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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
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01-1 無色奇縁

 帰って来て。


 お願い、早く帰って来て。と、知らない女性が、同じ言葉を繰り返していた。そんなことを言われても、帰る場所が分からない。


 どこに帰ればいいのか。

 どうしてそんなことを言うのか。

 何も分からなくて、とても苦しかった。


 いつの間にか冷たい地面に横たわっていた少女、吉高亜莉香よしたかありかは、そっと瞳を開く。瞳を開くと、溜まっていた涙が頬を伝った。涙のせいで、視界が悪い。

 ゆっくりと息を吐き、ぼんやりと考える。

 感じていた激痛はなく、息苦しさもない。ただ身体全体がだるくて、重たいような気がするだけだ。出来ることなら、もう少し横になっていたい。


 誰の声だったのだろう、と。


 内容も気になったが、必死な声は以前にどこかで聞いたことがある。知っている女性の声だった気がする。気がするだけでそれ以上を思い出せず、声の主は分からない。

 分からないことばかりだ。

 どうして、ただの落書きが光って見えたり、足が動かなかったりしたのか。

 どうして、知らない女性の声が頭に響いたり、激痛に襲われたりしたのか。


「何が、起こったの…?」


 掠れた声は弱々しく、宙に消えた。


 考えたところで、何一つ答えは出なかった。横たわっていても仕方がない。両手を地面について、身体を支えながら起き上がる。


 ふわっと、暖かい風が吹いて、亜莉香は顔を上げた。

 桜の花びらが、目の前に舞い落ちる。


「…う、そ?」


 瞳に映っている景色に、それ以上の言葉を失った。


 空は晴天で、太陽が眩しい。

 目の前には、真っ直ぐに伸びた石で出来た道がある。

 白や薄い灰色の、平らで長方形の石が敷き詰められた十メートル程の道幅。距離は五十メートルぐらいで、道の両脇に砂利と細い水路がある。水路を挟んで林となり、青々と茂った木々の高さはどれも三十メートル以上。林の中には桜の木もあり、その花びらが道まで舞い落ちて、絨毯のように広がっていた。

 花びらの道の先に階段があり、それを上れば木材で出来た門があって奥へと続く。

 風が吹けば、葉が揺れる音がして、どこかにいる鳥達の鳴き声が聞こえた。


「ここは…どこ?」


 答えてくれる人はいない。

 誰もいない。

 記憶に間違いがなければ、つい先程までいた場所は高校の玄関。季節は冬だった。着ている制服も、身に付けているコートやマフラーも変わらないのに、とても暖かくて、まるで季節は春。


 呆然と座りこんでいるわけにもいかない。


 亜莉香はゆっくりと立ち上がって、振り返った。

 振り返れば目の前と同じような道が続き、その道が途中で緩やかに曲がっている。前にも後ろにも人がいる気配はなく、無意識にため息が零れた。


 信じられないはずなのに、夢とは思えない。

 目の前の光景は現実だと、感じたのは直感。

 試しに、両手をぎゅっと握ってみる。爪が手のひらに深く食い込めば、痛い。唇を少し噛んでも、痛い。夢にしては景色が繊細で、温度や風、音や匂いも感じる。自分の存在も含め、全てが鮮明だ。

 立っているだけで暖かくなって、首に巻いていたマフラーを外す。

 マフラーを手に持ったまま、持っていたはずの鞄を探す。辺りを見渡しても見つからない。ダッフルコートのポケットを探り、中に入れていた携帯を取り出してみるが、電源が入らなかった。

 無言で携帯を見つめ、ポケットに戻す。


 なす術がない。


 役に立つ物、と言うよりも何も持っていない状況。不安を感じるのが普通なのかもしれないが、慌てて取り乱してもどうしようもない。

 どうするべきなのか、と考えながら呟く。


「とりあえず、歩いてみようかな」


 口にすると、そうしなければいけない気がした。

 気の向くままに、何も考えずに、亜莉香は門に向かって一歩踏み出した。




 数十段の階段を上り、門をくぐれば神社のような建物が正面にあった。

 広い神社の境内に、人はいない。

 拝殿は木造で、温かみのある優しい茶色の建物。所々に漆黒や金の装飾が施されていて、数年前に建てられたように新しく見えた。

 拝殿の手前の両脇に桜の木が二本咲き誇り、遠くに低い山が連なって見える。

 正方形の敷地は広く、三十メートルはある石で出来た道は拝殿まで続いている。道以外は砂利で、拝殿を囲むように木造の塀があり、道の中央から左右に伸びた道は塀の間にある小さな門に続いていた。

 静かで、神聖な空間は、自然で満ち溢れている。


「綺麗な場所」


 門の真下で立ち止まっていた亜莉香は、神社独特の空気に包まれながら呟いた。

 どんな神様を祀っているのかは分からず、注意書きなどは一切ない。それでも綺麗で、大切にされている場所だということは、見ればよく分かった。


 奥まで歩いてみようか、と笑みを零すと、微かに声が聞こえた。

 耳を澄ませてないと聞こえないはずの小さな声、誰かが走って来る音は、右の門の方から聞こえる。思わず門の影に隠れる。


「…て、隠れている場合じゃないのに」


 現実問題的に誰かに話を聞くべきだが、身体は素直に動いてくれない。どんな人が来るのだろう、と好奇心を抱いて、少しだけ顔を覗かせる。


 走ってやって来たのは、袴姿の少年少女だった。


「いえーい!僕の勝ち」

「――っ、くっそ!またルイに負けた!」

「まあ、ルカは女の子で、僕は男だからね」

「その高さの靴を履いている奴に言われたくねーよ!!」


 先に門をくぐったのは自分を男だと言った、小柄な人物。

 矢羽根柄の赤と白の着物に、濃い茶色の袴。女の子のような顔つきで、桃色の肩まで伸びた髪を半分まとめて、綺麗な桜の髪飾りを付けていた。黒のショートブーツを履き、最初に男だと聞かなければ、誰もが美少女だと見間違う美貌の少年は余裕の笑み。


 その一歩後ろにいたのは、少々顔のきつそうな美人系の少女。

 柄の少ない黒地の着物に、無地の深い紫の袴姿。紅色の長い髪を高い位置で一つにまとめ、黒の飾り紐で結んでいる。草履を履いて、どちらかと言えば少年にも見える少女は悔しそうな顔で、腕を伸ばしていた少年の背中を睨む。


 にっこりと笑みを浮かべた少年が、息を整えていた少女を振り返る。


「それじゃあ、模擬戦を始めようか。さっさとしないと、お昼時間が終わっちゃうよ」

「絶対に負けない」


 ぼそりと呟いた少女が、少年を追い越し、堂々とした足取りで境内の真ん中まで進んだ。肩を竦めた少年も、その後に続く。


 亜莉香の存在に、二人とも気付かず向き合った。


 話しかけられる雰囲気はなく、二人ともお互いのことしか見ていない。亜莉香は息を殺して、二人を観察した。見慣れない袴姿に、派手な髪の色。普段なら違和感を覚えたのかもしれないが、何もかもが初めて見る光景。まるでそれが当たり前のように、二人の姿は神社に馴染んでいる。


 眉間に皺を寄せ、怒っているように見える少女が口を開く。


「いつも通り武器が相手に届いた方が負けだからな」

「分かっているよ。僕はいつでも準備万端だよ?」

「手加減しない」


 うん、と少年が頷いた。

 少女は袖の中に隠していた黒くて鋭い武器、持ち手の紐の色が深紅の、鋭く尖った十五センチ程の大きさのクナイを両手に構える。微笑んでいる少年は両手を後ろに回した状態で立ち、武器は持っていない。


 葉っぱの揺れる音が、やけに大きく亜莉香の耳に響く。


 二人の間に、一枚の葉っぱが舞い上がって落ちる。


 次の瞬間、少女が右手に持っていたクナイが消えた。


 少年に向かって放たれたクナイは、当たることなく、首を微かに傾げただけで避けられる。少女はクナイを投げたと同時に駆け出し、走りながらクナイをもう一本取り出して、少年に斬りかかる。

 刃物のぶつかる音が、その場に鳴り響いた。

 少女が両手に持つ二本のクナイを、いつの間にか手に持っていた小刀で易々と受け止めた少年は、にっこりと笑っていた。力ずくで挑む少女に向かって言う。


「ルカ、もう少し速くないと当たらないよ?」

「まだ準備運動の前の前だ!」


 距離を取ろうと下がった少女のタイミングに合わせるかのように、少年が前に出て小刀で少女の首を狙った。その攻撃に驚くことなく、少女は小刀を弾く。

 攻撃が当たらないと悟ると、少年は地面を蹴って、素早く後ろに下がる。


「少しは、反射神経良くなった?」

「知るか!手加減するなよ!!」

「分かっているって。手加減していたら、模擬戦にならないからでしょう?」


 ふう、と少年が息を吐いた。

 少し汚れた着物の埃を軽く払い落とし、少年は右手に持った小刀を構える。お互い距離を取り、相手の動きを探るように見つめる。

 少しだけ真面目な顔になった少年が、少女に向かって踏み出して距離を詰めた。

 小刀とクナイがぶつかる度に、激しい金属音がする。少年の方が軽く攻撃しているようで、少女は力一杯クナイを振るう。


「前は俺の方が強かったのに。年々、強くなりやがって」

「まあ、僕も頑張ったからね。これは血の涙の賜物かな――なんてね」

「冗談言ってないで真面目にやれ!」

「それなら殺そうとするのをやめてよ。これ模擬戦だよ?」

「殺す気じゃないと当たらないんだよ!!」


 悔しさ混ざる少女がクナイで少年の心臓を狙うが、少年は軽々とその攻撃を受け流した。何度も隙を見て、懐に入りこもうとする少女に対し、少年は攻撃を防ぐのが中心。途中からは少女の攻撃を受け流すばかりだ。

 自分からあまり攻めない少年は隙を作らず、何かを閃いた顔になる。


「ねえ、今回こそルカが負けたら、男装やめる?言葉遣いを改める?」

「男装じゃない!ただ、地味なのが好きなだけで…それに言葉遣いだって、そこまで酷くない!俺より先に、ルイが女装をやめろ!!」

「いやいや、可愛いから問題ないでしょう?」

「可愛くない!!」


 ハートマークの付きそうな少年の言葉に、少女が全力で否定した。

 うーん、と考えながら少年がぼやく。


「女装していた方が役に立つ時も多いからなー。色んなものを奢ってもらえるし、油断して情報を聞き出しやすいし」

「それは女装のせいじゃない」


 呟いた少女がクナイを投げつけて、その隙に少年から離れようとする。

 下がろうとした少女の行動に気が付き、一瞬だけ真顔になった少年が、すかさず少女の真後ろに回り込み首を狙う。その気配を察知するや否や、振り返った少女の投げつけたはずのクナイがほんの一瞬だけ赤く光り、空中で急な方向転換をして小刀を弾いた。


 クナイが当たった小刀は、宙を舞って地面に落ちる。


 地面に突き刺さったクナイをそのまま放置して、少女は一目散に後ろに下がり、今度こそ少年から距離を取って武器を構える。武器を失っても笑みを浮かべ、右手をひらひらと見せる少年を、少女は睨みつけた。


「本気で男装止める気かよ」

「お願いしているだけだよ?」


 話し方は優しく、少年は笑顔を浮かべているのに、その瞳は笑っていない。


「そろそろ男装に無理があるから。止めて欲しいなー、とは常日頃思っているよ。でもまあ、結局は模擬戦の勝ち負けじゃなくて、ルカ自身が考えを改めないといけないことだよね」


 少女は何も言わない。

 構えていたクナイが微かに真っ赤な色の光を放ち、少女は両手に持っていた二本のクナイを思いっきり投げた。一直線に放たれたクナイを、少年は最低限の動きで避ける。けれども少女の手から放たれたクナイはそのまま地面に落ちることなく、少年の後ろで宙に浮き、間を置かずにまた攻撃を仕掛けた。

 どこから攻撃が来るのか予測しているかのように、少年はくるりと回転して攻撃を避ける。避けながら落ちていた小刀を拾い、呆れた口調で話し出す。


「適当に攻撃しても当たらない――よっと!」


 言葉の途中で、少年の小刀が一瞬赤く光り、真っ赤な焔を纏った。

 逃げていた少年は向きを変え、少女に斬りかかる。

 少女は投げたままだった姿勢を解き、また別のクナイを取り出す。取り出したクナイは真っ赤な光を放ち、そのまま光が焔に変わって、焔を纏ったクナイで小刀を受け止めた。


 それぞれの武器が、焔を宿して燃えている。


 ひっそりと刃の部分だけ一定の焔で燃え続けている小刀と違い、少女のクナイは呼吸に合わせて大きくなったり、小さくなったりしている。


 段々と、少女の呼吸が乱れ始めた。


「適当でも、当たればルイの負けだからな」

「あはは、今日もルカは本気だね」


 楽しそうに言い、じゃあ、と声の高さがほんの少し低くなる。


「今日は最後まで戦い続ける?いつもみたいに時間切れじゃなくて、どっちか武器が相手に届くまで。最後まで、ね」

「望むところだ」


 真剣な声で、少女は答えた。

 それぞれの武器の焔が衰える気配はない。

 ピリピリとした緊張感あふれる空間で、呼吸を整えながら少女が先手を打つ。動き出した少女に合わせ少年も動き出し、今まで以上に鋭い金属音が響いた。クナイで斬りかかろうとする少女の攻撃を、少年は小刀を器用に回して受け止める。時々少年から攻撃してクナイを弾いてもへこたれず、少女は落ちていたはずのクナイを拾いながら、攻撃を繰り返す。


 時々、二人が舞を舞っているように、亜莉香の瞳に映った。


 戦っているのに楽しそうで、流れる動きで容赦なく、お互いが相手の隙を狙うように攻撃を繰り返しては防御する。

 二人の間に、会話はない。

 亜莉香は呆然と、そんな二人を見つめる。


「そこの人。何やっているわけ?」


 突然、後ろから声が聞こえた。


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