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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
201/507

41-5

 とぼとぼと歩くのは亜莉香だけで、今度はトシヤに手を引っ張られていた。

 予想しなかった結果に落ち込むのは本来トシヤのはずなのに、本人は至って普通。平然と亜莉香の手を引き、気まずそうに前を歩くニチカに話しかける。


「もう少しで着きますか?」

「ああ、あと数分だな」

「ほら、いい加減に顔を上げて歩こうぜ。アリカ」


 名前を呼ばれても、亜莉香の心は沈んでいた。

 弟かもしれないと会いに行ったのに、トシキのたった一言で撃沈した。何か言い返せと言わんばかりのトシキに、驚いていたはずのトシヤはすぐに落ち着きを取り戻して、そうか、と平然と返した。

 言った本人が呆気にとられる程、素直に受け入れて反論はなかった。

 それ以上の会話が続かなくて、居た堪れないトシキが背を向けて持ち場に戻った。

 ニチカの呼びかけに返事もせず、亜莉香は追いかけられなかった。トシヤは仕方がないと言わんばかりに肩を竦めて、帰ろうと促した。

 何か言えば、違った結末になったかもしれない。

 もっと別の形で出会えるようにすれば、最善だったのかもしれない。

 後悔に押しつぶされそうな亜莉香を見て、トシヤが呟く。


「気にするな、と言っても気にするよな」


 心配する声は耳から通り過ぎて、誰の声も届かなかった。

 いつの間にか部屋に到着して、足が止まる。顔を上げれば見慣れた一軒家があり、建物の灯りが点いていた。

 ニチカが恭しく頭を下げて、亜莉香は会釈した。

 その後ろ姿が見えなくなるまで見送って、唇を結んで落ち込む。暫く立ち直れなくても、部屋に戻って休むべきだと足を踏み出す。力なく握っていたトシヤの手を離そうとすれば引き止められて、ゆっくりと顔を上げた。


「その顔で部屋に入ったら、心配されるからな」

「でも」

「もう少しだけ外にいてもいいか?」


 青ざめていた顔を覗き込まれて、反射的に頷いた。

 すぐに視線を逸らした亜莉香を連れて、建物の傍を流れる川に向かう。木々の合間を抜けた穏やかな川の岸辺には大小様々な石が敷き詰められていて、川の水面は星の光を反射して輝いて見えた。

 綺麗だと素直に感じれば、隣にいたトシヤがそっと口を開く。


「正直さ、俺は血の繋がった家族に会えるとは考えてもいなかった」


 嘘偽りのない言葉を聞き逃さないように目を向けて、亜莉香は耳を澄ませる。


「ガランスも広いけど、セレストも同じくらい広いだろ?人づてと言っても知り合いはいない。ルカと街に出た日なんて二人で適当に飯食って、適当に歩いていただけだったからな。何の期待もなくてさ」


 明るく話すトシヤは川を眺めたまま、軽く笑った。


「自分で会いたいとか言い出したくせに、最初から諦めていた。必死に探す気もなかったのかもしれない。だから実際弟かもしれない奴に会っても実感なんてなくて、あいつの兄が死んだと言われても大した感想も抱かなかった」

「あんなに似ていて、お兄さんもいたと覚えているのに、ですか?」


 それなのに、と泣きそうな声で言いかけた。

 どうしてトシヤの家族を覚えているのか自分だったのだろう、と思う。トシヤが覚えていたら、何年経っていても間違いなく弟だと分かったはずだ。

 今にも消えそうなくらい弱々しかった亜莉香の質問に、トシヤは首を縦に振った。

 視線を落とした亜莉香は何も言えず、沢山の小石を見つめる。大小様々な小石の中からたった一つを見つけた気がしたのに、それ自体が間違いだった。

 探そうとしたのが間違いだったと考えて、トシヤと握っている右手に指が絡まった。


「会わなくて良かったとは思っていない」


 まるで心を読んだみたいな言葉に息を呑む。


「家族には会いたかった。けど会えるとは思ってなくて、家族がいた事実だけでも十分だったと今なら思う。血が繋がっていても記憶のない家族より、もう何年も一緒に暮らした血の繋がらない家族の方が大事みたいだ。それを再確認出来て良かった」


 しみじみと言い、振り返ったトシヤが身体の向きを変えた。視線が交わって、お互いに少し困った顔になる。

 一つだけ確認したいけど、と前置きをしたトシヤが言った。


「俺は家族とセレストに向かう途中で、トウゴの家族と一緒に敵に襲われて、両親と離れた。そう言っていたよな?」

「…はい」

「俺に何か隠してないか?」


 頭を掻きながら、トシヤは視線を逸らした。少し言いにくそうに、明後日方向を向いたまま質問を重ねる。


「アリカもトウゴも、その時の話をするのは渋るだろ?トウゴにとって両親を亡くした記憶なのは分かるけど、俺を見ながら申し訳なさそうな顔をしていた。あれの意味がずっと分からなかったけど――」


 けど、と言ったトシヤが亜莉香に視線を戻した。


「それって、俺が死んだことにされた理由に繋がっていないか?」


 トシヤの質問に、亜莉香の表情が消えた。

 思わず離れようとして、優しく名前を呼ばれて引き止められる。


「俺について、何か隠しているだろ?」


 確信のある声に、亜莉香は顔を下げたまま固まった。

 大事なことを話していない。

 トシヤが家族にどんな風に思われていたか。どんな経緯で置いて行かれたのか。それらに関して口を閉ざすことは暗黙の了解。トウゴと共に、言えば傷つけると思ったから曖昧な説明をしていた。

 言わなければ、トシヤは一生知ることはない。

 でもそれは、本当の家族に会うまでの間の隠し事。

 弟かもしれないトシキに会って、今回はその話題が出なかった。もしも、今後家族と会ったら避けられない。隠そうとしていたことは、呆気なく明かされる。

 言葉を待つトシヤに、これ以上の隠し事は出来なかった。


「トシヤさんが家族とセレストに向かう途中で、トウゴさんの家族と一緒に敵に襲われたことは事実です」


 小さくも語り出した亜莉香に、トシヤが相槌を打つ。


「うん」

「最初は馬車の中にいて、そのまま逃げ切るつもりでした。けど攻撃を受けて馬車が急停止して、トウゴさんの両親が戦いに出向いて。そして――」


 平然を装うとしたのに、声が詰まった。


「そして?」

「そし、て…トシヤさんは自分から馬車を下りて、トウゴさんと共に敵と戦いました」


 涙交じりの声になって、今まで言わなかった部分を話した。

 この話はいつも曖昧にしていた。敵に襲われた途中で両親と離れ離れになって、戦いの怪我で記憶を失くした、と。狙われていたトウゴは巻き込んで悪かったと、しつこいくらいトシヤに謝っていた。

 あまり語ろうとしないのは、トウゴなりの優しさだった。

 その優しさを裏切って、亜莉香は続ける。


「元々…トシヤさんはルグトリスに襲われることが多くて、家族と上手くいっていないみたいでした。だから家族から離れようとしていた時にトウゴさんの家族と出会って、一緒に暮らそうと誘われて、トシヤさんは自分の家族から離れるつもりでした」


 エイミちゃんのようにと、とても小さく付け加えた。

 そうか、とトシキと話した時とは違って悲しそうに言った。


「俺から、家族から離れたのか」


 どこか納得したトシヤの独り言に、亜莉香は微かに頷いた。声が掠れないように力を込める。


「私やトウゴさんは、トシヤさんが望むなら家族に会わせたかったのです。トシヤさんが会いたいなら、その結果が望んでいた結果じゃなくても。家族と会えたら、いいと」


 段々と声が小さくなって、口を閉じた。

 隠していたことを怒られても、何を言われても反論はしない。トウゴはきっと何が何でも言わなかった事実を話したのは亜莉香で、責められるのは一人で十分だ。

 顔を上げない亜莉香を見て、トシヤの温かな声が降り注ぐ。


「俺の代わりに悲しんでくれて、ありがとう」


 頭の上から降り注いだ声に、堪えていた涙が地面に落ちた。

 泣く資格なんてない。泣きたいのはトシヤの方なのに、涙が頬を伝って唇を噛みしめる。声を押し殺して左手で涙を拭うと、引き寄せられて腰に腕が回った。


「ごめ…ん、なさい」

「なんで謝るんだよ。言ったら俺が悲しむと思っていたのかもしれないけど、見当違いだからな。アリカもトウゴも、気にし過ぎだ」


 トシヤの着物に顔を埋めて、しがみついた。

 次から次へと涙が込み上げて、止められない。


「俺は大丈夫だよ。一人じゃないから、大事な奴らが沢山いるから大丈夫だ。もう家族と離れようとは思わないし――傍に居る」


 耳元で囁かれた声に、何度も頷く。


 その時に邪魔が入らなければ、暫く抱き合っていたはずだ。あ、と小さな二人分の声と共に、近くの草をかき分ける音がした。


「みえないの!」


 近くで響いた女の子の声に、涙が一瞬で引っ込んだ。

 川辺までやって来て、腰に両手を当てた女の子の姿のフルーヴが頬を膨らませる。


「みえなかったの!」


 言い直したところで、意味は変わらない。不貞腐れた顔のフルーヴに亜莉香とトシヤが言葉を失えば、勢いよく振り返った。


「るか!るい!何もないの!」


 予想外の名前に驚いた。フルーヴの視線の先を見て、トシヤは心なしか抱きしめていた力を弱める。それでも離すことはないトシヤに抱きしめられたまま、亜莉香も視線を向けた。

 誰もいない木々に向かって、眉間に皺を寄せたトシヤが低い声を出す。


「さっさと出て来い」

「…あーあ、ばれちゃった」

「だから嫌だって言ったのに」


 ひょっこりと顔を出したルイと、その隣の木から渋々ルカが現れた。

 見慣れたルカの姿は変わらないのに、ルイの姿がいつもと違う。フルーヴの傍に移動したルイは足取り軽く、無地の薄緑色の着物に濃く暗い緑の袴姿。

 いつも結んでいた桃色の髪は短くなって、肩にもつかない。

 前髪は適当に軽く流して、腰には日本刀。

 美少女だったはずのルイは男にしか見えず、美少年とも言える。女と間違えられることはない姿を亜莉香は見つめ、トシヤは気にせず訊ねる。


「お前ら、いつからいた?」

「その前に僕の格好についてのご意見は?」

「心底どうでもいい」


 即座に言い返されて、ルイが深い緑色の瞳を細めて笑みを零した。ルカはフルーヴに手を伸ばして、落とさないようにしっかりと抱えた。

 まだ不貞腐れているフルーヴに見つめられるルイは、トシヤに向かって話し出す。


「もう少しだけ外にいてもいいか、と言ったのは覚えている?」

「…それ、部屋の前での会話」

「だって帰って来たのに部屋に来ないから、暇で出て来ちゃった。鰻重届いて食べたいのに、二人が遅いから」


 ね、と後ろで手を組んだルイが、フルーヴに同意を求めた。何も分かっていないフルーヴは、ぽかんとした顔をした後に何故か力強く頷く。


「うん!」

「ほら、仕方ない」


 あはは、と笑って済ませようとするルイに、亜莉香は耳まで熱くなった。

 部屋での会話から、一部始終を見られていた。隠していたことも泣いた理由も聞かれて、恥ずかしくて逃げ出したい。

 現状に硬直した亜莉香を無視して、トシヤが呆れた。


「食べたいなら、さっさと食って寝ろ」

「でもね。この時期のこの時間は、そろそろ蛍の飛翔時間だとも聞いたわけだ。ついでに見てから帰ろうかと」

「見逃すのは勿体ないよな」


 小石の上に平然と腰を下ろしたルカの隣に、当たり前のようにルイも座った。川に目を向けてから、首だけ振り返る。


「因みに蛍の話を教えてくれたのは、髪を切ってくれたお姉さんだよ」

「誰だよ」

「えっとね。チアキさんに新しい着物と袴の手配をした時に、貴族のご令嬢の身支度を整えている使用人の中に髪を切ってくれる人がいないか聞いたわけ。そのご縁で出会った、僕より年上のお姉さん」

「全く分からない」


 深いため息を零したトシヤに、フルーヴを抱えているルカは大きく頷いて同意した。


「だよな」

「ルカにはもっと詳しく説明したでしょう?」

「俺が部屋に戻ったら勝手に髪を切って、身支度を整えていただろ。俺はあまりの変わりように、話をよく聞いてなかった」

「えー、折角話したのに?」

「それより、まだなの!なにがあるの!」


 もう、と話に割って入ったフルーヴに、ルカとルイが顔を合わせて蛍の説明を始めた。

 亜莉香とトシヤを置いて蛍観賞を始めようとする三人に、亜莉香は徐々に落ち着きを取り戻す。顔の熱が引いて、僅かに赤い顔を伏せる。


「トシヤさん。あの、もう大丈夫です」

「まあ、そうだよな」


 名残惜しそうに腰に回っていた腕が離れたのに、トシヤは口元を亜莉香の耳に寄せた。


「俺はもう少しあのままでも良かったけど?」


 囁かれて赤く染まった顔を上げれば、意地悪な笑みがあった。

 口を開けては閉じて声が出ない亜莉香の様子に、トシヤが嬉しそうな顔をする。繋いだままの手を引いて歩き出せば、亜莉香は引っ張られるように足を踏み出した。

 ルイの隣にトシヤが座って、亜莉香も腰を下ろすしかない。

 指を絡めた手は離れることなく、高鳴る心臓を押さえる。トシヤとは反対の方に顔を向けても、瞳には何も映せない。

 トシヤの言葉に振り回されて、近くの会話は聞こえなかった。


「ねえ、夜会で美味しい食べ物あった?」

「食べる時間なんてなかった。俺はずっとシンヤと一緒に知らない連中の相手だよ。お前らこそ、何も食べてないのか?」

「食べたよ?先に夕食が届いて、その後に鰻重が届いたわけ。美味しそうな匂いだったから、我慢するのは大変だったよ」

「主にルイの話な」

「ルカだって美味しそうだって、言ったでしょう?」

「夕飯食べたなら、鰻重はいらないだろ」

「「それは別腹」」

「おいおい」

「――あ、あれなに!」


 亜莉香から一番遠くにいて、ルカに抱えられていたフルーヴが声を上げた。

 蛍、と疑問形の声が続いて、亜莉香はゆっくりと視線を前に向ける。

 川を越えた木々の隙間で、温かな黄色の光が揺らめいた。精霊の光かと思った光は、見え隠れして川の近くに寄って来た。一つしかないと思った光が、一つ、また一つと増えていく。

 綺麗、と声が零れた。

 空の上の満天の星空と混ざって、暗闇の中を小さな光が照らす。楽しそうに、ふわふわ浮いては飛んでいく蛍の飛翔が始まって、歓喜の声を上げたのはフルーヴだけ。


 誰もが息を呑む景色を見つめた。

 いつまでも見ていられる蛍の光は、儚くも美しい光だった。

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