達が消えた。亜莉香も足を踏み入れて、扉を抜けた途端に足が止まる。

 薄暗い店内を照らすのは、橙色の照明の灯り。

 決して広いとは言えない店内に、木製の明るい薄茶で統一された家具。カウンターとテーブルの席があり、壁には海を描いた小さな絵画。時計の針の音がやけに大きく響いて、カウンターの中で黙々とグラスを拭く店主がいる。


 他の客の姿はない。

 そのはずなのに、一瞬だけカウンター席の隅に透の姿が見えた。


 初めて訪れた場所が、透と何度も通った駅前の喫茶店のような錯覚。戸惑って表情が固まる。ここが駅前の喫茶店だったら嬉しいはずなのに、元の世界に帰ってしまった恐怖の方が強くて足が竦んだ。

 ここは元の世界じゃないと、唇を噛みしめる。

 今どこにいるのか考えて、無意識に花束を強く握りしめた。


「アリカ?」


 名前を呼ばれて、亜莉香の肩が震えた。振り返れば後ろで不思議そうな顔をしているトシヤと目が合い、止まっていた息をゆっくりと吐く。

 名前を呼ばれただけで、恐怖が消えた。

 地面に足がついた感覚が戻り、何とか声を出す。


「すみません。立ち止まってしまって」

「どうかしたのか?」

「いえ」


 作り笑いは微笑みに変わって、現実に引き戻される。

 トシヤと話しているだけで、心臓はまだ少し五月蠅くしても息がしやすくなる。重く感じていたはずの足が軽くなり、今度は自分に言い聞かせながら前を向いて踏み出した。


「本当に、何でもないみたいです」

「急に立ち止まるから、何かあった気がしたけど?」

「気のせいですよ。何だか前に来たことがある喫茶店によく似ていて、驚いて足が止まってしまいました」


 嘘ではなくて、言葉に笑いが混じった。

 不思議そうな顔のトシヤが隣に並んで、一足先に席に着いた面々と合流する。

 喫茶店の奥の四人掛けのテーブル席に座ったルイやルカ、その正面に腰を下ろしたムトとテトが楽しそうに話していた。隣のテーブル席の椅子の一つにメルがいて、メニュー表と睨めっこをしている。

 聞き慣れた声が耳に届くと、それだけで嬉しい。

 静かだった喫茶店の中が、少し騒がしくなった。どれにしようか悩んでいるメルの向かいに亜莉香も座り、トシヤも隣の席に着いた。メルが顔を上げて、声を落として訊ねる。


「ねえ、本当に奢ってもらえるの?」

「勿論ですよ。メルさんにはお世話になりましたから、好きな物を頼んで下さい」

「でも…」


 不安そうな声が途切れて、亜莉香はメニュー表を手放さないままメルを見た。

 視線が下がったメルは肩身が狭そうで、両手を膝の上で強く握りしめながら呟く。


「やっぱり私が余計なことを言わなかったら、洞窟に向かうことはなかったでしょう。洞窟が森の中にあるかもなんて言わなければ、ルイさんも怪我をしなかった」

「それは誰にも分からなかったことですよ」


 本心を述べて、メルと目を合わせた。

 何度も泣きながら謝っても、メルの心には洞窟の話をしたことが棘のように刺さっている。どれだけの言葉を重ねたら、心が楽になるか分からない。


「メルさんが気に病む必要はありません。洞窟の話を聞いていなくても、私とルイさんが森を散策したら結果は同じだったと思います。起こってしまったことは変えられなくて、それでも」


 一息ついて、亜莉香は口角を上げた。


「メルさんがいたから、私とルイさんは今ここにいます。それが事実ですよ」

「俺とルカじゃ、二人の居場所は分からなかったからな」


 トシヤが会話に混じって、優しい笑みを浮かべた。


「ありがとう、助かったよ。今日は素直にお礼を受け取って、好きな物を頼めばいい」

「そうですよ。メルさんには沢山の恩を感じているのです。この店で奢るくらいでは足りませんが…とりあえず、甘味はどれを頼みます?」


 メニュー表をメルに見えるように動かして、亜莉香はにっこりと笑った。


「おすすめは葛切りだそうです。甘いものはお好きですよね?」

「好き、だけど…」

「でも抹茶白玉も美味しそうですね」


 呆気にとられたメルを無視して、亜莉香は真剣に悩むことにする。


「葛切りを食べに来たけど、抹茶白玉も捨てがたい。うう、全部は食べきれないけど、どれも美味しそうで決められません」

「半分交換するか?」

「でもでも、ほうじ茶のかき氷と言う魅力的な甘味もあります」


 トシヤの提案は頭の片隅に置いて、メニューを自分の方に戻す。どれも美味しそうな文字に、亜莉香の足がじたばた動いた。

 迷っているうちに、ルイが店主を呼ぶ。

 先に注文するかと思えば、亜莉香と視線を交わして、にやっと笑った。手にしているのは亜莉香も眺めていたメニュー表で、その十種類程並んだ甘味を指差す。


「この店の甘味、一つずつ貰えますか?」


 ルイの一声は、客のいない店内によく響いた。

 ムトとテトの歓喜の声が上がり、ルカは呆れ返った顔でルイを見ている。トシヤが言葉を失い、メルは目を見開く。亜莉香も驚きつつ、ゆっくりとカウンターに目を向けた。

 それなりの年を重ねた店主が微笑を浮かべて頷いて、持っていたグラスを置いた。

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