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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
202/507

42-1

 夜会の翌日の朝食は、連日同様に豪華な品々がテーブルに並んだ。

 炊きたてのお米に、柔らかい麩の吸い物。おかずには熱々の湯豆腐があり、昆布の旨味の出汁とよく合う。優しい味のするズッキーニの揚げ出しに、鰻の入った暑くてふわふわの卵焼き。辛みの少ない山葵の乗った胡麻豆腐と、ほんのり甘いオクラの和え物もあり、香の物として茄子の浅漬けが小皿に盛り付けられていた。

 朝食会場であるシンヤの部屋は、全体的に亜莉香達の泊まっている部屋と同じ造りである。ただその部屋や家具の大きさは二回り以上で、上品な装飾。華やかな花が活けてあり、見る度に変わる。


 贅沢な朝食も明日で終わると思いながら、亜莉香は右斜め前のルイを盗み見した。無言で黙々と、おかずを口に運ぶ。次々と消えて行くおかずを見ていたのは亜莉香だけではなくて、右隣にいたトシヤと向かいにいたルカも同じだった。


「よく食えるな」

「ルカ、食べないの?」


 食べるけど、と箸が止まっていたルカが答えた。お椀を持っていたトシヤも手を止めて、信じられないと言わんばかりに口を開く。


「ルイ、昨日の夜に夜会の残りほとんど一人で食べたよな?」

「美味しかったよね。鰻重も」

「え、あれ全部食べたのですか?」


 ルイの隣にいたサクマが思わず口を挟み、目が合うと慌てて謝った。気にしないで下さい、と添えて、視線を前に食事を再開する。トシヤの隣のナギトは無表情で食べ続けて、ナギトとサクマの斜め前、長方形のテーブルの外れた席にいたシンヤが首を傾げた。


「夜会の残りは、相当の量がなかったか?」

「あれくらい、一人でも食べられるでしょう?」

「「いやいや」」


 重なったのは真顔になったルカとサクマで、どちらも首を横に振った。

 相当の量、と言われた夜会の残りは、蛍の観賞の後に部屋に戻ったら部屋に届けられていた。重箱三つ分の、夜会に残りの詰め合わせ。名前のよく分からないサーモンとじゃがいものパイ包みや、薄切りの肉の挟まったサンドイッチ。タルト生地の中に卵やひき肉や菜っ葉の入ったキッシュから、可愛らしい焼き菓子や冷たい甘味まで。

 本来なら使用人達に配られる一部が配布されたのはシンヤの心遣いで、その大半をルイが一人で平らげた。その前に鰻重二人前を食べて、残りの二人前はトシヤの分とルカとフルーヴで半分。夜会の残りの甘味だけ、亜莉香は手を伸ばした。

 誰よりも食べていたルイは今朝も変わらず、いつも通りにご飯をおかわりした。

 席のないチアキに茶碗を渡して、そっと箸を置いて湯呑に手を伸ばす。


「僕の食欲、普通だと思うけどな」

「普通じゃない」


 ルカが呟いて、話を聞いていた亜莉香は遠慮がちに問う。


「ルイさん、私のおかずも食べられますか?」

「食べるよ。今日はどれが残りそう?」


 あまりにも軽いルイに胸を撫で下ろして、残っていたおかずを見下ろした。

 湯豆腐は四分の一、揚げ出しと卵焼きは二口ずつ。胡麻豆腐と和え物と香の物には手を付けていなくて、吸い物と最初からお米の少ないご飯を中心に食べていた。

 毎朝の朝食の量は亜莉香にとっては多い。半分以上食べることはない。残りはルイが食べてくれるので、今日もそのまま残りを全て任せたい。

 茶碗とお椀以外の皿を全て回そうと思えば、隣のトシヤが待ったをかけた。


「今日はどれ以外をルイに渡すつもりだよ」

「…茶碗と吸い物以外を」

「もっと食べろよ。せめて、おかず一品は必ず食べることって最初に言っただろ」


 じっと見つめられて、逃げるように視線を下げた。

 胃の調子に配慮すると、湯豆腐はどの料理より量が多くて無理。揚げ出しと卵焼きも選択肢から外す。残りの胡麻豆腐と和え物と香の物を見比べて、最初の朝食を思い出す。

 毎度お馴染みのようにルイにおかずを回していたが、初日以外は一品だけは食べるように心掛けていた。そうしないとトシヤの小言があり、一品ぐらいなら亜莉香でも何とか食べられた。

 ただし昨日の晩は鰻重一人前を食べて、胃がまだ重い。

 半分で止めるべきだったと後悔して、胡麻豆腐だけ手元に引き寄せる。


「これだけは食べます」

「アリカ殿は本当に食が細いな」


 笑いながら言ったシンヤが湯豆腐に手を伸ばして、顔を上げた。


「体重はどれくらいだ?」


 無神経な言葉だと、質問した側と質問された側だけが気付かない。真面目に考えて皿を動かそうとした手が止まり、亜莉香は素直に答える。


「去年よりは増えましたよ?」

「アリカ様、答えなくていいですから」


 皿を動かす手伝いにチアキが近くに寄って小さく言い、さっさとお盆に移す。

 この場にいないロイと共に、後で朝食食べる予定のチアキは自分の仕事に徹底する。ご飯をよそい、お茶を注ぎ、空いた皿を片付けながら静かに部屋の中を唯一行き来して、食事の裏方に回っていた。

 二杯目のお米を食べながら、あはは、とルイは軽く笑った。


「アリカさんに聞くと、何でも答えてくれそうで時々怖い」


 分かると言わんばかりに、トシヤとルカが頷いた。サクマは微笑んだだけで、ナギトは顔が見えなかった。シンヤだけは納得していなくて、因みに、と話し出す。


「アリカ殿、胸の――」


 質問途中で、シンヤの頭が沈んだ。

 静かに怒り出しそうだったトシヤよりも早く、チアキがシンヤの真後ろに立ち、お盆を振り下ろした後だった。

 しんとその場が静まり返る。

 チアキの攻撃に容赦はなく、とても鈍い音が響いて消えた。

 右手には箸だけだったが、シンヤの左手に持っていた小鉢の出汁が零れそう。頭だけがテーブルにぶつかって、冷ややかな視線と声をチアキは放つ。


「沈んで下さい」

「…どこにだ」


 痛がっても反省の色のない返答に、サクマがため息交じりに口を出す。


「シンヤ様、その質問は駄目ですよ。この中には誰よりもそれを気にしている人が――」


 話の途中で動いたチアキが、二度目の痛そうな音を響かせた。


「…名前は言ってないのに」

「すみません。虫がいました」

「久しぶりに強烈な一撃だったな」


 顔だけゆっくりと上げたシンヤが言い、何事もなかったように食事を再開した。サクマも顔を上げて、持っていた箸と茶碗を置くと両手で額を抑える。

 真っ赤になった額を見たナギトがため息を零して、持っていた手ぬぐいを水魔法で濡らして手渡した。受け取ったサクマは食欲を失くし、チアキは亜莉香の傍に戻って来た。

 引いているルカとルイは、誰に引いているのか。

 視線はそれぞれ、シンヤとチアキに注がれていた。

 いつの間にか亜莉香の目の前にあった皿の数が減って、ルイの空いた皿と交換するチアキは僅かに唇を尖らせていた。黙ってはいるが内心の怒りが収まらず、動作が雑になって皿を置く。

 作り笑いを浮かべた亜莉香とは違い、トシヤが清々した顔で沈黙を破る。


「それだけ強烈な一撃を受ければ、少しは頭が良くなるんじゃないか?」

「分かっていないな、トシヤ殿。月に一回は殴られていたのに、一向に変わらん。つまりチアキの一撃には何の効果もないと言うことだ」


 ははは、と笑うシンヤの言葉には誰も笑わなかった。

 月に一回は殴られるような発言をしているシンヤに改善の意思はなく、殴られても気にしていない。ガランスにいる誰かを思い出しつつ、亜莉香はお米と吸い物を食べ終えた。

 最後に残した胡麻豆腐の皿を手に取り、口に含む。

 濃厚な胡麻を味わいながら、黙って会話に耳を傾ける。


「変わったと言えば…ルイ殿はどうして髪を切ったのだ?似合っていたのに」

「ただの気分だよ」


 急に話題を振られたルイは視線を上げず、素っ気なく付け加える。


「そろそろ邪魔だったから切っただけ、どうでもいいでしょ」

「どうでも良くはない。心底驚いたからな」

「その割に驚いた顔じゃなかったけどね。この中で一番面白い反応をしたのは、間違いなくナギトさんだったし」


 さり気ない一言に、ナギトが吸い物でむせた。亜莉香以外の憐みの視線を受けて、居た堪れない態度を醸し出す。

 初対面では女だと勘違いして、ルイが髪を切った後は誰か分かっていなかった。

 初めまして、と言われれば、ルイはふざけて挨拶を返して、トシヤとルカの二人がかりで悪乗りを止めるのに苦労していた。雰囲気が変わったせいだと言うナギトのしどろもどろの言い訳は通じず、シンヤとサクマに呆れられる始末。

 チアキとロイに至っては感想の一言もない。

 それはそれでつまらない、とルイはぼやいていた。


 一人だけ先に食べ終わった亜莉香に、チアキがそっと熱い番茶を差し出した。テーブルの上の番茶の入った湯呑から白い湯気が出て、火傷しないように口に運ぶ。

 ほっと息を吐くと、シンヤに名前を呼ばれた。


「今日の予定は決まっているのか?」

「街に行く予定ですが、何故ですか?」


 首を傾げた亜莉香に、シンヤは肩を竦めて見せる。


「今日の午後は毎年恒例の、ウルカ殿とのお茶会があって誘いたかっただけだ。美味しいお茶と菓子を用意してくれているからな…トシヤ殿はどうだ?」

「なんでアリカが行かないのに、俺を誘うんだよ」


 トシヤがうんざりした顔で言っても、シンヤは全くめげない。


「ウルカ殿とは、あまり話していないだろう?折角の機会だろうし、結局一度も晩酌に付き合って貰えなかったからな」

「最初から付き合う気はなかったけどな」

「それは残念。街に行くなら、財布にナギトを付けようか?」


 あまりにも軽い提案に、名前が出たナギトの驚きの声が出た。

 勝手に何でも決めてしまうシンヤの性格に、呆れたサクマやチアキは小さくため息を零す。困惑したトシヤとルカは成り行きを見守り、少し大きな音を立ててルイが湯呑をテーブルに置いた。


「絶対いらない」


 満面の笑みとは裏腹に凄みのある声で、顔の引きつったシンヤがようやく黙った。

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