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「噂の…とは?」
「シンヤ様が連れて来たご友人だろ?わざわざ夜会に連れて来るご令嬢だから、一部では婚約者じゃないかと囁かれていた――」
「違います」
耳を疑う言葉に呆然とした亜莉香の代わりに、途中でトシヤが口を挟んだ。
「絶対に、違います」
開いた口が塞がらなかった亜莉香は、ゆっくりとトシヤに目を向けた。
念を押すトシヤの表情は笑っているようで、内心全く笑えていない。振り返りはしないが、心なしか握りしめている手が強くなった。
否定してくれたことが嬉しい。緩んだ頬に気付かれないように左手を添えて、唇をぎゅっと結んだ。目が合えば顔が赤くなりそうで、視線を少し下げる。
温かな風が吹いて、気まずくなった空気を壊すようにニチカは遠慮がちに言う。
「そう…みたいだな。十分に分かったから、怒るなよ?」
「怒っていません」
「いやいや怒っているだろ?気分の悪くなること言って悪かった。謝るから許してくれよ」
「別に謝って欲しかったわけじゃ…」
ぼそっと敬語を外したトシヤは小さくため息をついた。不満そうではあるが、機嫌は悪くはない。じっと顔を見つめていると視線に気が付いて、そっと右手が伸びた。
左頬に触れたと思った瞬間、軽く引っ張られる。
小さく悲鳴を上げた亜莉香に微笑んで、軽い口調で話し出す。
「どっちかと言うと、アリカに謝って欲しいけどな」
「なんれ、れすか?」
「誰のせいで変な噂が流れているか、よく考えてくれよ」
ぽかんとした亜莉香に、トシヤは呆れ果てていた。亜莉香が全く理解していないと悟ると、手を離して自分の額に移動させる。
頭を抱えるような素振りに、亜莉香は頬をさすりながら首を傾げた。
一部始終を見ていたニチカは口元を隠して笑いを耐えて、トシヤに言う。
「大変だな。もう一人のシンヤ殿のご友人、トシヤ殿で合っていたよな?」
「合っているから、この件に関してはこれ以上言わないで下さい」
会話に置いていかれた亜莉香は、目の前の二人を見比べる。
眉間に皺を寄せたトシヤが明後日方向を向いて、本日何度目か分からない深いため息を零した。可笑しそうに笑っているニチカは亜莉香に目を向けてから、もう一度トシヤに視線を戻す。
不意に何かを思い出したニチカが、トシヤに顔を寄せてまじまじと顔を眺めた。
「それにしても――ちょっと聞いていいか?」
突然のことに驚いたトシヤは後退り、ぎこちなく答える。
「何…ですか?」
「知り合いに似た顔がいてだな、セレストに親戚いるか?」
突然の質問に、トシヤは言葉を失った。
ゆっくりと首を横に振った姿に、ニチカが残念そうに顔を引く。
「そうか?そうだと言われても驚かなかったが」
前置きのように言って、ニチカは亜莉香に視線を向ける。
「ほら、嬢ちゃんが人を探していただろ?黒髪の青年のことは分からなかったが、赤い髪の一家。警備隊の中にも赤い髪の奴がいて、その中の一人とトシヤ殿の顔がよく似ている気がする。孤児院に妹がいてよく顔を出す奴で、会わなかったか?」
驚きの声が出て、亜莉香はトシヤと顔を合わせた。該当する人物には会っていなくて、お互いに首を横に振る。
戸惑いの表情になったトシヤが何も言えず、亜莉香は問いかける。
「その人の年齢はいくつですか?」
「十三、だったかな?」
曖昧な回答を聞き、十三、と亜利香は口の中で呟いた。
探していたトシヤの弟の年齢と同じだ。予想外の手掛かりを見つけて、質問を重ねる前にトシヤが口を開く。
「そんなに俺と似ていますか?」
「そっくりだと思うぞ。髪の色は違うけど、怒っている時の顔はよく似ていると思う。何年か前にセレストに来た子供で、そこら辺を詳しく聞こうとして毎度睨まれる。負けん気は人一倍で、真っ直ぐ過ぎて危なっかしい見習いだ。年少だから、周りの奴らによくからかわれているよ」
「元気、ですか?」
トシヤの妙な間を気にせず、ニチカは笑って頷いた。
「ああ、今日も元気に警備隊のお手伝いを頑張っているはずだ。と言っても、まだ見習いだから敷地の端の方だな。本当に親戚じゃないのか?」
俺の気のせいか、とニチカは付け加えた。
言葉が詰まったトシヤは曖昧な返事を返して、僅かに視線を下げる。思考が追いつかない、と顔に書いてある。
その気持ちを察して、亜莉香は静かに息を吐いた。
その見習いがトシヤの弟だという、保証は一つもない。探していた家族かどうかなんて会ってみないと分からなくて、会った所で何を話すか考えていない。
それでも、とトシヤから視線を外して、真っ直ぐにニチカを見つめた。
「その人に会うことは出来ますか?」
「まあ、会えないことはないだろう。今だって敷地内にいるわけだし、明日の予定は聞いてみないと分からないが」
「今から、会えますか?」
前半を強調すれば、トシヤが慌てて顔を上げた。
驚いたトシヤとニチカの視線を集めて、会うことを躊躇している手を握り返す。真剣な表情を浮かべた亜莉香は、はっきりと述べる。
「可能なら、今から案内して頂けますか?」




